第三話 ワナビニートとの出会い

 たとえば、飛び降り自殺を図っても、また同じようになんらかのアクシデントが起きて醜態を晒してしまう可能性がある。万が一、死の恐怖に襲われて、飛び降りることができないなんていうことも起こりうるかもしれない。


 だから、確実に死ぬんだとしたら、それは他人の手によって殺されることなのだ。行動の意思は相手に委ねられているから、こちらは待つだけでいい。なんて楽なのだろう。誰だか知らないがアルトゥルとかいうやつ、よくやった。ありがとう、ありがとう……。


 と、スピーカーを恍惚とした眼差しで見つめていると、不意にポケットからパッヘルベルのカノンに似たメロディが流れ出した。


 スマホを取り出すと、勝手に見覚えのないアプリが起動していて、『絶望粒子が一定量を超えようとしています』というメッセージが表示されていた。


 なんだこれ、と思ってタップしてみると、『かみさまのなぜなにかいせつ』という太めの丸ゴシック体で書かれたタイトルが現れた。


 その下には、さっき出会った神様のデフォルメから吹き出しが出ていて、表示されたメッセージについての解説が書かれている。


『このアラートは、もうすぐ絶望粒子が絶望塊に変わろうとしている人が近くにいるときに鳴るのじゃ。早めに対象と接触してなんとかせぬと、そやつは狂い死にしてしまうぞい』


 バカにしているようなデザインと裏腹に、なかなかに重要なことが記されていた。


「これ……」


 さっきまで死のうとしていたことは一旦忘れて、ヴァルさんとルーカスさんにスマホの画面を見せる。


「絶望粒子? 絶望塊?」


 首を傾げるヴァルさん。ルーカスさんの顔も見てみたが、いまいちピンときていないようだった。


 もしかして、この世界の人達は知らないのだろうか。絶望粒子の存在を……。


 しかし、ルーカスさんはピンときたようで、


「もしかして、『奇病』のことか!」


 どうやら絶望粒子がもたらす災禍の存在は、この世界では病気として認識されているらしい。


 ヴァルさんもその存在は知っていたようで、目を丸くして、


「おいおいマジかよ。行くぞ、ノナ!」


 と、私の腕を引っ張って、ルーカスさんも置いて部屋から飛び出していった。

 



 ヴァルさんに連れられてたどり着いたこの城の放送室のドアは、ガムテープでガチガチに閉ざされていた。


「籠城する気か、あいつ?」


 私たち以外にもドアの前にたくさんの人が集まっていて、「死にたくないぃ!」だとか「開けてください、何か要求があればなんでも聞きますからぁ!」という悲鳴をドアの向こう側に浴びせている。


 このまま私たちが何か声を上げてもかき消されてしまうだろう。


 だから……。


「ヴァルさん、バズーカとか持ってますか」

「持ってるけど」


 たちどころにヴァルさんの手のひらからにょきにょきとバズーカが生えてくる。気持ち悪っ。


 これ使うのちょっと憚られるな、生理的に……とか思っていると、ヴァルさんは、何を勘違いしたのか、


「そうだもんな、お前ひ弱だしバズーカなんかもてねぇもんな」


 と言って、


「おーいアルトゥル、ドアのそばから離れてろ、危ないからな」


 注意勧告をした後、ツヤツヤと黒光りしたバズーカをぶっ放した。


 轟音をあげてドアに穴が開く。しゅー、という硝煙と共に中が丸見えになった。


「なっ、なっ、えぇっ」


 薄暗い放送室内にいた人影は困惑しているような声を出して、穴の向こう側のわたしたちをあっけにとられた様子で見ている。


 ドアの前にいたオーディエンスたちは「刺激するな!」「爆破スイッチを押されたらどうする!」などと大ブーイングしている。


 私は彼らの前にさっと手を出して制した。


「大丈夫です、私が生贄になるので」


 ずかずかと部屋の中に入り、マイクの前に座っていた『アルトゥルさん』に正対する。


「なっ、なんだよお前!」


 震える声で叫ぶ彼の襟首を掴む。近くで見てみると、ようやく彼の容貌がはっきりした。 


 銀色の長髪を耳の下でくくった青年。睫毛が長く、絵に描いたような美形なのにどことなく冴えない雰囲気だ。レモン色の瞳に気取られそうになるけれど、今はそれどころではないくらい気持ちが逸っていた。


「私を殺してください」


「へぇっ?」


 アルトゥルさんは素っ頓狂な声を出して私の顔をまじまじと見た。普段なら他人に見つめられるだけで緊張してしまう私だけど、今は不思議と心の中が澄み渡るように冴え冴えとしていた。


