第二幕 激闘! らーめん同好会

第一場


小学生なのだから、夜のコックピットで宿題だってやります。小さな宇宙の様な闇の中で、レーダーや何かいろいろなものがポツポツポツポツ光るのがうるさいけれど、時間が足りません。青いスーツのパイロットは、僕らは忙しすぎるんだよ、と思います。

座り込んだ時にちょうど胸の辺りにある、小さなモニターの上に計算ドリルを置いて、算数の問題を解きます。パイロットは文章問題で女の子が出てくれば、心の中で名前を「花」、と読み替えています。

闇の中のどこかがまた光って、通信が入ります。右側のモニターに少年の顔が映し出されて、青いパイロットの右頬に光が当たります。少し沈黙があって、覇気のない少年の声が流れ込みます。

『……セイジ君、裏山の方は以上なし』

「ありがとう、そろそろ変わるよ」

『……いや良いよ、宿題終わった?』

「あと漢字ドリル」

『……キヨが見たって言うの、間違いだったのかな?』

「わからない。八時になっても見つからなかったら、今日はもう諦めようか」

『……了解』

 青いパイロットが、手元の色とりどりのスイッチをパチパチ押し上げて言います。

「全員通信聞こえてるか? 八時になっても見つからなかったら、今日はもう帰ろう」

 バラバラと『了解』という子どもの声が聞こえます。

『でも本当に見たんだもん!』

 幼気な女の子の声も聞こえます。

「わかってるよ。だからこうして探してるんじゃないか。でもみんなちゃんと宿題終わったのか? 僕らの本分は勉強なんだ」

『あーもうはいはい、大丈夫だよセイジ』

「はいはいと言うな!」

『はいはい』

『ちょっと! 警戒態勢中に何喧嘩してんのよ!』

 青いパイロットのコックピットには歴史年表が貼ってあります。縄文時代があって、弥生時代があって、ずーっと行くと江戸時代、明治時代、大正、昭和、そして平成です。今は一九九三年の四月ですが、年表には記載がありません。ですがこの年この街で、どんな歴史にも負けない、あることが起こるのです。

『ちょっと待って、あれ、キヨが見たやつだ!』

 幼気な女の子が、沸き立つように言います。

「どうした?」

『スーパーの屋上! あれ、みんな見えない? モニターに映すね!』

 突然、青いパイロットの正面の大きなモニターに、ズームされたスーパーの屋上が映し出されます。はっきりと、何かはわかりませんが、もじゃもじゃとして邪悪で巨大なものがうごめいているのがわかります。

「怪獣だ! 発見地点と全然違う場所じゃないか! 移動が早いのか? みんな、ここからだと誰が一番近い?」

『はーい! キヨです!』

「アカヤは?」

『……行けると思う』

「わかった、ミドリとモモエはその地点のまま待機! アカヤと僕はキヨの援護にまわる!」

『了解!』

 青いパイロットがモニターの映像を切り替えると、急に辺りが明るくなります。コックピットの外は、何か倉庫のような場所で、急に電気がついたのです。突然、倉庫が揺れ始めます。床の一部が上昇して、パイロットの乗る乗り物を、持ち上げます。持ち上げた先には長い長い、射出台。

「発進確認完了! 問題なし、発進!」

 パイロットが両手で、二つのレバーを前に倒すと、重力に抗うものすごい力と爆音。乗り物が射出台を滑ります。吐き出された先は、空です。


青いスーツのパイロットは、巨大な青いロボットに乗って空を飛びます。

『キヨ、怪獣の真上に到達しましたー!』

「アカヤが来るまで手を出すな! 焦るなよ!」

 コックピットに、不気味で頭がチカチカするような音楽が流れ込んできます。

「アカヤ! 戦闘中は音楽切れって言ってるだろ!」

青いパイロットが叫んだって音楽は止まりません。サイドモニターが怪物の映像に切り替わります。明らかに凶悪で、この世のものとは思えない生物。

「……こいつら、本当に何者なんだ?」

 でも僕らは選ばれたのだから、戦う義務がある。

セイジはモニターを睨みます。五年三組の学級委員長が。


第二場


 昨日の信じられない出来事のおかげで、哲郎はすっかり寝不足です。父親が作ってくれた朝ごはんも、なかなかお箸が進みません。

「哲郎、食欲がないのか?」

「ううん、ちょっと眠いだけだよ」

 父親は哲郎の絆創膏まみれの身体や、ざっくり切れて変に立ち上がった頭頂部の髪を見て、お前、と言いかけますが、やめます。

「そうか。それじゃ、お父さんは先に仕事に行って来る。鍵閉め頼んだぞ」

 父親は笑って、仕事鞄を掴むと哲郎に向かって手をあげます。哲郎もうん、と笑って手を上げたところで突然、チャイムが鳴ります。

「こんな時間から、誰だ?」

 父親がリビングから姿を消して、ドアを開ける音が聞こえます。哲郎はのろのろと何回かお米を噛みますがなかなか飲み込めません。テーブルの上にはあとお味噌汁と目玉焼きも残っています。

「哲郎! 女の子が迎えに来てるぞー!」

 廊下から、父親の声がします。どうやら来訪者に、「上がって待っててね」、と言っているようです。

「誰だろう、女の子……のり子かな?」

 昨晩の、のり子の心配そうな声を思い出します。もしかしたら心配して迎えに来たのかもしれません。毎朝一番に登校するのり子が、自分のせいで遅くなってしまうかも、と思えば、朝食はそのままに廊下の方に飛び出します。

「のり子、昨日はごめん! 先行ってて良い……あれ?」

 だけど、廊下にいたのはのり子なんかじゃありませんでした。そこにいたのは同じクラスの新免蘭子という女の子です。髪が長くて目が大きくて、美人の。あの怖い、図書委員のらーめんです。

「おはよう、哲」

 ただ、とても昨日ポスター作成を哲郎に押し付けてばっくれた、あの不機嫌な少女と同じ人間とは思えませんでした。にこにこ笑顔で、首を少しかしげて、しゃらんと、髪の動きも美しい。まるで哲郎に好意を寄せているような。その上に、信じられないことまで言い出す始末です。

