第三幕 選ばれなかった子どもたち

 第一場


 幕ノ内小学校五年三組霧村雪之丞の正体は、忍者です。雪之丞が忍者になったのは、何も昨日や今日の話ではありません。彼のお兄さんもお母さんもお父さんも、お爺さんもひいお爺さんも、ひいひいひいひいお爺さんも、忍者だったので、生まれついての忍者なのです。


「雪さん、えっちな欲望に負けてはなりませんよ」というのがお母さんの口癖です。雪之丞一家が、何故忍者がいないこの街に流れ着いたのか。それは彼のひいひいひいひいお爺さんが、霧村流の大事な忍術を己のえっちな気持ちにまけて悪用したのがバレて、お里に住めなくなったからなのでした。そのことで彼のひいひいひいひいお婆さんからずっと、この家の女は苦労をしてきたのです。


「雪、女の子というのは素晴らしい。お前にもきっといつか姫様が現れるさ」というのがお兄さんの口癖です。雪之丞よりもっともっと呑気な中学生のお兄さんは、団地に住んでいる同じクラスの女の子を「団地姫」なんて呼んで、もうメロメロです。


 一九九三年の四月、五年生になった雪之丞は、お母さんから一本の巻物を受け取りました。

「雪さん、あなたももう五年生になりました。こちらはお父様からですよ」

 雪之丞のお父さんは遠い遠いお里で仕事をしているので、なかなか帰ってこれません。お母さんは雪之丞が五年生になるまで、この巻物を預かっていたのです。

 雪之丞が巻物をくるくる解くと、「第一の試練」とものすごい達筆で書いてあります。

 お父さんが彼に与えた第一の試練とは、このお屋敷の中にあるご先祖様の部屋を探すというものでした。見つければ、小さな忍者刀をゆずる、とも書いてあります。

 とはいえ雪之丞一家が暮らすお屋敷は、本当に大きくて広い上に、中学生のお兄さんが忍者屋敷として罠や仕掛けを凝らしているので、毎日探したってなかなか見つからないのです。雪之丞はついに昨日見つけた、手裏剣が飛んでくる廊下を、アクロバティックに駆け抜けます。

「これだけ罠があるということは、怪しい、ということでござる」

 彼の話し方は少し古風です。「ござる」というと、クラスの女子が可愛いと騒ぐからです。彼はなかなかのぶりっ子なのです。

 さぁ、問題はこの先です。こんなに罠が仕掛けてあるのに、ただの行き止まり。

「雪さぁん、もうお夕飯ですよ!」

 近くでお母さんが自分を探す声が聞こえます。もう夕御飯の時間のようですが、今日はお母さんの言うことだって無視して、壁をゆっくり丁寧に触ります。何かおかしなところはないか。叩くと変な音がする場所はないか。ゆっくりと右に移動しながら確認していると、触っていた壁ではなく足元からカチッと、聞き漏らすぐらいの小さな音がします。どうやら何か踏んづけてしまったようです。

「あぁっ!」

 叫んだってもう遅い。突然床がガコッと音を立てて、立ち上がると、滑り台のような傾斜をつけて雪之丞を階下に滑らせます。

「どわわわ!」

 重力に逆らおうとして空中で平泳ぎしたって無駄です。抵抗虚しく滑り着いた先には、大人がしゃがまないと入れないような、小さな引き戸だけがポツンとあります。

「ふんふん、どんな人間も頭を下げないと入れない場所、でござるか」

 引き戸を開けると、小さな階段があって、その先は、暗い四畳半の小さな部屋です。床の間に小さな刀が飾ってあるのが見えて、雪の丞はここがご先祖様の部屋であることを確信します。

 お母さんの作る、美味しそうなご飯の匂いがします。ここは台所のすぐそばにあるようです。ひいひいひいひいお爺さんも、この部屋で御飯を楽しみにしていたのかも、と想像して雪之丞は笑います。

 古くて、歩くとぶよぶよと沈む畳の上をゆっくり歩いて、飾ってある小さな刀に近づきます。お母さんの大きな声が響きます。

「雪さん、いい加減になさい!」

 雪之丞の着ている忍装束は、雪のように真っ白です。霧村流忍者にとってそれは、まだまだ新米の、子ども忍者の証です。


 第二場


「哲郎、蘭子ちゃんが迎えに来たぞ!」

 土曜日でお休みのお父さんが、洗面台まで哲郎を呼びに来ます。哲朗は歯ブラシの手を止めるとうがいをして、すぐ玄関に向かいます。

「おはよう哲!」

 やっぱり、昨日の出来事は夢なんかじゃありませんでした。今日もらーめんは哲郎に笑顔です。

「はい、これ」

 らーめんが何か紙袋を差し出します。中を見ると、長田君に盗られたままだったマリオカートのカセットが入っています。

「らーめん、これ!」

「昨日、あの後塾があるって哲、すぐ帰っちゃったでしょ? あの時取り返しておいたのよ」

「ありがとう」

 思わずぎゅっと、紙袋を抱きしめます。哲郎が喜べば、らーめんだって嬉しそうです。

「う、ふふ、ねぇ、変身するとこ見せたげる!」


 らーめんに腕を引かれるまま、マンションとマンションの隙間の、誰も来ないような場所に連れて行かれます。らーめんはあたりをきょろきょろ見渡しながら、赤いランドセルを哲郎に預けると、あの緑色の大きな扇子を取り出します。

「じゃ、見ててね」

 哲郎は彼女の赤いランドセルを胸に抱えて、ドキドキしながらじっと待ちます。本当に、本当に赤い女の正体は、彼女なのでしょうか。緊張する哲郎をよそに、らーめんは深呼吸をすると、扇子をばっと広げて、一振り、二振り、何かを呼び込むように手首をくねらせるように扇子を振ります。

