第二章 妖精の花嫁 其の四、

 第二章 妖精フェアリー花嫁ブライド


 其の四、


 偃師は深い眠りから目を覚まし、辺りをきょろきょろと見回した。


 ——確か山道を歩いていて、突然、調子が悪くなり、立派な顎鬚を生やした老人に助けられて……?


 近くの洞窟に運び込まれて。


 ——ここは、洞窟の中か?


 洞窟の壁には燭台が備え付けられ、蝋燭の炎が周囲を照らし、寝台に寝かされている事に気が付いた。


 洞窟内には、卓子や椅子、箪笥や本棚も置かれ、質素だが手入れの行き届いた調度品に囲まれ、人間が住む温かみに溢れていた。


 偃師は立派な顎鬚を生やした老人に介抱してもらい、手術まで施されたような気がしたが……


 ——あの顎鬚の老人は、いったい、何者なのだろう?


 洞窟の奥には、職人の工房のような一角があり、色々な工具や、機械仕掛けの部品が山と積まれていた。


「——おお、やっと目が覚めたか? 調子はどうだ?」


 工房の奥から姿を現したのは、件の顎髭の老人だった。


「は、はい!」


 偃師は緊張した面持ちで返事をした。


「もしかして私の事を助けてくれたのは貴方ですか? 私は偃師と言います。貴方のお名前は? それに、ここはいったい?」


 偃師は上体だけ起こし、矢継ぎ早に質問した。


「その様子だと、もう大丈夫みたいだな。よかった、よかった。最初はてっきり人間だと思っていたから、一時はどうなる事かと思ったぞ?」


 顎髭の老人はほっと一安心したように言った。


「目覚めの一杯に、お茶でも飲むか!」


 顎髭の老人は台所で薄い黄色をしたお茶を淹れ、竹で作られた茶盤の上で湯気を立てた二つの茶杯から、花のように爽やかな香りがした。


「自動人形のお主にどこまで効果があるか判らんが、『蒙頂黄芽もうちょうこうが』だ。健康な者なら若返り、病人なら病気が治ると言われている」


 顎髭の老人が勧めてきたのは、四川省蒙山しせんしょうもうざんのお茶で、中国六大茶の『黄茶きちゃ』に分類される——『蒙頂黄芽』は、蒙山の主峰、標高千二百メートルで栽培された茶葉を、春分の時期に若芽だけ摘み取るのだが、一斤作る為には、一万個の芽が必要とされているものだった。


「あ、貴方は……」


 偃師は自分の正体を知る、そして、自分の正体を知っても尚、当たり前のようにもてなしてくれる、顎髭の老人の素性が、いよいよ気になり、お茶どころの騒ぎではなかった。


「私の名は、太乙真人たいいつしんじんという。ここは私の住まいで、四川省、乾元山かんげんざん金光洞きんこうどう。散歩していたらちょうどお主が倒れていてな、勝手に修理させてもらった」


 太乙真人は身を起こした偃師と向き合うように椅子に座り、お茶を味わいながらにこやかに言った。


 偃師はその名に、聞き覚えがあるような気がした。


 りーりーりー……りーりーりー……!


 いつの間にか、お茶の香りに吸い寄せられたように、蟋蟀が一匹、卓子の上で鳴いている。


「…………」


 偃師は蟋蟀を見つめているうちに、ふと気が付いた。


 季節はまだ秋ではない。


 この時期、蟋蟀の成虫はいない。


 よく見ると、褐色の小さな身体はあまりに綺麗すぎる気がする。


 この蟋蟀はひょっとして、作り物なのではないか?


