第二話 期待という恐怖 

 部屋に入ってきた男性は、これまた私とそう変わらない年齢に見える、黒髪の青年だった。


 深緑色の警備員服をかっちり着こなし、頭には制帽をかぶっている。真面目そうな雰囲気だけど、タレ気味の大きな瞳が特徴的なアジア人風の童顔も手伝って、どこか柔和そうでもある。


 総括すると真人間そう。


 少なくとも、半裸で現れた猫耳男よりかはまともに見える。


 その男性は、急にめんそーれTシャツの男をきっと睨みつけ、


「おい、ヴァルデマール、使者様に何か無礼を働いていたりはしないだろうね」


「え、わかんね。俺、礼儀作法とかよく知らないし」


「ふん、貴族の身分のくせしてそんなこともわかってないのか、君は。つくづく君という人間には呆れされられるね。まったく、君の頭の中を覗いてみたいよ。きっとその若さで築五十年超えのボロアパート並に腐りきっていて新しい知識という名の入居者が入ってきた途端崩壊してしまうようなとうてい使い物にならない脳みそをしているんだろうね」


 なんかわけわかんないけどうまいこと言ってる……。ただの遠回しな悪口だけど。


 ともかく、いきなり初対面の人同士のいざこざを見せられるのは精神衛生上良くない。


 一歩、二歩、じりじりと後退する。このまま自然に二人の間からいなくなって、一段落するまで部屋の隅でじっとしていよう……。


 という算段は、警備員風の男性に腕を掴まれたことで邪魔された。


「使者様。どこへ行かれるのですか。ああもしかして、僕たちが見苦しい様をお見せしたから呆れてこの世界を見捨てようとされたのですね?」


「そっ、そんなことは、ぜんぜん、ぜんぜんっ」


 力の限り首を振る。


 この人と話すのが怖い。きっと私はこの人の期待に応えられない。


 そんな気持ちとは対照的に、警備員風の男性はますます私を気遣うような眼差しを向け、


「もしかして、何かご不明な点などありましたでしょうか。力及ばずではございますが、このわたくし、ルーカス・ブリュックナーが知りうることならなんでもお答えしましょう」

 そう言って跪いてきた。


「あっ、あっ、えっと」

 頭の中が混乱する。私、何がわからないんだっけ。それすらもわからない。


「その……あっ、名前! そう、名前!」

「名前?」

「はい、あなたの名前は、ルーカス・ブリュックナーさんですよね? で、この猫耳が生えてた男の名前は、ヴァルデマール、えっと」


 件の男が口を挟んでくる。

「ヴァルデマール・アイゼンシュタットだ」

「無駄にかっこいい!」

「だろ?」


 ヴァルデマール・アイゼンシュタット(長いのでヴァルさんとでも呼ぼうか)は、得意げににやりと笑ってみせる。


 ルーカスさんはというと肩をすくめて、

「全く、こいつにはもったいない名前だ。こいつの名前なんてヴァルデマ、ル、アイゼンシュタットを抜いてーで十分だよ」


「なんて発音するんだよそれ」


 やりすぎの湯〇婆みたいなことをしだしたルーカスさんはヴァルさんの突っ込みを無視して、


「失礼ながら、使者様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」


「野長、ノナです。あっ、野長が名字で、ノナが名前です」


「重ね重ね無礼をお詫び申し上げますが、歳はおいくつで?」


「十七歳、です……」


「俺達の一個下だな」


 能天気にそう言うヴァルさんとは対照的に、ルーカスさんの顔はどんどん曇っていった。そりゃあ、世界を救う神の使者が自分より年下の小娘だと知ったら心もとない。


 眉根を寄せて、険しい顔つきをするルーカスさんは、立て続けにこう質問する。


「使者様は、なにか特別な能力をお持ちで?」


 特別な能力。


 その言葉を聞いて私は固まった。


 私には何も特別な才能がない。どんくさいから運動はできないし、飽き性だから何をやっても続かない。勉強は十人並みだ。


 だけど、現実を受け入れられなかった。このまま普通よりちょっと下くらいのスペックで、普通よりちょっと下くらいの人生を送って、中小企業に就職して、職場の人間関係に馴染めず業績もうまくあげられなくて、面倒くさい性格だからパートナーもできなくて、友達もできなくて、適度に孤独を紛らわしながら死んでいくビジョンなんて、むなしすぎる。


 だから私は今でも待ち続けているのだ。ある日突然妖精がやってきて、私を魔法少女にしてくれるそのときを。魔法少女になったら、空を飛んで、困っている人を助けて、みんなに感謝される。魔法少女仲間もできて、普通に生きていたら経験できないような思い出を作り、血よりも固い絆で結ばれる。


 そんなことを話して、「いいじゃん」と言ってくれた友達は駄目な私に愛想を尽かしてある日いきなり私から離れていった。きっと、大学まで続く友達になるだろうと思っていた。「ノナが魔法少女になることがあったら、真っ先に私を仲間にしてね」と言ってくれた、唯一の友達だった。


 あぁ、そうじゃん。私、たったひとりの友達すら大事にすることができなかった。


 そんな私に、生きている価値はあるのだろうか。


それならば、いっそのこと、私は……。


「死んでやる……」

「使者様?」


 ルーカスさんが聞き返してくる。私は、世界中に響き渡るぐらい大声で、


「今すぐに、死んでやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 ぽかん、として私を見るヴァルさんとルーカスさん。やめて、そんな目で私を見ないで、ああいよいよ死ぬしか手段はなくなった、そんな目で見られるような人間が、生きていていいわけがない。今すぐあの窓から飛び降りてやる!


 勢いに任せて窓に駆け寄ったそのとき、いきなりピンポンパンポーンという西洋風の世界観とは不似合いなアナウンス音が鳴り響いた。どうやら備え付けのスピーカーから流れ出した音らしい。


『あー、あー、聞こえてますか』

 スピーカーから聞こえてくるのは青年の声。


「おっ、この声はアルトゥルだな」


 ヴァルさんはそう言うが、アルトゥルというのが誰のことを指しているか私にはわからない。


『前置きは面倒くさいのではぶかせてもらいますが……この城は、あと数時間で爆発します。つまりみなさん、仲良く一緒に死ねるのです』


 その声が、私を救いへ導く祝福のように聞こえたのは、言うまでもない。

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