 すると、彼女の身体を強烈な風が包んでいきます。風はどんどん大きくなると、目を開けていられないほどの強さになって、次に目を開けた瞬間には、もう。

「どう?」

 あの、恐ろしいくらいに美しい、赤い女が目の前にいるのです。

「本当だったんだ……」

 赤いチャイナドレスの、キラキラした女が目をキュッと細めて笑うと、ぼうっと見とれてしまいます。女の細い指が、哲郎のちょん切れた髪をつまみます。赤い女が、哲郎を赤くさせます。あの女にまた会えた、という嬉しさと、その正体が本当にらーめんだったのだ、という複雑な気持ちが混ざります。

「う、ふふ。可愛い。ね、ね、哲もやってみて?」

 赤い女がランドセルを受け取ると、哲郎に大事な扇子を渡します。

「ぼ、ぼくが? なんでですか……」

「なんで丁寧語なの? 哲が変身できれば、一緒に戦えるでしょ。ほら、早く!」

 女に促されるがまま深呼吸をすると、らーめんがやったように扇子をふりふりしますが、何度やっても普通の扇子と変わらないような優しい風が顔に当たるだけです。

「そっか」

 残念そうな赤い女の顔を見れば、あなたと一緒に戦うなんて、ぼくには絶対絶対、無理なんですよ、と彼女の心を蹴飛ばすようなことを思います。ぼくは、男なのに弱っちい。

「行こ、学校遅れちゃう」


 少女に戻ったらーめんと、昨日と同じように腕を組んで登校します。恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちと恐ろしい気持ちとが、ごちゃまぜになります。昨日の勝利のおかげで、凶悪ならーめん同好会は解散しましたし、もう五年生たちを傷つけないことを約束させたのですから、心はいくらばかりか晴れやかです。だけど、やっぱり理解できません。この可愛い女の子があの赤い女で、自分を迎えに来ただなんてこと、信じられないのです。そう思うと、やっぱり彼女のことがまだよくわからなくって、怖い。

「そういえば、昨日らーめんは大丈夫だったの? あのUFO……」

 そう、昨日はらーめんを取り合って決闘を行った際に、何故か謎の小さなUFOのようなものが、小学校を襲撃したのです。哲郎の質問にらーめんは思いつめたように少し黙って、それから言います。

「あ、あのね、アタシ、大人に変身できること、サイバーにバレたかも」

「え? サイバーに?」

 サイバーというのは五年三組の生徒です。鋭い目つきの上に眼鏡をかけていて、いっつもツンケンして、非協力的な少年です。ただ彼は昨日の決闘には参加せず、先に帰ったはずでした。

「あの日ね、決闘が始まった後、一番最初に屋上に来たのがサイバーだったの。何しに来たのって聞いたら無視されちゃって、まあ良いんだけど。そしたらね、あのUFO!」

「やっぱり、屋上にも来たんだ!」

 らーめんは興奮気味に答えます。

「うん、うん! でね、サイバーのヤツ、なんか腕時計に向かって喋ってて、そしたら何か機械がアイツの背中でぶわぁって」

「何? どういうこと?」

「よくわかんないんだけど、とにかくアイツの背中で機械がいきなり成長したっていうか」

「サイバーの背中?」

「それで、背中の機械から空気をポコポコ出してUFOを撃ち落としたの!」

 なんだかチンプンカンプンな話ですが、事実だとしたら凄いことです。

「でも凄い数だったでしょ。アイツもピンチになっちゃって……だからアタシも戦わなきゃって、変身しちゃったんだけど。直接見られたってわけじゃないけど、アイツ、頭良いから、屋上にアタシしかいなかったのに、いきなり美人のおねえさんが何故、って疑ってるかもしれなくて。それとね……あ、サイバー!」

 らーめんの、腕を握る力がぎゅっと強くなります。見れば、黒い服を着た不機嫌そうな少年が曲がり角から合流してくるところでした。

 らーめんが顔をぐいっと近づけると、声を潜めながら言います。

「アイツ、絶対怪しいよ」


 第三場


 土曜日の朝なのに、緊急で全校朝礼が始まります。校長先生は怒り心頭。

「昨日、旧校舎に入った生徒がいました!」

 そんなこと? とのり子は思います。そんなことよりUFO騒ぎの方がよっぽど危険で、旧校舎に忍び込むことなんて、可愛いことです。ほとんどの校長先生がそうであるように、ここの校長先生だって一度話し出すと長いのです。そもそもあの旧校舎は戦時中に作られて歴史的うんちゃら、木材がだいぶ弱っていて怪我をしたらどうちゃら。

 退屈なお話の最中に、何かがドサッと落ちたような音がして、子どもたちの波がざわめきます。マイクの音をキーンとさせて、校長先生が怒鳴ります。

「こら! 静かにしなさい!」

「何だぁ? またマキか?」

 背の順の一番後ろ。クラスで一番背の高い女の子が、青白い顔をして、倒れたのです。

「マキ!」

 すぐそばに並んでいたのり子が、彼女のそばにしゃがみ込みます。背の高い少女はうっすら目を開けて、具合が悪そうに、それでも力を振り絞って言います。

「う、う、ありがと……のり子」

「え?」

「大丈夫かマキ!」

 マキと呼ばれた背の高い少女が、先生と肩を組むようにして保健室に運ばれて行きます。放心したように少女を目で追いながら、のり子は頭の中で何度もさっきの声を再生します。

『う、う、ありがと……のり子』

 彼女の言う「のり子」という声に聞き覚えがあります。そう、昨日の旧校舎の声、あれはマキの声そっくりなのでした。


 校長先生のお説教なんて全く響かない五年三組の教室は、朝からパーティームードです。ついに、小学校で長年行われていた恐怖政治が退けられたのですから、手を繋いでぴょんぴょん飛び跳ねたって、良いのです。

「なぁ、何で誰も昨日のUFO騒ぎの話をしないんだ?」

 ただ、ハモンがUFOの話題を出せば、クラスメイトたちはピタッと動きを止めて、驚いたように彼を見つめます。

「だ、あ、なあんだ、やっぱりあれ、夢じゃなかったのね!」

 モモエが目をきょろきょろさせながら言います。おかしな態度です。その挙動から、モモエは嘘をついている、とのり子は見抜きます。

「あまりに非、現実的すぎて、なぁ……!」

 みんな、みんな嘘をついている!