「一緒に学校行こ」


 もう何がなんだか理解できません。昨日からおかしなことばかりです。通学路を歩けば、他の小学生たちが驚いた様子で二人をじろじろ眺めます。らーめんは機嫌良さげに腕を絡めて、哲郎のことを「哲」と呼んで、あれこれ質問します。

「哲はどの料理が一番好き?」

「……カレーかな」

「好きな果物は?」

「……りんごです」

「じゃあじゃあ、好きなテレビは?」

「……あの、らーめん……、どうしたの急に?」

「急にって、何が?」

「いや、ぼくたち、朝一緒に学校行くことなんてなかったから……」

 本当はその不気味な機嫌の良さが一番の疑問ですが、「どうして今日は怖くないの?」とは聞けません。

「昨日はほんと、すごかった……」

「へ? 昨日って、ポスター? あれはのり子とセイジ君が」

 らーめんは急に立ち止まって哲郎の目をじっと見つめます。

「本当にわからないの?」

 今なら、彼女の美しい二重まぶたの溝まではっきり見えます。らーめんの顔なんてこんなに間近にじっと見つめることなんてありませんでしたから、視線をそらして答えます。

「……わからないって何が?」

 らーめんは笑い出します。

「もう! ううん、きっと絶対わかるから!」

 本当の地獄はここからです。ついに小学校のあの大きな校舎が見えてきたのです。小学校は今日も、燃えていません。


「哲郎、やっぱり家まで迎えに行ったほうが良かったかも……」

 教室では、絆創膏まみれののり子が、そわそわと落ち着きなく、窓の外を眺めます。同じく絆創膏まみれのハモンが、のり子の隣で窓に背を向けるようにして、手すりに肘をかけてもたれながら「まあ、もし今日来なかったら放課後アイツん家行ってみようぜ」と目を伏せて答えます。哲郎がいつもの時間に登校してきていないこと以外は、教室はいつも通りの朝でした。みんな、恐ろしいキョンシーが、この街にはびこっていることなど、知らないのでしょう。いつもの平和な教室です。坊主頭の少年が大慌てで教室に駆け込んで来るまでは。

「おい、大ニュース! 大ニュースだ!」

 教室にいる全員が坊主の彼に注目します。息を切って、少年は続けます。

「哲郎がらーめんと結婚した! 窓の外見てみろ、腕組んで登校してるぞ!」

「何ぃ!」

「哲郎が?」

「らーめんと?」

「結婚?!」

 子どもたちは我先にと窓際に群がります。校庭は朝からボールを蹴る人や登校してくる人たちで賑わいをみせていますが、校門の外、今まさに登校せんとする小学生たちの群れに、違和感があります。

「何、あれ? みんな立ち止まってる? いや、行列ができてる?」

「おい見ろあそこ! 哲郎だ!」

 小学校を目指す行列の先頭に、腕を組む男子と女子がいます。哲郎とらーめんです。校門を抜けて校庭に入ると、校庭の人だかりが左右に割れて、まるでモーゼが海を割ったよう。驚いて立ち止まった人たちが、この異常事態に付いていこうと行列に加わるので、列はどんどんと長く、立派になっていきます。

「ほんとに結婚だ……」

「いやいや、結婚というのはだなぁ!」

「でも何であの二人が?」


 行列の先頭にいる哲郎は、もう生きた心地がしません。校門を抜ければ自分とらーめんを見つめる顔、顔、顔が、校庭にも、学校の窓にも溢れています。らーめんは依然嬉しそうに、時にはこてん、と頭を哲郎に預けたりしながらご機嫌で歩いています。教室の窓から自分の名前を叫ぶ声が聞こえます。ここは地獄です。

「カシャカシャ! お二人の馴れ初めはなんですか?」

「パシャパシャ! お子さんは何人くらい?」

 下駄箱まで来れば、指でカメラの形を作った子どもたちがちょっかいをかけてきます。俯いて無言を通したって、記者というのはしつこいものです。

「いつから交際を?」

「無視するんですかぁ?」

「はいはいすいませぇん、取材は事務所通してくださぁい!」

 カメラから、自分を遮るように、集団の中に割り込んで来た人がいます。瞬間、哲郎の目は輝いて、すがるように彼の名前を呼びます。

「ハモン君!」

「はい押さないでぇ、階段通りますよぉ」

「そこ、道開けてくださぁい」

 ハモン以外にもクラスの何人かが輪になって哲郎とらーめんを取り囲みます。まるで容疑者にでもなったように、二人は自分の教室まで運ばれていきます。

 小学校は子どもたちの噂が血液みたいに通う場所です。教室の前だって、もう人だかりができています。けーっこん、けーっこん。

「アンタ、いい加減離れなさいよ」

 のり子が注意すると、らーめんは人が変わったように不機嫌になって言い返します。

「朝の会が始まるまでいいじゃない! 先生なの、アンタ?」

「らーめん、悪いけど荷物が置けないよ……」

「あ、ごめんなさい、哲」

 ぱっと、腕が離れます。らーめんは哲郎の言うことには素直に従うようです。

「急にどうしちまったんだよお前ら」

「アンタ達には関係ないでしょ!」

「それはそうだけど、教室の前がこの人だかりじゃ、君たち二人だけが我慢すればいいってもんじゃなくなるぞ」

 学級委員長がなだめたって、らーめんはふん、とそっぽを向いたままです。

「哲郎、本当に何があったの?」

 哲郎は返答に困ります。ぼくは嫌なのにらーめんが突然、と突き放すことだってできるのでしょうが、できないでいます。そんなことをしたららーめんはきっと、味方がいなくなってしまう。

