第四幕 飛ぶ教室

 第一場


 こんな冒険だって、せめてハモン君が一緒だったらな、とショーコは思います。

「おいショーコ! ノロマ! 怪我するだろうが!」

 ショーコの長い前髪の隙間から、猫でも犬でもない、毛がぼばりばりと膨らんで、牙のある生き物が唸りを上げているのが見えます。生き物は前のめりになって、今にも飛びかかろうとチャンスを伺っています。

 人気のない交差点の真ん中で、ショーコたち勇者御一行様がモンスターと睨み合います。ただ勇者御一行様と言ったって、立派なパーティではありません。ショーコはぶるぶる震えながら弓を構えていますし、ショーコの右横に立っている坊主頭の少年は背が低いので大きな剣をほとんど持ち上げられずに重そうにゆらゆら掲げていて、左横に立っている少年は首をかしげて髪をくるくるいじっているばかりです。五年生になったあの日、何故かこの三人が、この街のモンスターを倒しながら冒険するパーティになってしまったのです。

 坊主頭の少年はヒロシと言って、ハモンと大の仲良しのガサツな少年です。ただハモンと違う点として、わざわざショーコにブスなんてヒドイことを言っていじめてくるものですから、ショーコは、こうして一緒にいなくてはならないことが苦痛でたまりません。

「ヒロシ君、君はまるでわかっちゃいないな。ショーコちゃんの分まで戦うのが、僕ら男子の勤めじゃないか」

 そう言って髪をいじっている少年はトオルです。なんだかキザで、女の子には優しいのですが、口ばかりでほとんど助けになりません。

「だあああ!」

 重たい剣を引きずるようにして、坊主頭がモンスターに飛びかかりますが、遅すぎます。簡単にするりとかわされてしまいます。

「はっ!」

 今度はトオルがモンスターに向けた指先から、小さな炎が放たれます。ただモンスターの近くにはヒロシがいるものですから。

「オレが火傷したらどーする!」

 剣を地面に置いて地団駄を踏むようにヒロシがトオルに怒鳴ります。

 この二人、性格が正反対で仲が悪いのですから最悪です。何でよりによって、この二人と一緒に選ばれなくてはならなかったのでしょうか。

「ヒ、ヒロシ君どいて!」

 ショーコが震える声で精一杯叫ぶと、目をつぶるようにして矢を放ちます。ふらふらの矢ですが、それでもモンスターの目にちょうどガラスの切っ先が当たって、モンスターは叫びを上げます。その瞬間にヒロシが、重たい剣を持ち上げてその真上で落とすように手を離せば、モンスターが突然ボワッと白い煙になって姿を消してしまいます。代わりに交差点には、宝箱が一つ。

「や、やった!」

 嬉しいけれど、嬉しい時だって、せめてハモン君が一緒だったらな、とショーコはまた考えます。私は知ってる。四年生の時、ハモン君が使ったすごい力。

「どうせ毒消しだろ」

「うるさいな。ショーコちゃん、早く鍵で開けてみてよ」

 トオルに急かされて、ショーコは服の襟から手を入れると、首から紐で下げた金色の鍵を取り出して、宝箱の鍵穴に入れます。回せば、カチンと小さな音が鳴るのです。勇者御一行様の目の前で宝箱が開きます。

「ほらな。毒消し草だ」

 宝箱に入っていれば、毒消し草だって宝物です。大事な、箱。

 今は一九九三年の四月です。ドラクエⅤだってモンスターを仲間に出来るのだから、ハモン君だって仲間に出来たら良いのに。


 第二場


 日曜日だって、委員長が緊急学級会を開催すると宣言すれば参集するのが五年三組です。

 ただ日曜日に教室に行くわけにはいきませんから、クラスメイトの奥谷(おくや)ミコのお家の、神社の集会スペースを借りての実施です。

「みんなここに来たってことは、昨日のこと覚えてるのか」

 畳の部屋で生徒たちは円になるように座ります。いつもの体育の授業なら、仲良し同士で隣り合って座るところですが、今日はそうではありません。一見、何の関係もなさそうな配列です。先生だって、こんなにバラバラのグループになるように指示するのは難しいでしょう。みんなそれぞれを探るように顔を見回します。畳の部屋はひそひそ声に満たされて、海のようです。部屋は、まだ午前中なのに薄暗く、まるで百物語でも始まるような雰囲気です。

 哲郎は、隣に座ったハモンの様子が気になります。だってあのハモンが、沼の底に沈んだように静かなのですから。

「みんな、日曜日なのによく集まってくれた。これから緊急学級会を始めます。まず」

「その、覚えてるとか忘れるとかっていうのは、何なの?」

 のり子が、委員長に向かって切りつけるように鋭く言います。

「発言する時は手を上げてください」

 のり子は委員長を睨んで、手をあげます。

「はい、のり子」

「昨日のことを覚えている、というのは何ですか?」

「全員が、昨日展望公園で見たもの、聞いたことを覚えている、ということです」

 委員長のその回答を聞いたのり子は、苛立ちが隠せません。

「そういうことを聞いたんじゃなくて、何で昨日のあの出来事を忘れる、ということがあり得るのか、覚えているということが驚くことなのかが知りたいのよ」

 のり子の質問に、覇気の無いアカヤが静かに言います。

「……ここにいるみんなは、二週間前に市民球場で大きな怪獣が暴れたこと、知ってる?」

 畳の部屋が静まり返ります。

「……のり子は?」

「知らない、そんなの」

「……何で知らないの? 大きな怪獣が現れたのに、直接見てないにしたって、ニュースや噂で聞くだろ普通。学校も、全然休みにならない。これは何故か」

 学校の校庭にUFOが出現したときも、担任の先生は見ていたはずなのに知らないと言っていました。それは。

「忘れるからだよ」

 沈黙を破るように委員長が言い放ちます。

「この街の人たちは、僕たちがジュブナイダーに乗って怪獣を倒したのを見たって、すぐ忘れてしまうんだよ」

 委員長の発言に呼応するように、波のように言葉が押し寄せてきます。

「オレたちがモンスターを倒したって、誰も話題にしない」

「街がゲームの世界になってるのに、誰も気がつかない」

「妖怪が空を覆ったって、誰も叫ばない」

「敵に攻撃されたって、私がその敵を倒せば誰もその傷を気にしない」

 みんな、選ばれた子どもたちはそれぞれの物語を口々に声にだします。

「みんな静かに!」

 委員長の横に座ったポニーテールのモモエが声を張り上げます。

「とにかくのり子、こういうことみたいなの。ワタシたちはそれぞれ選ばれて、突然使えるようになった力みたいなので、毎日敵と戦っている。戦ったことは、他の人は忘れてしまう」

