第四話 やっぱりヒーローになんてなれなかったね
全てが無駄だと悟ったような、目を逸らしたくなるほど苦しい瞳だった。
なるべく音を立てないようにティーカップをソーサーの上に置くと、ポケットからまたカノンもどきのメロディが流れ出した。
取り出すと、スマホの画面は虹色に輝いていた。輝きは一瞬のうちに増して、辺り一面虹色に包まれる。眩しさに目を閉じる。
再び目を開けると、私の身体は虹色の光に包まれていた。まだカノンっぽい音楽は流れ続けている。
「なっ、なにこれっ」
困惑していると、どこからか声が聞こえてきた。
『アルトゥルの心の隙間が埋まったんじゃよ』
聞き覚えがある。この世界の神様の声だ。
『今は、絶望粒子が取り除ける絶好のチャンスじゃ』
「でも、心の隙間が埋まったというよりあれは」
『そうさな。別な言い方をすれば、折り合いをつけた、という感じか』
「諦めただけですよあんなの!」
どうしても許せなかった。
自分の願いにある程度見切りをつけることでしか生きていけないだなんて。
そんなの、絶対、間違っている!
『お嬢ちゃん。世の中は、大人は、間違っているもんじゃよ』
その言葉を残して神様はいなくなった。偽物のカノンが流れる中、虹色の光は私をドレスアップしていく。
ぺたんこのスニーカーは黒のパンプスに。制服のセーラーはサスペンダー付きの黒いフレアスカートとリボン付きの黒いブラウスのワンセットに。下ろしていた髪はハーフツインに結われて、まるで魔法少女の変身シーンだ。
長年の夢が叶ったというのに、全く心躍らなかった。
最後に、姿見が私の前に現れる。そこに映っていたのは魔法少女というより歌舞伎町のホストに通っていそうな地雷系メンヘラ女子だった。
虹色の空間に、気を失ったアルトゥル君が漂っているのに気がついた。
すると、自分の意思とは無関係に手が勝手に動き、脚のホルスターから黒々したハンドガンを取り出す。私の右手は勝手にアルトゥル君に狙いを定め、勝手に撃鉄を起こし、勝手に引き金を引いた。
ばきゅん、とメルヘンな音がした。
アルトゥル君の身体からは、血の代わりに白い飛沫が飛ぶ。あれが絶望粒子なのだろう。
意識が揺らぐ。
目を覚ますと、元の姿に戻っていて、さっきまでと同じようにアルトゥル君が目の前に座っていた。
「うわあああああああああああっ」
アルトゥル君はいきなり叫びだして、頭を抱えた。
「僕は……僕はなんて馬鹿なことを! 爆破予告なんて! あぁ穴があったら今すぐ入りたい、僕は社会のゴミだ、消えてなくなってしまいたい……!」
ガンガンと頭を机に打ち付けている。
スマホを見てみると、例のアプリから『浄化完了』という通知が来ていた。絶望粒子はたしかに除去されたようだけど、妙な不安感があった。
「あの、アルトゥル君」
「あっ、あっ、なんですかっ。というかごめんなさいさっきは初対面のくせにメンヘラもいいところな自分語りをしてしまってどうかしてました生きていてごめんなさいっ」
アルトゥルさんは困ったように眉を下げて、目を思いっきり泳がせながら平身低頭している。爆破予告をしたのは絶望粒子の影響で言動に変化が現れていたのだろうか。それとも、あるいは……。
「アルトゥル君の夢って、小説家だよね」
アルトゥル君の動きが止まった。目をパチクリさせて、じっと私を見据えた後、まぶたを伏せてふっと自嘲気味に笑った。
「馬鹿にするつもりですか、やっぱり」
「違うよ。……アルトゥル君は、その夢、諦めてない?」
「……」
アルトゥルさんは考え込んだ。めいっぱい考え込んだ。唇を噛んで、ときおり机をこつこつと叩いてみたりして、上を向いてみたり、うつむいてみたり。
そして、気まずそうにこう言った。
「あー……無理だとは、わかってはいるんですけどね」
その答えに、ちょっと安心した。
ここで否定されたらいよいよ私達は世界に負けてしまったことになるし、かといって目を輝かせて夢を語られても、アルトゥルさんの苦悩が消えてなくなってしまったみたいで気持ち悪い。
シャラン、とやけにファンタジックな通知音が鳴った。スマホを見ると、またあのアプリからだ。
『絶望粒子は消えたところで気持ちが軽くなることも、抱えている問題が消えることもない。ただ、死なないだけ』
あぁ、なるほど。
私ははなから、救世主なんかじゃなかったんだ。
私にできることは、人を救うことじゃない。人を死なせないことだけだ。そうして人を途絶えさせないことで、世界を続けていくことだけだ。滅亡を防ぐという意味では世界を救うという言い方をできるかもしれないけれど、みんなを苦しみから解放する聖者には、なれやしないのだ。
それじゃあ私達は結局、やりきれないまま悩んで悩んで悩み抜いて、何も得られないまま死んでいくのだろうか。ヒーローも、悪者も、いないまま……。
「アルトゥル」
ふいに、ヴァルさんの声が聞こえた。
紅茶を届けて以来口を開かなかったから、あまり存在を意識していなかった。
「その話だけどさ。お前、前にいつか俺に小説の挿絵担当してほしいって言ってただろ? それでな、俺、お前が話してくれた小説の内容をもとにキャラのイメージ絵を描いてみたんだよ。ちょっと待っててな!」
そう言って慌ただしく放送室を出ていった。
相変わらずの爆速で戻ってくると、くしゃくしゃに丸まっていた紙を開いてアルトゥルさんに見せた。
ちらっと見てみると、がさつそうな言動とは裏腹に繊細な筆致で描かれた、ひと目見てうまいとわかる絵だった。
「なんか納得できなくて一度捨てちまってたんだけどよ、まだゴミ箱の中にあったから助かったぜ」
そう言ってニカッと笑ってみせた。
アルトゥル君は、呼応するように微笑んだ。だけど、次第に眉を歪めて、歯を食いしばって、
「ああ、ヴァル兄さんにはかなわないなぁ……嬉しいなぁ、嬉しいのに、悔しくて仕方ないなぁっ……」
目の端には涙が滲んでいた。
その理由が、なぜだか痛いほどにわかってしまった。
ヒーローは、いたのだ。だけどそれは、私やアルトゥル君の役目ではなかった。
その後、従兄弟として昔から交流のあったヴァルさんの口から、アルトゥル君の小説家になりたいという夢は昔からのものだったということがわかった。
「そんで、アルトゥルの『奇病』は治ったのか?」
「はい。またかかるかもしれませんが、少なくともアルトゥル君が奇病とやらで死ぬことはありませんよ。彼は今までと変わらず、過ごせます」
私にはアルトゥル君を変えられない。
うまくいかないな、色々と。
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