第六幕 ダイハモン、する
第一場
夕方の団地の一室では、時が止まったように何にも動きません。
悲しい夕焼けが狭い部屋を赤く染め上げて、もうここから一生出られない、自分は一生寂しいまま生きていく、と勘違いさせられそうになります。
その団地の一室の畳の部屋には、大きな山があります。この家で、触れてはならない恐怖の山。「親父」と呼びかけたって、動きません。中学生のお姉さんが泣いたって、びくともしません。そこには役割を失って、空っぽの魂になってしまった人が、一歩も動けずに座っているのです。
山から放たれる圧が、そこで暮らす家族を苦しめます。
山の存在が、そこで暮らす家族を悲しくさせます。
山には、朝と昼と夜の区別がありません。休日と平日の境目も、溶け切っています。ただ流れる時間の中で、じっとこの部屋で座ったまま。
ハモンにはそれが許せません。
第二場
「これで五問か……」
夜の小学校、クロスワードパズルに変化してしまった壁の前で、サイバーが集めた問題の答えをキーボードで打ち込みます。のり子がサイバーの腕時計にくっついたモニターを覗き込むと、壁のクロスワードパズルと同じ形で文字が入力されていきます。
クラスメイトたちが集めたクロスワードパズルの答えは、今五つ揃ったところです。
一の横の鍵、セカイ
二の横の鍵、タヌキ
五の横の鍵、ムカデ
六の縦の鍵、カラス
八の縦の鍵、ルビー
『あとちょっとだね』
モニターが一太郎の笑顔に切り替わります。
「うるせえ、引っ込んでろ」
『う、う、ひどいよ! サイバーのバーカ!』
一太郎が画面の奥に引っ込むと、またモニターが文字列を表示します。
「最終的に、この鳥居のマークのところに入る文字がわかれば良いのよね」
のり子が、モニター上で赤くなったマスを指差して言います。
「おそらくな」
空白のタイルはまだありますが、鳥居の絵が書かれたタイルは七つ、みんなが集めた答えのおかげで既に六つ埋まっていますから、あと一文字です。のり子が埋まった文字を読み上げます。
「セタイムカル」
「何だ?」
「あと一文字なら今ある言葉だけでも答えがわかるかと思ったのよ」
サイバーも、のり子に倣って六文字をでたらめに読み上げます。
「イタセルカム」
のり子が続きます。
「ルイタセカム」
「ムカタセイル」
「セイタムカル」
「タイムカルセ」
「タイム?」
やっと言葉らしい言葉を掴んで、のり子がじっと考えます。
「タイム……」
そうして思いついた七文字を、そっと呟きます。
「タイムカプセル?」
のり子に答えを言い当てられた壁のタイルが、ボロボロと崩れ始めます。
まだ夜なのに、外が一瞬、真昼のように明るくなります。
第三場
のり子がその言葉を呟いた時、いくつかの事象が同時に起こります。まず、各グループで対峙中だった妖怪が、倒してもいないのに突然煙のように消えてしまいます。
旧校舎では、赤い女が教室のドアをガラリと開いた瞬間で、建物の中なのに哲郎たちの目の前を電車が通り抜けます。その電車には誰も乗っていませんが、煌々と明るい電気が、哲郎たちの頬を照らします。
「今の……何?」
「電車の妖怪?」
「あれ、らーめんは?」
電車が通り過ぎたあと、風と共に赤い女がいなくなっています。そこには通信機が一つ、ポツンと落ちているだけ。
そして校庭には、白く輝く巨大なひらがなの五十音順表が現れます。加えて、五十音順の上には、鳥居の絵と「はい」と「いいえ」の文字。
屋上のフェンスに指を掛けて、夜風にふかれたハモンたちが異様な校庭を見下ろします。光る校庭には見覚えがあります。これはまるで。
「これって、こっくりさんか?」
「こっくりさんこっくりさん」
ミコが静かに二度答えるのですから、こっくりさんなのでしょう。だけどミコは決して、ハモンの質問に答えたわけではありませんでした。ミコは心に温度が無いように、まるで独り言のようにこう続けます。
「どうぞおいでください。もしおいでになりましたら『はい』へお進みください」
校庭の鳥居の絵の上に、何かがいます。人です。長い髪の人が、倒れています。それも、大人の女。
「あれ、蘭子殿ではござらんか?」
望遠鏡でも覗くみたいに、手を丸めた雪之丞がその正体に気が付きます。そうです。あれは赤いチャイナ服を着た、大人の女。ぐったりと力なく倒れています。それが突然、何かに操られたように、紫色の光を発しながら宙に持ち上がると、滑るように移動します。そうして「はい」と書かれた文字の上まで来ると、その身体や長い髪ががくんと揺れて止まります。
こっくりさんが来たのです。それも校庭で、しかも人間を使って、呼び寄せてしまった。
幕ノ内小学校には、学校の七不思議があります。その一つをハモンは知っています。学校の校庭でこっくりさんをすると、校庭の底に吸い込まれる。
「やべえぞ、おいミコやめろ!」
でももう遅いのです。ミコは瞬きをしません。ミコは声をかけられても反応しません。ミコは肩をゆすられても、目玉一つ動きません。
「おい! ミコが何か変だ!」
「こっくりさんこっくりさん」
「ミコやめろ!」
「ミコ殿!」
雪之丞が頬をペチペチ叩きますが、どうにもなりません。かくなる上は「御免!」得意の峰打ちです。けれどもミコは止まりません。
「あなたが探しているものは何ですか?」
「ミドリ何やってる! ミコを!」
ハモンが叫んだって、ミドリはもう恐怖で一ミリも動けません。ただただその恐怖を受け入れるように、校庭の文字の上を滑る赤い女を見つめています。
「た・い・む・か」
「ミコ! おい!」
「ふ・せ・る・は」
「ミコ殿!」
「と・こ・に・あ・る」
こっくりさんが動きを止めると、ミコの身体からふっと力が抜けます。倒れそうになるのを、急いで雪之丞が抱きとめます。
「ミコ! おい大丈夫か!」
青ざめたミドリが、ハモンの方を向いてこっくりさんの言葉を繰り返します。
「タイムカプセルはどこにある?」
ミコは気絶しています。もう彼らにはどうにも出来ません。忌々しげにハモンが言います。
「そんなもん、校庭の下に決まってんだろ」
ハモンの答えを聞いた校庭が、突然真っ黒になります。そしてその表面は揺れている。水です。
校庭が黒い水に満たされたのです。校庭は今、海のように大きくて真っ黒な水たまりに変わったのです。あまりに巨大で、きっと光なんてちっとも届かない、何が棲んでいるかわからない、どのくらい深いのか検討もつかない、そんな怖ろしい水たまりが一面中に。
「おい、何だよこれ……らーめんはどうした?」
「水の中に、吸い込まれた……」
ミドリはもう駄目です。雪之丞がミコを起こそうと何度も呼びかけますが、反応がありません。ハモンはこの時やっと、学校には自分たちの力ではどうにもならない大きな何かがあるということを、はっきり理解しました。それから何か不安の波のようなものに押し流されるような感覚。このままでは、自分もあの黒い水たまりに引きずり込まれそうな、そんな不安でいっぱいになります。あんな中に入っては、きっと一生、出てこられない。
