第五話 消えない、覚めない、そんなのない
小説の進捗は絶望的だった。
ヘルブラに行ってなにか得られたかと聞かれたなら、後味の悪い不安感だけだと答えよう。
そんな感じで、アルトゥル君も、私も、気落ちしていた。
ヘルブラに行ったことは主な原因でもなんでもなくて、ただただ先の見えない、ふやけきった日々を送ることの息苦しさが襲いかかってくるのが一番駄目なのだと思う。だから、せめて目的を持ってなにかを行動しよう、アルトゥル君の小説作りを手伝おう、と思ってもアルトゥル君本人が何も思い浮かばないのだから仕方ない。
「結局、何が書きたいんでしょうかね、僕は」
なんてことを毎日毎日鬱々とつぶやくアルトゥル君であった。
そんな折、食堂で偶然出会ったアルトゥル君に、一緒に外に行かないかと誘われた。
なんでかというと、
「実は、一緒に母の誕生日プレゼントを選んでほしくて」
ということらしい。
二つ返事でうなずいた。私もちょうど気分転換になるようなことを探していたのだ。出かければ少しは気が紛れるだろう。
早速誘われた翌日、二人で街に出ることになった。
別に、アルトゥル君のことなんてそういう目で見たことはないけれど、こんな私でも年頃の女子ではあるし、色々なことが気にならない、と言ったら嘘になる。
だから、布教活動のときにルーカスさんに貸してもらった白のワンピースをもう一度借りたり、人生で初めてストレートアイロンを使ってみたりした。
おかげで準備が思ったよりかかって、城門前での予定待ち合わせ時刻からは三分ほど遅れてしまった。
「ごめん、遅くなった」
そう言って城門前に行った。
すると、ラフな格好に身を包んだアルトゥル君は顔を真っ赤にして、
「あっ、のっ、ノナさん! なんか今日、すごく、その……か、かわ……いえ、萌え、ですね!」
「言い直したほうが気持ち悪いよ」
「そんなぁ」
冷たい態度をとってみたけれど、本当のところこういう反応を待っていたので、私としては嬉しいというか、勝利感を覚えた。
そんなこんなで、私達は街に出た。
石畳の道路の脇に立ち並ぶ商店街。怪しげな露店から、有名ブランド店まで、さまざまな店がひしめき合う混沌とした場だ。店の種類も様々で、アクセサリー屋、家具屋、レストラン、スーパーなどいろいろ。この中からアルトゥル君のお母さんの誕生日プレゼントを探すのか。
ひとまず、私はアルトゥル母についての情報を何も知らないから質問してみる。
「アルトゥル君のお母さんって、何が好きなの?」
「知りません」
即答だった。
「知らないって……自分のお母さんなのに?」
「僕が五歳の頃からずっと会ってないんです」
なかなかに衝撃的なことを聞いてしまった。
そういえば、あの城にはアルトゥル君のお母さんらしき人は住んでいない。何か事情があってどこか別のところに暮らしているのだろうか。
「あぁ、アイゼンシュタット家からは追放されちゃったんですよ、僕のお母さん」
さも当然のことのようなイントネーションでそう言った。
「追放って……差し支えなければ、なんでそんなことになったか聞いても?」
「いいですよ。もとより話すつもりではいたので」
さっきから軽すぎる話しぶりで不安になる。安易に踏み込みすぎて、いつの間にか相手を傷つけてしまっていたら、と思うと。
だけど、アルトゥル君はあいも変わらず世間話をするような口ぶりで話しだした。
「うちの家系って、基本的にみんな魔法が使えるんですよ。でも、僕だけ魔力を持たない状態で生まれてきたんです。だいたい五歳ごろになってくるとみんな魔法を使えるようになってくるんですけど、僕が使えないとわかって、母は不貞の疑いをかけられました。もちろん、母はそんなことしてませんよ。検査すればわかるはず、とも言っていました。
しかし、庶民の出の母をよく思わない人間もいて、そういう人たちの企みで母はうちを追放されることになってしまいました。以来、母は実家に戻って暮らしています」
「……」
なんというか、物語で見たようなかなり壮絶な話だ。
「それでも、アルトゥル君はお母さんにプレゼントをあげてるんだ」
「はい。一方的にこっちから送りつけてるだけですけどね」
アルトゥル君は少しさみしげに笑った。
「それじゃあ、お母さんからアルトゥル君の誕生日になにかくれるってことはないの?」
「それどころか、会ってもくれませんよ」
アルトゥル君の話を聞いて、なんだか無性に腹が立ってきた。