 のり子は絶句します。それから「そんなことって……」と声に出した時には委員長が進行を再開します。

「とにかく状況を整理するためにも、それぞれの力と敵について、順番に発表していこう。ミドリ、書紀を頼む」

 委員長は部屋の中をぐるっと見回して、「じゃあ僕たちから」と語り始めます。

「僕たちはジュブナイダーというロボットを動かして、街に現れる巨大怪獣と戦っている」

「いつから?」

「四月の初めから。じゃあ次はヒロシたち」

 坊主頭の少年が語ります。

「オレたちも四月から。オレは大きな剣を手に入れて、コイツは魔法の書を手に入れて、そんでコイツは弓矢を手に入れてそれで……」

「はぁ?」

「えっと、私たちは、街に出てくるモンスターを倒してるの。街には宝箱がいっぱいあってね、私の鍵で開くことができて……それで中には宝物が入ってるの」

「よくわからないな」

「セイジ君たちのロボットの話だって、よくわからないと思うけどな。とにかく僕たちはこのご町内のダンジョンを冒険しながら敵を倒してるってことさ」

 続いて、この神社の娘、ミコが語ります。

「私は、妖怪退治をしてる」

「一人で?」

「そう」

「それだけ?」

「そう」

 委員長が次、と促せば、少女恐怖症の少年、ヤイバが、三人の元気な少女たちに囲まれながら語ります。

「オレたちは、動物に変身できるんだけど」

「はいはい! 私はトラに変身できまーす!」

「ウチは熊になれるんよぉ!」

「アタシはお猿さん!」

 少女たちはどこから取り出したのか、チアガールのポンポンを持ってヤイバを囲むと、笑顔でわしゃわしゃ振りはじめます。

「だ! だ! 近い!」

「頼むから落ち着いて話してくれ! ヤイバは何ができるんだ?」

「オ、オレは狼に変身できる……」

 突然、ボン、と少年の頭に灰色の狼の耳が生えます。少女たちはきゃあきゃあと騒ぎ立てます。

「私たち、街の中にいるハンターを倒してるの!」

「ハンター? 人か?」

「うーん、バニーガールのおねえさん。それが何か探してるみたいなんよ」

「バニーガールのおねえさんでござるか!」

「何か探してる?」

「うん、何か」

 百物語は続きます。ハイテンションなお馬鹿グループとは対称的に、クラスで一番背の高い、いつも具合の悪そうなマキが語ります。

「私は……五年生になった途端、手に持ったスプーンが曲がるようになって、それから超能力が使えるようになったの……」

 静寂の中で深くため息をついて続けます。

「敵は……具体的に姿があるわけじゃないんだけど……。街を無茶苦茶にしようとする力みたいなのがあって、それと戦ってるの……」

「超能力って、テレパシーとかテレポートとか?」

 のり子ははっとして、でも小さな声でそっと尋ねます。

「マキ、一度私に、その、哲郎の決闘の時、言葉を送ってくれたよね……?」

 のり子の質問にマキは細い目をさらにキュッと細めて、「気づいてくれたのね、テレパシー。良かった……」と微笑します。

 今度は花が語ります。

「私と小太郎さんは、魔法が使えるんです。敵はそのなんというか……」

「ボクたち目当てに街で悪さをしてるって感じなのよね」

「何だと! 大丈夫なのか!」

 委員長が立ち上がって大声を出します。

「大袈裟だなセイジは。ボクと花が二人でやってるんだから大丈夫に決まってるじゃんか」

「敵って、あの昨日の男の人?」

 哲郎の質問にも委員長が噛みつきます。

「男なのか!」

「うるさいなぁ。そうだよあの男の人。でもさ、本当の目的はたぶんボクたちじゃないの」

「本当の目的?」

「ええ。私たちはその男の人に選ばれて、その目的を阻止する役割を任されているんです。あの人、ゲームだと思ってるんです。この街に住んでる人たちのことも。だから絶対倒さなければなりません。でもその目的は、よくわかりません」