震える手で通信機を握りしめます。もう頼りになるのは、ライバルの彼女しかいません。
「のり子! 聞こえるか!」
『ハモン? どうしたのよ?』
「のり子か? 校庭にこっくりさんが現れて、ミコがこっくりさんして、倒れた!」
『はあ?』
「とにかくやばい! 校庭が海になってる!」
『校庭が? 今どこ?』
「屋上!」
『一太郎、校庭の様子見せろ』
『オッケー!』
『……きゃああ!』
「のり子? どうした!」
『どういうことよ……本当に、海になってる!』
『全員聞こえるか! こちら斎賀。校庭が黒い水たまりに変わった! 妖怪退治は中止、全員屋上に退避しろ!』
『了解!』
『わかった! ユイ、キヨをおぶってくれ!』
『とにかくすぐ行く!』
『こちら弥生、旧校舎が水に囲まれてて脱出できない! それにらーめんがいなくなっちゃって、哲郎が動かないんだ!』
「らーめんなら校庭に吸い込まれた!」
『校庭? どういうことだよ!』
『こちらセイジ、旧校舎には僕と花、小太郎、マキとで助けに行く! 今何階にいる!』
「ミコ殿! しっかりするでござる!」
『三階! 哲郎、らーめん校庭にいるって!』
みんなの焦り声が通信機からなだれ込んで来ます。そのスピード感が、ハモンの不安を加速させます。黒い水たまりの水位が、どんどんと上がってきている気がする。
「う……うぅ……」
気絶していたミコが声を漏らすので、雪之丞が慌てて身体を揺すります。
「ミコ殿! 気がついたのでござるか!」
「……霧村君? 何があったの……?」
ミコが弱々しく目を開きます。
「おいミコ! お前校庭でこっくりさんしちまったぞ!」
「え……こっくりさん!」
その言葉に、ミコが雪之丞を突き飛ばすように急に立ち上がると、フェンスに手をかけて校庭を見下ろします。
眼下には、真っ黒な水たまり。その禍々しさに、思わず足が震えます。絞られたような悲鳴を上げると、ミコは狂ったように繰り返しこう唱えます。
「お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください……」
黒い水たまりは呼びかけに応えません。ただたっぷりとどこまでも黒く、そこにあり続けます。
「お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、お帰りください、駄目!」
屋上のフェンスをガシャンと鳴らして、ミコが膝から崩れ落ちます。もう、ミコですらどうにもならない。その姿が、ハモンの心に残った希望を奪います。ミコはうずくまって泣き出します。
「お姉ちゃん、助けて……!」
ミコが泣いたって、何にもなりません。屋上の扉が開いて、クラスメイトたちが避難してきます。
「街がない……」
屋上から見た街の景色は、ほとんど無です。近くの家や市民球場やスーパーがありません。ただ街の中心にある、あの背の高いマンションだけが黒い世界の中でそびえ立っています。そこで誰か。誰かが、見ている?
「何があったの!」
のり子がハモンに尋ねながら、でもうずくまったミコを見て、最悪の状況であることを悟ります。
「校庭でこっくりさんやっちまったら、らーめんがあの中に吸い込まれた!」
「じゃあ、この水の中にらーめんが……」
フェンスがガシャンと大きな音を立てて鳴ります。見れば小さな少年が、ずるずると崩れ落ちていきます。
「哲郎!」
ハモンが駆け寄ったって間に合いません。哲郎は膝から倒れてうずくまってしまいます。肩を揺すっても反応がありません。頼りのミコが駄目になって、ミドリも、哲郎も駄目になる。もう、何もかもが上手くいきません。そういうことが、クラスのお調子者だっておかしくさせます。
「おい……お前ら助けろよ」
屋上の中央に進み出たハモンの口から、恐ろしいくらい低い声が出ます。ハモンはクラスメイトたちの顔をじっとり確認していきます。選ばれた、その特別さに自信に溢れていた、クラスメイトたち。そうして眼差しを向けられると、クラスメイトの輪が、少しずつ距離をとって広がっていきます。ハモンはクラスで一番仲の良かったヒロシの前で視線を止めますが、ヒロシは目をそむけて、ハモンの機嫌を取るように答えます。
「オレは嫌だよ。そもそもあいつ、らーめん、ムカつくんだよ、いっつも偉そうだし。なあ、あんなの別にいいだろ、ハモン」
「アンタこんな時に何言ってんの!」
離れた場所からモモエが叫びます。その言葉を皮切りに、恐怖の輪が、思い思いの言葉を全方向から発し始めます。
「モモエちゃんやめて!」
「なあハモン、助けるならロボット動かせるセイジたちだろ?」
「学校はどうなっちゃうんだ? 家は? 僕たち、ここでこのまま!」
「こうなったのはミコのせいなんだから、ミコがなんとかしてよ!」
輪の中心からの恐怖の眼差しが、今度はセイジに向けられます。
「セイジ、ロボット動かして助けろよ」
「な、う、ジュブナイダーは、動かせない」
淀みながら答えるセイジの言葉が、恐怖の存在をさらに苛立たせます。
「……は?」
「あ、あんなものの中に入ったらどうなるかわからない! お前みたいな当てずっぽうの無茶は出来ないんだ! 僕には、僕のチームを守る義務がある。僕らには僕らを大事にしてくれる人を悲しませない義務がある!」
眼差しはクラスメイトたちを次々襲います。
「じゃあ小太郎。花でも良い、魔法でなんとかしろよ」
「な、何とかって……」
小太郎と花が身体をぴったりくっつけあって、ぎゅうっと手を繋ぎます。恐怖は、その姿に笑い出します。
「何だよお前ら、偉そうに選ばれただのどうだの言ってたくせに、何にも出来ないんじゃねぇかよ!」
誰も何も答えません。輪の中心で恐怖が、静かな、怒りを込めた声で何かを噛み殺すように言います。
「オレがお前らみたいだったらやるよ……オレが選ばれてたら、やるよ……!」
「……言うのは簡単だよ。何にも出来ないくせにさ」
アカヤの言葉が恐怖の胸を貫いて、そこから、また恐怖が溢れ出します。大きくなって波紋になっていきます。
「ハモン君やめて!」
波に逆らう声がします。ショーコの声です。恐怖はそれだって威圧します。
「お願い、お願いだから私たちの敵にならないで!」
ショーコは助けを求めるように必死に叫びます。敵という言葉に、恐怖が怯えます。
「敵! オレが! どういうことだよ!」
「敵だよ。敵になっちゃう! 今は、今はハモン君が一番、怖い……」
恐怖に溺れてもがき苦しむショーコの姿に、ハモンは我に返って屋上を見渡します。自分の出した恐怖の波紋に、遠ざかっていくクラスメイトたちが、そこにいます。みんなハモンが振り回す恐怖に呑まれているのです。みんなが自分に影響されている。みんなが自分の態度に、揺れる。なんだこの力。この力は、なんかヤバい。この力で、今度は、今度は。
ハモンの心は屋上にいません。そこは赤い団地の部屋。
オレがあの山になる!