「も、もしかして、貴方は?」


 偃師は大きく目を見張った。


 四川省、乾元山は金光洞に住まう、『太乙真人』を名乗る顎髭の老人は、自動人形である自分の故障をいとも簡単に修理し、機械仕掛けの蟋蟀を作るほど、物作りに精通している。


 とすれば——、


「貴方は本当に、太乙真人様なのですか? あの『哪吒太子なたたいし』をお作りになったという、仙人様の?」


 偃師は驚きを禁じ得なかった。


『哪吒太子』と言えば、仙人である太乙真人の手によって造られた、人造人間ならぬ、人造仙人だった。


 更にはいくつもの〈宝貝パオペエ〉を意のままに操り、三頭六臂の術を駆使する事でも知られる。


「よく知っているな、もう随分と昔の事だよ。そういうお主は、周の穆王の時代に偃師によって作られた、自動人形か?」


 太乙真人は自分が仙人だという事をあっさり認めると、いかにも仙人らしく、慧眼を発揮し、偃師の出自を言い当てた。


「……はい。その通りです」


 偃師は太乙真人相手に隠しても仕方がないと、素直に頷いた。


「やはりそうか。しかし今までどこで何をしていたのか知らんが、全く手入れをしていなかったみたいだな。いくら人間と違い、死や老いがないとは言え、あまり放ったらかしにしていると、また動けなくなるぞ」


「すみません、これから気を付けます」


 偃師は素直に反省した。


「ま、しばらく何も心配は要らんよ。心の臓を修理する時に、哪吒太子と同じ霊珠を使っておいたからな」


 太乙真人は簡単に言ったが、偃師は恐悦至極だった。


「あ、ありがとうございます!」

  

 偃師はそれこそばね仕掛けの人形のように寝台から下りて直立し、深々と頭を下げた。


「お主が元気になってくれればそれでいいさ」


 太乙真人は満足そうに、うんうんと頷いた。


「何か、何かお礼をさせて下さい! 生憎、お金は一銭も持ってませんが、何でもしますから!」


 偃師は懇願するように言った。


 まさかここまでしてもらって、『ありがとうございます』の一言で済ます訳にはいかなかった。


「ふむ……差し支えがなければ、お主が旅している理由を聞かせてもらえるか?」


 太乙真人は偃師を落ち着かせようとしてか、湯気の勢いが治まってきたお茶を一杯、改めて差し出した。


「私の正体を見抜いた太乙真人様ならご存知でしょう、主人の偃師に連れられた私が穆王の御前で何をしでかしたのか」


 偃師は深刻そうな顔をして言った。


「穆王の侍女に色目を使ったが為に、主人の偃師が処刑されそうになった?」


 太乙真人は古い記憶を手繰るように言った。


「お恥ずかしい事ですが」


 偃師は恥を忍んで認めた。


「しかし、それとお主が旅している事と何の関係がある?」


 太乙真人は疑問を呈した。


「私は晴れの舞台で主人に恥をかかせ、大変な迷惑をかけてしまった出来の悪い自動人形です。主人が亡くなった後は人前に出るのをやめて、倉庫の中で眠っていました。その方が世の為、人の為になると思ったからです。ですが、気づいた時にはごみの山に捨て置かれていました。その時、ふと思い出したのです……私の主人である偃師が、穆王の一件が終わった後も、私の事を自慢の息子だと言ってくれていたのを……」


 偃師は気恥ずかしそうに、懐かしそうに言った。


「よかったじゃないか」


 太乙真人はまるで我が事のように、嬉しそうな顔をした。


「自慢の息子はごみの山に埋もれているものか考えた私は、ある日、ごみ溜めから抜け出し、旅に出ました。自分がやりたい事、やるべき事は何か、どこで何をすべきか、答えを見つける為に……」


 偃師は前向きな事を言っているようで、表情はなぜか、暗く沈んでいた。


「どうした? それこそ人間らしくて素晴らしい事じゃないか? 何をそんなに暗くなる事がある?」


 太乙真人は偃師があまりに落ち込む様子を見て、疑問に思った。


「我ながら情けないな、と。私は主人に恥をかかせたあの頃と何も変わっていません。自動人形であるこの身を過信し、太乙真人様にとんだご迷惑をかけてしまったんですからね。せめて何か、お礼ぐらいできればいいんですが」


 偃師はますます項垂れた。


「それならしばらくここで、仙人修行でもするか。最近は仙人になろうとする者などおらんから、私も退屈していたところだ」


 太乙真人は偃師の事を元気付けるように言った。


「自動人形の、私が、仙人に?」


 偃師は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


 今まで人間になりたいと思った事はあっても、仙人になりたいなどと思った事はなかった。


 もし、本当に仙人になれるのなら、自分を造ってくれた偃師に対して、これ以上の恩返しはないのではないか?