「わからないって……」

 続いて、雪之丞が「みんなが正直に話すのだから、腹を割って話すのでござるが」と前置いて語ります。

「忍者でござる」

「ハットリ君?」

「でも拙者は昨日今日忍者になったのではないのでござる。修行の賜物、日々の積み重ね」

「その話し方、ちゃんと理由があったんか」

「ねえねえ、雪ちゃんは何と戦ってるの?」

「何、大したものじゃござらんが、この街に最近謎の忍者隊がウロウロしているようなので、たまーに小競り合いになるくらいでござる」

 続いて、雪之丞の隣に座った赤いキャップを被った少年を中心にした三人組が語る番が回ってきますが、キャップの少年はなかなか口を開きません。

「だー! やっぱタタリはしゃべらないか。いい、アタシが代わりにしゃべっちゃうぜ。アタシ達はゲームを全クリするために頑張っているっていうかぁ!」

「そんな説明じゃ全然わからんな! いいか、だから僕たちはちっともクリア出来ないんだ」

「喧嘩するなよ」

「ま、とにかくぼくとタタリと弥生の三人はこの街に出現するゲームステージをクリアするために日夜奮闘しているんだけど、3面裏、全然クリアできない」

「シャトルの話もまったくよくわからないわ」

「実物を見てない人間に説明しろったって、到底無理な話なワケ。見せたいよ、ぼくらのBダッシュ」

 サイバーの順番がやってきて、部屋の空気がピリピリしたものに変わります。

「じゃあ次はサイバーの」

「何も言うことはねえ」

 沈黙があって、モモエが怒鳴ります。

「アンタね! ワタシたちがしゃべってるのに、何も教えないのは不公平でしょ!」

「うるせえ」

「……落ち着けよモモエ。サイバー、僕らの無線を勝手に聞いてるんだって? すごいじゃん。どうやって?」

『サイバーは発明が出来るんだよ!』

 突然、甲高い、機械のような、クラスメイトの誰でもない声が語ります。

「は? 何今の声。アンタの?」

「うるせえ、オレじゃねえ。おい一太郎、電源落とすぞ」

 サイバーは腕時計に向かって低い声で話しますが、腕時計は全く堪えた様子もなく語り続けます。

『みんな始めまして! ボク一太郎です!』

 ガシャンガシャンと腕時計から、機械が伸びて、大きなディスプレイになっていきます。ディスプレイにはドットで出来た電子の笑顔。

「もしかしてこれがしゃべってるの?」

『これじゃなくて一太郎だよ!』

「一太郎……」

『ボクはサイバーのお家で暮らしてるんだよ』

「お前が勝手に家出してきたんだろーが」

 サイバーがデジタル画面と喧嘩を始めます。誰も見たこともない、四角いドラえもんと。

『サイバーはね、発明でボクと一緒に機械の敵を倒してるんだよ。一昨日もUFOを一掃したもんね』

「もうしゃべるな」

 ついに、哲郎の真横で腕に抱きつくらーめんが、自分のことを語る番です。

「らーめん……」

 哲郎が不安そうに声をかけると、らーめんは無言のまますくっと立ち上がって、緑色のふさふさした扇子を構えると手首をくねらせて風を巻き起こします。部屋の中に嵐が起こって、五年生たちは目を開けていられないような強風に大騒ぎです。そして風がピタッと止んだらそこには。

「嘘……赤い女!」

 のり子が叫ぶのも無理はありません。さっきまで子どものらーめんが立っていた場所には、あの赤いチャイナドレスのおねえさんが立っていたのですから。

「らーめんが、大人の女に変わった!」

「うお、モーレツゥ!」

「きっれーい!」

「畳の上でハイヒール、やめてよ」

「赤い女って、あの七不思議の?」

 らーめんがバシッと扇子を閉じると、委員長の前につかつかと歩いていって、顔を覗き込んで、問います。

「七不思議って何よ?」

 大人のおねえさんになっても、やっぱりいつもの不機嫌ならーめんです。

「そ、それは」

 腕を組む姿も貫禄があって、威圧的で、まぶたがお化粧でキラキラしていれば、委員長だって真っ赤になって「ただの噂だよ」とまごまご答えます。

「ふん、何赤くなってんだか。アタシは大人に変身して、キョンシーと戦ってるの、哲と」

「哲郎と?」

 みんなの視線が一気に集まって、哲郎の顔がカッと熱くなります。

「哲郎も大人に変身できるの?」

「違う! ぼ、ぼくはそんな、戦うとかじゃなくて、その……」

「もう! 哲とはこれから一緒に戦うの!」

「じゃあまだ戦ってないってことじゃん」

 委員長が赤い顔のまま声を張り上げます。

「あーもう! 最後にハモンのり子哲郎! 君たちは何だ!」

 名前を呼ばれたのり子がハモンの顔を覗き込みますが、難しい顔で真っ直ぐ前を見つめたままじっと動かないところを見て、諦めたように口を開きます。

「私たちは」

 百物語が終わります。お話は百個もありませんし、話し終えた後に吹き消すろうそくだってありませんけれど、子どもの語る歯抜けで、真実のわからない噂話のような物語は、不透明で、どこか怖ろしい。でもそんなのまだまだ序ノ口です。百物語の本当の怖ろしさは、終わった後に来るのです。

「私たちには、何も無い」


 第三場


「哲郎、どうして教えてくれなかったの?」

 お昼前に緊急学級会が解散になって、ハモンたちは鳥居の下を伸びる長い階段に腰掛けて風に吹かれます。のり子の責めるような言い方に、哲郎が目を伏せて謝ります。

「ごめん……」

「あ、う、別に怒ってるんじゃなくて……ああもう!」

 何もかも上手くいかなくってのり子が唸ります。クラスのみんなが何かに選ばれていて、哲郎たちには秘密を隠されていて、じっと黙ったまま隣で座るハモンも、なんだか気持ちが悪くって。

「何で哲がアンタなんかにアタシの秘密をバラすのよ」

 子どもの姿に戻ったひっつき虫のらーめんが、馬鹿にしたように言います。のり子は言い合いになる予感を察知して、取り合わないようにそっぽを向きます。

「まさかアンタが赤い女だったとはね……」

 らーめんは、赤い女と呼ばれて、苛立ちを隠しません。

「さっきから何? 赤い女赤い女って」

「学校の七不思議よ。七不思議を七つ全部知ると、赤い女が迎えにくるってやつ」

 のり子の言葉を聞いて、らーめんの顔に力がこもります。

「何よソレ……アタシが妖怪だって言いたいわけ? そんな訳あるわけないじゃない! ねえ哲」

「う、うん……」

「さ、哲もう行こ! アタシたちもクラスのやつらと一緒で、敵と戦うので忙しいのよ」

 緊急学級会が解散になって、クラスメイトたちはだらだら居残ったりせず、お昼ご飯を食べにそれぞれの家に帰ってしまったのです。別にお腹が減っていたからではありません。みんな、自分に与えられた役割を全うするために忙しいのです。

