心配するな
練習前に、バレー部顧問の目黒准教授に呼ばれ、目黒准教授の部屋を訪ねる聡一郎。心理学部の目黒准教授の部屋はいたってシンプルだった。本棚もアカデミックな分厚い書籍もない。キーボードと二つのモニターが並んで置かれているだけで、広い机の上にはメモ用紙すらないが、抹茶碗がポツンと無造作に置かれている。機能的な椅子に座ってる目黒准教授を眺めながら、聡一郎は心理学の准教授って何を研究してるんだろうと不思議に思う。
「入部届け見たけど、橘君って、あの橘だよね?」
「多分そうだと思いますが、この橘ですか?」
「ああ、悪い、茶道の橘君かと?」
「茶道部の特別教授ですか?」怪訝そうに目黒を見つめる聡一郎。
「本学院は日本の伝統文化の継承にも力を入れているからね、お願いしてもいいかな、5月連休明けからで良いから」
「昨日、親友から僕で大丈夫なのかと言われましたが、大丈夫ですか」
「大丈夫、だって君は橘君でしょ?」
「先生は適当ですね、僕も適当ですけど」
「適当にやって下さい」
「いいんですか、茶菓子も洋菓子にしますよ(和菓子は飽きてるので)、でも、自分で作りますから、手間はおかけしません」
「洋菓子でもかまわないけど、自分で作るの?」
「ええ、暇なので」聡一郎の表情が明るくなる。
洋菓子だと紅茶か、紅茶を挽いて点てるのも良いかもな、適当で良いって言ったよな。
「橘君が暇で良かった、他に何かある?」
「花も買いたいです、学生だと花代が高くて」
「生け花かな?」
「実は山背流の華道師範なので、、。ほんとは祖母が家元で師範にして貰ってるだけですが、ついでに生けてみます。ひょっとして、オーブンレンジも良いですか?」
「花は良いけど、オーブンレンジはどうかな、でも、考えてみるよ」
「目黒先生って凄いですね、あと、女子が多い方が嬉しいです」
「じゃあ、何とかするから、お茶もお願いするね、そうだ、バレー部の練習も頑張って」
***
東大寺学院大学の男子バレーボール部は、目立った選手はいないものの、バレーボール好きの集まりで、練習も真面目にする関東バレーボール学連の中堅大学だ。今年も高校からバレー部だった8人の新入生が既に入部して練習に参加している。今年は何故かそこに男子高校バレーボール界のエースだった大和恒星もいる。
新入生8人の名前(ポジション、学部等)
大和恒星(薬師高校、OH、建築学科)
橘聡一郎(飛鳥高校、S、法学部)
神田淳(飛鳥高校、L、法学部)
秋葉悠一(OP、法学部)
大塚湊(OH、工学部)
渋谷智裕(MB、建築学科)
反田春翔(MB、経済学部)
(ポジションの略称と説明)
OH(アウトサイドヒッター):主にレフトからスパイクを打つ選手
MB(ミドルブロッカー):主にブロックなどの守りを主体にする選手
S(セッター ):主に作戦を決めたり、トスを上げる事を主体にする選手
L(リベロ ):コートで1人だけの守り専門の選手。審判の許可なしで後衛選手と何度でも自由に交代できるが、攻撃的なプレーは禁止されている
OP(オポジット):守備にほとんど入らないスパイク専門の選手、左利きが多い
新入生を前にして軽く挨拶する男子バレーボール部長の大久保主馬。
「取り敢えず、今週の金曜日に新入生歓迎会をするので期待して貰いたい。それじゃあ、新入生は基礎練するからペアを組んで」
振り返る聡一郎、目の前に恒星。『冗談でしょ、俺はあっくんと』と、離れようとする聡一郎の腕を掴む恒星。
「心配するな、手加減はする」
準備運動、筋トレ、キャッチボール、パス練習。小休止して、向かい合って相手にトス、アタック(又はスパイク)、レシーブの順で打ち返し、それを繰り返す。恒星と向かいあう聡一郎、『悪い奴には見えないか、でも、ちょっとむかつく』と思う。
まず、聡一郎が丁寧にトスをあげ、恒星が聡一郎の左背後にアタックを打ち込む、聡一郎が回りこんでレシーブを返し、恒星があげたトスを左右対称に恒星の左背後にアタックで打ち返す。
どこまで跳べるんだろう、試してみたい、高くトスを上げる聡一郎。
『冗談だろ、やばいかも』
助走から踏み切っていた恒星、トスよりも更に高い位置から躊躇うこともなく、一瞬で腕を振り落としてボールを叩く。聡一郎が体を引いて、伸ばした左足でボールを蹴りあげる。
『跳びすぎだ、怖かったぞ。でも、手加減してる?確かに手でも返せそうだ』
レシーブ、トス、スパイクの繰り返しに、恒星のスパイクが少しずつ速度を加えてゆく。だんだんと聡一郎のギア見も上がっていく。「お〜」っと、どよめく新入生。
「凄いね、あの二人」渋谷智裕
「聡一郎は流石だな、セッターなのにスパイクもレシーブも何でもこなす」神田淳
「だから完璧なトスをあげて、強烈なスパイクを打たれてるわけだ」秋葉悠一
「大和はトスも左右に振ってる。可哀そう、橘は遊ばれてる」渋谷智裕
「いや、レシーブで崩されて、トスも振られてるのに、切り返して跳んでスパイク打ってる。橘の反応の方が凄い」大塚湊
聡一郎の動きを確かめる恒星。反応できても体がついてこれないか、仕方ないな、そろそろ決めさせて貰う。ゆっくり踏み込んで跳び、最高点で弓なりにひねった体から腕を放ち、一瞬でボールを叩く。
同時にフライングで飛び込む聡一郎。両足で静かに着地して、ボールの行方を確かめる恒星。
ボールはゆっくりと高く弧を描いて返って来る。着地したままボールを見上げる恒星の胸を的にして、ボールがピッタリと落ちてくる。ボールを両手で受けとめる恒星。
『ボールを見なくても、フライングで飛び込めるのか。後ろも見えてたは嘘じゃないな』
聡一郎が起き上がる。手加減してるって本当か?今のはマジでやばかったぞ。
***
練習後、聡一郎がコートの脇で倒れている。恒星は立ったまま水分補給している。
高校3年の夏、インターハイ初戦で負けて、夏の終わりに後輩と引退試合をしてから、まともな練習はしていない。いや、聡一郎にとって高校バレーは毎日、皆んなが集まって騒ぐ場所だった。練習に集中する時もあったが、ふざけて笑ってばかりしてた。そこに恒星のような男はいなかった。正直なところ何を考えているのか分からない。今日の練習でも、ふざけてみようかと思ったが、やめにした。
「お陰でいい練習ができました(フライング・レシーブばっかりで疲れてます)」
「悪いが、俺の練習にはなってない」
「だと思った、明日はお互いにもっと良い練習相手を見つけような」
聡一郎が明るい笑顔で応える。だったら、最初から俺と組むな、他の奴と組め、やっぱりむかつく。
「おまえ、明日は授業が始まる前に来い。サボってたから動けてない」
「来ないよ、何言ってんの?」
「朝練に決まってるだろ」
「来るわけないだろ、神様にも誓える」
「携帯」手を出す恒星に携帯を渡す。
「何してんの?」
「LINE、朝起こす。じゃあな」
聡一郎を残したまま、部室に戻る恒星。
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