「あの、これはその、ぼくが……」

 哲郎がまごついている途中で突然、キィィン、と何かを金属で弾いたような音がします。

「きゃあああ!」

 女子の悲鳴に、みんな一斉にそちらに顔を向けます。

「どうした!」

「次は何だぁ?」

「こ、これぇ!」

 驚いた女子の震えた指先を見れば、黒板に吸盤のついた矢が突き刺さっています。矢には何か白いものが巻かれています。

「これは、矢文でござるな」

 突然の事態にも平然として黒板の方に歩いてきた少年が言います。少し古風におどけたように話す彼は、きゅぽんと音を立てて矢を黒板から外すと、巻き付いた紙を広げます。

「雪之丞! なんて書いてあるんだ?」

「ままま、そう急かさず。ありゃ、字が汚い!」

 紙には、おそらく習字セットの墨と筆で書かれた大きな文字で、何か書いてありますが、乾ききる前に畳んで矢に巻きつけたのでしょう、字が汚い上にところどころ重なった場所に墨がたくさん染み付いていて、国語の時間の音読のように、スラスラとは読めません。古風な喋りの少年が、とぎれとぎれ区切って読み上げます。

「果、たし、状、宮、口哲、郎、殿、本、日、放課、後、校庭、で、持つ、待つ?」

「誰からだ?」

「らー、め、め? ん同好、会、会長、長田剛」

「らーめん同好会だって?!」

「長田?!」

 子どもたちが騒ぎ出します。それもそのはず、らーめん同好会とは六年生男子を中心に組織されたらーめんのファンクラブですが、この幕ノ内小学校で恐怖政治を行う一大組織であり、そして一番凶悪で卑劣な集団なのです。その被害は深刻で、特にPTA会長の息子でもある会長の長田君は醜悪なデブ――昨日公園で哲郎を蹴りつけたあの残忍な子どもですが、あの彼が今回の結婚騒ぎで怒り狂っているのでした。

「哲郎君、絶対行っちゃだめ……!」

「そう、死ぬぞ!」

「でも今回逃げたからって、逃げ通せるものなのかな?」

「決闘だ!」

「決闘って殴り合い?」

「哲、決闘するの? すごい!」

 もう叫びだして家に帰りたい気分です。どうしてこういっぺんに、いろんなことが起きるのでしょうか。

「あの、ぼく、ぼくは……!」

 朝のチャイムが鳴ります。

「何だお前ら教室戻れぇ! チャイム鳴ってるだろ!」

 担任の有馬先生が教室の外で大声を出すと、野次馬たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。

「先生だ!」

 先生は教室に入ると怪訝そうに子どもたちの顔を見回します。

「お前ら今日はどうしたんだ?」

「なんでもありません。きりーつ!」

 朝の会が始まったって、子どもたちの興奮や不安はおさまりません。落ち着きがない様子に、先生が注意深く子どもたちの顔を見ています。顔を見ればすぐわかることですが、教室の中に三人、昨日までなかった絆創膏が、増えていることだって見逃しません。

「みんな、昨日はポスター作成ご苦労様。ポスターのことで確認したいことがあるから、ハモンとのり子は二十分休憩になったら職員室に来てくれ。では一時間目、国語始めるぞ」

「えぇ! 何でだよ!」

 とんとんと、後ろの席の大人しそうな女子が哲郎の肩を叩きます。彼女の前髪は目が隠れるくらい長くて、どんな表情をしているかよくわかりませんが、いつも少し恥ずかしそう。おずおずと、何かを差し出します。

「あの、哲郎君これ、後ろから回ってきたんだけど……」

 手渡されたものはパンダの絵が描かれたピンク色の紙でした。複雑に折りたたんであって、大きなハートマークと一緒に「哲へ」と書いてあります。振り向くと、遠くの席のらーめんが嬉しそうにウインクします。ため息をついて紙を広げると、そこにはこう書かれてあります。


 哲へ 

二十分休憩になったら、赤い非常階段のところに来てください。絶対一人で来てね。蘭子


もう、目眩がしそうです。


第三場


 二時間目が終われば二十分間の休憩です。いつもなら校庭でサッカーをしたり読書をしたりしますが、先生に呼び出されたのですから、そうはいきません。

 ハモンとのり子が職員室に入ると、有馬先生は手を振って呼びます。職員室は、タバコ臭い。

「来たか、こっちに座ってくれ」

 二人は先生の机のそばに用意された椅子に座ります。さっそくハモンが悪態をつきます。

「ぼくたち、ちゃんとポスター作りましたぁ。早く遊びたいんですけどぉ」

「言うな。用があるのはポスターのことじゃない。お前たちに聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

「……お前らその怪我どうした?」

「……転びました」

「転んだ、どこで?」

「公園です」

「公園な。お前ら、昨日あの後三人で遊んでたのか?」

 先生がぐっと前のめりになって、二人に顔を近づけます。六年生と喧嘩したとなれば、親を呼ばれて怒られるでしょう。先生に嘘をつくのは悪いことです。ただ、嘘をつかねば、と思う自分がのり子の中にいて、とっさについてしまうのです。

「はい」

「……ハモンそうなのか?」

「そうでぇす」

「そうか。なぁお前ら、哲郎のこと何か知ってるか?」

 先生の目は真剣です。

「哲郎のこと?」

「そう。クラスの中だけじゃなくて、誰かからいじわるされてるとか、何か知らないか? 例えば、六年生とか」

「……何でそう思うんですか?」

「……哲郎、怪我が多いだろ。体育の授業で転んだりしていないし、怖がりで何か危険なことを進んでするような子じゃない。先生が聞いても、黙ってしまうし」

 のり子は思います。セイジが言ってたな、「有馬先生って名探偵なんだ」って。それなら。

「先生には正直に話します。最近私たち、赤いロボットを探してるんです」

「おいのり子!」

「赤いロボットぉ?」

「はい。先生知ってます? クラスの誰かが空に飛んでるの見たって言うんです。それでクラスもちょっと浮足立ってるっていうか。でも全然見つからなくて。毎日探してるんですけど……三人で探してると哲郎、ドジばっかですぐ怪我するから、だからあんな風なんです」