 自動人形として生まれた自分が、本来、人間が厳しい修行の果てになるはずの、仙人になるのだから。


「神仙修行を積んだからと言って、みんながみんな、仙人になれる訳じゃないが、お主には霊珠を埋め込んだ事だし、やってみる価値はあるだろう」


 太乙真人は未来を占うように、偃師の事をしげしげと見つめて言った。


「いつかまた今回のような事があっても困るし、この際、自分の身体をどう調整すればいいのか手ほどきしてやろうじゃないか」


 その日から、太乙真人の元に弟子入りし、神仙修行に明け暮れた。


 元々、死や老いとは無縁の自動人形だから、時間はたっぷりある。


 本物の仙人、太乙真人に師事した事もよかっただろうし、霊珠を埋め込まれた事も大きいかも知れない。


 偃師は師父、太乙真人の言う事をよく聞き、熱心に神仙修行に取り組み、一つ一つ、着実にものにした。


 そのうち自身の整備も自分の手でできるようになったし、かつて『哪吒太子』が意のままに操ったという〈宝貝〉も使えるようになった。


 だが、どんなに努力したところで、仙人の高みに上る事はできなかった。


 だからと言って、人間になれる訳もなく。


 いくら努力したところで仙人になる事はできないのだと、薄々気付いていながら、神仙修行を続けた。


 まるで自分には、こうする以外に他に道はないのだ、と言わんばかりに。


 偃師には、実際、他にやりたい事もなければ、やるべき事も、できる事もなかった。


 命の恩人である太乙真人に対して、せめてものお礼として、退屈凌ぎの相手になれれば、という思いもある。


 だが、仙人になれそうにないと感じながら修行しているだけに、以前のように思い悩む事が増えてきた。


「…………」


 偃師は洞府の片隅に用意された自室の寝台に寝転がり、今日も浮かない顔をしていた。


 気づけば、深々とため息をついていた。


 ——結局、どんなに一生懸命、神仙修行をしても、自動人形は、所詮、自動人形なのか。


 いくら人間そっくりに見えたとしても、どれだけ精巧に作られていたとしても、決して、人間ではない。


 まともに主人に仕える事もできないし、仙人になる事もできない、不出来な自動人形だ。


 どこにも、自分の居場所は存在しない。


 ——だとしたら、どうする?


 どうすればいい?


 りーりーりー……りーりーりー……!


 枕元に飛び込んできたのは、太乙真人が作った機械仕掛けの蟋蟀だった。


 季節はすでに蟋蟀が成虫になる秋を迎えていたが、こんな所で鳴いているせいか、機械仕掛けの鳴き声のせいか、番となるべき雌の蟋蟀が姿を現す事はなかった。


「お前も孤独、か」


 偃師は寂しげな顔をして、独りごつように言った。


「素晴らしい!」


 突然、御簾の向こうから、偃師の事を褒め称えるように、拍手しながら出てきたのは、太乙真人だった。


「素晴らしい?」


 偃師は戸惑いの色を隠せなかった。


「ああ、素晴らしいよ! 自動人形でありながら、風情を理解する事ができる感性がな」


 太乙真人は機械仕掛けの蟋蟀をひょいと摘み、葫蘆ころの中に入れ、鳴き声に耳を澄ませた。


『葫蘆』は、瓢箪型の虫具で、蟋蟀や螽斯といった虫を入れ、鳴き声を楽しむ為に使う道具である。


「感性だなんて、そんな……私は不出来な自動人形ですよ。現に、高名な太乙真人様にご指導頂きながら、一向に仙人になる事もできませんし、我ながら、情けない限りで」


 偃師は謙遜するのを通り越して、卑下するように言った。


「最近、何をそんなに塞ぎ込んでいるのかと思えば、仙人になれない事を気にしていたのか?」


 太乙真人は初めて会った時と同じように、偃師と向き合うようにして椅子に腰掛けて聞いた。


「……はい」


 偃師は寝台から上半身を起こし、俯きがちに返事をした。


「確かにお主は、仙人の域にまで達する事はできないかも知れない。だが、いくつか神仙術を身に付ける事はできたし、『哪吒太子』と同じ〈宝貝〉を意のままに操れるようになったではないか。これだけでも相当な事だし、そもそも私の相手をしてくれればいいだけの話、そこまで落ち込む事もあるまい?」


