第5話 魅惑のプリン
食堂のテーブルに並べた3人分の食器。スープは熱いものを注ぎたいので、急いで台所に戻った
それでも何とか食堂に着けば、手を洗ってきたらしいマルティンと
本来なら屋敷の主人と使用人が同じテーブルに着くなどありえないが、マルティンは1人での食事は寂しいからと、花梨たちの同席を強く求めてきた。マルティンが望むことを断るのも失礼だし、正直に言えば食事の用意を一度に済ませることはかえって手間も省ける。
花梨は熱いシチューを注ぎ、マルティンの前に運んだ。
「ん? このスープは白いね?」
「はい。牛乳を入れた、シチューです」
「しちゅー? ……確かに、牛乳の匂いがする」
どうやら、マルティンにとってシチューは初めて食べるもののようだ。花梨からすれば、前世の記憶にあるものより少しとろみが足らないし、コンソメもなかったので牛乳の味が強い。そう考えると、シチューというより、やっぱりシチューもどきだ。
だが、マルティンの口には合ったようで、スプーンの動きは止まらなかった。
「ねえちゃ、これ、おいしい!」
普段は食が細い秀英も、にこにこしながら食べているので、花梨は嬉しくなって頬が緩んだ。
「あ、あと牛肉とケラの炒め物も食べるのよ?」
ピーマンに味も形も似ているケラは、秀英の苦手とする野菜だった。だが、自分で収穫したものは別格なのか、花梨が驚くほど進んでケラを食べている。収穫したてが美味しいのはわかるが、味が違うということ以上に、おそらく自分たちの今の生活に安心した高揚感もあるのかもしれない。
自分が何の役にも立たないタダ飯食らいだと、あの安宿の他の下働きに陰口を叩かれていたのを秀英は知っている。実際に2人でいる時、面と向かって言ってきた者もいた。同じ境遇でも、自分よりもさらに悪い境遇の相手に対し優越感に浸り、どうせ子供だからわからないと思っていたかもしれないが、子供でも人の悪意は敏感に感じるものだ。
タダ飯食らいの自分の代わりに姉である花梨が朝から晩まで働いていたのを見ていた秀英は、ようやく安心できる場所に自分たちがいると思っているのかもしれない。
それにしてもと、花梨は笑いながら今日の畑でのことを話すマルティンと秀英を見つめながら思った。
(やっぱり、秀英はこういった子供が好む味が好きなのかも)
両親がいなくなった時、秀英はまだ2歳。ミルク以外の食事は安宿での配給が初めてのようなもので、まともな食の好みなどまったくわからなかった。
だいたい、出される食事は薄い塩味のスープが主で、魚や肉などは三日に一度くらい、ほんの少しの欠片だけ出てくるくらいだ。
あの時はそれでも食べられるだけありがたいと思っていたが、前世の記憶が戻ってからは食への欲求がかなり強くなった気がする。特に調味料に関しては顕著で、日本人なら当たり前に口にしていた出汁、醤油や味噌。他にもケチャップやマヨネーズ、コンソメ味など、想像するだけで口の中に唾がたまった。
ジャンクフードも食べたいし、ラーメンや餃子などの中華、ハンバーグやエビフライなどの定番の洋食も食べたい。
(いつか、再現できるかな……)
そうはいっても、今の花梨の腕では難しい夢かもしれない。
「うん、美味かった」
シチューに、牛肉とケラの炒め物、そしてパンという、ごくごくシンプルな……言い方を変えれば質素な食事が終わった。
料理ができると言い切ってしまった手前、このレパートリーの少なさは早急にどうにかしないといけない。
内心焦りながらも、花梨はとっておきのものを出す準備をする。
「この後、食後のデザートを用意しています」
「デザート?」