 のり子はつい、大きな声を出します。

「そんな訳ないでしょ! だってあんなに校庭も焦げ臭くなって、校舎の中だって……」

「こらお前ら席つけぇ!」

 先生が入ってくれば、中断です。

「先生、マキは大丈夫なんですか?」

「貧血だよ。しばらくしたら戻るさ。一時間目学級会始めるぞ」

 のり子は諦めません。手を上げて立ち上がります。

「先生、昨日のUFO騒ぎですけど、あれ、何だったんですか?」

「何? UFO騒ぎだぁ? お前ら今度は何したんだ!」

 先生の返答に、のり子は言葉を失います。昨日、担任の有馬先生は校庭で生徒たちを守ろうと、必死に声を荒げていたはずでした。先生は子どもたちの顔を一つ一つ確認しながらため息をつきます。

「お前ら、また傷が増えてるな……ロボットだとかUFOだとか、興味を持つのは大いに結構。だけどな、危険なことはするな!」

 こんなの、こんなのは異常です。何で見たはずのUFOのことを、嘘をついてまで隠そうとしたり、本当に見たことがないように振る舞うのでしょうか。


「お前、気が付かなかったのかよ?」

 土曜日の学校はお昼までですから、みんなペコペコのお腹で帰路につきます。

「何がよ」

 頭の上で腕を組みながら、空を見るようにして並んで歩くハモンに、イライラしながらのり子は返事をします。

「クラスの奴らのこと。あいつら、おかしいだろ」

 馬鹿のハモンを認めたくありませんが、彼の言うとおりです。

「……うん、おかしい」

「あいつら、最初のクラス替えの時からだぜ、ああいうの。おい哲郎!」

 ハモンは少し前でらーめんと腕を組んで歩く哲郎を呼び止めます。

「昼飯食ったら学校集合な! 赤いロボットと赤い女探し。そしてUFOの正体を探る旅、ついに始めるぞ!」

「え、あ、赤い女? あ、あぁ、うん良いよ。もちろん!」

 焦って何かを隠すような哲郎の態度に、のり子の身体がさぁっと冷えて、それからカッと熱くなります。まさか、まさか哲郎も?

 ものすごいスピードで急降下していく気持ちを引き止めるように、急にドン、とハモンに肩を小突かれます。見ればハモンは、何も無かったように、真っ直ぐ哲郎の方に顔を向けたまま、ふざけたように話を続けます。のり子は突然、今まで馬鹿にしていたハモンだけが、この世でたった一人の自分の味方であるような、そんな気持ちになります。

「な、決まり。のり子も来るよな?」


 第四場


「アンタさ、いつから気づいてたの、その、クラスのみんなのこと」

 校庭の隅で、のり子がハモンに向かってサッカーボールを蹴ります。

「あ? クラス変わって一週間くらいだよ。まずさ、ヒロシに放課後ゲームする約束、断られたんだ」

 ハモンがボールを蹴り返します。

「用事があるって、その後ずっと何日もだぜ? でも別にオレのこと嫌になったとかじゃなくて、休み時間とかは一緒にいるし。でもさ、あいつ最近トオルと仲いいんだ。ショーコとも。おかしいだろ? とにかくヒロシはおかしい。それとセイジもおかしい。あとモモエ、アイツもおかしい」

 のり子は「マキと哲郎は?」と聞こうとして、やめます。

「何でみんなUFOのこと、あんなすごいこと、夢だったなんて嘘つくのよ」

「さぁな」

 ハモンは急に向きを変えて強い力でボールをゴールに向かって蹴り込みます。

「ゴール! ふん。あいつらなんか知ってるけど、隠してるってことだろ」

 そしてのり子の方に向き直って言います。

「ただ赤いロボットに乗ってああいうのと戦うのはオレだ。ま、お前もたまには乗っけてやるよ。あ、おい遅いぞ哲郎!」

 昼下がりの校庭に、哲郎がやってきます。ただ一人ではありません。その腕にはやっぱり、ニコニコ笑顔のらーめんがくっついています。

「何でそいつを連れてきたんだよ!」

 哲郎は困ったように「ごめん」と謝ります。対してらーめんは強気です。

「あら? アタシを仲間外れにして良いの? アタシ昨日屋上で赤いロボット、見たけど」

「何ぃ!」

 のり子はぎゅうっと眉間にシワを寄せてらーめんを睨みます。

「アンタ、哲郎と一緒にいたいからって嘘ついてんの?」

「失礼ねメガネザル! それにアタシ、その赤いロボットとUFOに関係がある人、知ってるわよ」

「誰だよ!」

 ハモンがらーめんの言葉に飛びつきます。

「どうしよっかなぁ。じゃあ、教えるから仲間に入れてくれる?」

「仕方ねぇな」

 のり子は思案します。らーめんは、UFOのことを隠さない。

「じゃ、決まり。今からそいつの家に行きましょ」

「あ? 誰だよそいつ」

 らーめんはニヤリと笑って答えます。

「サイバー」


 四人は住宅街にある一軒家の前で立ち止まります。表札には「斎賀」と書かれていて、庭には綺麗な春の花がたくさん咲いています。

「これがサイバーん家かよ。似合わねぇな」

 あの陰気で鋭い目つきのサイバーが、こんなお花畑で暮らしているとは到底思えません。

「らーめんはどうしてサイバーの家を知ってるの?」

「アタシの家中華屋さんでしょ? だから出前で何度か来たことあるの」

「誰がチャイム押すのよ?」

「じゃあお前だろ」

 ため息をついて、のり子がチャイムを押します。のり子だって、あのサイバーとこれからやり合うと思うと力が入るのです。中から緊張をほぐすようなパタパタかける音と、「はーい」と間の抜けた様な返事が聞こえます。

