第五話 泉くんは、もういない。(7)
「自分たちのしていることがどれほどのことか、分かってるつもりだったんだ…。それでも俺たちなら上手くやっていけると、根拠のない過信をどこかでしてたんだと思う」
そうしてその出来事は、ずっと一緒だった泉くんと花ちゃんを引き離しただけでなく、二人のご両親をも引き離し、さらには温かった周囲からまでも離れてしまわなければならなくなった。
「花と生まれて初めて離れて、まるで自分の体が切り離されたみたいに苦しかった。確かに双子だったからっていうのもあったのかもしれない。それでも俺と花は二人で一つなんだって、痛いくらいに思い知らされた」
それでも時間は無情に進んでいく。何もない真っ新な土地に自分だけ放り出されて、泉くんはそこで生きていかなくちゃいけなかった。
「全部を最初からやり直さなきゃいけない。生活も、友人関係も、一日の過ごし方も。それがすごく億劫で、しかもやり直す気力なんて俺にはなかった」
ただ茫然と時間が過ぎるのを待って。
今ここにいない人を想って、遠くを見つめて。
そうやって過ごす時間はひどく長くて、明日という日さえ来ないような感覚にも襲われていた。
「――そんなとき、俺を突き動かしてくれるものに出会ったんだ」
先程とは打って変わった穏やかな泉くんの声に、はっと顔を上げる。
「――そう。瑞希さんの絵、だよ」
「っ、」
わたしのその絵が、泉くんを突き動かした理由なんて分からない。
それでもわたしを見つめる泉くんの目が温かく、わたしが泉くんに向ける恋や愛ではない別の『愛しさ』を見せていて。わたしの胸はいっぱいになって、内側から熱が込み上げてきた。
「瑞希さんの描いた絵が俺を救ってくれたんだ。忘れかけていたものを思い出させてくれて、もう一度頑張る勇気を俺にくれた」
「……っ」
「そのときから俺はずっと瑞希さんの絵のファンで、ずっと瑞希さんの描く世界に行きたいって思ってた」
「…ふ、ぇ…」
泉くんの視線が、声、仕草が、雰囲気が。全てがわたしと、わたしの絵を認めてくれているのが分かって、内側から込み上げてきた熱は大きな涙となって、ついに私の両目から零れ落ちた。
「瑞希さんの絵は、俺の『特別』だった」
「いず、み、くん…」
泉くんのその言葉がどれだけわたしを救ってくれたか、きっと伝わることはない。
「――本当にありがとう、瑞希さん。瑞希さんの絵に出会えてよかった。こうして瑞希さんと出会えて、本当によかった」
「…や、やだよ、泉くん…っ」
それは直感だった。
ときどき消えていきそうな泉くんが、今度こそ本当に消えてしまいそうで。
「やだ…っ、泉くん、どこにも行っちゃやだ…!」
咄嗟に掴んだ泉くんのシャツ。
わたしの言葉に驚いたのか、シャツを掴まれたことに驚いたのか。どちらかは分からないけれど、泉くんは一度驚いた顔をして。
「――ごめん」
それからシャツを掴んだわたしの手を優しく包んで、そっとシャツから離して。
「どんなに想い合っても決して許されることなんてない。それが分かっていても、俺たちは――」
それは、今までの儚さが嘘のような、とても強い瞳だった。
そこからどうやって泉くんと別れて、家に帰ったのかはちゃんと覚えていない。ただ悲しくて、ただ苦しくて。生まれて初めて、声が枯れるまで泣きじゃくった。
そして夏休みが明けても、泉くんが再び教室に現れることはなかった。
きっと泉くんは自分の想いを貫いて、行ってしまったんだと思う。
――ずっと一緒にいた、一番大切な人の手を取って。
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