 ハモンが調子を合わせるように言います。

「あ、そうそう! こないだもアイツ塀から落ちて」

「塀の上に登ってるのか!」

 馬鹿ハモン。でもちょうど良い。

「あのな、ロボット探しは良いが、そんな危ないことするな! それに高いところに登って、お前たちだけじゃなくて他の人が怪我したらどうする!」

 怒らせたのなら、こちらの勝ちです。あとはシュンとして、謝るだけ。

「ごめんなさい」


職員室の外というのは、なんて新鮮な空気なんでしょう。思わず深く息を吸いこみます。

「何で嘘ついたんだよ」

「……六年生と喧嘩したって先生にバレて親に言われたって、そう簡単に解決しないわよ。親には怒られて、六年生にはもっとひどいことされて終わり。哲郎は、これから毎日私たちで守ってやれば良いのよ。らーめんも哲郎を気に入ってるみたいだし、少しぐらい役にたつでしょ」

「まあそれもそうか。あ? でも待てよ」

「は? 何よ」

「六年どもの支配も今日で終わりだぞ」

 ハモンがニヤニヤ笑います。

「教室戻ろうぜ」


 職員室での密談が行われていた頃、哲郎はらーめんの指示通り、校舎の外側に突き出た赤い非常階段を、カンカンと音をたてて登っていました。

「哲、来てくれたんだ」

 少し高いところから声がします。頂上で待っていたらーめんが、嬉しそうに笑います。

「……らーめん、きみ、本当にどうしちゃったの?」

「……本当にわからないの?」

 らーめんの顔が悲しげに曇ります。

「う、うん」

 そんな悲しい顔をされたら、なんとかしてあげたくなりますが、本当に検討がつかないのです。

「じゃあ、これを見ても?」

 突然、らーめんが掴んでいた自分のスカートの裾をめくりあげます。

「うわ! 突然何を!」

 哲郎はびっくりして、目をそらそうとしますが、間に合いません。見逃せない何かが、哲郎の視線を固定します。そう。彼女の左の太ももには、おびただしい量の絆創膏が、びっしりと貼ってあったのです。哲郎は慌てて尋ねます。

「らーめん、脚! 怪我、してるの?」

「う、ふふ、昨日もそうやって心配してくれたのよ?」

「え?」

 らーめんは、どこからともなく取り出した、大きくてふさふさした緑色の扇子をバシッと広げて、目だけが見えるように、鼻から下を隠します。その、アーモンドみたいな目。

「まだわかんない?」

「そ、それ! 赤い女の人の!」

「赤い? ああ、服が」

 アーモンドみたいな目が、きゅっと細められます。

「アタシね、大人に変身できるの」


 哲郎とらーめんは、赤茶けた非常階段に腰掛けて、話を続けます。らーめんの口からは信じられないことがたくさん語られます。

「あのね、欲しかったの、ジュリ扇」

 彼女の話によるとジュリアナで大人のおねえさん達が振る、あのふわふわの扇子が欲しくて家の倉庫を探していたら、綺麗な箱に入ったこの緑の扇子を見つけたとのことでした。ジュリアナのおねえさん達の扇子とは違いますけれど、程よくふさふさとして、何より汚くなかったので、嬉しくなってさっそく扇子片手に街を闊歩していたら、あのキョンシーが襲いかかってきて、そうして気づいたら大人になっていたのです。

「もうホントに怖くて、でもね大人になったらアタシ、すんごく強いの。見たでしょ?」

「うん、うん、本当にカッコ良かったよ」

「でしょ? でね、後でわかったんだけど、この扇子があると大人に変身できるみたいなの」

「へぇ……キョンシーは? どうしてこの街に来るの?」

「……わかんない。とにかく、アタシを探してるみたいなの」

「らーめんを?」

「うん。でもね、よくわかんないことはまだいっぱいあって。例えばね、キョンシーがいる時は街に人が誰もいなくなるの」

 確かにそうでした。昨日、哲郎たちがキョンシーと遭遇したときも、らーめん以外の人間に会うことができませんでした。でも、それならどうして哲郎たちはその場に居合わせることができたのでしょうか。

「らーめんは、いつから戦ってたの?」

「今月。まだ学校始まってなかったから、三週間くらい前かな」

「……怖くない?」

「怖いわよ! でも、アイツら倒さないと、家に帰っても、街のどこを探しても、誰も、誰もいないのよ。だからしょうがなく変身して、私、ずうっと一人で……」

 ずうっと一人、という言葉が、哲郎の胸をぐっさり刺します。

「だから私、哲が昨日一緒に戦ってくれて、本当に嬉しかった」

 ぎゅっと、らーめんがしがみつきます。哲郎はどぎまぎしながら答えます。

「た、戦ったって、あんなのただ、ぼくは……」

「あの時哲が投げたこれを受け取ったときね、アタシ、感じたの。あったかい……風? みたいな」

 らーめんの手にますます力が込められます。

「だからお願い哲! 私と一緒に戦って!」

「え!」

「お願い! 一人は……。あいつら、冷たくて、硬くって……お願い、お願い哲!」

 そこには、あの女王様みたいに強気ならーめんはいませんでした。ずうっと一人で、という言葉が、哲郎の胸から血を流し続けます。だから安請け合いだってしてしまうのです。

「……ぼくなんかで良ければ、良いよ」

「ほんと! うれしい!」

「でもぼくなんて、ほんと……」

「いいのよ! うれしい……そう、今なら……」

 らーめんは言い出しづらそうに下を向きます。

「哲、ずっと謝らなきゃって、あ、あのね、その昨日は私ポ」

 突然、らーめんがピタッと口を止めて、階段の下を覗き込みます。

「下に誰かいる。もう教室戻ろ」

 見れば、小さな一年生の男の子が、しゃがんで隠れているようでした。かくれんぼでもしているのでしょうが、さっきまで笑顔だったらーめんが、そんな小さな気配すら過敏に捉えないといけないことが、哲郎にはなんだか悲しいのでした。