ハモンの前に山があります。山は動きません。山は、そこで暮らす家族を苦しめます。山はそこで暮らす家族をかなしくさせます。
「ハモン!」
赤い団地の部屋で立ちすくむハモンを、のり子の声が屋上に引き戻します。
「どうした……」
のり子の顔は真っ青です。眼鏡の奥の目が、恐怖に揺れます。
「哲郎がいない」
見れば、屋上で苦しむ子どもたちの群れの中に、哲郎がいません。給水塔の裏にも、屋上に続く階段にも。
「まさか」
ハモンが校庭だったはずの場所を見下ろします。そこに哲郎の姿はありません。ただ黒い水たまりには、大きな波紋が広がるばかりです。
「哲郎?」
黒い水たまりの上で、波紋だけが白く輝きます。屋上のより、もっと大きな波紋。その輝きが、子どもたちの心に到達するまで、ダイハモンを起こすまで、きっともうすぐ。
第四場
暗くて冷たい水の中に、哲郎が沈んでいきます。
哲郎はあの屋上に、あと一秒だっていられませんでした。喧嘩するクラスメイトも恐怖に怯えて吼えるハモンも、もううんざりです。ずっと隣にいてくれた赤い女ももういません。もう早く家に帰りたかった。お父さんもきっと心配しているはずです。だけどらーめんは。
らーめんは、あの赤い女の正体はらーめんです。
哲郎はらーめんが何度も目の前で赤い女に変身して見せたのに、未だにそのことが信じられないのでした。心のどこかで、あの赤い女の正体がらーめんでなければ良い、と思ってしまうのです。赤い女は寂しい自分を迎えに来てくれた、あの七不思議からやってきた怖ろしくて優しい怪異です。弱っちい自分が、目をつぶっていたって何とかしてくれる強いおねえさん。哲郎は、赤い女が好きでした。らーめんのことは、正直良くわかりません。らーめんは、弱い自分に一緒に戦うよう言ってきます。らーめんは弱い自分に何か期待して抱きしめてきます。本当は彼女から逃げたい。赤い女の正体が、彼女であるのは困るのです。だけどらーめんが正体を教えてくれたあの日、ずっと恐かった彼女が孤独だと知ったあの日、夕焼けの屋上で手を繋いだあの日。あの日!
『アタシアタシアタシずうっとずうっとずうっとアタシアタシアタシ一人一人一人……』
らーめんの言葉が何度もこだまします。ずうっと一人という言葉が、哲郎の心を彼女に向かわせます。頭の中がむちゃくちゃにこんがらがります。らーめんは、それとも赤い女は、きっとこの水の中で、ずうっと、一人。哲郎はどうしたら良いかわかりませんでした。屋上にも戻れない。家にも帰れない。もう何をすれば良いのかわからない。そうしてもう、どうにも行かなくなって、学校の玄関口から黒い水たまりの中に飛び込んだのです。
水の中で、哲郎は思います。ぼくはどうするつもりなんだろう。
不思議なのは、水の中なのに息が続くことです。服が濡れて重たくなる感じもありませんし、もしかしたら水じゃないのかもしれません。だけど、宇宙でもない。ここで永遠に死ぬことなく、こんな暗闇で、一人ぼっちで生き続けることになるかもしれません。恐怖に支配されそうになったその時、目の前にぼうっと輝くもの、女の子が漂っているのを見つけます。
「らーめん!」
らーめんです。力を失って、子どもの姿に戻ってしまった、小さくて孤独な女の子。ぐったりとして、目をつぶっています。とてもさっきまで大人の姿で力強く戦っていたなんて信じられません。
哲郎が両足で水を蹴って近づくと、そっとその肩を揺すります。大きな目が、ゆっくりと開かれます。
「……哲? 哲!」
らーめんが、哲郎の存在に感激して力強く抱きしめます。肩に震えが伝わります。
「らーめん、泣いてるの?」
「哲が……哲が来てくれたから嬉しいのよ」
らーめんのうつくしい涙に、後ろめたい気持ちになります。本当は弱い自分が、何にも出来ない自分が、らーめんを騙しているようなそんな気持ち。そうやってらーめんが自分の行動に喜ぶ度、哲郎は傷ついていたのです。
「だけどぼく、何にも出来ないんだ。君を守ってあげることも、ここから救ってあげることも。ただ、一人は寂しいかなって、それだけで……」
らーめんが哲郎の肩から顔を外して、涙を拭います。
「良いの! 守ってくれなくても良い、救ってくれなくても良い、一緒に考えてくれれば良い、一緒に喜んでくれたら良い、一緒に悲しんでくれたら良い!」
「一緒に? そんなことだけで良いの?」
「そうよ! アタシ、それだけで戦えるの!」
らーめんの目に、力強い炎が宿ります。その炎。あ、赤い女の。
「だからお願い。哲、一緒に戦って!」
その言葉が、哲郎に革命を起こします。その言葉が、哲郎にダイハモンします。らーめんの正体は、赤い女ではないんだ、と哲郎は思います。らーめんの正体はらーめんだ。あのおねえさんも子どものらーめんも、らーめんだ。らーめんは、七不思議の赤い女ではないんだ。らーめんは寂しくて弱いぼくを助けるために迎えに来たんじゃない。そんな夢みたいな、不思議の存在じゃないんだ。寂しいぼくと一緒に戦ってくれる、現実の、たった一人の女の子なんだ。だから答えは。この言葉にはこう答えなくっちゃいけないんだ。
「うん」
哲郎の答えにらーめんが笑顔になります。哲郎にはそれが、心の底から嬉しい。
「これからもよろしくね」
だから暗い水の中でだって、とびきりの笑顔です。恐怖の中だって、二人で戦っていけるのです。そうして手を繋いで笑い合っていると、頭上からおーい、と力強い声が降り注ぎます。上を見れば、必死の形相で潜水して来る男の子。
「ハモン君だ!」
嬉しさが身体から溢れて、思わず大声が出ます。あのハモンが来てくれたのです。それにこっちに向かってくるのは彼だけではありません。変身ヒーロー、巨大ロボット、その他大勢が、暗い水たまりの中に大集合です。きっと今頃、水面ではたくさんの波紋。