 太乙真人は励ますように言った。


「大丈夫だよ。初めて会った時から、お主は自分の事を不出来な自動人形だと卑下しているようだが、決してそんな事はない。最初に犯した過ちというのも、男に生まれたのなら当たり前と言えば当たり前。そういつまでも、引きずる事でもあるまい。それだけ人間らしいと、誇ってもいいぐらいじゃないか」


 太乙真人は偃師の事を気遣い、冗談めかして言った。


 ——大丈夫だよ。


「……太乙真人様」


 偃師は太乙真人の口から、今は亡き生みの親と同じ台詞を耳にして、何がしか胸に響くものがあった。


「今も蟋蟀を見て己の孤独に思いを馳せていたようだし、これが人間らしくなかったら、なんだというのだ? もっと自分に自信を持て。そうすれば、自ずと精神が安定するだろうし、それこそ、仙人に一歩、近付けるというものだ」


 太乙真人に諭された偃師は、感極まった様子で頷いた。


「それにしても、この蟋蟀は本当によくできていますね。余程、近くで見なければ、本物の蟋蟀にしか見えない」


 偃師は初めて金光洞にやって来た日から、変わらず鳴き続けている蟋蟀に、感心したように言った。


「お主が来るまで、私しかいなかったからな。ある日、暇潰しも兼ねて作ってみたのよ。完成してからは、時々、一人で鳴き声に耳を傾けていたものだ。かつて時の皇帝の寵愛を得られなかった後宮の美女達が、虫具に囲った蟋蟀の鳴き声で己の孤独を慰めていたようにな」


 太乙真人は卓子の上に置いた葫蘆の中から聞こえる、美しくも切ない鳴き声に、今も耳を傾けていた。


「……そう、か」


 偃師ははっとした。


「うん、どうした?」


「やっと、判ったんです! みんな、何も変わらないという事が!」


 偃師は長年の疑問の答えが判ったとでもいうように、自然と笑みが零れた。


「と言うと?」


「今、機械仕掛けの蟋蟀を見ていて、気づいたんです! 私は自動人形として生まれ、劣等感に苛まれ、人間はもちろん、仙人になろうとしてもなれず、ずっと思い悩んでいたけれど、それはもっと言えば、孤独に苦しんでいたんだと!」


「ふむ」


「そう、そう考えると、孤独なのは私だけじゃなかった。太一真人様も、宮中の妃嬪も、きっと、機械仕掛けの蟋蟀だって! みんな、同じ想いを抱いて生きているんだ」


 偃師はようやく、視界が開けたように、爽やかな顔をしていた。


「左様、この宇宙は、〝気〟によって成り立っている。天地万物を構成しているのは、〝気〟だ。そういう意味においても、人間も自動人形も、変わらない。では、それが判った今、お主は、何を思う?」


 太乙真人は気づきを得た偃師に対して、導くように問いかけた。


「お主は、それでも尚、自分の事を不出来な自動人形だと嘆くか? 仙人になれないと項垂れるか?」


「……わ、私は」


    偃師は太乙真人の顔を見て、しばし考え込んだ。


 ——私は、自動人形であるにも関わらず、いや、自動人形であるが故に、孤独を抱えていた。


 そしてたった今、孤独を抱えているのは自分だけではないのだと、みんなも同じなのだと気づいた。


 だとすれば、どうする?


 ——自分の事を不出来な人形だと卑下していれば、孤独を解消する事ができるか?


 否。


 ——どんなに努力したところで自動人形の自分は仙人にはなれないのだと思い悩む事で、孤独を解消する事はできるか?


 否。


 ——では、人間になる、仙人になる、それ以外にも、孤独を解消する方法はあるか?


 判らない。


 判らないがしかし、例え不出来な自動人形だったとしても、きっと何か、何かできる事はあるのではないか?