「あら? あらあらあら? まぁ可愛い中華屋さん!」

 中から出てきたのは、サイバーとは似ても似つかぬ優しそうなおばさんでした。眼鏡をかけているところだけが、唯一の共通点でしょうか。

「おばさま! 毎度どうもありがとうございます。あの、今日は出前じゃなくて、その、電一君に用事があって……」

 らーめんがよそ行きの声で答えます。

「あら、電一にこんな可愛いお友達がたくさんいたのね。あら!」

 サイバーのお母さんがのり子の顔をじっと見ます。

「まあ、こんな可愛い女の子まで」

 何だか調子の狂うお母さんです。可愛いなんて言われると、さすがののり子も照れてしまって、「あの、電一君は!」と大きな声が出ます。

「ま、ごめんなさいね。電一は今留守にしてるの。さっき一太郎ちゃんと一緒に出かけたばかりよ」

「一太郎?」

「最近帰りが遅いと思ったら、そういうことなのね。うふふ。みなさんも電一と遊んでくれるのは嬉しいけれど、暗くなる前にお家に帰るのよ」


 サイバーが家にいないとなれば、街の中を探すほかありません。

「おばさまの言ってた、一太郎って誰?」

「うーん、小太郎君と勘違いしてるのかな?」

 クラスで一番の美少年、ココア色の肌の小太郎は、男子よりも女の子の花と大の仲良しで、とてもサイバーと放課後遊ぶような仲じゃありません。

「小太郎だとすれば、人間関係ってわからんもんだな」

 しかしサイバーが家にいなかったのはかえって好都合かもしれません。きっと正面から聞いたってサイバーは何も教えてくれないでしょう。彼はそういう少年なのです。怪しいのなら、決定的な証拠を掴むまで尾行して、その直後に声をかけるのが有効でしょう。

「ねえここ、キョンシーと赤い女が出た道じゃない?」

 街を練り歩けば、一昨日のあの恐ろしい現場にだってたどり着きます。

「しっかしあの赤い春麗、無事だったよな?」

 ハモンの疑問に哲郎が慌てて答えます。

「きっと無事だよ。あの人、強そうだったもん」

「あのキョンシーも一体何者なの? それもサイバーは知ってるわけ? ああもう頭が煮えそう! 何を先に調べたら良いのよ」

 この数日で、あまりに不思議なことが起こりすぎて、賢いのり子ですら解決のための優先順位をつけることが出来ません。

「そもそもアンタ、なんでサイバーが赤いロボットやUFOに関係あるのか、そろそろ教えなさいよ」

 のり子とらーめんの相性は最悪です。哲郎はハラハラしながら「その、らーめんは昨日屋上で機械を動かしてるサイバーを見たんだよね?」と間に入ります。

「哲、そうなの。で、その時赤いロボットが空を飛んでたってわけ。ね? アイツが操ってるのよ、ロボット」

「UFOは? UFOもサイバーが機械で操ってるの?」

「それは……違うと思うけど」

 らーめんが言い淀むのを見て、のり子が詰めます。

「なんでよ。なんでそう思うの? アンタ、本当は何見たの?」

「の、のり子、そんな言い方じゃらーめんも本当のこと話せないよ」

「アタシを疑ってるわけ?」

「そうじゃなくて、本当にサイバーが犯人なのか知りたいだけよ」

 ヒートアップする議論にハモンが割って入ります。

「おいおい早く現場検証しようぜ。オレはあのおねえさんにまた会いたいからよぉ。仲間に入れたんだかららーめんも真面目にやれよ」

「赤い女のことなんて別にいいじゃない。そりゃ美人で強くてカッコいいかもしれないけど、まずはサイバーでしょ」

「アンタ、何で赤い女のこと知ってるの?」

 とっさに噛みつくのり子に対して、らーめんは涼しげに返します。

「哲に聞いたのよ」

「とにかく虱潰しに探すぞ! おねえさんの髪の毛一本あれば、オレは嬉しい」

 ハモンが赤い女の髪の毛を欲しがることにすら、今はのり子を苛立たせます。

 四人は地面を這うようにして一昨日の痕跡を探しますが、なんにも見つかりません。本当に何の変哲もない、人の暮らしの気配がする平和な住宅街です。

 哲郎が遠くの方を探すふりをしてらーめんから避けるように、小さな声でこっそりのり子に尋ねます。

「ね、ねぇ、のり子は学校の七不思議、全部知ってるの?」

「……知らないわよ。何でそんなこと聞くの?」

 本当に唐突な質問です。哲郎は続けます。

「赤い女は七不思議を全部知ってる子どもを迎えに来るんでしょ。ぼくもハモン君も知らないから、もしかしたらって……」

 哲郎のひそひそ声に、のり子も囁くように返します。

「そういうことか。でも私だって全然知らないのよ。あの女の人、私たちに家に帰れって言ってたし、誰か別の子どもを探してるのかも。例えば」

「例えば?」

「例えば、サイバーとか……馬鹿馬鹿しい。忘れて」

「そうだよね。ぼくなんかを迎えに来ないよね」

「どういうこと?」

「あ、哲! 何話してるの?」

 哲郎が悪さを見つかったようなバツの悪い顔をして、「学校の七不思議、のり子何でも知ってるから知らないかなぁって……」とらーめんの方に近づきます。

「七不思議? 四時四十四分に、旧校舎が四階建てになるってやつ?」

 それは初めて聞く七不思議です。哲郎は慌てて、「他にも七不思議知らない?」と尋ねます。

「他は知らない。どうしてそんなこと聞くの?」

 らーめんは心底不思議そうに哲郎とのり子の顔を見ます。

「ううん。その、赤い……赤いロボットとかキョンシーとかって、学校の七不思議かなぁって……」

 らーめんはくすくす笑って哲郎の腕を取ります。

「キョンシーは学校の外の出来事なんだから、学校の七不思議じゃないわよ。それに赤い女だってもうこんなとこ探したってなんにも見つかりっこないんだから。早くサイバー探しましょ、ほら」