「哲郎! らーめん! 無事ね」
「のり子まで! みんな、どうして?」
美樹が照れたように笑って答えます。
「だって、弱虫の哲郎が先に飛び込んだんだもん。ワタシたちも行くっきゃないでしょ!」
「でもさ、サイバーが来るなんて意外じゃーん」
「新免蘭子には借りがあるからな」
「あーあ、せっかく哲と二人っきりだったのに」
「こんな暗いとこで結婚式なんかすんなよ」
らーめんが恥ずかしさを紛らわせるように憎まれ口を叩くので、哲郎が笑って諭します。
「みんならーめんと一緒に戦うために来てくれたんだよ」
ハモンが、いつか放課後にしてくれたみたいに、哲郎の肩に手を回します。
「まったく、大変だったぜ! 全員身体を紐でくくりつけて、お前ら見つけたらロボットで引き上げる作戦だったんだけど、結局ロボットごと吸い込まれちまってよ」
ハモンは、それが何でも無いことのように明るく話します。でもその明るさが哲郎を救うのです。ハモン君は、やっぱりカッコいい。
「さて、ここからは現実的な話だな。どうやって上に戻る?」
「ロボットで上昇しても戻れないの?」
「さっきミドリが試したけど、無理そうだ」
「じゃあこのまま海の底まで行ってみるか」
「馬鹿、何かいたらどうすんのよ」
のり子の言葉から不安や心配を蹴飛ばすように、ハモンが声を出して笑います。
「そりゃ決まってんだろ」
そうして、いつも教室でふざける時のように白目を剥いて宣言します。
「殺す」
第五場
わいわいがやがや黒い水を泳ぎ進めば、洞窟があってその先、五年生たちは入り江に到達します。かなり深くまで進んだのに、あんな水の底に乾いた地面があるなんて不思議です。その神秘さを増すように、入り江には巨大ロボットが通れるくらい大きくて、赤い鳥居が一基。
「神社に来ちゃったか?」
ロボットが遅れて水面に上がると、大きな波がまだ水面にいた子どもたちを入り江の淵に押し上げます。
「服が濡れてない……」
鳥居の先には階段があって、その上に、鳥居がもう一基あるのが見えます。
「とにかく進もうぜ」
ぞろぞろと長い長い階段を登った先は、神社、ではありませんでした。
鳥居の先に、大きな生き物が眠っています。子どもたちの知識の中から言えば、一番狐に似ています。ただ大きすぎる。セイジたちのロボットより何倍も大きな、狐の怪物です。
眠る怪物の周りには大きな金色の柱が四本。床は赤いつやつやのタイル貼り。その荘厳さ、まるで神殿です。
そして極めつけには、怪物の背後にある神棚の上に、小さな、何か銀色の箱のようなものが丁重に飾ってあります。のり子が眼鏡のツルを両手でおさえながら、じっと目を凝らします。
「あの箱、もしかしてあれがタイムカプセルなの?」
「タイムカプセルを、祀ってる?」
小学校の地下がこんなふうになっているなんて、誰も知りませんでした。だけど学校は、いつでも誰かの思い出の神殿なのですよ。
「ミコ、あれって」
すっかりいつも通りのクールさに戻ったミコが、何か感じるものがあるようで警戒するように言います。
「わからない。でも私たちをここに引きずり込んだのはあれ。それに私たちに対してかなり敵意を持ってる」
「じゃああれがボスか」
全員が鳥居をくぐり抜けたときでした。突然怪物が目を開けて(その瞼を上げるだけで風が立ちそうな程です!)、地下神殿を揺るがすほどの咆哮をあげます。その音量に子どもたちの身体がびりびりと震えます。ついに、恐怖の黒い水たまりの底に棲まう怪物と、コンタクト。怪物は怒っています。どしどしと地面を揺らしながら、太い四肢で立ち上がると、牙を見せて唸ります。獲物に襲いかかるように、姿勢を低くします。
「来るわ」
『怪獣か? とにかく敵は巨大だ! 僕たちで何とかするぞ!』
あの日の御札をあちこちに貼り付けたままのロボットが、怪物に突進していきます。
『えーい!』
黄色いロボットが振り回す、大きくて棘のたくさんついた禍々しい砲丸が、怪物に弾き飛ばされて壁に穴を開けると、バラバラと神殿の天井から砂塵が降り注ぎます。天井画は、クラスの集合写真? 高学年のようですが、のり子にはどこのクラスかわかりません。唯一写っている大人――赤いカーディガンを着た若い女の先生を、のり子は見たことがありません。
『こんな狭い場所で戦えないぞ!』
『仕方ない、僕らはコイツを抑える! 頼む、みんなでこいつを攻撃してくれ! こいつが暴れたら、みんな僕らの後ろに隠れるんだ!』
青が赤がピンクが黄色が緑が、巨大な怪物に取り付いて抑えこもうとすると、怪物が大きな口を開いて再度咆哮をあげます。
その咆哮に対抗するように、地下神殿の中を爆音で音楽が流れ始めます。サイケデリックで、不気味で、でもどこか荘厳で、ギラギラの神殿にぴったりの曲。その発信源は赤いロボットです。
「これってジュリアナ? マハラジャ? どっちにせよやるじゃない、キョンシー号!」
らーめんが扇子を振って踊りだせば、嵐が巻き起こります。地響きを起こす音楽に、子どもたちはみんなつられるように、行ったこともないディスコを感じて踊りださずにいられません。テクノミュージックで盆踊りができるくらい、みんなすっかり元気です。嵐が止んだ時、らーめんはもう、大人の姿。
『アカヤ! 戦闘中は音楽流すなっていつも言ってるだろ!』
『……でもコイツ、ぴったり似合うよ、この曲』
大人のらーめんになったということは、と哲郎は考えます。戦いが始まる合図だ。
「やっぱボス戦には音楽がなくっちゃな!」
タタリと弥生が走り出しています。シャトルがゴーグルで確認した怪物のステータスの高さに歓声をあげます。