「だあああ!」

 昨日の夕方から死んだようだったハモンが、突然生き返ったように叫びだすので、のり子たちは驚いて階段から転げ落ちそうになります。

「何なの!」

 ハモンの顔は天啓を受けたような、何かさっぱりとした表情です。突然のことに理解が追いつきません。

「何だよ、アイツらより先に敵を倒せばいいだけじゃんかよ……」

 ぼそっとつぶやいた言葉が、のり子に火をつけます。

「馬鹿、アンタ学級会の多数決の結果もう忘れたの? 危険だからそれぞれのやることに手を出さない。お互いに邪魔し合わないっていうのが、決定事項でしょうが!」

 のり子が怒鳴ったってハモンは平気な顔です。

「多数決ねぇ……」

 目を細めて、街を眺めます。そこはぼくたちの街です。そしてハモンは突然思いついたようにらーめんの方に向き直ります。

「じゃあらーめん、オレも一緒にやらせてくれよ!」

「いーやーよ!」

 必死にお願いしたって、憎たらしい感じで断られてしまいます。

「何でだよ! 哲郎は良いのによぉ」

「アンタなんかが何の役にたつのよ? アタシ達は忙しいのよ! 哲、もう行こ!」

 腕を引かれて階段を降りていく哲郎が、振り向いて悲しげに手を振ります。

「ハモン君、のり子……その、明日学校でね」

 哲郎の姿を見送ると、のり子が立ち上がってスカートのお尻を払います。

「アンタももう帰んなさいよ」

 そう言ってハモンを見れば、その顔はぎょっとする程生気に満ち溢れています。のり子はおののいて、思わず「何よ?」とこぼします。ハモンが突然、蘇ったように立ち直ったことに、嫌な予感を覚えます。のり子の心配を他所に、当の本人はニヤニヤ笑顔でこう答えます。

「ま、見てろって」


 第四場


 日曜日のクラスメイトというのは不思議です。学校では素っ気ない子も、日曜日に偶然に会えば手を振ってくれたり、学校でえばっている子が、お家の人と一緒にいて恥ずかしそうだったり、なんだかいつもの学校での役割とは違った、その人になるのです。ですから月曜日が来て、のり子はなんだか日曜日のことは本当にあったのだけれど、学校に行けばあんなのは幻でいつものみんなに戻るのだ、と頭ではなく、直感のようなものでそう感じていました。ハモンが登校してくるまでは。

「ハモン! 君はいい加減にしろよ!」

 傷だらけのハモンが教室に入ってくるなり、委員長のセイジが吼えます。

「何だよ。別にどうにもならなかったんだからいいじゃんか」

「ちょっとどうしたのよ。突然大声出したらみんな驚くでしょ!」

 のり子がずいと前に出れば、普段なら味方をしてくれるモモエが、セイジの前を遮るように割り込んで、冷たく良い放ちます。

「のり子には関係ない」

 その態度が、のり子を切りつけます。関係ないと言われれば、いくら副委員長だからって、選ばれなかった子どもは強く出れません。

「なんにも出来ない人間が、僕たちの邪魔をしないでくれ!」

 今、のり子の心が目に見えるなら、ハモンに向けられたこの言葉できっと血だらけになっているでしょう。教室の時間が止まったように、動けなくなります。

「なんにも出来ないかどうかは、お前が決めることじゃねえだろうがよ」

 力強くハモンが言い返したって、のり子の時間は動き出しません。


 太陽が真上にある時間だって、学校には必ず、陽の当たらない薄暗い場所というのがあるものです。例えば、卒業制作の顔が彫られたタイルの廊下。のり子は用事もないのに、あの顔の無い少年を見つめます。もう何年も前にこの小学校を卒業した少年。特別、ということがのり子を強く惹きつけます。特別が、特別だけが、価値を持つ。

「ねぇお願い、ハモン君たちも仲間に入れてあげて!」

 突然、ショーコの声が飛び込んで来ます。普段の彼女からは想像できないような、強い気持ちのこもった話し方です。こちらに向かってきているのか、どんどん声が大きくなります。自分のことを話していると思えば、のり子はとっさに廊下の角に身を潜めます。

「だー! ハモンだけは絶対駄目! のり子はうるさいから駄目、哲郎はすぐ泣くから駄目!」

 ショーコと一緒にいるのは、同じグループのヒロシとトオルです。ショーコはどうやらハモンたちを同じグループにしようと頼み込んでいるようなのです。

「そんな、どうして? ヒロシ君、ハモン君と仲良いのに……」

「駄目駄目駄目駄目! お前さっきからなんだよ? ハモン君ハモン君って、ハモンのことが好きなのか!」

 ショーコが痛いところを突かれたように、あからさまにじっと黙ってしまったので、坊主頭はショッキングな事実を悟って口をあんぐり開けて立ち尽くします。彼は、本当はショーコに、そんなんじゃない、と言ってほしかったのです。仲良しのハモンの加入を認めないのも、彼女からハモンを遠ざけたかったのです。毎日彼女に意地悪するのだって、それに効果があると思ってやっているのです。彼は馬鹿です。

「のり子ちゃんの加入は賛成だけど、ただでさえ野蛮なヒロシ君の相手をしなきゃいけないってのに、ハモン君まできちゃあ無茶苦茶だよ」

 ここにはずっといれないな、とのり子は思います。一人ぼっちでいる昼休みは、なんて長い。行くあてもなく彷徨うように学校中を歩き回る流浪の民になると、踊り場の窓から一人で校庭を見つめる背中を見つけます。

