第一話 泉くんは、遠い。(2)

***


「遅くなっちゃった…」


 季節が春とはいえ、まだ日が沈むのは早く。すっかり暗くなってしまった窓の外を見ながら、鞄を肩にかけた。


 忘れ物がないか、教室をぐるりと見渡す。独特の匂いに満ちたこの教室は、二つあるわたしの好きな教室のひとつでもあった。


 もちろんもうひとつは、宮内くんがいる教室だ。


「あ…お母さんに今から帰るって連絡しなきゃ」


 肩にかけた鞄に手を入れて、スマートフォンを探す。


「あれ?」


 なかなか探し当てることができなくて、近くの机の上に鞄を置いて思い切り広げた。


「……ない」


 目視しても見つけられなかったスマートフォン。そうなれば、置いてあるであろう場所はひとつしかない。


「教室かぁ…やだな」


 ここからわたしの教室までは、少し遠い。玄関までも遠回りになるし、外が暗いから余計に嫌だと思った。


 だからと言ってスマートフォンを置いて帰るなんてこと、わたしにできるはずもなくて。


「………」


 教室の電気を消して、意を決して人気のない廊下を自分の教室に向かって歩きだした。廊下の窓から、部活が終わってこれから帰るであろう他の生徒の姿が見える。


 置いてきぼりになりたくなくて、わたしは小走りで自分の教室へと向かった。そうして自分の教室まで来てみれば電気は消されていて、やっぱり誰もいなかった。


「……っ」


 早く帰りたくて、電気をつける時間も惜しくて、暗いまま手探りで自分の席へと向かう。そして椅子を引いて、机の引き出しの中を確認すれば。


「…あった」


 持ち慣れたスマートフォンの感覚があって、ほっと息をついたときだった。


 パチッ。


「―――!!」


 急に教室の電気がついて、驚きと眩しさでわたしは思い切り目をつぶった。


「――え?」


「っ、」


 あまり聞き慣れない声。それでもよく知っている声に、わたしの心臓がどくんと大きく鳴った。


「………」


 その声が本当にわたしの思いついた人のものなのか確かめたくて、まだ眩しさでくらくらする視界を必死に開く。


 そうしてわたしの目に飛び込んできたのは。


「――宮内、くん…」


 やっぱり間違えることなく、わたしの好きな人だった。


「ごめん。暗かったから、まさか人がいるとは思わなくて…」


 宮内くんが困ったように笑う。そんな笑顔にもわたしの胸はきゅんと音を立てた。


「あ、いえ…大丈夫、です」


 どうしよう…!初めて話した…!わたしの頭の中は大パニック中だ。


「………」


 沈黙が続く中、宮内くんは自分の席――わたしの隣へと歩いて、机の中を探り出した。


 もしかして…スマートフォン、忘れたのかな?


 好きな人が、同じ日の同じ時間に自分と同じことをしている。たったそれだけで、わたしはすごく嬉しくなった。


「あ、あった」


 宮内くんが机の中からスマートフォンを取り出す。そして顔を上げた宮内くんと……目が合ってしまった。


「……っ」


 み、見てたのがバレちゃった…!


 何か言わなくちゃと思ったわたしが捻り出した言葉は。


「えっと、あのっ。わたし、瑞希です!」


 片思い歴丸一年にしての自己紹介、だった。


「――うん、知ってるよ」


「っ、」


 にやりとか、くすりとかじゃなくて、ふわり。わたしの意味不明な行動にも、宮内くんは柔らかい笑顔を返してくれた。きゅんとまた、胸の奥で音が鳴った気がする。


「わ、わたしも…スマホ、忘れちゃって」


 ドキドキがバレないように、なんとか会話を続ける。正直頭の中なんて真っ白だ。


「瑞希さんも?――はは、俺たちおっちょこちょいだね」


 宮内くんの雰囲気は本当に柔らかい。言葉を交わすだけで、宮内くんの雰囲気に飲み込まれるような感覚に陥った。


 柔らかくて、穏やかで、優しくて。それでいて、淡い。


「う、うん…スマホ見つかって、よかった」


 そう、宮内くんはどこか儚い。ふわふわしていて、いつか消えちゃいそうな雰囲気。

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