「すげえ! ヤバい敵だ! みんな、ガンガンいこうぜ!」
目が眩むほどの連続光線が、タタリの光線銃から放たれます。弥生が二丁銃で怪物の身体に穴を開けようと、両手が痛むくらい撃ち込みます。シャトルの大きな光線銃の銃口が光を集めると、大きな一発を、ドカンと放ちます。
怪物が光線銃に焼かれる痛みに暴れだします。首を振って、顔のそばを抑えていたピンク色のロボットを投げ飛ばすと、タタリに向かってどうれぇー、と何か気持ち悪いものを口から吐き出します。
「タタリーーー!」
先頭を攻めていたタタリの身体に、緑色の液体が降り注ぎます。
「なんだあの攻撃! なんか、タタリめちゃくちゃHP減ってるぞ!」
シャトルの指摘に、ゴーグルでタタリをチェックした弥生が叫びます。
「やばい! タタリ、毒状態になってる!」
「何だって! タタリ君、毒消し草を食べるんだ!」
毒という言葉に駆けつけたトオルが、緑色のほうれん草のようなものをむりやりタタリの口に突っ込みます。タタリはおとなしく、口に入れられたものを咀嚼しますが、そのほっぺには静かに涙がつたいます。
「タタリが泣いてる!」
「珍しい……」
涙を流すタタリがいくら珍しくったって、のんびり見ている暇はありません。怪物が大きな口を開けて、顔ごとシャトルたちのいる場所に突っ込んで来ようとします。
「危ない!」
誰かが叫ぶと、怪物の動きがぴたっと止まります。怪物に向かって背の高い少女が両手を突き出しています。
「マキ!」
「ずっとは止めていられない……みんな早く!」
「今のうちでござる!」
忍者の雪之丞が、身体のどこに隠していたのか、大量の手裏剣やクナイを投げつけて、怪物の肉に深く突き刺します。
動物の手足になったヤイバたち四人が、勇敢にも怪物のあちこちを切り裂いて、小さな血の池を作ります。「やれ! 噛みつけ!」と遠くからヤジが飛んできますが、噛み付くのって結構気持ちが悪いので、四人はなるべくやらない主義です。
ヒロシがずるずる引きずる大剣で、怪物の前足の小指の爪を必死に砕きます。
トオルが、何度も催眠の呪文を叫びますが、ちっとも効き目が現れないので、諦めて指先から小さな炎を出して長い毛を少しだけ焼き払います。
出来たことはその程度でした。マキの超能力に限界が来たのでしょう。怪物がガクガクと見えない力に逆らうように首を振り始めると、見えないバトルに負けたマキが壁に叩きつけられます。大きな斧を片手に持ったピンクのロボットが、モモエの叫び声を放送しながら怪物の顔面に突っ込んで行きます。神殿がぐらぐら揺れます。
撤退! 撤退! と叫び声が上がります。リコーダーの警笛が鳴らされます。
『モモエ! ムキになるな! みんなが下で戦ってるんだ!』
「マキさん、一度休んで!」
駆けつけた花の言葉に浅い呼吸を繰り返しながら、マキが頷きます。
「救護所を作りましょう! トオルさん、薬草に詳しいとお見受けしました。手伝ってください!」
「バトルって忙しい! でも女の子の頼みならなんだってやるさ!」
白衣の天使の花がマキにステッキを向けると、柔らかい光が彼女の呼吸を楽にします。それでもしばらくは休んだ方が良さそうです。ロボットの五人も、しがみつくのが精一杯で、怪物の強い力の前に苦戦しているようです。神殿の狭さに、大きな武器を振り回すこともできません。
花の救護所に団子状態になった子どもたちの中から小太郎が勇み出ます。スカートを履いているのに、なんだか彼はカッコいい。そうして宝石のついたステッキを天井に向けると、「ライオットシールド!」警察の特攻隊が使うような盾が、子どもたちの集団をすっぽり覆うくらいの大きさになって目の前に出現します。
「これでいくらか防げそう。ボクの魔法に感謝してよね!」
守備はどうにかなりそうですが、攻撃は遠距離戦に切り替えるしかなさそうです。
「サイバー、遠くまで攻撃できる武器、発明できないの?」
「うるせえ。今やってる」
「今までの攻撃でヤツのHP、少し減ったぐらいだな! 誰か状態異常とかできないのか?」
「ちょっとまって、そのゴーグルで敵の状態がわかるってこと?」
『みんな早く攻撃してくれ! オレたちもあんまりもたない!』
「タタリ! もう復活したのかよ」
「お前らちょっと静かにしろ。全然発明に集中できねえ!」
赤いロボットから流れる大音量の音楽が、コンタクト! コンタクト! とフレーズを繰り返します。その音量に負けないように、みんな叫ぶようにして会話を交わします。
大人のらーめんが盾の守備範囲から出て、踊るように何度も扇子を振り回すと、嵐をいくつも作って敵を牽制します。怪物の長い毛が、嵐に逆立ちます。
「らーめんのあの風で、ダメージってどれくらいなの?」
のり子が弥生に尋ねると、「あんまり無いかな、動きはちょっと止めれるみたいだけど」と期待はずれの答えが返ってきます。のり子は歯痒い気持ちでいっぱいです。
じっとしたままののり子とは反対に、哲郎が盾の外に駆け出します。一緒に戦うために、何かひらめいたのです。そうして危険な戦線に飛び出すと、らーめんに自分のアイデアを伝えに行きます。
「らーめん! これ、雪之丞君の手裏剣とかを嵐に乗せたら、攻撃力があがるかも……」
夢中で踊っていたらーめんが、哲郎の提案にキラキラの目で答えます。
「やだ哲ってば、やっぱり天才なの? 雪之丞!」
戦線に飛び出した雪之丞が、小さくてトゲトゲした黒い物を嵐に向かって投げつけます。
「心得た!」
小さな黒いトゲトゲ――マキビシが、らーめんの嵐に乗って、怪物に襲いかかります。
「いい感じ!」