「アンタ、昨日何したのよ」

 咎めるように声をかけると、校庭をじっと見つめたまま風に吹かれて、吐き捨てるような返事が返ってきます。

「セイジたちを付け回した」

 のり子はハモンの肩を掴んで窓から剥がします。

「アンタってほんと馬鹿。セイジの言う通りよ。なんにも出来ない人間なんて邪魔なだけでしょ!」

「馬鹿はお前だ! 敵を追いかけ続けたら、オレだってすごい力が手に入るかもしれないだろうが!」

「セイジたちはあんたが怪我しないように気にかけなきゃいけないでしょ! どうしてそんなこともわかんないのよ!」

「二人とも、ここにいたんだ……」

 降り注ぐ声に振り向けば、絆創膏まみれの少年がぽつんと頼りなさげに立っています。選ばれてもいなければ、なんにも役割を与えられていないわけではない、中途半端な、どっちつかずの、彼。

「哲郎? ふーん、今日はひっつき虫はいないんだ」

 のり子はまぶたを半分閉じるようにして、ちょっと意地悪するように言います。

「らーめんのこと? 今日は図書委員の当番だから……」

「やっと開放されたってとこか」

 のり子は笑って「ごめんごめん」と謝ります。教室にいられない三人が、笑顔になります。

「哲郎、昨日はあの後どうしたのよ」

「うん、らーめんの家の中華屋さんでお昼ご馳走になって、それからずっとパトロールしてた」

「昨日はキョンシー出たんか?」

 哲郎は壁にもたれて、元気がなさそうに俯きます。

「うん、図書館の近くで……らーめんは一緒に戦ってっていうけど、ぼく、あんなの、ぼくには無理だよ」

 結局哲郎は何もできずに、戦う赤い女を見ていただけだったと二人に話します。

 らーめんはそれでも良いと言ってくれるのですが、何が良いのかさっぱりわかりません。

「なあ、せめてらーめんを説得してくれや。オレたちも仲間に入れてやってくださいって。お前の言うことなら聞くだろ」

 そうかしら、とのり子は思います。らーめんは哲郎のことが好きなのだから、一緒にいたいのよ。

「あーあ。なんでオレじゃないんだろうな」

「なんでぼくなんだろ……ぼくは選ばれないままで良かったのに」

 なんででしょうか。なんで、どういう基準で、選ばれる子どもと選ばれない子どもがいるのでしょうか。なんで彼らはその役割に選ばれたのでしょうか。なんで敵というのがこの街に出没するのでしょうか。この街の何が、誰が、なんで。

「なんで……」

「なあ考えた」

 ハモンがぱちんと指を鳴らして何か思いついた風なので、のり子は面倒くさそうに耳を傾けます。

「選ばれないんだったら、そのなんでを探るチームを作ろうぜ! 名前はな……」

「はぁ?」

「名前は、強そうな方が良い……」

 ハモンの勢いに、波に押されて、哲郎がしがみつくように聞きます。

「それって、ぼくも入れてくれる?」

「おう、もちろんだろ。のり子もな!」

「勝手に……何よそれ」

「そうだな名前は、ダイハモン組!」


 第五場


 ダイハモン組結成後の記念すべき最初の事件は、さっそくその日の五時間目に起こります。準備が出来ていなくったって、方針が固まっていなくったって、敵は待っちゃくれません。

「じゃあ次の段落から、カオリ読ん」

 国語の授業中、突然先生が、バサッと教科書を落とします。

「おい、マキどうした……」

 先生が指差した先、規則正しく並んで座っている子どもたちの中でたった一人、窓際の一番後ろの席で、マキがぼんやり発光しながら宙に浮いています。ぼうっと、まるで幽霊みたいに。そしてこうつぶやくものですから、異常事態に五年生たちの心が跳ねあがります。

「来る」

「来るぅ?」

 次の瞬間、教室が大きく揺れ始めます。立っていられないような強い地震です。地震の訓練は五年間、毎年受けていますけれど、机が揺れて教科書が舞い上がって花瓶が割れたら、叫びながら何かを掴む以外のことが出来ません。

「みんな! 机の下に隠れろ! マキ、何してる!」

 マキは依然宙に浮いたまま発光しています。ただ、顔中に汗を浮かべて、かなり苦しそうです。そして。

「駄目! バラバラになる!」

 マキが叫べば、教室が突然、ふわっと持ち上がったような、飛行機が飛び始めたときのような、気持ち悪い重力がかかります。

 そこからは窓の手すりに捕まっていた女子の叫び声で教室がパニックになります。

「ちょっと! 私たち、教室! 動いてる!」

 外から見た小学校は、教室ごとに切り分けられて、自由にぷかぷか浮いています。一年生の教室が、三年生より高いところにあります。理科室が、校庭の隅の遊具のそばまで流されます。飛ぶ教室。その教室の一つ一つから、悲鳴が上がります。阿鼻叫喚の幕ノ内小学校は、今やまるでバラバラの天空城です。

「おいマキ! どうする!」

 焦って問いかけたって、マキは苦しそうに呻くばかりです。

「頭が、痛い……!」

「マキちゃん!」

 飛ぶ教室は大混乱です。まずチビのキヨが我慢できなくなって泣き出します。次に紐のついた手裏剣が教室をいくつも飛び交っていって、壁に刺さると机や椅子が固定されていきます。先生の「落ち着け!」という怒号が、教室中に響き渡ります。

「仕方ない! ジュブナイダー、出動してバラバラになった教室を抑えるぞ!」

「了解!」

 委員長の呼びかけに、モモエがミドリがアカヤがキヨが、ポケットから取り出した小さな機械のスイッチを押して天井に向けます。

「ジュブナイダー、出動!」

 機械がけたたましい音を鳴らしながら光ります。遅れてごおっと、まるでジェット機がやってきたような轟音。教室の窓に、巨大な緑のロボットが横付けになります。空には他にも青やピンクや赤や黄色の巨大なロボットが、パイロットを待ち構えています。

