第一章 死にたがり少女と魔法少女の夢

第一話 半裸猫耳男との邂逅

 目覚めたのは、おそらくセミダブルほどと思われる広さのベッドの上だった。


 しかも、寝心地がいい。低反発マットレスを使っているのだろうか。


 天井には、フルール・ド・リスに似た西洋風の家紋のようなマークが並んでおり、ちょっとしたシャンデリアがぶら下がっていたりもする。


 部屋中をぐるりと見回してみると、アンティークな机や棚、タッセルがついたベルベッド地のカーテン、ゴシック調の窓枠など、いかにも貴族風なモチーフが揃っている。広さだって高級ホテルの一室くらいにはある。


 しかし、半裸の猫耳男。


 下は黒いスパッツの完全な変態スタイル。


「……その格好、何ですか」


「え、あぁ、これ? 風呂上がりなんだよ、悪りぃな」


 白いタオルをヒラヒラさせる男。


「え、でも、髪乾いてますよね」


「あ? うん、髪は乾かしたよ」


「服は?」


「俺、美味しいものは最後に取っておくほうなんだよ」


「服にこだわりがあるタイプだと」


「いや、ないけど」


「なんなんですかあなた」


 年齢は、多分そう変わらないくらいだろうか。刈り込んだ短髪は輝かしい銀色で、キリッとした吊り目が印象的なイケメンだ。でもそれ以上に猫耳が気になって仕方ない。


「あなたは、獣人族の方で?」

「そんなんこの世界には存在しないぜ」

「じゃあ頭の猫耳はなんなんですか? 半裸で獣人のコスプレ? 変態野郎が」

「チクチク言葉は傷ついちゃうぜー、俺ナイーブだからこう見えて」

「ホバーランランルー」

「ひどい!」


 猫耳男は涙目で叫ぶ。まさか異世界人にネットミームが通じるとは。


「そんなことより、猫耳ですよ猫耳。あなたの頭に生えてる猫耳はコスプレじゃなければ一体なんなんですか?」


「あ、もしかして頭のこれのこと言ってる? いやこれ普通に寝癖じゃね?」


 異世界は寝癖感覚で猫耳が生えるのか⁉︎


 猫耳男は半裸のまま備え付けの鏡の前に行ってピンと立った猫耳を視認する。


「うわ、やけに猫耳っぽい寝癖だな。本当にこれ寝癖か?」


 そして、何を思ったのか懐からナイフを取り出した。


「え、な、何するつもりで?」

「確かめるんだよ。これが猫耳かどうか」


 そう言って、何の躊躇もなく男は猫耳の根元に刃を当てて、ざっくりと切り込んだ。


 血が噴き出した。


「うおおおおおおおお超痛ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

「でしょうね」


 男は床をのたうち回る。バカなのかなこの人。


 男の耳からはまだ血が勢いよく噴き出している。見事なアーチを描きながら。そしてその血は、どういう仕組みになっているのかわからないが、床に何やら文字を描き始める。


 出来上がったのは、こんな文言。

『welcome』

 こんな世界に歓迎されたくない……。


 というか、おい異世界。英語使っちゃダメだろ。せめて文字は異世界の字にしろ。


 異世界のくせに英語でダイイングメッセージ(?)的な何かが床に残された途端、男の猫耳が蒸発してなくなった。


 男は痛そうに猫耳のあった部分をさすりながら、起き上がる。


「ふー。痛かった痛かった。ま、でもこれで、俺に生えてたやつが、猫耳だってことが証明されたな。だって、痛覚があるからさ」


「痛覚があるのに触覚は無いんですか?」


「……あ」


 彼はようやく気付いたようだ。


 普通に、触ってみればよかったんだって。


 ……最初にそれが思いつくはずでしょうに。さらに言えば、ナイフを当てた時点でそれとわかったでしょうに。


 こんなんばっかりなのか、この世界。そうだったら私は安全な生活を送れる気がしない。


「ってか、ちょっとなんか寒気してきたな……俺、もしかしてなんか病気になっちまったのか? 猫耳が生えてたのも病気のせいなのか?」


「それは普通に服着てないからですよ」


「あっ、いっけねそうだった。俺上半身裸だったわ。今、冬だしなー。このまんまじゃいけねーや。ちょっと着替えてくるから待ってろ!」


 男は嵐のように去っていった。


 やけに能天気な人だったな……不思議と話しやすい人ではあったけど。


 それでも信用はできない。それとなく部屋を調査して回ろうかな、とベッドから降りた。


 とりあえず、近くにあった机の上を見てみる。そこにはスケッチブックと、カッターで削り出された鉛筆があった。絵が好きなのだろうか。


 どうしよう、中を覗くか覗かないか……個人的なものを覗くのはもちろん失礼にあたるけれども、今は少しでも情報が欲しい段階だし、どうしたものか……と悩んでいると、


「ただいまー」

「はやっ」

 男が戻ってきた。


 一体何秒で着替えたんだろう。吉野家より早い。


 しかも、男が身にまとっているTシャツには「めんそーれ」と筆文字で大きく書かれている。究極的にダサいし、ここの公用語は英語なのか日本語なのかはっきりしてほしい。それに……


「さっきのwelcomeといい、一体この世界はどんだけ歓迎してくるんだ……」


「そりゃ歓迎するよ。だってお前、異世界から来た神からの使者だろ」


「えぇ?」


 なんだその設定は聞いていないぞ。


 男はこてんと首を傾げ、


「えぇ? お前わかってないのか? うちの城のやつが今朝神からの啓示を受けたんだよ。『今日の正午、城門の前に空から少女が降ってくる。彼女はこの世界を救うべくして現れた使者であるから、丁重に扱え』ってな」


 つつ、と背筋を冷や汗が伝う。


「いやいやいや、そんな大層なもんじゃないですよ私。そりゃあ、異世界からやってきたし、なんかこの世界を救ってほしいと頼まれはしましたけど……」


「マジか。いや、まぁお前そんな頼りにならなそうなオーラ醸し出してるもんな」


「それはそれで失礼な物言いですね」


 実際頼りにならないからその認識で間違ってはいない。


 異世界人がみんな私に期待を寄せてこなければいい。この人みたいに。


 けれど、この城には絶望粒子に感染してしまうような人がいっぱいいるのだ。私という存在に救いを求めて、縋りつき、期待して、わくわくした目でこっちを見てくる。


 そんな人たちの希望を、私の一挙手一投足が打ち砕いていく。人々の顔には落胆の色が満ちて、あぁ、ごめんなさい、今から謝っておきます……。


「そうだ、せっかくここに来たんだし、城内を挨拶回りにでも行くか?」


 私の恐怖もつゆ知らず、男は最悪の提案をしてくる。


「いや、私は……」

 断ろうとすると、


「ヴァルデマール、いる?」

 コンコン、という几帳面なノック音とともに、誠実そうな男性の声がドアの向こう側から聞こえてきた。


「いるぞ」


 男(ヴァルデマールというのか?)はそう答え、私に「入れていいか?」と確認してくる。ここで断れる身分じゃないから曖昧にうなずいておくと、「入っていいぞ」とドア越しに声をかけた。


「失礼するよ」


 入ってきた男の人は、私を一瞥するなりこう言った。


「ようこそおいでくださいました、使者様」

「使者……様?」


 血の気が一気に引いていくのがわかった。


 ああ、私の想像が当たったというのですか。そりゃあんまりじゃないですか、神様。

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