 赤い女探しを諦めた一同は街の中を歩き回りますが、なかなかサイバーは見つかりません。代わりに、探してもいない他のクラスメイトたちを何人も目撃します。そのほとんどが珍しい組み合わせです。男子と女子が混在した、何の共通点もないグループ。中にはあの怪しいヒロシとトオルとショーコの組み合わせだってあります。ショーコが、一緒にいるところを見られたことがよっぽどまずいと思ったのか、撃たれたように放心して立ち止まります。

「お前ら珍しい組み合わせだな」とハモンがよそよそしく問えば、相手も気まずそうに「お前らだって」と返ってきます。

「なぁ、お前らサイバー見てないか?」

「サイバー? 見てない。なぁ?」

 坊主頭のヒロシが他の二人に問いますが、髪をくるくるいじっているトオルは「知らないねぇ」と言いますし、ショーコはじっと黙ったまま動きません。誰もサイバーの目撃情報を持っていないようです。

「しゃあねえな、学校に戻るか」

「は? なんで学校なのよ?」

 ハモンは、ずっと言いたくてたまらなかったのでしょう、鼻を広げて言い放ちます。

「言うだろ、犯人は必ず現場に戻るってな」


 しかして、ハモンの予想は的中します。小学校に戻れば、ぽつんとたった一人で校舎の周りを入念に、何か調査しているサイバーがいたのです。怪しいのはそれだけじゃありません。一人きりのはずなのに、まるで他に誰か相手が存在するかのように喋っているようなのです。

「アイツ、なんか気持ち悪いな」

「馬鹿、これ以上近づいたら気づかれるわよ」

「誰と何を話してるんだろう?」

 四人が身を潜めている校庭の遊具の影からでは、サイバーが何を話しているのか、うまく聞き取れません。「これじゃ埒があかねぇな」と、ハモンがいきなり飛び出して校舎の影に移動したので、三人も慌てて追いかけます。

 呼吸を整えて耳を澄ますと、話し声がはっきり聞こえます。校舎の角から顔を出せば、すぐそこにはサイバーがいるのです。

『ねぇサイバー、もう諦めようよ。部品はもう残ってないったら』

 どこか機械的で甲高い、そして今まで聞いたことのない声がします。

「うるせえ。学校は絶対何かあるんだよ」

 こちらはサイバーのいつもの不機嫌そうな声です。サイバーは、四人の知らない誰かと喋っているようです。

『あーあ、早くお家に帰ってサイバーのママに画面を拭いてもらいたいなぁ』

「ママママママママうるせえ。本当のママのところから家出してきたくせに」

『ひん! ヒドイやサイバー! それは言わない約束なのに! もう怒った! もう知らない! ん?』

「おいどうした?」

 校舎の影から顔を出しすぎないように、ハモンが目を凝らします。

「アイツ、腕時計と喋ってんのか?」

「そうみたい。あれ、通信機なのかな?」

 サイバーが顔に近づけるように持ち上げている左腕には、大きな腕時計のようなものが付いています。先生に注意されても外してこない腕時計で、いつも肌身離さずつけているものですが、今日は腕時計から小さなテレビ画面のようなものがくっついていて、何やらそこに向かって話をしているようなのでした。

『駅前でたくさんの人が暴れてる! 電気信号はキャッチ出来ないけど、もしかしたら、ボクのママたちと関係あるかも!』

「……わかった。偵察しに行くぞ」

『発明して、サイバー!』

 ここからが、信じられない光景の始まりです。サイバーがポケットから数枚のフロッピーディスクを取り出すと、それを小さな機械の中にカチカチと入れていって、ケーブルで腕時計とつなぎます。

「もう発明は済んでる」

 サイバーが吐き捨てるように言うと、彼の目の前に機械の部品を固めて作ったような大きな立方体が突然現れます。灰色と、電子回路の緑の立方体です。それが空中でバラバラ崩れていきながら、同時に別の形に組み上がっていくのです。

「な、なんだ!」

 驚きと興奮が収まらないうちに、サイバーの目の前には新しい機械が誕生しています。形は台車とか、ランニングマシーンに似ています。その荷台の部分(ランニングマシーンなら走る部分です)にサイバーが足を載せて、何やらいろんなスイッチをパチパチ切り替えています。最後に腕時計についた小さなテレビ画面を外して持ち手の棒部分にセットすると、機械の台車がブオンと機械的な音を立てて宙へ、小学校の屋上なんかよりもっと高い場所まで浮かびます。

「アイツ、飛んだ……」

 そのまま空飛ぶ台車は、サイバーを載せたまま静かに駅の方角へ飛び去っていきました。そんなものを見てしまっては、空を見上げて追いかけるしかありません。

「とにかく追いかけるぞ!」

 どんなスピードで走ったとしても、サイバーに追いつくことは出来なかったでしょう。学校はフェンスで囲まれていますから、空と違って一直線には進めません。校門から出て少ししたところで、空飛ぶ台車を見失ってしましました。

 ただ、腕時計は駅の方で人が暴れていると言っていたのですから、サイバーも駅に向かったはずです。

「急げ! 絶対アイツの正体を掴んでやる!」

 駅までの道を、がむしゃらに走ります。自転車の人とぶつかりそうになって、怒鳴られたって、はやる気持ちがスピードを落としません。


 第五場


 駅の近くまで走りきれば、大人の叫ぶ声が聞こえはじめます。明らかにおかしい。何かが起こっている空気の震えを、身体が感じ取ります。

「石鹸をくれぇ! 目玉の虫を殺す!」

「本が喋ったんだよぉ! 山手線に!」

「人形って熱ぅいのよ! またお邪魔しますからね!」

 駅前広場で、たくさんの大人たちが暴れています。みんななにか一心不乱に意味不明なことを叫びながら、壁を蹴ったり、電柱を叩いたり、お店の商品を投げて壊したりしています。転倒したパトカーの上で、警察の人がジャンプします。

