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『五色茶館』の飾り棚には唐代から現代までの、色も形も豊かな茶器が並んでいた。茶器だけでなく、泥人形、手指人形、棒人形といった中国の人形が、可愛らしい賑わいを見せている。


 中でも茶館のマスコット的な存在は、勘定場にちょこんと置かれた五色の糸をかけた泥人形である。


 常連客は五色の糸をかけた泥人形の他にも、名物と呼べるものがある事を知っている。


『五色茶館』では、一年中、蟋蟀の鳴き声を聞く事ができるのだ。


 なぜか?


 店内を見回せば、どこかに蟋蟀が一匹、隠れているはずだ。


 蟋蟀を見つけたら、目を凝らしてみるといい。


 実は、機械仕掛けの蟋蟀なのだ。


 茶館の老板である偃師によれば、いつだったか、旅の途中で行き倒れた所を助けてもらった、嘘か真か、仙人から譲り受けたものだという。


 偃師はお客から茶館の名前の由来を聞かれると、いつもしんみりとした調子で、自分が過去に犯した過ちと、命の恩人である仙人とともに一緒に過ごした懐かしい日々を話した。


 ——私は昔、目上の方を前にして失礼な振る舞いをした結果、その方の気分を害して主人の命を危険に晒してしまった事がありましてね。


 もう二度と同じ間違いを繰り返さない為にはどうすればいいか、まっとうな人間として振る舞えない不出来な自分はどこで何をすべきか、答えを探しに、旅に出たんですよ。


 そして、ある日、山奥で行き倒れた私の事を助けてくれたのは、一人の親切な老人でした。その方はこんな私に、生きていく上で大切な事を教えて下さった仙人様なんです。闘蟋やお茶、紀いんの泥人形の兄の話も。


 と、偃師は続いて、紀いんの泥人形の兄の話を語り、最後は決まってこう言うのだ。


 ……こんな自分でも紀いんの兄の代わりを務めた泥人形のように、人様のお役に立ちたいと思って、『五色茶館』と名付けたんですよ。


 偃師は、昔の自分のようにどこで何をすべきか考えた末、この店を選んでくれたお客の事を、いつも心からもてなそうとしていた。


 人間はもちろん、自分と同じ人ならざる異形の者だったとしても。


『五色茶館』は、どんなお客も気兼ねなく寛げる場所としてありたい、会いたい人と会える出会いの場としてありたい、と。


 りーりーりー……りーりーりー……!


 例え機械仕掛けの蟋蟀であっても、訪れるお客の孤独を癒せるはずだと信じて。


 偃師は今日も茶館を開け、心地がいい時間と場所、一人一人の好みに合わせたお茶を提供していた。


(了)

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『茶館老板 偃師—上海妖魔鬼怪考—』 ワカレノハジメ @R50401

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