「私は今まで、何か思い違いをしていたみたいです。本当は、人間になる事や仙人になる事が目的ではないはずなのに、いつの間にかそれに囚われて……。でも、これからどうするつもりかと言われたら、まだ何も思いついてはいませんが」


 偃師は自分の胸の内を確かめるように、ぽつりぽつりと答えた。


「清朝の官吏であり、学者だった紀いんが残した『閲微草堂筆記えつびそうどうひっき』に、こんな話がある——紀いん自身の体験談で、泥人形の兄の話だ」


『閲微草堂筆記』、志怪稗史しかいはいしを集めたもので、志怪稗史というのは、日本でいうところの、怪談である。


「紀いんが子どもの頃、金の腕輪を身に付け五色の服を着た年上の少年達が、毎日のように遊んでくれたという。彼らは紀いんの事を本当の弟のように可愛がってくれたが、紀いんが成長すると姿を現さなくなった」


 太乙真人は続ける。


「紀いんが年上の少年達について父親に聞くと、その子達はお前が生まれる前、母親が子どもができない事を苦にして作った泥人形に違いないという。いつか子どもができるようにと願い、五色の服を着せてお菓子や食事を供えていたのだ、と」


 太乙真人は反応を窺うように、偃師の事をじっと見つめた。


「紀いんの母親が作った泥人形と同じように、お主にも自分を作ってくれた父親の想いが託されているじゃないか。それならきっと、泥人形のように、或いは蟋蟀のように、いつか人様の孤独や退屈を癒す、自分なりの生き方が見つかるだろうよ」


 太乙真人は優しく微笑み、台所に向かった。


「現に私自身がお主のお陰で、こうして毎日、楽しく過ごさせてもらっているしな。ゆっくり考えればいいさ」


 太乙真人が台所で淹れたお茶、『蒙頂黄芽』から、洞府の隅々に、すっきりとした爽やかな香りが広がっていく。


「…………」


 偃師の脳裏で何かぼんやりとしたものが、少しずつ形を取り始めていた。


 ——自分がやりたい事、やるべき事は何だろう?


 どうする?


 ——自分は、どこで何をすべきか?


 どうすればいい?


 昔、穆王の気分を害し、主人の命を危険に晒したような間違いを二度と繰り返さない為には、いったい?


 孤独を解消する為には、どうする?


「わ、私も何か、人様のお役に立ちたいと思います!」


 偃師は太乙真人が竹製の茶盤に載せて二人分の茶杯を持ってきた所に、すっくと立ち上がって言った。


「紀いんの兄の代わりを務めた泥人形のように誰かに寄り添いたいと言ったら大袈裟ですが、何か人様のお役に立てればな、と」


 偃師は茶杯を手渡され、太乙真人と小さな卓子を囲んで、思いの丈を述べた。


「例えばそう、どんなお客でも気兼ねなく寛げる場所とか、会いたい人と会える出会いの場とか?」


 まだ見ぬ自分の未来、将来の事を思い描き、目をきらきらさせた。


「私はそういう場所で、太乙真人様がして下さったように、おいしいお茶を淹れましょう! 季節の花を楽しみ、秋になったら闘蟋をして、うんうん、それなら、茶館を開くのはどうでしょうか!?」


   偃師は夢が膨らみ、興奮が収まらなかった。


「その茶館の名はなんとする?」


 太乙真人はにこやかに受け入れ、質問した。


「そうですね……」


 偃師は考えを巡らした。


 太乙真人から紀いんの泥人形の兄の話を聞いていなければ、ここまで考えはまとまらなかっただろう。


 こうなると店の名前に関しても何かあやかりたいものだが。


「……『五色茶館ごしきちゃかん』。『五色茶館』というのは、どうでしょう?」


 偃師はふと思いついたその名の響きを、確かめるように言った。


「うん、いい名前じゃないか。泥人形の服の色にあやかった訳だな」


 太乙真人はこくりと頷いた。


 中国の五色と言えば、陰陽五行説に基づいたおめでたい色である。


「はい! もし、茶館にお客さんが来てくれたら、人間はもちろん、私と同じような人ならざる異形の者だったとしても、心からもてなしたいと思います」


 偃師はその後も夜遅くまで、太乙真人と話に花を咲かせた。


 …………


 偃師達が談笑する卓子の上、葫蘆の中にいる蟋蟀は、いつの間にか、鳴き止んでいた。

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