一つは、アルトゥル君のお母さんを追放したアイゼンシュタット家に。もう一つは、アルトゥル君と会おうともしてくれないお母さん本人に。
「じゃあ、プレゼントなんてあげなくてもいいじゃない」
思わずそう言ってしまった。言った瞬間、後悔した。
だけど、アルトゥル君はそんな失礼な私にも、薄く笑ってくれた。
「自己満足なんですよ、いろいろと」
それが、どうやら本音らしいということはなんとなく伝わった。
それから、私達はいろんなお店を見て回った。
アルトゥル君の持っているお金がそもそもとても少ないのもあり、高級ブランドでなにかを買うのは端から無理だった。
お手頃な雑貨店で選ぶのが妥当かなと考え、安めの店をたくさんはしごした。
実用的なアイテムから、ネタに振り切ったパーティーグッズまでさまざまなものを手にとってみたけれど、とりわけアルトゥル君が興味を示したのが、雪の結晶のチャームだった。
「冬ですからね、今」
チャームは、青くキラキラと光って綺麗だった。
「アルトゥル君は、雪、好き?」
なんとなく、そう聞いてみると、
「解けなければ、好きですよ。その点いいですよね。この雪は、春になっても解けずにいてくれるから」
詩情溢れる答えで、なかなか素敵だと思った。
結局、アルトゥル君はこのチャームをプレゼントとして買った。
「お母さん、喜んでくれるといいね」
そんなことを話しながら帰る。
「そうですねえ」
気の抜けた返事だった。
そうして、アルトゥル君はお母さんにプレゼントを送った。手紙も一緒に添えたらしい。流石にどんな内容かは見せてくれなかったし見る気もなかったけれど、きっといいことが書いてあるんじゃないかと思った。
それから数日。
城内を散歩していると、近くを通りすがった若い男性の使用人に呼び止められた。
「すいません、使者様。この箱、アルトゥルさんのところに届けてもらえませんか?」
と、段ボール箱を渡される。
「これは?」
「さっき、アルトゥルさん宛に送られてきました」
「なんであなたが渡しに行かないんですか?」
「使者様、アルトゥルさんと仲いいでしょ?」
「まあ……」
なんとなくそう言われるのはむず痒い。
「それに、なーんか話しかけづらいんですよねアルトゥルさんって。タブー視されてるところがあるっていうか」
「タブー視って」
いくら爆弾騒ぎを起こしたことがあるからってそんな風に言わなくても、と思ったら、使用人は目をパチクリさせて、
「あれ、もしかして知らない感じですか、アルトゥルさんがアイゼンシュタット家から絶縁されてるっていうの」
しれっとそう言った。
「一体絶縁って何したんですか、アルトゥル君」
「詳しいことは知らないですけど、まあアイゼンシュタット家って超厳しいですからね、特に当主が」
ってこれ他の人に言っちゃだめですよ、と付け加え、
「それじゃ、お願いします」
使用人は去っていった。
アルトゥル君が絶縁されていたという衝撃の事実を聞いた直後に届けに行くこっちの方が気まずいよ、なんて思いながらも、その場にダンボールをほっぽっておくわけにもいかず、アルトゥル君の部屋まで届けに行く。
「アルトゥル君、いる?」
ノックをして声をかけるとすぐにアルトゥル君が出てきた。
「その箱……」
アルトゥル君は私の腕の中にあるダンボールを見て、すぐに何かを察したようだった。
「貸してください」
言われた通り手渡すと、アルトゥル君はすぐに中身を開ける。
そこに入っていたのは、見覚えのある、つい先日お店でプレゼント用にラッピングしてもらった雪の結晶のチャームだった。
「なんで……」
「送り返されたんですよ、毎年のことです」
その瞬間、頭にかぁっと血がのぼった。
一生懸命プレゼントを選んでいたアルトゥル君の姿が脳裏をよぎる。
自分の子どもが選んでくれたプレゼントを、どうして受け取らないのだろう。
こんなにも、アルトゥル君はお母さんのことが好きなのに。
「そんなのっ」
おかしい、と言おうとしたとき、チャームが入った袋の脇になにやらメモ用紙が添えられているのに気づく。
そこには、こんな文言が書かれていた。
『毎年言っているように、もうあなたの母はこの世にいません。どうか現実を受け入れて、このような寂しい真似は二度とせず、前を向いて生きていってください。これは、あなたの祖母からのせめてものメッセージです』
「アルトゥル君、お母さんがこの世にいないってどういうこと」
呆然としてアルトゥル君に尋ねると、アルトゥル君は自嘲して笑った。
「今年もまた、嘘をつくんですね」
嘘?