 教室に戻れば、何やら大騒ぎの最中です。

「だぁから! 今のうちに倒しとくのが良いに決まってんだろ!」

「だからって、哲郎が怪我したらどうするんだ!」

「そうならないようにオレたちが一緒にボコボコにするんだろうが!」

「そうだ! ショーコが泣かされてんだぞ!」

 ハモンと坊主頭の少年が、委員長と何か言い合いをしているようです。

「どうしたの?」

 哲郎は腕を組んで聞いているのり子に尋ねます。

「哲郎! どこ行ってたの?」

「アンタには関係ない」

「らーめんには聞いてない。あのね、ショーコが……」

 ショーコ、と言われて教室を見渡すと、哲郎の後ろの席の、あの長い前髪の女子が机に伏しています。泣いているのか肩を震わせていて、数人の女子が囲んで慰めています。

「さっき、六年生に囲まれて小突かれたみたいで、怪我はないんだけど手紙、哲郎あての運ばされたのよ」

「手紙?」

「これ」

 のり子が、手に持った紙を哲郎に渡します。手紙には、またあの汚い字で、逃げるな、ですとか、腰抜け、雨天決行、なんて言葉のなぐり書きがある他に、大きな字で、「ルール」とあります。

「放課後の決闘のルールだって」

「そんな……」

「花! どういうつもりさ!」

 今度はハモンでも委員長でもない声が、大きく響きます。ココア色の美少年、小太郎が叫んだのです。

「ですから、皆さんで力を合わせて、六年生に立ち向かうべきだと言っているんです!」

「花までそういうことを言う! でも花、なんで?」

「それもこれも、傷つく人をなくすため……そして何より、哲郎さんが蘭子さんを想う気持ち、愛のためです!」

「愛?」

「愛!」

「やだ」と、らーめんが恥ずかしそうにほっぺに手をあてます。

「花、そうか……」

「セイジって、花に甘くねーか?」

「差別反対!」

「花ぁ」

 まんまる眼鏡の花は心配そうな小太郎に、そっと耳打ちします。

「心配いりません、小太郎さん。何かあれば、私たち」

 三時間目が始まるチャイムが鳴って、委員長がたまりかねて大声で叫びます。

「あーもう! 昼休み、緊急学級会を開催する!」


第四場


 憂鬱が、育ち盛りの胃を塞ぎます。朝ごはんだってろくに食べていないのに、給食にお箸をつけることすらできません。

「哲郎君、大丈夫……?」

「哲郎、食わんのか?」

「ミドリ君……、食べたいなら良いよ……」

 哲郎は給食をクラスで一番体格の良い少年に全て譲ります。給食を残して先生に怒られたりしては、もう精神が持ちません。同じグループで机をくっつけているショーコの涙が止まっているのが何よりの救いですが、もう何度謝ったって謝り足りないよ、と哲郎は思います。


 給食の後は昼休みです。異例の緊急学級会は、校庭の隅にある大きな木の下で開催されました。春の風が葉を揺らして、柔らかい日差しがチラチラと地面に差し込みます。こんなにも美しい昼下がりでさえ物騒な話ができるのが、小学生です。

「あれ、サイバーは?」

「アイツは来ねーよ」

「みんな、知ってる人も多いと思うが、今回六年生が提示してきた決闘のルールは」

 あんなに反対していたはずの委員長が何故か六年生打倒に燃えています。ニコニコ笑顔のらーめんに腕を組まれて、勝手だよ、みんな、と哲郎は呆れます。

 決闘のルールはこうです。放課後、旧校舎の理科室と本校舎の体育館、そして図工室に置かれたカプセルを取って来て、屋上で待っているらーめんの手を先に握った方が勝ちです。

「何でこんなこと思いつくんだよ」

「なぁんだ、じゃあ屋上に先に来たって、哲以外と手を繋がなきゃいいんじゃない」

「そんなことできるの?」

「そもそもらーめんが同好会の奴らを説得すれば済む話なんだがな」

「あいつら、絶対ずるいことする!」

「それがわかっているのだから、哲郎と一緒に走る人、学校の各ポイントで待機する人に分かれよう!」

「じゃんけんするか?」

「哲郎は誰と走りたいの?」

「えー、旧校舎ぁ!」

「これはワタシたちの運命がかかった勝負でもあるな」

「女子と俺を組ますの、辞めてくれないか!」

 グループが決まると、ハモンが立ち上がって拳を突き上げます。

「勝つぞ、どんな汚い手を使ってでもな!」

 クラスメイトたちも笑顔で拳を突き上げながら、おー、と歓声をあげます。何が、彼らをこんなにも自信に満ち溢れさせるのでしょうか。

そして中心にいるハモンは、歓声の中で白目をむいて宣言します。

「殺す」


第五場


 放課後の校庭の砂を、春の風が巻き上げます。らーめん同好会の会員の少年が、スニーカーの足で校庭の土をえぐるように、まっすぐの線を引きます。

「よく来たな、腰抜け」

 腕を組んで仁王立ちのデブの六年生、長田君が、大量の子分を引き連れて校庭の真ん中で待ち受けています。同好会は五年三組を除くらーめんちゃん大好きな全学年の男子生徒たちで組織されているので、これでも同好会メンバーの一部でしかないのが恐ろしいところです。長田君の身体のデカさが、何か大きな乗り物が校庭に乗り込んできたような、そんな威圧感を与えます。

相手が仁王立ちなら、こちらだって腕を組んで入庭します。こちらのメンバーは、うなだれた哲郎と、委員長、のり子に、雪之丞と呼ばれていた古風な喋りの少年と、そして、哲郎と長田君の決闘なのになぜか一番でしゃばるハモンです。

「さわやか三組様のお出ましだぜ。お前こそ、よく逃げずに来たな!」

「……俺がそっちを呼んだんだぞ?」

「そっちが負けたら、らーめん同好会は解散してもらうぞ!」

「笑止! そっちが負けたら、らーめんちゃんから手を引いてもらう!」

「ふん。哲郎と、その仲間たちの恐ろしさ、思い知るが良いわ!」

 くだらない二人のやり取りを無視して、屈伸やアキレス腱のストレッチを始める五年三組メンバーを見て、長田君は怒鳴ります。

「おいまさか、一緒に走るなんて卑怯だぞ!」

「うるせえ! 駅伝とかでもあるだろうが、そういう、なんか、ついてくるバイクみたいなのがよ!」

 屋上を見上げると、らーめんが格子状のフェンスに指を引っ掛けて校庭を眺めているのが見えます。長い髪が風に広がって、囚われの、悲劇のお姫様のようです。一転、哲郎が見上げているのに気がつくと、「あ! 哲ぅ!」なんて呑気に手を振っていますが。

