第6話 突然の訪問者

 マルティンの話の様子から、彼が王族に対して好意を抱いているのはわかった。国民に慕われる王族はもちろん良いと思うが、それが金持ちや貴族に対してだけ良い態度だからではないことを願う。

(南には、私たちよりももっと大変な生活をしている人たちがいるし……)

 いずれ売られる可能性があったとはいえ、金貸しの男は花梨かりんたちに生きる場所を与えてくれた。感謝しているかと言われたら複雑だが、それでも、親がいないというのに自分たちはまだ恵まれていたとは思う。




 そこまで考えて、花梨はやはり金貸しのことを聞いておこうと思った。屋敷から出なければ大丈夫だと言われたが、今は休んでいる使用人が戻ってくれば、花梨たちはここを出ていかなければならない。その時の心構えを今からでもしておかなければ。

「あの、ドラノエ様」

「ん?」

 花梨はちらりと隣にいる秀英しゅうえいを見る。幼い秀英はあの男の名前は知らないが、追手などと言ったらせっかく落ち着いている精神がまた不安定になるかもしれない。


 できるだけ湾曲に、それでもマルティンにはわかるように言葉を選んだ。

「私、買い物に行けますか?」

 もう追手はいないのかという思いを込めて尋ねると、マルティンは相変わらず穏やかな笑みを頬に湛えたまま駄目だねと言った。

「よほど、価値があると思われているんだね」

「……」


 おそらく褒めているんだろうが、花梨にとってはまったく嬉しくない話だ。

 自分たちの容姿がこの西大陸では珍しいというのは客観的にはわかるが、だからと言って子供2人をここまで追うだろうか? それなりの手間とお金をかけてと考えれば……花梨は溜め息をついた。

 どんなに考えても、あの男たちの気持ちがわかるはずもない。

「わかりました」

 どちらにせよ、今は動くべきではないということだ。匿われている立場の花梨に、それでもと抵抗する思いはなかった。


「ああ、明日、来客があるから」

「来客ですか?」

 唐突な話に、花梨は目を瞬かせる。花梨たちがここに来て以来、ドラノエ商会の使い以外の人物が訪ねてきたことなどなかったからだ。

「私の息子だから気楽に迎えてくれたらいいよ」

 プリンを忘れずにねと付け加えられ、花梨はその息子がどんな人なのか驚いたまま聞きそびれてしまった。






 翌日、来客があるので掃除と洗濯は早々に済ませ、花梨は少し早めに昼食の準備を始めた。

 出迎えの準備があるからといつ来るのか改めて尋ねると、話がてら昼食を食べると言われたからだ。花梨は大慌てて来客用の昼食を考えた。


 本格的に料理を作るようになって半月、少しは竈やオーブンに慣れてきた。三日前には初めてクッキーもどきをつくり、秀英とマルティンに美味しいと褒められたくらいだ。

 ただ、料理のレパートリーで言えば、劇的に増えたわけではなかった。野菜スープに、シチュー、それと野菜炒めに、ステーキ。自信作としてはピザもどきに、ローストビーフも作ってみた。調味料がごく限られたものしかないので味付けに苦労したが、ピザもどきは美味しいチーズと、クプルで作ったソースが美味しかったし、ローストビーフは肉汁とハーブと塩でごくシンプルに仕上げたが合格点だった。


 息子さんがくるのなら、がっつり肉料理がいいだろう。花梨はローストビーフを作ることにした。付け合わせはポテトフラ……いや、パロフライを用意して、後は―――。

「ぴざ? あれ、頼むよ」

 背中から聞こえてきた声に、あっさりメニューは決まった。




「ねえちゃ、おてつだい!」

「ありがとう。じゃあ、パロを洗ってくれる?」

「うん!」

 秀英は率先して花梨を手伝ってくれる。まだ5歳なのでできることは限られているが、花梨にとっては目の届くところに秀英がいて、にこにこ笑ってくれていることが本当に安心できるし、秀英もいつも花梨が側にいることで気持ちが安定している。

「秀英、今日はお客様がくるの。お昼は台所で私と食べて、そのまま外には出ないようにね?」

「おやさいのとこ、いったらだめ?」

「今日はおうちの中にいないといけないの」


 花梨の立場は、臨時の小間使いだ。だが、保証人などいないし、おまけに追手もいるという問題ありの姉弟だ。マルティンはそんな事情をすべて受け入れてくれているが、その息子がどう思うのか花梨にはわからない。マルティンのように穏やかで優しい性格ならいいが、もしもとても疑い深い、慎重な性格だったとしたら? 厄介な人間を父親から遠ざけようとしたら、花梨たちがこの場所にしがみつくことはできない。