「この城の罪なき人々が爆破されるのはあまりにも残酷すぎます。爆破するなら私一人だけ爆破してください」


「は……?」


「は、じゃないですよ」


「いや、いやいや、あなたはそれでいいんですか、爆破されちゃって」


「むしろ積極的に爆破でもなんでもして殺してほしいって感じです」


「や……」


 アルトゥルさんは口をあんぐりと開けている。


 そして、思い切り息を吸って、


「ヤバいやつだーーーーーーーーーーー!」

 と叫んだ。


「ちょっと、初対面の人間に向かってヤバいやつ呼ばわりはないでしょ、失礼な」


「初対面の人間だからこそですよ! 初対面の人間にいきなり殺してほしいって言われたら怖いでしょう普通!」


「それを言ったら城中に爆弾を仕掛けて爆破予告をするアルトゥルさんのほうがよっぽど怖いですよ」


「怖くないですよ全然。だって爆弾なんて本当は仕掛けてないんですから」


「……なんて?」


 耳を疑った。


「今、聞き間違いじゃなければ、爆弾なんてないって聞こえたけど」


「聞き間違いじゃないですよ。爆弾、ないです」


「嘘だ!」


 思わずアルトゥルさんを突き飛ばしてしまった。


「ちょっと、何するんですかぁ」


 床に投げ出されたアルトゥルさんは泣きそうになっているけれど、泣きたいのはこっちだ。


 爆弾が、ない?


 途端に世界が足場から崩壊していくような感覚に陥った。


 ここまできて死ねないの? せっかく今すぐ死ねるってウキウキしてたのに? 使者とかいう重い役目から逃げられると思ったのに? まだ生き恥を晒していかなければいけないの? 嘘でしょ、ねぇ。


 何もかも信じられないような気持ちでいる間に、アルトゥルさんは饒舌に語りだす。


「全部、全部嘘なのです……。本当はみんなに僕のことを見てもらいたかっただけなんです。爆弾でも仕掛けたって言えばみんな僕の存在に気づいてくれるかなって。僕、本当に駄目な人間で、この間もスロットで有り金の大半スって」


「うるさい!」


 思わず叫んでいた。


 アルトゥルさんの自分語りなんてほとんど頭に入っていない。それよりか、爆弾がなかったというショックに頭を支配されている。


 そして今、ショックは怒りへと変貌し、ふつふつと煮えたぎるエネルギーと化した。


「あなたの話なんてどうだっていいです! それよりも、散々期待させておいて爆弾なんてなかったですってどういうこと? どう責任とってくれるんですか?」


「ちょっと待ってください、今ミステリードラマで言うところの犯人の自白シーンでしょ。なんでそれを邪魔して、挙句の果てには事件が起こっていればよかったとでも言うんですかあなたは!」


「でも、事件って起こってた方が面白くなるでしょなんでも」


「それは、まあ、そうかもしれないですけど」


「なら殺してくださいよ、これでけじめつくでしょ、ほら早く」


「嫌ですよ。僕に人なんて殺せる甲斐性がありそうに見えますか?」


「人は見かけによらない!」


「陳腐! その返しは陳腐!」


 言い争っていると、私達の間ににゅっとお盆が現れた。上にはちょこんとティーカップが二つと、チョコレートが山のように盛られた皿が並んでいる。


 お盆が出てきた方向を見てみると、そこには何も考えてなさそうなアホ面をしたヴァルさんが立っていた。


「ふたりとも、いっぱい喋って喉乾いてそうだからお茶とお菓子持ってきたぜ」


「「……」」


 私とアルトゥルさんは、顔を見合わせた。第三者の乱入に、お互いどう反応していいか

わかっていない。


 微妙な沈黙が流れたのち、アルトゥルさんがうつむきがちに、


「あの、隣、どうぞ……」


 ぼそぼそと言って、アルトゥルさんが今まで座っていた椅子の隣の椅子を勧めてくる。私も、「どうも……」とだけ言って、座った。


 アルトゥルさんはヴァルさんからお盆を受け取り、机の上に置いた。こぼれでもして放送機材が壊れたら心配だけど、そんなことを言い出すような雰囲気ではない。いや、どんなことも言い出せるような雰囲気じゃない。


 とりあえず、気まずさを紛らわすためにカップへ手を伸ばす。アルトゥルさんも同じ結論に至ったのか、紅茶に口をつける。湿った湯気の暖かさが目に染みた。


「……オイシイデスネ」


「はい……」


 お互い急に冷静になったからか口数も減る。


 周囲を見回すと、あれだけドアの前に集まっていた群衆も呆れ返ったのかいつの間にかいなくなっていた。ヴァルさんはというと一応この部屋から出てはいるもののドアの向こう側からそれとなくこちらの様子を伺っているらしい。