らーめんが哲郎をぎゅぎゅっと抱きしめた時、盾の内側ではサイバーの大発明が行われています。彼の脳みその中でシナプスが焼けます。その快感。サイバーが唯一、笑顔になれる瞬間が訪れます。
「できた! 一太郎、焼き付けろ!」
『オッケー!』
腕時計とケーブルで繋がったドライブに、フロッピーディスクが何枚も差し込まれます。そしてサイバーが、「発明! 空気砲・改!」と叫ぶと、目の前に機械の部品でできた立方体が出現します。そしてそれが、ひとりでにバラバラ分解されていくと、サイバーの背中に背負うような形で、大きなノズルが二つくっついた機械に組み上がります。完成すると、そのあまりの重さにサイバーの身体がよろけます。
「くっそ」
悪態をつきながらのろのろ盾の外に出たサイバーが、怪物の方にノズルを向けると、ドカンと、まるで大砲でも撃ったような音が鳴り響きます。空気の玉が、ものすごい勢いで射出されると、怪物の身体をぼこっと凹ませます。ただ、サイバーも無事ではありません。反動で壁までふっとばされて、せっかくの発明が粉々に砕けます。
「サイバー!」
ヤイバと雪之丞が駆け寄って、盾の中にサイバーを引きずり込みます。
「今治療します。発明、せっかく作ったのにバラバラになってしまって残念でしたね」
花にステッキを向けられながら、サイバーは歪んだ眼鏡を外すと、目を細めながらその状態を確認します。
「保存してあるからまたいつでも呼び出せる。高村刃、バラバラの部品集めといてくれ」
「えー、なんでオレがぁ」
「うるせえ」
痛みに暴れまわる怪物の攻撃が、小太郎の盾をガンガン叩きます。その巨大な力を前にしても、小太郎は諦めません。盾がベコベコに潰れたら、また新しい盾を出現させます。
その盾の縁ギリギリの場所で、ショーコがビクビク震えながら弓矢を引きます。精一杯弦を引きますが、ガラスでできた矢は怪物の場所まで到達せず、パタリと途中で落ちてしまいます。その近くで小さな瓦礫をパチンコで飛ばしているハモンは、怪物に届きはするものの、コテンと当たるだけで何のダメージにもなりません。
「何にもならん……」
「私も……」
ハモンはショーコの武器をじろじろ見ます。そのガラスの弓矢はおもちゃのパチンコと違ってたいへん美しい。繊細なのに、まるで冒険の最後に手に入れるような強靭さがあります。
「カッコいい弓矢だな」
「うん。でも私、レベルが低すぎて使いこなせないの……」
「飛距離に問題ありか」
ハモンは背負っていたリュックを降ろすと、中身をゴソゴソ取り出し始めます。
「じゃあこいつを試すしかねーな」
「これって……」
ハモンのリュックは魔法のリュックです。ペンチやらトンカチやらがわんさか出てきて、その中のロケット花火の袋が破かれます。そしてハモンがショーコのガラスの矢に花火の竹ひごをセロテープでぐるぐる巻きつけると、弓矢を構えるようにと手渡します。
「火傷に気をつけろよ」
「なんかお父さんみたい……ってこれ本当に大丈夫なのかな……」
ショーコが弓を引くと、矢にくくりつけた花火の芯に、ハモンがライターで火をつけます。
「まあまあオレを信じろって! 行くぞ、3、2、1、着火(ファイヤー)!」
火が付けられた瞬間、ショーコは怖くなって、目をぎゅっとつぶって矢を放つと、ひょろひょろの矢が怪物に向かって進んで行きます。高度が下がろうとする瞬間、花火がシュッと鳴って、新たな推進力を持って力強さを加えます。矢は、少し意図せぬ方向に飛んでは行きますが、怪物の身体にしっかり突き刺さります。
「や、やった! あんな遠いところまで届いたよ、ハモン君!」
ショーコが笑顔になって(とは言えその長い前髪のせいで目が笑っているのかわかりませんが)、調子づいたハモンがロケット花火の矢の量産体制を取ります。美しいガラスの弓矢が、どんどん格好悪くなっていく。
「よっしゃ、ばんばん撃ってくぞ!」
「うん!」
今や五年三組の攻撃は、力強い、与えられた役割無視の子どもの遊びのようなものと化します。昔、ヒーローのフィギュア軍に、プラレールの列車や飛行機のおもちゃをお腹にくくりつけた妹のぬいぐるみを配下に加えて、最強軍団を作ったような。むちゃくちゃな組み合わせで楽しんだ、あの遊び。
「やっぱり駄目ね」
のり子の横でミコが深く息を吐きます。
「ロボットに封印の御札が残ってるから、封印術を使ってみたけど、レベルが違いすぎるみたい」
「やっぱり、攻撃あるのみってことね」
のり子が思案するように言うと、ミコが服の中に手を入れて御札を何枚か取り出しながらその中身を確認していきます。
「そう。でもあんなのに攻撃するにはギリギリの禁じ手を使うしかない。でもきっと、とっても苦しむわね」
目を伏せた彼女の指には、書かれた文字や図形の異なる二枚の御札が挟まれています。
「また御札ね。今度はどこに貼るの?」
「おでこよ」
「おでこって……あの?」
のり子が暴れまわる怪物のおでこを指差します。
「どうやって?」
「それができないから困ってるのよ」
とても困っているようには思えないくらい、ミコがクールに答えます。
「あの高さなら、俺のエアカーで行けなくない」
床に寝そべって治療を受けているサイバーが、別のフロッピーディスクをドライブに入れ替えていくと、あの空飛ぶ台車を出現させます。
「俺は乗れそうにない。奥谷美子、使うか?」
「ミコ、どうする?」
「嫌よ」
ミコはきっぱり断ります。
「怖いわ」
「じゃあ菅山法子、お前がやれ。一太郎もついてる」
サイバーがのり子を睨むように見据えます。のり子は怪物のおでこを見上げます。あんな高いところ。でも、私。のり子の脚に力がこもります。何が嬉しいの? そうだやっと私、少しだけど選ばれた!