「これは、そちらが準備した決闘だ! それなら、決闘中不正がないか我々に確認させていただきたい!」

 委員長が威厳たっぷりに言うと、同好会側も、眼鏡をかけたブレーンのような少年がずいっと前に出て、「良いでしょう。長田君」と言って、何かごちゃごちゃ小さな会議を行います。

「のり子、サイバーは?」

「声はかけたけど、来ないわよ」

「そうか、数じゃ圧倒的に不利だな」

 群れの中に、昨日のり子に敗れて鼻血を流した六年生がいます。他の仲間と何かこそこそと、のり子の方を指差したりして、たいへん嫌な感じです。

「では始めますよ! 両者位置について」

 校庭に書かれたラインに哲郎と長田君が並びます。なんてバランスの悪い二人でしょう。ふごふご息巻く長田君と、かけっこのポーズこそは取るものの、この先起こる不幸に身をすくませている哲郎。緊張の瞬間。実はこの時、校庭の上空を何かが横切ったことに気がついたのは、雪之丞ただ一人です。何か小さくて、素早い、小さなロボットのような。

「ゆーふぉー?」

「よーい、ドン!」

 最初のスタートを制したのは、同好会側でした。嘘みたいな話ですが、素早く動けるデブというのが、この世の中には存在するのです。同好会メンバーを引き連れて走る長田君は、まるで暴走列車のよう。いくらこちらに、クラスで一二を争うスピードを誇るのり子と雪之丞がいたとしても、肝心の哲郎が遅くては(しかも今日はご飯をほとんど食べていません!)、勝負になりません。

「まずは旧校舎だ! 走れ哲郎、絶対なんとかしてやるからな!」

 ハモンがバシッと哲郎の背中を叩きます。ハモン君は、こんな時でも頼もしい。


 旧校舎は、本校舎の裏側にある白い木造の建物で、現在は立入禁止となっているので、入るにしたって先生の目を盗まなければなりません。ですから、これはスピードだけが求められる勝負ではないのです。

「鈴木先生がいる。頼んだぞ、みんな!」

 六年生の担任の鈴木先生が、焼却炉の前で掃除後の後始末をしています。鈴木先生に見つかったら最悪です。あれはおっかない男の先生で、子どもたちをネチネチといやらしく絞り上げるのです。おぞましくて、汚い。そこに、信頼と安心の花と小太郎が「先生手伝いましょうか?」なんて話しかけて注意をそらしていきます。他にも旧校舎前の広場には、クラスメイトが数人うろうろしていて、いつどんな先生が来たって話しかけられるよう、スタンバイしています。

「良いぞ、長田は?」

「あ、入った。続け!」

 きょろきょろしながら、白いペンキの少し剥げた木製のドアを委員長が開きます。

「急げ!」

 未知の扉の向こう側は小さなホールになっていて、窓から差し込む外の光で埃がきらきら輝きます。哲郎もハモンものり子も、旧校舎に入るのは初めてです。おばけが出るって噂が耐えませんし、何より入ったら先生に怒られるのですから、入ったって損なのです。意外と明るい雰囲気にほっとしますが、委員長が扉を閉めれば、本番です。

「怖いね……」

 扉が閉められたと思えば、ここが心霊スポットであることを嫌でも強く意識してしまうものです。壁際に、机や椅子が積み上げられているのが、ここが長年、使われていない場所であることを物語っています。

「もう平成なんだから、壊せよ、こんなとこ」

ギシギシと、あちこちで大きな音がします。同好会メンバーが旧理科室を目指して、走り回っているのです。

「オレたちも行くぞ!」

「でも理科室ってどこ?」

「音がする方を追いかけるのでござる。さ、哲郎殿!」

 ホールの先の大きな階段を駆け上ぼると、埃か砂か正体のわからないものがパラパラと、頭上に降り注ぎます。

「あっち!」

 二階の廊下の奥から、少年の軍団が走って来るのが見えます。

「ふん、遅えんだよお前ら!」

 長田君たちです。その手にはゲームセンターでよく見るような、黄色いカプセル。

「頑張れよ、おら!」

 お土産に哲郎の肩を突き飛ばしたので、お返しにハモンがポケットに入れていた消しゴムを投げつけます。

「いてえ! 死ね!」

「ふん」

 理科室に駆け込めば、真ん中に置かれた骨格教本の右手が、黄色いカプセルを握りしめています。

「あった!」

 ただ異様なのは骨格教本を中心に、子どもたちが睨み合っていることです。左は同好会メンバー、右は既に潜入していた五年三組の四人です。坊主頭の少年に、前髪の長いショーコ、覇気のなさそうな少年と、こんな時でも髪をいじっている少年です。

 クラスメイトの坊主の少年が怒りに震えて言います。

「こいつら、やっぱり長田たちがカプセル取ったら残った方を隠そうとしやがったんだ!」

「なんだと、生意気なんだよ五年ども!」

「やっぱりな」と委員長は言います。「フェアな勝負になるわけないか。ご苦労さま、これはもらっていくよ。さ、アカヤたちも脱出するぞ!」

 哲郎は骨格教本の右手からそっと黄色いカプセルを取り出します。

「諦めないで哲郎、遅れたってらーめんが長田と手を繋がなければ良いんだから」

「うん……」

 一つ目のカプセルを手に入れて、人数を増やした五年生たちは古い校舎の中をドヤドヤ走り抜けます。だけどそんな彼らを背後から追いかけるか細い声が。

「待ってよ……」

「あ?」

「待ってよ……」

 おばけでしょうか。本当に、本当に旧校舎には、おばけがいるのでしょうか。

「待ってよ!」

 子どもたちの声が押し寄せて来ます。

「待ってったら!」

 振り向けば小さな三年生の少年たちです。生きていて、バラ色の頬の子どもたち。おばけが出ると噂の旧校舎がそこまで陰鬱な空気にならなかったのは、みんな可愛い彼らが潜んでいたからなのでした。それがみんな涙を浮かべて、一人なんかはすがるようにのり子のシャツの裾を引っ張ります。