「青い、ロボット……本当にセイさんが……」

「お前ら何やってる! 机の下に入れ!」

 有馬先生が、窓から身を乗り出そうとするミドリを羽交い締めにしながら絶叫します。

「仕方なし。先生、御免!」

 瞬間、閃光が走ります。

「安心せい。峰打ちでござる……」

 有馬先生が、どさっとその場に崩れ落ちます。雪之丞が小さな刀で先生をどついたのです。

「でかした雪之丞!」

 ミドリが大きな体を乗り出して、ロボットの開いた胸部から乗り込みます。続いてセイジが乗り込む番ですが、邪魔をするのは先生だけではありません。

「だああ! ハモン!」

 ハモンが腰を掴んで、一緒に乗り込もうとしてくるのです。こうなっては力いっぱい脚をジタバタしたって、剥がれません。

「オレは動いてないと気がすまないんだよ、こんなところでじっとしてられるか!」

 そのまま委員長のズボンをずらそうとするので、慌ててズボンに手を添えた瞬間、やられました。

「この機体はダイハモン組が調査する!」

 横暴な少年は開いたコックピットから風に吹かれて、憎らしくも余裕の笑みです。

「降りろよ!」

 遅れてコックピットに乗り込めば、降りろ降りないの言い合いの開始です。

「お前、最近始まったアイアンリーガー見てるか?」

「そんなものは見ていない!」

「アイアンリーガーを見ていない? 馬鹿野郎が!」

 セイジはアニメを見ません。だって彼自体が、アニメのようなものですから。

「あのアニメ、始まるときに流れる歌でこれから出てくるリーガー全員見えるけど、あんなのサッカーのリーガーじゃねえのに結局全員サッカー強いんだろ? そういうのなんだよ、ダイハモン組はなぁ!」

 ハモンの叫ぶことは意味不明で無茶苦茶です。彼がいると、シナリオがめちゃくちゃになる。

「とにかく教室に戻れよ!」

「そんなの無理だよ。ほれ」

 ハモンが指差す通りセイジが後ろに振り向けば、そこはなんにもありません。空っぽの空の上です。さっきまでそこにあったはずの教室がありません。いつの間にか離岸していたのです。見れば少し離れた先に教室が流されています。五年三組の窓には今、ピンクのロボットがくっついています。

 飛ぶ教室は動いているのです。

「もう帰れねーな」

 セイジの身体が怒りで震えます。

「くそ! おとなしくしてろよ!」

 胸部の入口が閉じられて、一瞬闇に満たされます。遅れてモニターが光れば、だんだん、コックピットの中の様子が明らかになっていきますが、そこは映画やアニメで見たものとは少し様子が違います。壁には歴史年表や元素表、画用紙で作ったルーレットの当番表が貼ってあって、まるで。

「なんだよここは、教室か? 教室が空を飛ぶのかよ」

「飛んでるんだよ、現に!」

 セイジは怒鳴りながらコックピットに座りこむと操作を始めます。

「もう良い、こちらセイジ、全員搭乗完了したか!」

『完了』

『完了!』

『かんりょー!』

 モモエたちの声が流れ込んで来ます。モニターには、笑顔。

「そこ勝手に触るなよ! 全員、教室を元の位置に押し戻すぞ!」

 セイジがレバーを引けば、ぐんと大きな力がかかって、ロボットが前に進みます。

「うおっ」

「舌噛むなよ」

 青いロボットが四年生の教室を掴むと、元あった位置に押し戻していきます。ただこの不思議な見えない力はかなり強力で、かなり力を込めないと押し返されてしまうものですから。

『もうちょっとゆっくりやらなきゃ! 中に人が入ってるのよ!』

 モニターいっぱいのモモエに怒られた時には、青いロボットが掴んでいるのは、もはや教室とは言えなくなっています。悲鳴と恐怖の箱。僕らはみんなみんな、こんなところに押し込められて。

「怒られてやんの」

「うるさいな!」

 次の瞬間、セイジの大声を吹き飛ばすような、大きくてガビガビした雑音がコックピットに流れ込みます。緊急用の割込通信が入ったのです。

「誰だ、どうした!」

『アンタねぇ、哲に操縦譲りなさいよ!』

『やめて! 墜落しちゃうよぉ!』

 モニターの信号を見れば、アカヤ機からの緊急通信です。

「アカヤ! どうした応答しろ!」

 委員長の呼びかけに、面倒くさそうに力の無い声が返ってきます。

『……こちらアカヤ……らーめんと哲郎にジャックされてる』

 モニターにアカヤ機の様子が映し出されます。大人の赤い女がアカヤを羽交い締めにして、哲郎がその腕を剥がそうと必死になっています。もう無茶苦茶です。学級委員長というのは苦労の耐えない仕事なのです。


「たぶん私の敵だと思う……」

 教室ではマキが肩を上下させながら声を絞り出します。

「超能力の、敵? 倒せるの?」

 心配そうに集まったクラスメイトの輪が、不安な声をマキの頭上に降らせます。

「大きすぎて……私にはもうどうにもできないわ……」

 まぶたを閉じて力なくうなだれるマキを、のり子が励まします。選ばれて、力を持っているんだったら。

「諦めないで! ねえ、マキの敵ってどうやって倒せばいいの?」

「力を抑え込むのよ。箱の中に、すっぽりいれる感じかな……」

 言っていることが超感覚的で、のり子にはさっぱりわかりません。ただ。

「封印?」

 黒い髪を複雑に束ねた、狐のような目の女の子が、つぶやくように言います。

 その声に幽霊でも通り過ぎたみたいに、ピリッとした緊張が走って教室が静まりかえります。

「おい何だよミコ。はっきり言え」

 苛立つように言うヒロシの方には顔も向けず、凪のようにミコは返します。

「うちの封印術と、似てると思ったのよ」

 ミコは昨日、妖怪退治を行っていると語っていました。その詳細は不明ですが、別の敵にそれが使える可能性があるとしたら。

「ミコちゃん、これ何とかできるの?」

 ミコが少し黙ると、教室が不安で凍りつきます。誰もが早く何かしゃべって欲しいと願います。

「マキ、敵の大きさはどのくらいなの?」

「すごく大きいわ……学校を包んでる……校庭の端から端まで、ある……」

 教室中が事の大きさを理解して、またざわめき始めます。だって今、彼らは意味不明な大きな力の中に、すっぽりと収まってしまっているのですから。

「できるのミコ?」

「無理ね」

 刺さるような期待の視線の真ん中にいたって、ミコはきっぱりと言い放ちます。

「封印術を行うには、まず封印するものを御札で五箇所、五芒星の形に囲むのよ。そんな大きなもの囲む方法なんてないし、それにお母さんやお姉ちゃんならまだしも、私の霊力じゃ……」