(とにかく、今日は姿を見せないのが一番よね)

 先に配膳をして、給仕はしない。

 マルティンにもそう伝えたし、後は料理を失敗しないことだけに集中した。






 昼少し前、来客がやってきた。

 マルティンが来客を応接間に案内している間に、花梨は食堂に料理を配膳する。花梨としては出来は上々だと思うし、味見をしてくれた秀英も美味しいと言ってくれたが、来客の反応はどうだろうか。

 その反応を自分の目で見てみたかったが、今は危険を冒すつもりはない。

「……できた」

 花梨はテーブルの上に置いてあったベルを一度鳴らす。これがマルティンと決めた準備完了の合図だ。


 ワゴンを下げて台所に戻った花梨は、自分と秀英の分の食事を用意する。今日のメニューは、少し焦げてしまったピザだ。

「おいし! これ、おいしーよ!」

 可愛い弟の絶賛に思わず頬が緩むが、これを今日の来客がどう思うのかが気になる。

 それでも、姿を見せないと決めたのは花梨自身だ。様子を見にいきたいという気持ちを抑え、昼食の後片づけを終えた花梨は、秀英とともに自室にこもった。

「秀英、お勉強をするわよ」

 最近、先生役はマルティンに任せていたが、秀英の学力は側で見ていて知っている。文字もだいぶ書けるようになり、それを嬉しそうに花梨に見せてくる。

 花梨たちは久しぶりの姉弟でゆったりとした時間を過ごした。






「ありがとう、今帰ったよ」

 どのくらい経っただろうか。

ドアがノックされ、マルティンが部屋にやってきた。

「もう帰られたんですか?」

「ああ、用があるらしい」

 マルティンはまったく気にした様子はないが、久しぶりに父親のもとに来たというのにあまりに呆気ない気がする。もしかしたら夕食も食べていくかもしれないと一応用意をしていた花梨は、残念に思いながらも後片付けをするために食堂に向かった。

「料理はどうでしたか?」

「ああ、それがね」

 手伝うからとついてきたマルティンは、花梨の問いに面白そうに目を細める。

「食べたことがない料理ばかりで驚いていたよ。こんなに美味しい物は王城でも出ないって言ってね」

「それは大袈裟ですけど……」


 この国の最高権力者が住む場所で食べられないなんて、最上級の誉め言葉と言えないでもないが……そこまでのものだと花梨は思えなかった。珍しい作り方をしたかもしれないが、王城の方がもっと美味しいものを食べられるはずだ。

 それでも、お世話になっているマルティンの顔に泥を塗る羽目にならなかったようで安心した。

「ほんと、ほんと。ぷりん、すごく驚いていたよ」

 自分が好きなデザートを楽し気に自慢するマルティンの子供っぽさに笑みがこぼれそうになるのを我慢し、花梨はコホンと軽く咳払いをする。

「ここを片付けたら洗濯物を取り込みますね」

「じゃあ、私は秀英と畑に行こうかな」

「はい、わかりました」

 また、いつもの時間が戻る。花梨は気持ちを切り替えた。






 マルティンの言葉を表すように、食器はどれも綺麗に空になっていた。どうやら口には合ったみたいだと安心して、花梨は心持ち足取りが軽くなる。

 食器を洗って、今度は洗濯物を取り込みに裏庭に向かった。今日は天気が良かったので、それぞれのシーツを洗ったのだ。これで今夜は気持ちよく眠れるだろう。

「今夜は何にしようかなぁ」

 一応、来客の滞在が延びてもいいように具沢山スープとステーキ用の肉は用意していたが、来客が帰ったのなら少しさっぱりしたものにでもしようか。

「……うどん……食べたいなぁ」

 あっさりとした出汁で食べるうどんを想像するだけで唾が溜まる。小麦粉があるのでうどんも作ろうと思えばできるだろうが、絶対に一度で成功する自信はなかった。数回失敗をすると考えると、雇われている身でそんなにも食材を無駄にすることはできない。


 それに、まだ出汁も作れない。ドラノエ商会が定期的に食材を持ってきてくれるが、その中に出汁の材料になるようなものがないのだ。それこそ花梨自身が市場に買い物に行けば何か見つかるかもしれないが、言葉だけではどう説明していいのかもわからない。

 外出はまだ控えるようにと言われている身だ、ここはおとなしくある物で美味しい料理を考えるしかない。


 マルティンと秀英が家庭菜園に行ったのなら、今日も採りたての野菜があるはずだ。ビネガーに似た調味料はあったので、マリネでもしてみようか。

(マルティンさん、どんな顔するかな……)

 その反応を思い浮かべて思わす笑った時、

「!」

 いきなり、花梨は後ろから腕を掴まれたかと思うと、そのままぐっと背中に捻りあげられた。久しぶりに与えられる痛みに、平和な時間に慣れた身体が悲鳴を上げる。

「いたっ……!」

「……何者だ」

 そんな花梨の頭上から降ってきた声は、低く冷たい響きだった。




(だ、誰……っ?)