「待ってよ、ほんとにおばけが出たんだよおぉ、ほら!」と言って泣きべその少年が千切れた紐を見せてきます。

「ぼくたち、会長に言われて、その、ハモン君たちの足を引っ掛けろって、いろんなところにいろんな罠を仕掛けてたのに、見て!」

 少年たちが手に持ったがらくたは、紐が切れたり、ばらばらに壊れたり、それに、いくつか手裏剣が刺さっているものまであります。

「忍者の亡霊だ!」

「馬鹿馬鹿しい」とのり子が追いやるように手を振ります。

「私たち急いでるのよ、ちゃんと証拠が残らないように片付けないと、会長に怒られるわよ。アンタたち、会長とおばけ、どっちが怖いわけ?」

「うう、それは……!」

 五年生たちはちびっこ集団に背を向けると、脱出するため白い扉を目指します。わんわんと喚く声が遠くなっていきます。

『子……のり子、聞こえる?』

 この瞬間、のり子はおばけの存在を感じることになります。ホールに足を踏み入れた途端、突然、ザザ、とラジオの周波数を合わせるような音とともに女の子の声がのり子の耳に飛び込んできたのです。

『今外に出ては駄目!』

「え? ハモン待って!」

 のり子は入り口のドアを開けようとするハモンを制します。

「何だよ!」

 のり子がハモンの口を抑えてこっそりと窓の外を見れば、先に出た同好会メンバーが先生に捕まって、怒られているのが見えます。今迂闊に出ていけば大幅に時間を取られることになるでしょう。

「だはは、長田のやつ」

「先生が中に入ってくるのも時間の問題だぞ。どうする?」

『裏口のドアから出て……』

 また、あの女の子の声です。

「誰?」

 のり子はきょろきょろとあたりを見渡しますが、女の子はのり子とショーコ以外にいませんし、声はショーコのものとまるっきり違います。

「のり子ちゃんどうしたの?」

「みんな聞こえないの? 声」

「何言ってんだ? で、どうする?」

「声が、裏口から出ろって……」

「裏口? そんなのがあるの……?」

「……アレ」

 廊下の先に、ドアがあるのがわかります。

「謎の声ねぇ。旧校舎におばけが出るって噂、本当だったんでござるなぁ」

 だけど、今はおばけの正体を突き止めている暇はありません。

「とにかく急ぐぞ!」

 内側から鍵を開けると、やっと埃っぽい旧校舎から脱出することが出来ました。もう二度とこんな場所に足を踏み入れることがなければ良いなと、五年生たちは思います。

「……セイジ君、このまま真っ直ぐ体育館に行くと先生に見つかっちゃうぞ」

 旧校舎の影で、怒られている長田君たちの様子を伺いますが、お説教はなかなか終わる様子がありません。

「仕方ない。遠回りになるけど、校庭の方に戻ろう」

 五年生たちはもと来た道を戻って、校庭に戻りました。そこから体育館に向かおうとしたのです。ただ校庭は、この決闘が始まる時とは、かなり様子が変わっていました。

「嘘……何アレ!」

 見たことのない混乱が、眼前に広がっています。今の校庭は阿鼻叫喚の地獄です。信じられないことですけれど、無数のラジコン機のような小さなUFOが、校庭の上空を飛び回って、子どもたちを追い回していたのです。

「何だ!」

「きゃあ!」

 小さなロボットたちが、校庭に小さな雷を落とします。何か焦げるような臭い。子どもたちの脳みそが、叫びだします。

「怪獣か? アカヤ頼む!」

「……うん」

 職員室から出てきた先生たちが、校庭の子どもたちに向かって校舎に入るよう叫びます。担任の有馬先生もいます。

 委員長は振り返って、哲郎の顔をじっと睨むようにして、言います。

「未知との遭遇も大事だが、今こそ革命の時。僕たちの明日からの学校生活はもっと大事なんだ!」

 ハモンががっしりと哲郎の肩を掴んで、叫びます。

「駆け抜けるぞ!」

 まるで、戦争の映画のようです。隣には、ハモンとのり子という仲間の兵士がいて、生身の肉体で戦場を走り抜けます。哲郎は旧校舎から合流したクラスメイトたちが忽然と姿を消していることに気がついていません。一刻も早く屋根の下へ。そのくらい、無我夢中だったのです。

 でも駆け抜けた先は、安息の地ではありません。体育館の中だって、もうUFO軍に占領されていました。

「嘘だろ? カプセルは無事か?」

 ただ校庭と違うのは、白い折り紙で作った大量の、何か鳥のようなものが、UFOたちを抑え込もうと、必死にベタベタくっついているのです。

「悪霊退散! 悪霊退散!」

 体育館の二階で、クラスメイトの黒い髪の女の子が何か叫んでいますが、そんなの誰も気に留めないくらいは、校庭よりひどい状況です。

「哲郎たち! カプセルはステージの上だよ!」

 他の女子の頭を抱えるようにして床に伏せていた少女が、走り込んできた群れに気がついて大声を出します。吹雪のように、身体中に折り紙がくっつきます。のり子がステージの上に駆け上って、演台の上にある二つの青いカプセルの上の一つを手に取ります。同好会の連中はまだここに来ていないのです。

「私が持っとくわ、絶対に落とさない!」

 子どもたちは校舎に続く廊下を走ります。校舎の中も、もうUFOでいっぱいです。


第六場


 図工室では、既に五年生と同好会との激しい抗争が始まっていました。そんな喧騒の中で、ニヤニヤと、高みの見物をしている一団がいます。

「誰のラジコンか知らねーが、おかげで助かったぜ」

 そう、先に図工室にいたのは長田君たちです。その手には三つのカプセルがそれぞれ、握られています。でもそんなわけありません。哲郎たちが体育館に着いたときには青いカプセルが二つあったはずですし、体育館から図工室への近道なんてないのです。