台所に再び戻った花梨は、食料保存庫の中に入れていた大きな鍋を取り出す。程よく冷えたその中のカップを皿にのせ、スプーンも用意してまた食堂に戻った。
「どうぞ」
空の器を下げ、新たにカップをのせた皿を置くと、マルティンは不思議そうな表情をして覗き込む。
「これは……何かな?」
「デザートです」
尋ねられた花梨はマルティンに自信たっぷりに言ったが、初めて見るデザートのせいかなかなか彼の手は動かない。さっきのシチューも初めて見ただろうが、あれは匂いで牛乳が使ってあるとわかったはずだ。材料がわかっているものは味も想像できるだろうが、今目の前にしているものの正体は匂いを嗅いでもわからないだろう。
花梨は食べても安全だと毒見のつもりで、椅子に座ると先に一口食べて見せる。一見して茶色い液体しか見えなかったのが、スプーンですくうとその下に黄色い何かがあるのが見えたのだろう、マルティンの表情がますます困惑したものになるのを横目で見ながら、花梨は久しぶりのそれを口にした。記憶にあるものよりも砂糖の味が強かったが、それでも十分納得のいく味だった。
「おいし~」
思わず頬が綻ぶと、その言葉に触発されたのか次に秀英の手が動く。
「!」
そして、スプーンを口に入れた途端、大きな目がさらに大きく丸くなった。美味しいとも不味いとも言わないのに、まったく止まらないスプーンの動きにその心情が反映している。
弟の可愛い反応に花梨が笑みを深めると、ようやくマルティンが動いた。
「……んっ、これは……!」
マルティンも、驚いたように声を上げる。そして、二口めを目を閉じてじっくり味わっていたかと思うと、妙に真剣な眼差しで花梨を見た。
「花梨、これは何だい? すごく美味しいんだが」
「プリンです」
「ぷりん?」
「はい。私の知っているデザートです。作り方も簡単なんですよ」
卵に牛乳に砂糖。これだけあればプリンは作れる。前世で手作りプリンにはまった時は、生クリームをたっぷり使ったり、ココア味や抹茶味も試してみた。そのおかげで分量も何となく覚えていたので、花梨はデザートに失敗しないだろうプリンを作ることにしたのだ。
しかし、便利な家電で作った覚えしかない花梨には、炭火で作るプリンはなかなか難しかった。茶碗蒸しのように鍋に水を張って蒸したのだが、最初は火加減がわからなくて《す》が入ったし、カラメルソースを作る時は焦げてしまった。
その上での成功だ、びっくりさせた上に美味しいと言ってもらえて本当に良かった。
花梨が作り方を話している間にあっという間にプリンを食べ終えたマルティンは、名残惜しそうな目で空になってしまったカップを見下ろしている。と、
「花梨」
顔を上げたマルティンが、期待を込めたような目をして言った。
「これ、もっとある?」
「え? プリンですか?」
「ああ」
「え……と」
あるには、ある。しかし、それは最初に作った失敗作だ。《す》が入ったものに、苦いカラメルソースをのせたもの。とても屋敷の主人に食べさせるほどの味ではないと思ったので、しばらく自分と秀英のおやつにしようかと思っていたのだ。
「あの、何回か火加減を失敗していて……その、見た目が良くないものが……」
「それでもいいよ。もう一つ持ってきて」
失敗作でも構わないと言われては、それでも嫌ですとは言えない。
結局花梨は失敗作の中の一番まともなのを持ってきて、マルティンは上機嫌でそれを口にした。《す》が入っていたくらいなので、味はそれほど問題なかったらしい。
「うん、明日から毎食、デザートはぷりんにしよう」
さらにねだられ、最終的に3つめのプリンを食べ終えたマルティンは、声高々にそう宣言した。
「ま、毎食ですか?」
(そんなに気に入ったってこと?)