 目を伏せるミコの、弱々しい言葉尻に怯みますが、のり子が跳ね返すように言います。

「とにかく、御札で囲めば良いのね。その御札はあるの?」

 ミコは無言で頷くと、服の中から机の上にこんもり積み上がるような大量の御札を取り出します。

「こんな量、どうやって隠してたんだよ」

 クラスメイトたちが驚いている間も、のり子は思考を止めません。マキもミコも自分では力不足だと言います。でも、一人前じゃないなら、二人で、一人前になれるのなら、それは。

「封印、やってみてよ、ミコ」

 のり子はいつもの教室より高い窓の外を見ます。空には大きなロボットがちょうど五つ、浮いています。

「みんなも手伝って。私に考えがある」


 第六場


『あー、あー。こちらのり子です。パイロットの皆さん、聞こえますか』

 青いロボットのコックピットの中に、流れるはずのない人の声が入り込みます。

「のり子! どうやって通信してるんだ!」

『忘れたの? サイバーがアンタたちの通信を勝手に聞いてるって。逆のことも当然できるんだから、発明してもらったのよ』

 どうやら教室で何か動きがあったようです。のり子の通信は続きます。

『これからミコとマキとで、封印の儀式を始めます。パイロットのみんなは、通信班の指示に従ってロボットを動かしてください』

「何を始める気だ」

『こちらは通信班です。聞こえますか? セイジ君、ハモン君?』

 か細い、その声は。

「ショーコ!」

『良かった、聞こえるんだ……青いロボットは、校門前に移動してください』

「わかった。でも何するんだ」

『封印のためにセイジ君たちのロボットで学校をお星さまの形に学校を囲むんだって。そう、そこから少し、鉄棒の方に移動してください。もう少し。ストップ! もう少し戻って』

 小学校の正面に立てば、浮かんだ屋上の上に、いつの間にかクラスメイトたちが集合しています。カメラをアップにすれば、ショーコが無線機のようなものを片手に、手を振るのが見えたので、こちらもロボットの腕で振り返します。他のクラスメイトたちも屋上から、別のロボットたちに位置を指示しているようです。

「僕たちはここに突っ立ってるだけで良いのか?」

『う、うん、とにかくそれで良いみたいなの。あの……二人とも気をつけてね』

「おう。ショーコ、ありがとな」

「ハ、ハモン君……の……」

「ん? なんか言ったか? なあショーコ、もっと大きな声で喋ってくれよ。ボリュームとかないんかこれ」

 ハモンが目の前のスイッチやレバーやらを思いのまま触れば、あちこちがぶぅぅん、と音を立て始めます。

「おい! 勝手に触るなよ!」

 慌てて制止したって、もう遅い。

『……あれ、ハモン君? セイジ君? 聞こえますか?』

「ショーコ? どうした!」

『あれ?』

『ショーコちゃん、どうしたの?』

『私、どうしよう壊しちゃったかも……ハモン君たちの声、聞こえなくなっちゃった……』

 セイジが慌ててガチャガチャと辺りを触りながら何度も、ショーコや他のパイロットたちに呼びかけますが、相手の音声が流れ込むばかりでこちらの声は聞こえていないようです。

「おいどうしてくれる!」

「お前のロボットなのに直せないのかよ」

「操縦は難しいんだ! まだまだわからない機能がたくさんあるんだよ!」

 通信は流れ込み続けます。

『こちらミコ。パイロットのみなさん、儀式が始まったら、敵が暴れだす場合があるわ。それでもその場所から絶対動いちゃだめ。そっちに向かって来たらロケットとかで倒して』

「だああ、ミコまで無茶苦茶なことを言う!」

『通信班、位置確認は問題ないですね? それでは御札班、始めてください』

 今度は屋上から何かが三つ、飛んできます。モニターのカメラが追えばそれは。

「花ぁ!」

 そうです。変身した花と小太郎、そして不機嫌そうなサイバーが、それぞれ不思議な乗り物に乗って、空を飛んでいるのです。花の後ろには長いしっぽを生やした少女――カオリが、しがみつくように乗っています。花の白い服とはっきりしたコントラストで、カオリの腕は猿のようにふさふさの毛で覆われているのがわかります。

 小太郎も一人ではありません。後ろには雪之丞を載せていて、黄色いロボットのそばまで来ると、その肩の上に彼を降ろします。

『みんな、危ないから絶対に動かさないでよ。今から御札貼るんだから』

「御札ァ?」

 雪之丞がロボットの上を這いずり回るようにして、小さな白い湿布のようなものを貼り付けていくのが見えます。あれが御札。御札班と呼ばれた他のメンバーも一人一台ずつロボットを担当して、御札をぺたぺた貼りまくり始めます。

『おい、何貼ってんだ!』

『あああん! キヨの雷電がぁ!』

『ちょっとコレ、ちゃんと後から綺麗に剥がせるんでしょうね!』

『御札貼るとキョンシー号って感じ! ほら、やっぱり哲とアタシこそがこのロボットにふさわしいのよ!』

 さて、青いロボットはというと、御札貼りは花の担当です。

 セイジは他のパイロットたちと違って、腕を組んで静かに落ち着き払った様子です。

「急に黙るなよ。気持ち悪いやつ」

「静かに」

 モニターが何度も切り替わって、妖精のように飛び回る花を追いかけます。ナースキャップが風に飛ばされないよう片手で抑える花。楽しそうに御札を貼る花。ポシェットから御札を少しこぼしてしまう花。機体を優しく撫でる花。そして最後に真っ直ぐ微笑む可愛い花がアップで映ります。アップで?