じゃあ、なんでそんな嘘をつくんだ、一体。
そう聞く前に、アルトゥル君はこう続ける。
「僕が六歳のときにはもうすでに母は奇病にかかって亡くなってるって言うんですけどね。そんなの、絶対、嘘ですよ。母さんは絶対に生きてます」
妙に強く言い切っている。なんとなく、不穏な気配を感じ取った。
「だって、おかしいですよ、やっぱり。散々苦労して、悲しい目にあってきた母さんが、挙句の果てに若くして死んでしまうなんて、不条理です。許せないですよ」
そしてわかった。嘘をついているのは、アルトゥル君の方だということが。
アルトゥル君は、うつむいたままこう言う。
「母さんは絶対、生きてますよ。生きて、僕を叱りに来てくれるはずなんです」
その言葉を聞いて、さっきのアルトゥル君が絶縁されたという話を思い出す。
「ねえ、アルトゥル君って、学校、行ってないよね」
「はい。行かせてもらえませんから」
アルトゥル君はもうすっかり何もかも諦めきったような様子で言った。
「それって、アイゼンシュタット家から絶縁されたから?」
「……知ってたんですね」
アルトゥル君は、はあ、と深い溜め息をつく。
「悪い子になろうと思ったんです」
ダンボールを抱えたまま、廊下の壁に背を預ける。
「最初は、いい子になろうと思っていたんですよ。いい子になれば、母さんが来てくれるって思ってたんです。……でも、いい子になるには、僕はちょっとできない人間だった。足りない人間だった。魔力もない、勉強も運動もできない、人とのコミュニケーションもできない。そんな僕が、いい子になれるわけないじゃないですか。だから、悪い子になって、母さんが僕を叱りに来てくれるのを待っているんです」
「それは……」
それは、悲しいことだと思った。
だけど、私にはアルトゥル君を非難することはできない。
「結果、絶縁までいっちゃいましたけどね。……本当に誰も、僕の周りにはいなくなっちゃいましたけどね」
アルトゥル君は、笑うのをやめた。ちょっと声が震えているようにも聞こえた。
きっと、わかっているのだろう。自分の母がもういないということも、ちゃんと。
私は、何を言えば良いのかわからなかった。
アルトゥル君はひとりじゃない。私がひとりにさせない。そう言えればよかったけれど、私はそんなセリフをまっすぐ言えるほど曇りのない人間じゃない。私がそんなことを言ったところで、偽善らしく響くだけだ。
だから、逃げるように廊下の出窓から外の景色を見た。
よく目を凝らすと、白いかけらがひらひらと空から降ってきていた。
「アルトゥル君、雪、降ってるね」
指をさすと、アルトゥル君は「本当ですね」と言った。
「積もったら、雪合戦しようね」
私はそう言った。そんなことぐらいしか言えなかった。
「はい」
アルトゥル君は口元を緩ませてそう言った。
だけど、雪は結局積もることはなくて、明日になったら日差しに解けて消えてしまった。
その後は、雪も降らない、ただただ寒いだけの冬が続いた。
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