黙り込むのり子に「私も乗るよ」とカオリが両肩に手を置いて笑いかけます。その腕は、猿のようにふさふさです。
「この間ロボットに御札はったし、お猿さんだから高いとこへーきなの。ね、良いでしょ?」
カオリは長いしっぽを揺らして、サッと台車に飛び乗ります。
「私後ろね! のり子、このコード邪魔だから足元に置いてくれない?」
カオリに急かされて、のり子が台車の持ち手に手をかけます。「一太郎、よろしく」と声をかければ、ブォンと音を立てて、台車がゆっくり持ち上がって行きます。カオリが後ろからしっかり抱きしめてくれますし、脚は台車の荷台にしっかりついていますが、それでもまるで宙ぶらりんにされたような怖さです。
『行っくよー!』
一太郎の合図で、台車が前に進みだします。のり子の口から思わず悲鳴が漏れます。見なきゃ良いのに下を見てしまうと、高い。クラスメイトたちが役割を超えた組み合わせで戦っているのが見えます。
『のり子ちゃん怖い?』
「怖いわ、こんな高いところ」
「へーきへーき! アタシを信じて!」
上を見れば天井が、こんなにも近い。天井のクラス写真がのり子に迫ります。そこに写った子どもたちは笑顔です。先生も笑顔。でも笑顔の真下では、戦いの真っ最中。そうして怪物の顔に近づいていくと、のり子たちを迎え入れるようにその大きな口が開かれます。
『あれ? 怪物の口から熱源反応あり! 上昇します!』
「何? ちょっと! 待って!」
空飛ぶ台車が急上昇しますが、舌からの熱風に煽られてのり子とカオリの頭が天井にぶつかります。
「いったー!」
「ちょっと一太郎!」
痛む頭を抑えますが、文句を言っている場合ではありませんでした。だって神殿は火の海です。怪物が口から炎を吐いたのです。
「うっそー!」
そうなれば下界だってパニックです。
「火事になるぞ!」
「う、バリアを張るわ! みんなこっちに!」
マキが睨みつけるように眉間にシワを寄せると、彼女を中心に薄い緑色のドームが出来上がります。
「あっっつうう!」
「全員、バリアの中に退避!」
「死ぬ!」
「うるせえ! 今消火器発明してんだよ!」
「のり子! カオリ!」
炎の上で、二人を乗せた空飛ぶ台車が、ふらふらとカトンボのように頼りなく飛びます。
「部品が足りねえ! 別の手!」
サイバーが鬼気迫る様子でキーボードを叩きます。子どもたちの叫び声が、焦りをうみます。
「無理か。こっちは! 他の回路で代用……できる!」
カターン! と勢いよくエンターキーが押されます。
「完成した! 一太郎、一瞬だけ戻ってこい!」
『戻ってきたよ、サイバー! 発明して!』
「発明はもう済んでる! 行くぞ!」
バリアの外側にサイバーの巨大な新発明が出現します。巨大な扇風機に大きなホースがあちこち伸びたごちゃごちゃで、急ごしらえの機械。
「誰か下の水のところにホース突っ込んでくれ!」
「がってーん!」
美樹たちが重たいホースを抱えて駆け出しますが、炎のスピードは、もっと早い。
火の海がどんどん広がっていきます。上空を飛んでいるのり子たちにも、その強烈な熱が下から伝わってきます。のり子の脚が震えますが、カオリは明るく「大丈夫」と繰り返します。そうして怪物の真上に到達すると、「ここで待ってて!」と叫んで、突然飛び降ります。
「カオリ!」
のり子は思わず絶叫します。覗き込むと、怪物の眉間にしがみついたカオリが、暴れる力に耐えきれず、ずるずると口の上まで滑り落ちていくのが見えます。慌てて台車の通信機に向かって叫びます。
「マキ! カオリが飛びついた! ちょっとだけでいい、動きを止めて!」
『わかった。みんな、一瞬バリアを解く!』
「カオリ、今のうち!」
怪物の動きが止まった隙に、猿の動きでカオリが素早くよじ登っていきます。そしてポケットから御札を取り出すと、二枚重ねてそのおでこに貼り付けます。
「貼った! のり子!」
『ごめん……のり子! これ以上は無理!』
金縛りの解けた怪物が、また首を振って暴れだします。カオリの悲鳴が響きます。カオリを助けたいのに、これ以上近づけません。一太郎が騒ぎます。
『ど、どうしよう! のり子ちゃん! サイバー!』
どうしよう。何か。何か、考えろ、私!
ふと、足元に太いコードがあったのを思い出します。これを垂らせばなんとか!