「あいつら、もともとカプセルを持っていたのか!」

「証拠はあるのかよ?」

 委員長が詰め寄ったって、ニタニタ笑ってかわされるだけです。

「この学校の女王様はらーめんちゃんだ。その隣は、王たる俺様がふさわしい! 俺の、俺の勝ちだ! じゃあな!」

「何だ今のセリフ!」

 長田君達が先に走り出します。遅れて、ハモンが彫刻の上に置かれた赤いカプセルを掴んで叫びます。

「取った! 仕方ねえ、このまま全員で突っ込むぞ!」

 図工室で戦っていた子どもたちも走り出して、ついにラストスパートです。今更ですけれど、廊下は走っちゃいけませんよ。

 廊下で待ち受けていたちいさなUFO軍団が、小さな電撃をいくつも落とします。もうここは小学校なんかじゃありません。戦地です。一筋の電撃が、先に走っている長田君に直撃します。

「よっしゃお先ぃ!」

長田君が叫びを上げて無残に転がっている隙に追い越しますが、他の同好会メンバーがそれを許しません。

「ムカつくんだよ大野ハモン!」

 哲郎の後頭部に野球ボールがぶつけられて、今度はこちらが倒れ込みます。もうむちゃくちゃです。長田君はやはり大将に成り上がる男なだけあって、ボロボロの状態でも立ち上がって猛スピードで五年生たちを追いかけます。ハモンが肩でタックルをかまして、廊下の壁に長田君をぶつけます。長田君も、お返しして、ハモンを壁に擦りつけます。のり子が、昨日鼻血を流した少年にカプセルを奪われそうになって、蹴ります。後は、各々で押し合いへし合い、脚の引きずり合い、殴り合いで、組んず解れつ。屋上に向かう階段で、何人もの生徒が転びます。こんな状況を、楽しいだなんて思う生徒はいませんが、中でもどうしたって我慢できない少年が、一人。ぶつぶつ、何かうわ言を言っています。

「あ? 何だって?」

 見れば、図工室から合流して、先頭から二番目にいる少年が、青ざめながら走っています。

「や……やめてくれ!」

「ヤイバ? だ、まずい!」

 人間には、みんな苦手なものがあります。クモが苦手な人は、どんなに急いでいたって、向かう先にクモがいればパニックになったり、動けなくなったりするでしょう。誰にだって「クモ」はあるのです。ただこの少年にとっての「クモ」が、女の子であるだけで。

「おい、大丈夫か?」

 青ざめた少年のすぐ前に、先頭を走るポニーテールの少女がいます。その髪の先が、少年の顔にあたっているのです。委員長は慌てて叫びます。

「モモエ、離れろ!」

「え? きゃあ!」

 屋上の扉の目前で、同好会の男子が先頭のモモエのポニーテールを引っ張ります。そうなればモモエだって、意図せず少女が苦手な少年にぶつかってしまうのですから。

「だ、だ、だ! お、女の子が!」

 青ざめた少年は、絶叫して、その場にへたり込んでしまいます。先頭がへたりこめば、後続の全員がどうなるかというと。

「だああああああ!」

 全員転げるようにして、屋上に滑り込むことになります。五年生も同好会も、まるで一つの生き物みたいに、絡まり合います。ばたばた暴れたって、動けません。

「らーめん! 哲郎が迎えに来たぞ!」

「哲?!」

 屋上では、少年たちが輪になるように倒れ込んでいます。その中心には、らーめんです。逃げないように抑えに来た少年たちを、きっと彼女がボコボコにしたのです。彼女は突然屋上になだれ込んできた集団に驚いて、扉の前に躍り出ますが、どれが哲郎の腕なのか、見当がつきません。

「哲、どれ? ああもう!」

 ぐちゃぐちゃの生き物の中で、何かを求めて一際力強く伸ばす手があります。長田君の手のように太ってはいません。きっと、あれが。らーめんは、はっと息を止めて、アタシのために、と涙が浮かんできそうになって、手を伸ばします。

「哲!」

 運命の瞬間。握って引き上げたその先は。

「もう……たくさんだ……」

 奇跡みたいにロマンチックなことなんて、人生でそう何度も起こるものではありません。残念なことですけれど、手の先の正体はあの少女恐怖症の少年だったのです。そうしてそのまま少年は、らーめんに手を握られて、ぐったりと力なく、しぼんだように気絶してしまいました。

「へ?」

「こっちだ!」

 ハモンが哲郎の手を掴んで、力強い声でらーめんを呼びます。そうしてもっと、太陽に届かせるかのように、その手を掲げるのでした。

「哲!」

駆け寄るらーめんの髪を見て、あ、またスローモーションだ、と哲郎は思います。なんだか意識も朦朧としているみたい。

「哲!」

握りしめたのは今度こそ、正真正銘本物の哲郎の手です。哲郎が力なく笑ってみせると、らーめんは感動して、涙を浮かべて、そうしてずっと言おう言おうとしていたことを、意を決して声に出そうとするのでした。

「あの、あのアタシ……あの!」

「何だ何だ? 告白かぁ?」

「え、だってもう結婚してんのに?」

らーめんは恥ずかしそうに目を伏せたり、きょろきょろとしたり。哲郎はらーめんの言葉が出てくるまで急かしたりせず、じっと待つことにしました。周りの喧騒が、耳に入らなくなっていきます。そうして、そうやって待ってくれていたからこそ、彼女はこの時やっと、頭を下げて昨日のことを謝ることができたのです。

「昨日、ポスター作らず先、帰っちゃって、哲……本当にごめんなさい!」

 らーめんって、やっぱり悪い子じゃないんだよな、と哲郎は思います。

 西日が眩しいその瞬間を、きっと哲郎は一生忘れないでしょう。敵も仲間もごちゃごちゃに絡まり合ってくたくたのボロボロになっても、彼女とこうして手を繋いでいられることが嬉しい、とこの時初めて小さく感じたのですから。


幕。

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