「……」

「……」


 気まずい。気まずすぎる。


 とりあえず、この膠着状態をなんとかして崩そうか。


「あ、あの、お名前、アルトゥルさんのフルネーム、なんていうんですか」


「へっ、はっ、名前? 名前ですね。えっと、アルトゥル・アイゼンシュタットと申します……」


「ご趣味は?」


「見合いかよ!」


 アルトゥルさんが思い切りつっこんだ。


「あっ、すみません……」


 つっこんだあと恥ずかしそうに顔を赤くする。本当に他人と話し慣れていない人だ、この人。


「にしても、アイゼンシュタットって、もしかしてヴァルさんのご兄弟だったりします?」


「いや、ヴァル兄さんとは従兄弟で」


「へえ。ちなみにおいくつで?」


「十六になったばっかりです」


「そっかあ、じゃあ私の方が一個上だ。アルトゥル君って呼んでいい?」


「なっ、なんかいきなり距離詰められたっ! いや、僕、男子校育ちでまともに女性と話したことないというか、だからいきなり君付けで呼ばれるとかちょっともう、もう、ファイヤー!」


 叫びながら皿の上のチョコをどか食いしだした。ちょっとおもしろいかもしれないこの人。


 チョコを三、四個リスみたいに頬張るアルトゥル君に対して私は言う。


「ちなみに私の名前はノナっていうんだ、よろしくね」


「ふぉふぉふぃふふぉふぇふぁふぃふぃふぁふ」


 何言っているかわかんないけどイントネーション的に「よろしくお願いします」と言っているのだろう。


 私もアルトゥル君に食べつくされる前にチョコを食べておこう。


 口に含むと、なんとも言えない深みのある芳醇な甘みと苦味を感じた。これは……そうとう美味しい。


「ところで、さっきはちょっと錯乱してて遮っちゃったんだけど、そもそもアルトゥル君はなんで爆破なんて嘘をついたの?」


 するとアルトゥル君はこころもち明るい顔つきになって、


「いやあ、僕、本当に無能すぎるうえギャンブルにドはまりして家族からほとんど見向きもされないんですよ。友達もいないし、一人ぼっちで」


「うん」


 聞きながらも皿の上のチョコに再び手を伸ばす。かなりクセになる味だ。


「そのくせ承認欲求だけは人一倍なんですよ」


「ほお」


 アルトゥル君も私もチョコを食べる手が止まらない。美味しすぎるからか頭が若干ぼーっとしてきた。


「ぐすっ。なーんでこうなっちゃうんでしょうねぇ、僕」


 気づけばアルトゥル君は顔を真っ赤にしながら泣いていた。ただごとじゃない様子だけど、私も身体がふわふわしてただごとじゃない。


 もしかして、これ……。


「お酒入りのチョコ……?」


 なんて言っている間にもアルコールが回って情緒が安定しなくなる。


 どこからか漠然とした不安感と恐怖感がやってくる。私から離れていった友達の顔が浮かぶ。途端に申し訳なくなってきた。


「私なんて、死んじゃえばいいんだぁ……」


 なんでだか知らないけど私も泣いていた。


「ノナさんは死んじゃ駄目ですよぉ……ひっく、僕が死にますぅ……」


「いやいや、私が死にたいのぉ……ぐすっ」


 ぐずぐずに酔っ払う二人だった。


 このまんまじゃ私達は本気で駄目な人間である。


「もう、いっそのこと私達で本物の爆弾作らない……? その爆弾で二人仲良く大爆発」


「いいですねぇ、へへへ……」


 アルトゥル君はだらしなく笑った。


 しかし、急に表情を引き締めた。


「いや、だめです。こんな僕にだって、夢があるので」


「して、その夢とは?」


「小説家です」


「……」


「ちょっと、呆れたって顔しないでくださいよ」


「そんな顔してないよ、被害妄想だよ」


 とは言うものの、小説家とはなかなかに難しい夢だ。夢のある夢ほど実際には苦しいものだというのが社会の通説だから。


「僕は、小説家に、なるんです」

「ふむ」

「印税ガッポガポです」

「いいねえ」

「女子にモテモテです」

「男のロマンだねえ」

「でも、才能がないんです」

「そんなことないよ」

「ないったらないんです。出来上がったものはいつも自分の気持ち悪い部分が凝縮してて、絶対にデータを消してしまうんです」

「自分が、嫌いなんだね」

「そのくせ誰かには自分を好きでいてほしいんです」

「じゃあ、私が好きになるよ」

「はは、ノナさんも寂しいんですね」

「……」

 全くその通りだった。なんでわかるのだろう。


 酔いとショックで何も喋れないでいると、アルトゥルさんがぼそっと口を開いた。


「印税とか女の子とか、そんなもの、本当はどうだっていいんです。こんな僕でも、世界中のやつらに認めてもらいたいっていう願いを、抱いただけなんです」


 必死で考えたけど、どんな言葉をかけていいかわからなかった。何を言ったって、空々しく響くだけな気がした。ただ、やりきれない思いだけが募っていく。紅茶はこんなにも暖かいのに、世界はいつだってままならない。


「やっぱり爆弾、作ろうよ」


 なんとなく、そう言ってみた。だけど、アルトゥル君は力無く首を振った。


「そんなもの、あったってどうにもなりませんよ」


 その目は悲しくなるくらい諦念に溢れていた。



 

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