 いったい、何が起きているのか。

「聞こえないのか。お前は何者だ……答えろ。答えなければ、このまま手に力を込めるぞ」

 要求しながら、既に花梨の腕を捻りあげている手には力が込められている。

「ぅ……あっ」

(こ、こんなんじゃ、答えることなんてできないってば!)

 声の主は、いや、腕を掴んでいる大きな手からも、相手が大柄な男だというのはわかる。声が降ってくる位置も高いし、声も張りがあるので、背が高い、若い男だろうとも想像がついた。


(もしかして……)

 一瞬、金貸しの雇った追手かと思った。あの男たちなら、言葉よりも先に力で花梨を支配しようとするだろう。……しかし、そんな男たちはマルティンの屋敷に簡単に忍び込めるだろうか?

 確かに、この屋敷を取り巻く塀はボロボロで、一見簡単に侵入しやすい。花梨たち姉弟が忍び込めたのがいい例だ。だが、その後半月、何者かが侵入してきたということはなかった。




「おい」

 大声をあげて助けを呼ぼうかとも思ったが、そうなるとマルティンや秀英までも危険に晒すことになるかもしれない。逃げるのが一番だが、この体勢では男の隙を突くこともできそうになかった。

「聞いているのか」

 花梨がなかなか答えないので、男はしびれを切らしたらしい。

 さっきよりも声が低くなったかと思うと、今度は首に何か冷たいものが押し当てられた。チクッとした痛みに、花梨の恐怖は一気に高まる。

「わ、私、は、小間使い、です」

 かろうじて震える声で答えたが、男は即座に否定した。

「嘘をつくな。この屋敷の小間使いは50過ぎた女だ」

「で、でも、本当、です。ドラ、ノエ、様が、雇って、くれてっ」

「……」

 花梨は懸命に声を絞り出した。マルティンに雇われているのは本当で、嘘などついていない。

「名は」

「か、花梨」

 答えると、しばらくして首筋に充てられていた冷たいものは遠ざかった。そして、捻りあげられた腕も解放され、軽く背を押される。よろけた花梨はその場にしゃがみそうになったが、なんとか足に力を込めて踏ん張った。

 なぜか、ここで惨めに膝を着きたくなかったのだ。




 背後の気配は消えない。おそらく、まだ花梨に尋ねたいことがあるのだろう。本当はこのまま逃げ出したかったが、花梨は諦めて深く息を吐くと、ゆっくりと身体の向きを変えた。

「……っ」

(この服……)

 一番初めに目に入ったのは、黒い騎士服だった。騎士服は一度見たことがある。花街で大きな騒ぎがあった時、町中を取り締まる衛兵だけでなく、騎士も一人やってきたからだ。馬に乗り、マントをたなびかせた凛々しい姿に、花街の女たちは熱い視線を送っていたが、その時の花梨はただただ怖くて身を震わせていた。


 目の前にいる男が着ているのは、その時の騎士とは色は違うものの、形はよく似た騎士服だ。同じく黒いマントを羽織り、腰には長剣が携えてある。想像した通り、若くてかなり背が高い。花梨の身長などその胸ほどの高さしかなさそうで、より一層威圧感を覚えた。

 髪は少し青みが強い紺色で、瞳は琥珀色だ。整っているがきつく冷たい眼差しのせいか、格好良いというよりは怖いと瞬間的に思った。

 騎士服の襟元と胸元に、いくつかのバッジがつけられている。多分、階級や所属を示しているのだと思うが、花梨にはまったくわからなかった。


 警戒と、恐怖。自然と身体は逃げようとするが、男の威圧感がそれを許さない。

「いつからこの屋敷にいる」

「……は、半月ほど、前です」

「誰の紹介だ」

「……」

「紹介者は」

「……いません」

 正直に答えると、男はますます不審げに花梨を見下ろしてきた。 

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