「何よコレ!」

 叫んだって状況は理解できません。

「サイバーは?」

「あ、あそこ!」

 哲郎が指差した夕方五時の時計台の上に、人が立っています。ただそれはサイバーではありませんでした。背の高い男。大人です。

「サイバーじゃない、けど、何だ?」

 男は、髪をオールバックにしていて、なんだか顔色も悪く、その上真っ黒で長いコートを着ていて、見るからに怪しい感じです。

「どうやってあんなところに登ったんだろ」

「なあ女の爪ってあるだろ? テレビで見たことあるか?」

「はい?」

 後ろから意味不明な質問をされて振り向けば、太った男の人です。ただ、手にはボロボロに折れた傘を持って、目の焦点が合っていません。しかもよだれで顔中がびちょびちょです。こんな時は恐怖で固まっている場合ではありません。男の人は哲郎を目がけて、傘を振り下ろします。

「危ない!」

 ハモンが叫んで哲郎の手をひきます。時計台に気を取られていた間におかしな大人はどんどん増えて、離れて見ていた四人のそばにも迫っていたのです。

「逃げて!」

 無数の暴力から遠ざかるために、必死に腕を振って逃げ惑います。腕が、子どもたちを掴もうとします。投げられた鞄が、頭を壊そうとします。罵声が、恐怖で足を絡めて転ばせようとします。ハモンとのり子の背中を見ながら、一番足の遅い哲郎が大人に後ろから抱きかかえられます。捕まった。もう間に合いません。思わずぎゅっと目をつぶります。その時です。

「赤い女!」

 ハモンの叫び声に目を開くと、哲郎を抱きかかえていたのは、あの赤い女です。女の暖かい身体に、哲郎の背中がじんとします。だけどホッとしていられるのも束の間です。突然すごい勢いで身体が上昇したのです。足のつかない恐怖。女がジャンプをしながら、花屋さんの屋上に哲郎を運んでいるのです。

「哲、大丈夫?」

 泥が溜まった屋上に、赤い女は優しく哲郎をおろします。

「う、うん! あの、ハモン君とのり子もお願いします!」

「待ってて!」

 屋上から飛び降りた赤い女は、逃げ回るのり子とハモンを順に捕まえると、哲郎と同じように屋上におろします。

「赤い女、生きていた!」

「これで全員ね」

 のり子が必死になって、赤い女にすがるようにして言います。

「待ってください! 友達がまだ一人いるんです!」

「え?」

「らーめんっていう女の子なんです! 髪が長くて、き、綺麗な子で、今日は水色のワンピース着てて、おねえさん、お願いです。その子も助けて!」

 必死なのり子の様子に、赤い女は圧倒されたのか少し固まって、ちょっと思案して、それから「良いわよ」と優しく笑いかけます。

「お願いします!」

 赤い女はそのままびょいっと地面に向かって飛び込むと、暴れまわる大人の渦の中に消えていきます。子どもたちは屋上から覗き込むようにその様子を見ていましたが、女の姿をすぐに見失ってしまいます。

「おい! あれ見てみろ!」

 ハモンが指差す方を見ると、気味の悪い男がお腹を抱えて笑っています。まるでこの状況を、楽しんでいるようです。

「あの人も、おかしくなっちゃったのかな……」

「なんか気持ち悪い」

 らーめんの声です。振り向けば、さっきまでいなかったはずのらーめんが、いつの間にか屋上に来ていたのでした。傷一つなく、元気そのものです。

「良かった、アンタ無事だったのね……」

 ほっとして泣き出す一歩手前ののり子の態度に、らーめんは恥ずかしさを隠すように素っ気なく言います。

「ふん、大袈裟すぎ」

 遠くからサイレンの音が聞こえます。

「来た! 来た来た来た来た、僕の女の子たちが!」

 花屋の屋上からは時計台のてっぺんがよく見えます。気味の悪い男が嬉しそうに手を叩くと、サイレンの音がどんどん大きくなります。

「今度はなに!」

 サイレンは下から聞こえるのではありません。遠くの、空の方から聞こえます。見れば、空飛ぶ乗り物が赤色灯をチカチカさせながらこちらに急接近しているではありませんか。

「サイバーか?」

 近づいてくる空飛ぶ乗り物は、サイバーの空飛ぶ台車ではありません。しかも二台です。

「違う」

 乗り物には人が乗っています。一人ずつ。それも、派手で明るい、アニメみたいな格好の。

「女の子だ!」

 謎の飛行人が花屋の前を通り過ぎた時、四人は女の子の顔をばっちり見てしまいます。丸い眼鏡の柔らかそうな女の子と、ココア色の肌の美少女です。彼らはその正体を知っています。だって。

「小太郎と、花!」

 だってクラスで一番の仲良しペア、小太郎と花なんですから。

 ハモンたちには目もくれずに花屋の前を通り過ぎた彼女たちは、時計塔の前で滞空すると仲良くセリフを分けるように、男に向かって名乗りをあげます。

「そこのアンタ! 悪さをしようったってそうはいかねぇ! ボクたちパトロールエンゼルがぁ」

「赦しませんことよ!」

 二人がバシッとポーズを決めると、なんだが空が虹色に眩しくなります。

 唖然とするハモンたちをよそに、男は嬉しそうに笑い声を上げると、花に向かって指を差します。

「メガネっ娘のポプリちゃん」

 花は、いつもの花ではありません。真っ白でふりふりリボンの看護婦さんのような格好に、手には何かバトンのような、魔法を使う女の子のステッキのようなものを持っています。そしてその顔つきが、険しいものだから恐ろしい。

「ボクっ娘のココアちゃん」

 男が続いて指差した小太郎も、いつもの小太郎ではありません。婦警さんのような格好で、同じくステッキを手にしています。その姿は期待と自信に溢れて、タイトスカートもばっちり似合ってしまうのだから、男の子がスカートを履いているなんてからかったりする隙なんて、イチミリたりともありません。