のり子がカオリに向かってコードを投げつけます。暴れる怪物の睫毛に掴まったカオリが、死物狂いでそれを掴んだのを確認すると、「行くよ!」台車を発進させます。怪物が宙ぶらりんのカオリに向かって、口を開けます。小さな炎が、その口から漏れ始めた、その時です。
「放水開始!」
サイバーの合図とともに、黒い水が怪物の口に向かって凄い勢いで放たれます。
寸でのところで救われたカオリが、命からがらコードをよじ登って台車の上に飛び乗ると、のり子に抱きつきます。
「やったねのり子!」
「うん……すごい。ほんとすごい、カオリ……」
空飛ぶ台車の下では、そのまま消火活動が行われます。水はじゃんじゃんあるのですから、惜しみなく使われて、靴が埋まるくらいのカサまで水浸しになります。赤い床の神殿が、黒い水の神殿に変わります。
「アイツ弱ってる! ミコ!」
水の張られた神殿で、儀式が始まります。ミコがぼそぼそ呪文を唱え始めると、怪物のおでこの御札に書かれた文字や図形が真っ赤に焼けます。すると怪物が強烈な咆哮を上げながら苦しみ始めます。
そうしてそのまま痛みにのたうち回ると、今までに無いほどに神殿が揺れ始めます。ミコの身体に、その苦しみが流れ込んできます。ミコは怪物と心を通わせます。大事なのね、そんなに、あの箱。
「地震だ!」
天井から降り注ぐ瓦礫が、マキのバリアを破ります。ユイが熊の手パンチで必死に砕いていくと、今度は小さくなったそれを、タタリたちが光線銃で撃ち落とします。
「小太郎さん! シールドを!」
遅れて小太郎が巨大な盾を天井に向けて出現させます。キヨの声が響きます。
『セイジ君! もうどうせぐちゃぐちゃになるんだったら、戦おー!』
『仕方がない、ジュブナイダー各員総攻撃! これで終わりにする! みんな瓦礫に気をつけてくれ!』
ロボットたちが怪物を抑えつけていた手を離すと、それぞれの武器で襲いかかります。揺れが、どんどん激しくなります。
「あと千! 七百! 四百!」
弥生がゴーグルに映し出される怪物の残った命をカウントダウンします。
『みんな、もう下に避難して!』
「二百!」
弥生が確認できたのはここまでです。タタリに強く手を引かれるまま、鳥居をくぐります。
弥生だけではありません。みんな鳥居に向かって走り出します。ただ一人、逆走する馬鹿を除いて。
「ハモン!」
のり子が怒鳴って引き止めます。
「あの箱!」
ハモンの指差す先で、銀色のタイムカプセルが、神棚と一緒に瓦礫の山に崩れて行きます。
「無理よ、諦めて!」
怪物が白く発光し始めます。金色の柱が崩れて行きます。ここに棲む者がいなくなって、神殿が崩壊を始めたのです。
『もうそれに構うな! 天井が落ちる!』
ドスドス音を立てながら、ロボットたちが鳥居を目がけて走り出します。
「ハモン君急いで!」
大人のらーめんに抱きかかえられた哲郎が、鳥居の向こうから力いっぱい叫びます。
「くそ! 仕方ねえ!」
崩れ落ちる神殿を後に、クラス全員が大鳥居を抜けると、怪物から広がった白い光に包まれます。もう、目を開けていられません。もしかして、これが死ぬってやつなのでしょうか?
第六場
子どもたちは夜の校庭で目を覚まします。
そこはさっきまで、水が溢れていたなんて微塵も感じさせない、いつもの乾いた地面です。みんな変身を解かれて、ただの小学生の集団に戻っています。
サイバーが時計を確認すると、まだあの肝試しの日の夜八時です。あれは夢だったのでしょうか? でもみんな、傷だらけです。
「これから、またあんなのと戦うのかな」
「あーあ。命がいくつあっても足りん」
校庭に寝そべったまま、夜空の小さな星のように、ぽつぽつとあちこちで話し声がします。
「ねえセイさん、緊急学級会を開きませんか?」
花が、隣で寝ているセイジの方にごろりと向き直って提案します。
「緊急学級会?」
「そう。私たち、前回の緊急学級会でそれぞれ決められた役割の中で戦うことにしたでしょう? でも私、さっきの戦いで考えが変わったんです。そんな大事なこと、さっさと決めてしまわずに、もう少し様子を見ても良いんじゃないかって思うんです」
「いいじゃん、さすが花。ボクは賛成」
小太郎が笑顔で囁きます。
セイジは困ったように遠くを見ながら、脱力したように言います。
「じゃあ、今から緊急学級会を始めます」
きっと今までで、一番小さな声の緊急学級会が、始まろうとしています。子どもたちのクスクス小さな笑い声が、波になって、海になります。
「議題は?」
「今後の僕たちの戦い方についてです」
セイジだって笑いだしています。
「今後、敵が現れた時、その戦い方について決めてしまわずこれから考えていくことについて賛成の人、挙手してください」
学級委員長の呼びかけに、子どもたちは夜空に向かって手を伸ばします。
第七場
「お前たち、今度はどうした」
四月最後の朝の会で、担任の有馬先生が教室を見渡すと、大きなため息をつきます。五年三組はついにクラス全員の顔が絆創膏まみれになってしまったのです。
「なあ、お前たち全員で六年生と喧嘩でもしてるのか? なんだ、嬉しそうに。なーんかみんな何かあって、一つ山を超えたって感じだな。でも全部は解決してない。そんな感じか?」
「さすが先生! やっぱり名探偵なの?」
子どもたちは笑います。でも本当は、教室には先生に見えない、子どもたちの意識が渦巻いているのです。
ハモンは昨晩屋上で発動した不思議で恐ろしい力の、火傷のようなものが心に残ります。
哲郎の頭の中の劇では、らーめんと一緒に戦い始めています。
のり子はやっぱり、みんなのように選ばれなかった苦しみの中から抜け出せません。
そしてみんなは、与えられた役割に変化する自分や、敵とその目的がよくわからないまま頭を抱えています。
考えることが山程あります。やらねばならないことだらけです。解決しないことがたくさんあって、嫌な予感もいっぱいあって、それが子どもたちをどきどきさせます。鳥肌が立ちます。授業なんて、とてもじゃないけど集中できません。おかしな気持ちです。良い予感も悪い予感も渦巻いて、胸騒ぎの洪水になります。でも、まだ解決なんてしなくったって良いのです。
「出席確認するぞー」
だって今は一九九三年の四月です。五年生たちの謎に溢れた一年は、あと十一ヶ月もあるのですから、これで終幕だなんて寂しいじゃありませんか。
ぼくは彼らを、もっともっと、目撃していたい。君もそう?
幕。
学級戦士ダイハモン む @mumumumuriko
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