「花! 待ってくれ!」

 慌てたセイジがいくら叫んだって、花にはちっとも聞こえません。モニターは花の代わりに白くぼやけた、何か大きな文字の並びを映し出します。

「メインカメラが……」

 そうです。ロボットのことなんて全然、これっぽっちもわからない花は、メインカメラに御札を貼ってしまったのです。そんなことをしては。

「おい。前がよく見えないぞ」

「今剥がす!」

 レバーでロボットの腕を操りますが、こんな大きな指なんかでは小さな御札をつまむことが出来ません。

「駄目だ、これ以上やったらカメラが割れてしまう! サブカメラは?」

 サブカメラに手動で切り替えますが、モニターの映像は正面を捉えてくれません。サブモニターに左右に切り分けられて、空に浮かぶ小学校が映ります。

「くそ、敵が暴れたらどうする!」

『始めるわよ! みんな静かに!』

 のり子の声が響いて、セイジがレバーに額を擦ります。

 

 屋上では神秘的な儀式が始まります。ミコが手を合わせながら何かおどろおどろしい呪文のようなものをぶつぶつ呟き始めます。目を閉じたマキの周りから、何かうねうねと生き物のような光が伸びます。

 のり子が屋上のフェンスに指を掛けて見下ろせば、五台のロボットの点を結ぶように薄っすらと、弱々しい赤い光が一直線に伸びて、大きな五芒星の形になります。その線がハッキリと確かなものになれば、ばらばらの教室がゆっくりと中心に向かって動き出します。封印はちゃんと始まっているのです。

「やった!」

 勝利を確信して振り向きますが、儀式中の二人は苦しそうです。マキは立っているのがやっとで、両脇をヒロシとトオルに抱えられます。ミコも汗をびっしょりにして、それでも目だけは力強くかっぴらいて、鬼気迫る様子です。

「ど、どうしよう」

 誰かの不安な声が屋上を支配します。それがのり子にも伝播します。私が、私はなんにも出来ないくせに二人にやれなんて言うから、こんなこと。私は。私の役たたず!

 耐えかねたマキが、ついに叫びだします。

「駄目!」

 次の瞬間、飛ぶ教室が暴れ始めます。


 校庭の上を、依然より早いスピードで教室が動きます。

「おい委員長、やばくねーか」

『みんなお願い! 教室をなるべく抑えて!』

 そんなことを言われたって、青いロボットは今、左右に分かれた視界をサブモニターにしか映し出せないのですから、猛スピードで暴れまわる教室を前に、セイジはすっかり情けない声を出してきょろきょろしてしまいます。

「どっちを見ればいい! どうすれば」

『こんなの全部抑えられないぞ!』

『もう嫌ぁ!』

 びゅんびゅんと教室が飛び交い続けます。ハモンが叫びます。

「オレが左を見ててやる! セイジは右に集中しろ!」

 混乱の中ではその力強い声に従ってしまうものです。もう、仲違いをしている暇なんてありません。

「わかった!」

 右画面に家庭科室が飛び込んで来るのが見えて、右手を伸ばして抑えます。

「次、左側腹の高さ、来るぞ!」

「了解!」

 左側の教室も抑えます。ただ一つだって大変だったあの強い力の教室を、今度は二つも押し返すのですから、セイジの腕がレバーから弾かれそうになります。そうなればハモンだって見ているだけではいられません。ありったけの力で一緒にレバーを押し返します。

「ぐ、ぐううううううううう!」

 顔に汗を浮かべて、セイジが唸ります。通信が次々と、洪水のように流れ込んできます。

『みんな! 頭を伏せてぇ!』

『キヨちゃん、動いちゃ駄目だ、位置を戻して!』

『教室が! これ以上持ちこたえられない!』

『マキ殿! ミコ殿! あとちょっとでござるぞ!』

『神様!』


 空が光ります。


 最後の瞬間をのり子は目を開けて目撃しています。視線の先にはぼうっと光りながら宙に浮く、マキです。長い手足をだらんとさせて、髪の毛はふんわり持ち上がって、神々しい。苦しいくらいに届かない、選ばれた者の、特別な美しさ。自分は地面に張り付いて、置いていかれたようで――


 あんなに激しかった揺れが突然止みます。ハモンがモニターを見れば、小学校は最初から何も起こってなかったみたいに、キチンと元の形に戻って、あたりはしんとして静かです。終わったのです。

「みんな無事か!」

 青いロボットのコックピットには、モニターを睨む少年二人の呼吸の音だけが聞こえます。

 外はまるで、命が一つも無いみたいに静かです。ですから。

『ザ……ザ、ッピー…ザー』

 かすかな雑音が聞こえ始めたら、嬉しさについ大声がでます。

「おい通信だ!」

 しんとした世界に、かすかな雑音が、希望の光になります。遅れて、か細い女の子の声も聞こえます。

『その声……ハモン君! この通信機、直ってる……。わ、私は無事です! みんなも! ハモン君たちは?』

 モニターには立ち上がって手を振るショーコが見えます。続いてのり子も、ヒロシも、雪之丞もみんなも。

「僕らの声が聞こえるのか?」

 大きく揺れた時、よろけたハモンの手が当たって、たまたま通信用のマイクのボリュームが元に戻ったのでしょうか。

「ショーコ! こっちも無事だぞ! セイジ良かったな、ロボット直ったみたいだぜ」

 がっはっはとハモンが笑えば、セイジが肩を震わせます。もう彼はさっきまでハモンと力を合わせて戦っていたことなんて、頭からすっ飛んでしまっていて、激しい怒りに支配されています。そうなればお約束のあの宣言が、通信機を通じて響き渡るのです。

「明日、緊急学級会を開催する!」


 幕。

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