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電車の中から通り過ぎる景色を眺める。くだらないネットニュースを読み漁るのにも飽きていた。一瞬で左から右へと移り変わる看板や建物をひたすら目で追う。普段は電車を使わないことが多いから、五十分という時間がとてつもなく長く感じる。
JR高崎線上尾駅に着くと、改札口の先に三条さんの姿が見えた。時刻は八時十分。待ち合わせの時間よりもちょっと早い。
「藤堂君、おはよう」
「おはよう。結構待った?」
「ううん、私もちょうどさっき来たばかり」
三条さんはTシャツにジーンズといったシンプルな装いだった。普段の三条さんはワンピースやスカートを着た姿を見ることが多いから、カジュアルな格好は新鮮だった。
上尾駅から遺跡までは七キロメートルほどあるらしく、初日だと言うこともあり、教授が車で迎えに来てくれる手筈だった。考古学ゼミの先生には初めてあったが、眼鏡をかけた白髪まじりの優しそうなおじさんだった。
遺跡に着くと、埋蔵文化財調査団体の方々が快く迎えてくれた。お年寄りばかりだと想像していたけれど、なかには三十代くらいの男性や主婦のような女の人もいた。
遺跡は複合遺跡と呼ばれるもので、縄文時代から古墳時代までの遺跡が層になって蓄積しているらしい。ジョレンという道具を使って土の表面を削りとった後、スコップや移植ごてを使って遺構を掘りさげていく。土の色や硬さを確認しながらの繊細な作業だが、思っていたよりは難しくなかった。財団の方が丁寧に教えてくれたし、地道ではあるがやはり遺跡発掘をしているというワクワク感があった。
三条さんとは、時々たわいのない話をした。遮光器土偶はデメキンみたいで可愛い。ハート型土偶は言わずもがな。最近は、千葉県で出土したユダヤ人埴輪が気になっている、などなど。三条さんは心から考古学が好きみたいだ。彼女の新しい一面を見られてとても嬉しかった。
作業は、朝の九時から夕方の五時まで続いた。太陽が照りつける日差しの中での作業は体力を消耗する。三条さんは途中でおばさんから借りた日よけの帽子と腕カバーをつけていた。お世辞にもおしゃれとは言えなかったが、彼女の額から流れる汗までも輝いて見えた。終わり頃になると、慣れない環境だったこともあってか、すっかりくたくたになっていた。
帰りは三条さんと一緒に上尾駅から電車に乗った。彼女は大宮駅で降りていった。渋谷駅に戻ると、俺は家系ラーメンの店に入った。まだ夕食には早い時間だったが、お腹がすいていた。ラッキーなことに、すんなりと席に座ることができた。麺はかためで大盛りを注文する。待っている間に適当に携帯をいじる。いつものごとく写真フォルダを開いて三条さんの笑顔を見る。さっきまで一緒に過ごした時間が思い出されて、思わず顔がほころんだ。
「はい、お待ち」
大きなチャーシューがのった豚骨ラーメンがカウンターに置かれた。いつもだったら、そこでにんにくをたっぷりと上にのせるのだが、明日も三条さんに会うことを考えて少量に抑えることにした。ラーメンをペロリと平らげ、何気なくスマフォの画面に目を向けると、企業から一通のメールが来ていた。
俺は遺跡発掘のアルバイトに可能な限り参加した。スーパーのアルバイトに比べて、時給は百円も安かったが、それでも三条さんと過ごす時間を優先したかった。その甲斐あってか、彼女との距離はぐっと縮まった。
「藤堂くんは就活うまくいってるの?」
すっかり発掘作業にも慣れてきて、時折おしゃべりをしながら移植ごてで土を掘り下げるのが日課になっていた。
「うーん、決してうまくいってはいないけど、今、一社だけ二次選考まで進んでいる会社がある」
俺が企業名を言うと、三条さんは「すごい、とても有名な企業だよね」と称賛してくれた。ラーメンを一人で食べた日の帰り道、書類選考を通過し、一次面接に進んだことを知らせる案内がメールで届いた。その企業は上場企業で、誰もが一度はCMを目にしたことがあるほどの有名な企業だ。このまま決まってしまえば申し分ない。ただ一つ問題があるとすれば、俺が全くその企業に対して関心も熱意もないまま、二次選考まで通過してしまっていることだった。なんならエントリーした段階では、某有名食品会社と勘違いして書類を提出していたくらいなのだから・・・。
「三条さんは、就活の方は?」
「私は埼玉県の公務員試験を受けたから、就活はしてないんだ」
「え、そうなの?」
三条さんが地方公務員を目指していたことを初めて知った。
「うん、合格発表がもうすぐなの。地元の埼玉で働きながらね、休日なんかはこんな風にのんびり遺跡発掘のボランティアなんかに参加したいんだ」
「そうなんだ。受かるといいね」
彼女は「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。
俺は自分の思いを純粋に語る彼女を美しいと思った。三条さんは偉い。ちゃんとやりたいことがあるし、それに向かって努力をしている。対して、俺はこの先どうしたいのだろう。
俺の本当にやりたいことって何だろう。
「あ!」
移植ごてがカツンと音を立てた。土の中からは褐色の土器のようなものが顔をのぞかせていた。
遺跡からは黒曜石や土器のかけらがたくさん出土した。大学四年生の夏休み。近所のおばさんたちが差し入れに焼きとうもろこしを持ってきてくれた。
「これもどうだ」
麦わら帽子をかぶった白いタンクトップのおじいさんがクーラーボックスからキンキンに冷えた缶ビールを取り出してにやりと笑う。「今日は役所の人も来ねえべ」と言って、銀歯のまじる歯をのぞかせていた。俺は仕事中なのに本当に大丈夫かと不安だったけれど、おじいさんの勢いに気圧されて缶ビールを受け取った。三条さんはすでにグビッと一口飲んでいて、「お、お嬢さん、いける口だねえ!」とおじさんたちに喜ばれていた。
それを見て、最初は躊躇していた俺もつられるように缶の蓋をあける。ビールの泡がみるみるあふれ出るのを慌てて口で防ぐ。喉を流れる冷たいビールと香ばしい焼きトウモロコシは、今まで味わったことのないくらい、最高に美味かった。
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