4 チューズ・ライフ

 最初に自己紹介のようなものをした。斜向かいの席に座っている派手な女が「お互いを理解できるとよい議論になると思うので、まずは自己紹介をしましょう」と切り出したからだ。


 席には男が一人と、女が二人座っていた。男はいかにも体育会系といった風貌で、やたら身体と声が大きかった。大学では野球同好会の主将と、学生団体というものの代表を務めていたらしい。野球同好会はともかく、学生にどんな共通の目的があって団体が必要になるのか、俺には想像もできなかった。

 派手な女は海外に留学をしていたらしく、遅れている日本の教育を変えたいと息巻いた。好きにすればよろしいと言いそうになったが、ぐっとこらえた。

 もう一人の女は、道端にたたずむタンポポの綿毛のように地味だった。ベンチャー企業で営業のインターンシップをしていると、消え入りそうな声で言った。そのささやかなデシベルで、営業という仕事は務まるものなのか? と首をかしげたくなった。


 俺はというと、いまだに二日酔いに苛まれていてまともに頭が働かなかった。情けないことに、何を言うべきかまったく思いつかなかった。俺は苦し紛れに、人の話しを聞くことが好きだから、いろいろと考えを聞かせてほしいと言ってみた。

 間の抜けた沈黙が流れた。喋ると頭痛がひどくなるので、みんな好き勝手に喋ってくれることを願って黙った。


「役割を決めましょう。限られた時間で効率的に議論するために」派手な女が言った。

 地味な女がタイムキーパーを名乗り出た。地味な女は、ゴールのすりあわせ、アイディアの発散、収束と三つのフェーズに分けて、それぞれの所要時間を設定した。実に手際がよくて感心させられた。

 身体の大きな体育会系の男が書記を名乗り出た。こう見えて図解して書いたりするのが得意なのだと言った。

 みんなで派手な女を司会に推薦した。派手な女は満足そうに頷いて、誇らしげに役割を引き受けた。

 俺のための役割らしきものは余っていなかったので、スムーズに議論ができるよう最大限のサポートをすると伝えた。


 ほとんどまともに喋っていない俺は、「どういう状態であれば日本がよい国だと言えるのかを決めませんか?」と言ってみた。少しでも存在感を示さねばと思った。みんな同意し、ゴールのすりあわせに入った。


 生きがい、豊かさ、経済成長、安心、安全、繋がり、絆、家族、支えあい、健康、所属意識、自由、エトセトラ――。誇りを持ち、明るい未来を信じられる国がよい国だという結論に達した。どういうわけか。


「現状の強みと弱みを整理しましょう」と体育会系の男が言い、ホワイトボードの前に大股で立った。規格外の身体を小さく丸め、こぢんまりとした字を書いた。横軸にプラス要因、マイナス要因と書き、縦軸に内部環境、外部環境と書いた。

「このマトリクスに当てはめてみましょう」と体育会系の男が言うと、派手な女は何度か大げさに頷いた。


 治安の良さだとか、インフラが行き届いていることが強みとしてあがった。特に異論のようなものはなかった。教育が行き届いていることも強みとしてあげられたときに、意見が割れた。

「否定するようですが、日本の教育はきわめて質が低いと言わざるを得ません」派手な女は鞭で打つように言った。

「相対的に日本の教育は高水準ではないでしょうか? 日本では中学卒業者の九割以上が高校に進学しますが、途上国は三割くらいのものだったと記憶しています」地味な女は言った。

「なぜそう思ったのですか?」水性マーカーをくるくる回しながら、体育会系の男は派手な女に訊いた。

「私は海外に留学していましたが、海外の教育の方が進んでいると肌身で感じました」派手な女はかぶりをふるように髪をかきあげた。「私の体験からの確信です」

「具体的に、日本との違いはどんなところにあったのですか?」俺は久しぶりに声を発した。

「海外の教育は自分の意見を述べ、活発な議論をすることをゴールにしています。そのため、自分の頭で考えさせるような教育になっているのです。詰め込み型の日本の教育とは雲泥の差です」

「なるほど、それはたしかにその通りかもしれませんね」俺はメンバーの顔を見渡した。早くこの女を黙らせろ、と言われたような気がした。「ただ、今話していたのは教育が行き届いていることは強みである、ということであって、教育の質についてではなかったと思います」

 俺は派手な女の表情を伺いながら続けた。「つまり、教育が行き届いていることは強みである一方で、教育の質であるとか、あるいはやり方の部分には弱みがあるかもしれない。そういうことでしょうか?」頭痛をこらえて、最後まで言い切った。

 派手な女は「でも」とか「だって」と言いそうな気配があったが、不承不承、合意ということで次の議題に移った。


 そんなこんなを何回か繰り返し、俺らのグループは何とか時間内に意見をまとめあげることができた。

 木の枝にかろうじて引っかかった風船のようで、風が吹けばどこかへふわりと飛んでいってしまいそうな結論だった。

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