第4話

「どうでもいいだろう、クソが」

 小さく舌打ちをする。

「嫌な子。最近の若い子ってあんなのばかりね」

 声の主――薄緑の服を着た中年女がこちらに軽蔑の視線を向けてくる。普通の生活、一般市民。良哉――薄汚れた前科者。見下されている――頭に血が上る。体の中で何かがうねる。流れ出す。

 最近の若い子ってあんなのばかり――何よりその言葉が突き刺さる。浴びせられた言葉を噛み砕く――眩暈がする。耐えられない。

「うるせえよ、あ?」

 中年女に詰め寄る。中年女の顔が引きつる。

「何が言いてえんだ? すぐ切れるガキって侮ってんのか⁉ ろくなガキじゃねえって馬鹿にしてんのか⁉ 出来損ないだからって舐めんなよ」

 本当の言葉は出てこない――形にならない。怒りだけが噴出する。

「何言ってんのよ、何も言ってないわよ。被害妄想はやめてよ」

 中年女――腰が引けている。侮蔑のいろは消えない。自分が窮地に陥ってもどこまでも他人事。良哉に理解を示さない。良哉を断罪しようとする。当たり前のこと――それすら腹立たしい。

 最近の若い子――無責任な他人が行う、勝手な同一化。おまえになにがわかる、何でたやすくそんなことが言える⁉

「てめえ、殺すぞ‼」

 ポケットに手を入れる――冷たいものが触れる。コンビニで買った折りたたみナイフ。振り上げ――ようとしてやめる。中年女の恐怖にひきつった顔。そこには苦しみが広がっていた。不意に冷静になる――殺すような女じゃない。また年少に戻るのはごめんだ。

 舌打ちを残してその場を去った。苛立ちは消えなかった。不意に後ろめたくなり、辺りを見渡した。めちゃくちゃなリズムの口笛を吹いた。もしかしたら、通報されているかもしれなかった。

 ダイレックス――最近じゃいくつでもある。良哉が年少に行った時より明らかに増えていた。何も買うつもりはなかったが、入った。

 冷房が良哉のシャツに張り付いた汗を冷やし、心地よかった。人波をすり抜け、無意識のうちに奥の売り場に向かっていた。棚に所狭しと並べられたダンボール箱。売れてあとわずかになったポテトチップスの袋。

 まずそうだと決めつけ、今でも食べたことのないままの黒い飴。ダイレックスは一番おやつが安いからな、何でも好きなもの買ってやるよ。百円以内ならな――戯言を思い出した。由紀子と良哉はよくダイレックスに行っていた。ダイレックスではスーパーで百円するものが七十円ということもざらにあった。由紀子がお腹を空かせたならば親父の目を盗んで近所まで歩いたものだ。

 由紀子の腕を引いて道路を歩くおれ。小さく丸みのある手。ぷにぷにとした指先。いつまでも握っていられるものだと思っていた。妹のぬくもりに満ちた身体が――全てはおれが断ち切ってしまった。ぬくもりは二度と今世に返ることはない。

「ママー。これ欲しいー」

 女の子がグミ菓子を握り、買い物かごを持った母のもとに駆けていた。

「全部はダメ。どれか一つにしなさい」

 どれか一つにしなさい――良哉の記憶とダブる。どこにでもある日常。おれも由紀子と一緒に百円以内で収まるラインナップを考えた。由紀子は子供用のフーセンガムの詰め合わせを好んでいた。おれのおやつセットと分け合いっこして食べた。

 いたたまれなくなり、良哉は菓子売り場を後にする。レジ前。奥には商品をレジ袋に詰める用のテーブル。隣においてある、百円入れるとゲームができる台が置いてある。商品はフーセンガム。誰が買っているのかわからない時代遅れの駄菓子。ドア横にはガチャガチャがぎっしりと並んでいた。

 昔、トーマスのガチャガチャを引いたことがあった。ランプが内蔵されている、光る灯台が欲しかったのだ。なけなしの三百円を入れ、レバーを回した。何回回しても出なかったので、店員を呼んだ。故障だと説明を受けた。

 店員はガチャガチャの入っているアクリルケースを開け、どれか選ばせてくれた。おれは灯台を選んだ。ラッキーだった。おにいちゃん、よかったね――妹と二人で笑った。家で組み立てた。部屋を真っ暗にして光らせた。

 今思えばちゃちいものだったかもしれないが、あの時のおれには宝物だった。今もあるのだろうか、なくしてしまっただろうか、それとも家宅捜索時に押収されてしまったのか。楽しかったおれの記憶――全部、由紀子とセットだった。

「は? 二つで六百円やと⁉ 聞いてないわそんなん! 値札にはそんなん書いてないし」

「書いていなくても、常識かと思いますが……」

「見えると思うとんのか⁉」

「じゃあ、御遠慮になるということで……」

「うっさいわ。どこにもそんなん買いとらんわ‼」

 初老の男がレジでがなり散らしていた。店員は顔を引きつらせている。まだ若い。アルバイトだろうか、今にも泣きそうな勢いだった。老人も後ろ暗そうにところどころ周りを気にし、顔を歪めていたが、店員を怒鳴ることをやめなかった。

 何かがおれの腹の中で音を立てた。ざわざわと暴れだした。多少の躊躇――構いはしない。

「やめなよ、おっさん。ガキじゃないんだから」

 レジ前に立って、良哉は言った。老人はしぶしぶ財布から金を出して会計を済ませた。袋に歪に商品を詰めると足早に駆け出した。

 意外――てっきり反抗してくると思っていた。急な展開に面食らったのだろう。良哉も老人に手を出すことも想定に入れていた。誰も店員を助けようとはしなかった。投げやりな良哉の態度――その中でもなおさら、助けるようには見えなかっただろう。

「ありがとうございます」

 店員が泣き笑いの表情で言う。勇気あるな――良哉の後ろに並んでいた中年男性が感心していた。皆、良哉を安堵の目で見ていた。悪い気分はしない。商店街で煙草を吹かすガキ。中年女性に怒鳴り散らすおれ。数時間前の良哉。

 ここにいるものは誰も知らない。この空間ではヒーロー。今の良哉。さじ加減によってここまで扱いが変わる。どちらもおれなのに。妹を殺した兄。そんな男でも、上っ面だけ見れば勇気あると賞賛される。乾いた笑いが僅かに漏れる。当たり前のことなのに、おかしくなる。

 だが、良哉にはわかっていた。目の前にいる老人を目障りに思い鎌首をもたげた暴力性。自分の中にたまったねばついた何かを振り払いたかった。誰が見てもわがままな老人――苛立ちぶつけるのには手っ取り早い。

 ちょうどいい――不快感の裏に張り付く後ろ暗い歓喜が、あの時確かに良哉の中に存在していた。エアガンをもらったから撃ってみたい――似ているが、違う。もっと純粋で、後ろめたいもの。おれはヒーローなんかではない――良哉にはわかっていた。

 老人の顔を思い出す。凶暴な人相ではなく、自分の居場所をなくしてしまったような不安げなものだった――誰かに止めて欲しがっていた。そうも見えた。ただの思い過ごしかもしれなかった。

 良哉はダイレックスを後にした。もともとほしいものはなかった。後味が悪かった。釈然としない思いが今もとぐろを巻いている――

 これ以上、何も見たくなかった。考えたくなかった。些細なことで爆発してしまいそうだった。

「意味分かんねえよ」

 呟き――心の底の黒い塊を、生み出すだけの無意味な動作。

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