「可愛いね、嬉しいよ。君たちに会うためだったら、僕は何だってする……」

 男はうっとりとため息をつきますが、花はステッキを男に向けたまま、いつもの様子からは信じられないような強い声で言います。

「あなた、しつこすぎます!」

 そんな花の剣幕にも、男は喜びに打ち震えます。

「嬉しいね。嬉しいよ。今日も会えたんだ。なぁみんな、もっと祝福してくれ。もっと大騒ぎしてくれなきゃ」

 そう言って男が地面に向かって手をかざすと、暴れまわる大人たちの身体が突然激しく痙攣して、そうしてからもっともっと、強い力で暴れまわります。空からみるその姿は、とても人間の集団のようには見えません。

 壁が壊れて、花壇が荒らされます。

 叫び、泣き、必死に暴れるまわる大人たちの身体から血が流れるのが、花には許せません。素早くステッキを男に向けると、男の周りを大量のシャボン玉がぐるりと囲みます。

「ポプリシャワー!」

 しかし男は余裕の笑みで、感心したように花に言います。

「そうか、ポプリちゃん。君の心はここで走り出すのか」

 男が左手をかざすと、シャボン玉がパチパチ割れていきます。その後小太郎のステッキからビームのように光が放たれますが、男の目の前で消滅します。変な乗り物を乗り回しながら諦めず何度もステッキを向けますが、男が二人の方に手を振りかざすと、見えない力に二人は乗り物ごと花屋の方へ飛ばされて、ごろり、と屋上に身体が放り出されます。

「ちょっと大丈夫なの!」

 女の子の声がします。花屋の屋上には先客がいたのです。

「うっそハモンたち! 何で屋上なんかに!」

 小太郎が驚くのを無視してハモンが駆け出します。そのまま屋上のへりに立って、風を受けながら片目をつぶると、パチンコで男に狙いを定めます。

「くらえ!」

 パチンコから飛び出たかんしゃく玉は、男がじろりと睨むだけで虚しく消滅してしまいます。

「ふふふ。エンゼルたちのクラスメイトかな? そういうの、良いよね。エンゼルたちがクラスメイトを救う話。おや」

 男は宝物を見つけたように目を大きく開きながら息を飲んで、突然こちらに向かって右手を向けます。それからは抗えない力。らーめんの身体が見えない力に首を絞められて、操られたように宙に浮かびます。

「らーめん!」

 哲郎が叫んだってなんにもなりません。空中に持ち上げられて、ピタッと止まったその身体の周りにバチバチ光る電流が、球体のようになって彼女を包み込みます。

「きゃああああああああああああああ!」

 らーめんは高い叫び声を上げながら、首を引っ掻くような仕草でもがき苦しみますが、電流は彼女を殺すこともせず苦しめ続けます。

「君もすっごく可愛いな。苦しみの中で、ひときわ輝くな。そうか。新しく、選んであげたっていい」

 意味不明な発言に、のり子は恐怖と、そうしてそんな場合じゃないのに、とっさに言葉にでは追いつかない、何かこの男に突き放されたような、無視されたような、選ばれなかった悲しみが、理解するより先に身体の周りの空気をずどんと重たくさせます。

「小太郎さん、行きましょう!」

 勇ましくブーツのかかとを鳴らして立ち上がる花とは対称的に、小太郎はおたおたと女の子ずわりのまま心配そうに尋ねます。

「でもでも! ボクたちって正体がバレると! バレると、どうにかなっちゃうんだっけ?」

「そんなもの、助けるのが先です! それにみなさんきっと明日には忘れます!」

 のり子の重く沈んだ脳みそに稲妻が駆けます。忘れるって、どういうこと!

「でも花、ハモンは昨日のUFOのこと覚えてたんだよ!」

「それはきっとあのUFOさんが、私たちの敵じゃなかったからですよ! 小太郎さん、行きます!」

 花がそこまで言うのなら、小太郎だってハイヒールのかかとを鳴らして、すっくと立ち上がります。

「わかったよ! このボクたちが、負けられるかよ!」

 小太郎と花が、空中でステッキを交えると、声を合わせて叫びます。

「「パトレイン、エナ、ジィィィィ!」」

 突然夕方の駅上空が、カッと明るくなります。二人の交差したステッキから、虹色の光が放たれて、男に襲いかかります。男は光の中で身体を屈めて叫びをあげますが、二人のステッキは男が倒れきるまで、光を放ち続けることはできません。光がやめば、男は肩で呼吸しながら乱れた髪をオールバックに戻すように手でかきあげて整えます。

「僕のエンゼル、強くなっているな……」

 男は少し面食らったのか、驚いたように言って、でも表情をすぐ元通りにすると二人をじっとり見つめます。

「もうこんな時間か。女の子は家に帰る時間だね。またね、ポプリちゃん、ココアちゃん。いつか逮捕してくれ。でも君たちじゃ、僕は倒せないんだよ。君たちを選んだのは誰だったっけ? ふふふ、一生やっていようね。一生」

 男が気持ち悪くそう言い残すと、その姿がまるで突然燃え上がったように、時計台の上から消えてしまいます。いくら目を凝らしたって、跡形もありません。男の消失と同時に、らーめんの身体が自由になって屋上の上にドサッと倒れ込みます。駅前広場の人たちも、暴れるのをやめて、みんな脱力してどこか一点を見つめています。哲郎が慌ててらーめんに駆け寄ると、肩に触れます。らーめんは浅い呼吸を繰り返していますが、目は闘争の炎で燃えています。