まさかマルティンがそこまで気に入ってくれたとは。しかし、毎食というのは手間がかかりすぎる。
ちゃんとした冷蔵庫がないので多くを作り置きしておくことはできないし、そもそも料理の腕が上がるように料理の経験値を上げる方が先決のような気がする。
「あ、あのですね」
「毎日プリンが食べられるのかぁ」
マルティンが、まるで少年のように輝く笑顔を浮かべた。
「デザートと言えば、果物か焼き菓子くらいしかないと思っていたが、こんな美味しいものがあったなんてねぇ」
幸せそうなマルティンには申し訳ないが、花梨としても簡単に引き受けることはできない。
「あのっ」
「ん?」
結局、毎日夕飯の時に出すということで手を打ったが、案外この世界でも前世の料理の知識は有効なのだろうか。どちらにせよ、一日でも早くこの世界の台所に慣れなければと、花梨は強く自分に誓った。
花梨たち姉弟がマルティンの屋敷で世話になって半月ほど経った。
花梨たちの生活のペースも決まってきた。花梨は午前中に掃除と洗濯をし、午後の数時間マルティンから勉強を教わって、その他の空いた時間は料理の特訓に費やしている。秀英は基本、マルティンと家庭菜園にいるが、時折花梨を手伝ってくれたり、一緒に勉強をしたりした。
料理のレパートリーも、確実に増えている。
勉強を教えてもらうようになったのも偶然だった。花梨が地面に数字を書いて秀英に教えているところをマルティンに見られたのだ。
花梨はこの国に来る前、2年間だけだが学校に行っていた。簡単な計算と読み書きくらいだが、その知識は安宿の下働きになった時も時折役に立った。
そんな経験があるので、5歳の秀英には少し早いとは思ったものの、少しずつ計算などを教えようと思ったのだ。
いつまでこの屋敷にいられるのかはわからないが、ここにいる間が心に余裕があるからできると考えた。
それを見たマルティンが、教師役を買って出てくれた。それも、秀英に対してだけではなく、花梨にも教えてくれるという。
さすがに―――どうしてここまでよくしてくれるのかと、花梨の心の中に戸惑いと疑問がわいた。人手が足りないので小間使いとして雇うまではわかるが、その臨時の小間使いに勉強まで教えてくれる主人がいるなんてありえないと思った。
遠回しに尋ねた花梨に、マルティンは笑いながら「暇だからだよ」と言った。
若い人間に、自分の知識を伝えるのも楽しいよと。
その言葉に裏があるのかどうか、花梨にはわからなかった。だが、改めて考えればこれはチャンスだ。
いずれこの屋敷を出ることになった時、知識があればそれだけ自分の価値が上がる。秀英を育てるためにはお金がいるのだ。
ただ、花梨には前世の記憶がある。30過ぎまで生きた
もちろん、前世の記憶があるなどと言えるはずもないのでおとなしく計算を教えてもらっていたが、マルティンもさすがに商会の相談役をするような人間だ、花梨の計算能力には早々に気づいたらしい。
どこで習ったのかと聞かれて、国でと一応誤魔化した。それで本当に誤魔化しきれたかはわからないが、その後は同じ質問をされていない。
ただ、花梨に勉強を教えてくれるというのは取り消されず、結局、秀英には簡単な計算、花梨はこの国の常識や、歴史などを教わることになった。
「へぇ、30日なんですか」
花梨は初めて知った事実に素直に驚いた。
「ごく常識的なことだと思うが……本当に知らなかったのかい?」
「はい、私は10歳から花街で下働きをしていたので、この国の常識はほとんど知りません」
西大陸では、30日を一カ月とし、1年はそれを12回繰り返した360日らしい。
東大陸で一カ月は36日で、10カ月で1年だ。結局、1年が360日だというのは変わらないけど、少し違うのが面白い。
次に教えてもらったのは、この国の王家の事情だ。
この国の国王には正妃と2人の側室がいて、王妃に王子が2人、第二妃に王女が2人、第三妃に王子が1人いるようだ。正妃の第一子が皇太子で、王位を継ぐのも確実らしい。
「皇太子は21才でね、不愛想だがなかなかの好男子だ」
「……不愛想な、好男子……」
相反する言葉を使うマルティンだが、本人はまったくその矛盾に気づいていないようだ。
「お忍びで城下にも現れているらしいよ」
「え? 皇太子が町にですか? それって、目立たないんですか?」
「もちろん、変装をしているんだよ。花梨のように皇太子の顔を知らない者もいるだろうけど、この国の次の国王だからね、絵姿も多く出ている」
マルティンの話によれば、護衛も表立った者と姿を見せない者と、とにかくたくさんついているらしい。ただ、そこまでして町に出る方が周りの迷惑なんじゃないかと花梨は思う。
(王族の話はもういいんだけど……)
せっかく勉強を教えてくれるのだ、雲の上の存在である王族の話よりも、もっと生活に密着した情報を知りたかった。例えば、お金の価値や、町で売られている食材のこと。それに、あれきり音沙汰の何もないあの金貸しの情報。
彼らは諦めてくれたのか、それともまだ花梨たちを追っているのだろうか。
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