「哲、大丈夫……何アイツ」

 休んでいる暇はありません。不思議は次々と、子どもたちの前に現れます。男の消失の代わりに、今度は空が鳴り始めます。

「今度は何だぁ」

 いろんなことが毎日いっぺんに起こるのが、状況を冷静に理解するのを妨げます。

「黄色い、ロボット……」

 小太郎が、ぽかんと口を開けて言います。空には、飛行機でもヘリコプターでもない、人の形に似た巨大な黄色いロボットが飛んでいるのでした。

「あ、あれ! オレが見た赤いロボットの、仲間!」

 ハモンが声を出した時には黄色いロボットが展望公園のある裏山の方へ飛んでいきます。

「展望公園の方ですね! ではみなさん、私たちは現場に急行いたします。ごきげんよう!」

 花が乗り物のスイッチを押すと、サイレンがけたたましく鳴り出します。まるで救急車、みたいです。小太郎が「じゃね」とアイドルのようににっこり笑顔で敬礼して、乗り物が展望公園の方へぐるりと方向転換を始めたので、のり子が慌てて声をかけます。

「あ、ありがとう! その、小太郎と、花?」

 アニメの二人が振り返ります。辺りを吹きぬける風だって二人の味方です。キラキラと、うつくしい。そして「お礼なんていいんです」と花もいつもののんびりした口調と笑顔で敬礼します。

「明日になったら、みなさんすっかり忘れていますわ」


 第六場


 もう外は暗くなり始めていますけれど、小太郎と花が裏山の展望公園の方に飛んでいったとなれば、たっぷり震えた後の身体でも追いかけるのがハモンたちです。

 公園に続く階段を、息を切らして登りきれば、先に着いた花と、こんな遅くに何故か偶然居合わせた委員長のセイジが、激しく言い争っています。

「なんでこんな時間に、こんなカッコで、可愛いが、なんで……花!」

「セイさんごめんなさい、私たち先を急いでいるんです。あの時私を助けてくれたあの青いロボットが、見つかりそうなんです!」

「青いって、なんでまだ覚えてるんだ……!」

 委員長のセイジが花の肩を掴みます。強い力をかけられたって花は怯みません。

「離してください! セイさんは青いロボットの話をするとすぐムキになる! どんなに諦めろとおっしゃったって、私は探すのを諦めません!」

 次に驚いたことは、ポツポツと街灯のついた公園にいるのは、花やセイジだけではなかったことです。夜の公園に大勢の子ども、それも全員五年三組の生徒です。みんな言い争う二人を、遠巻きに眺めています。群れの中にはあのサイバーだって、います。

「アンタ達、なんでここに集合してるわけ?」

「みんな同じものを探しに来たのでござるよ。ほらあれ」

 指差す方向から、ものすごい音を立てて黄色いロボットが公園の上空を横切ります。子どもたちはみんな、スピルバーグの映画のように風と光を受けながら、上空を見上げます。

「黄色い、ガンダムじゃん」

「ガンダムっていうのはああいうんじゃない……」

 ものすごく巨大で、ものすごく不思議な鉄の塊です。それが遠く、目で捕まえられない程に小さくなれば、五年生たちの視線は自由になります。ハモンはサイバーに詰め寄ります。

「おいサイバー! わかってんだぞ、お前だろ! 何だよあの黄色いロボットは!」

「違う。あんなものは知らん。知ってるなら新免蘭子だろ」

 サイバーは冷たくあしらいながら、らーめんを睨みます。

「な、何よ! なんでアタシがロボットなんか!」

 らーめんは動揺したように叫びます。哲郎の腕を掴む手に、力がかかります。

「お前、なんか変な女に変身できるだろ」

「あ、う……」

「変な女って、アンタ、何?」

 のり子がらーめんの顔を覗き込んでも、何も答えません。代わりにらーめんの目は怒りに燃えて、サイバーを睨み返します。

「違うのか、それじゃ北村花か? 南小太郎か? 西野青嗣、お前らが無線で通信しいてるのをこっちは一度傍受してるぞ」

 サイバーが公園の中をぐるりと見渡します。

「お前ら、全員怪しいんだよ」

 全くもって彼の言う通りでした。公園に集合したクラスメイト達はいつもと違って異様です。ゴーグルと光線銃を構える者、大きな剣を引きずっている者、巫女のような格好をした者、動物の耳やしっぽが生えた者、そして雪のように真っ白な忍装束を着た者。その正体が誰なのか、はっきりわかります。だってその全員が毎日一緒の教室で過ごしているあの、クラスメイト達なのですから。

「教えろ。あの黄色いロボットの正体はなんだ?」

「……キヨだよ。キヨが操縦してる」

 サイバーの刺すような言い方に、覇気のない少年が諦めたように白状すると、委員長が「アカヤ!」と彼の名前を怒鳴ります。

「……もう無理だよセイジ君、いつかバレるよこんなの」

「そんな、あんなのをキヨが動かしてるの……?」

 誰かが愕然とした様子でつぶやくのが聞こえます。キヨというのはクラスで一番のチビで、一番幼さが抜けない泣き虫の女の子です。あんな、あんな子どもが!

「……そうだよ、街でロボットを操縦しているのは僕たちなんだ。セイジ君とミドリ、モモエとキヨ。そして僕が……僕が赤いロボットのパイロットだ」

 その告白が、ハモンの心に電撃を走らせます。

「赤いロボット!」

 ハモンが、少年の胸ぐらに掴みかかります。そうしてそのまま、怒りに任せて言葉を浴びせます。

「赤い! なんで、なんでお前なんかが!」

「……僕たち、選ばれたんだよ」

 アカヤと呼ばれた少年は生気のない瞳でハモンを見つめます。ハモンとは正反対の、全くガツガツしていない、その目。

「じゃあなんだ」

 胸ぐらを掴む力が緩むと、アカヤは気怠げにその手を外して服を整えます。心に走った電撃が、だんだん、やけどになっていきます。掴む場所がなくなったハモンは、公園の地面に膝をつくと、震えた声を吐き出します。左にはのり子がいます。右には哲郎がいます。公園には、異様なクラスメイトたち。最悪のクラス替え。

「オレたち、選ばれなかったのかよ」

 そうよ、とのり子は変に冷静になってハモンの力の抜けた背中を見下ろします。私は結局選ばれない。私には、価値が無い。

 四月の夜は、まだまだ肌寒くって、誰かの心を寂しくさせるには、十分すぎるのです。


 幕。

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