のらねこレストラン(4)

 薫は、盆に品物を乗せ、部屋に戻ってきた。四角い魚皿に、焼きサバと三角に盛った大根おろしが添えてある。ほかに、小皿と箸を持ってきている。薫は、焼きサバをテーブルに供した。

「このままだと食べづらいでしょうから、こちらでほぐしますね」

「サバ! 美味しそう!」と、ホーリーが声を上げた。

 ホーリーは、焼きたてのゆげの出る焼きサバに鼻を近づけたが、熱さを感じてつい猫パンチをした。

「こらホーリー。先程いらないと」

「お母さん、これ熱い! 食べれない!」

「ほぐして冷ましますから。しかし、お客さんの吾輩さんが先ですよ。そうではありませんか」

「にゃー。本当の母と娘のようで微笑ましいですにゃ。ホーリーにあげてくださいにゃ」と、吾輩は言った。

「母と娘とは、なんですか。誤解なんですよ。とにかく申し訳ありません」と、薫が謝った。「それにしても、吾輩さんは、できた猫さんですね」

「にゃー。吾輩はこの大根おろしとかいうやつを一口……」と、吾輩は大根おろしをなめた。

 薫はサバの身を箸でほぐしていたが、手を止めて、吾輩の顔を覗き込んだ。

「いかがですか」と、薫が聞いた。

「にゃー。初めて食べる味にゃ」と、吾輩は顔をしかめた。

「大根は猫が食べても大丈夫だそうですが。ネットで調べてましたけど、大丈夫でしょうか」

「ねえ、ホーリー。これ食べたことあるかにゃぁ」

「おいしくない。それ」と、ホーリーは言った。

「大根おろしだけ口に入れても、美味しくはありませんよ。当たり前ではありませんか。醤油を垂らして、魚の身と一緒に食べます。人間は」

「この味、独特だにゃぁ」

「それは辛いというものかもしれませんね」

 薫は、せっせとほぐした身を小皿に取りながら言った。箸で置くそばから、身をホーリーが口にした。

「まだ熱いのではありませんか。火傷しないように気をつけてくださいね」

 薫がホーリに声をかけた。

「取皿をもう一枚持ってきますね。あと、もう一枚焼き始めます」

 そう薫は言い、小皿をもう一枚持って戻ってきた。

 薫が戻ってくると、吾輩はまた質問を始めた。

「薫さんは、キリスト様のこと詳しいですかにゃ」

「と、いいますと」

「さっき、ホーリーの名前とキリスト様は関係がある、と言いましたにゃ」

「ええ。まあ」

「キリスト様は、十字架にかけられて処刑されたと聞きますが、本当ですかにゃ」

「ええ。有名な話ですよね」と、薫が返事した。「復活したのが本当かと聞かれたら、どうしようかと思いましたが。イエス・キリストという人物が実在して、当時のローマ帝国の行政に十字架に吊るされて処刑された、という部分は、歴史的な事実かもしれませんね」

「にゃんで、キリスト教徒は、教祖を処刑した道具を大切にしてるのかにゃ?」

「なんですか。申し訳ありませんが、もう一度、お願いします。お話がよくわかりませんでした」

「十字架で殺されたのにゃら、十字架が憎くならないのかにゃぁって」

「ああ。『坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い』ということでしょうか」

「ちょっと違うかもにゃ。なんで処刑の道具を十字架を装飾品にして身につけたり、拝んだりするのかにゃ?」

「日本で例えて言えば、こういう話でしょうか」と、彼女はコホンと咳払いして静かに言った。「原子爆弾で敗戦を迎えた日本の国旗が、きのこ雲のマークだったらおかしい」

「そういう話かにゃぁ。それに、その例え話、毒が強すぎにゃい?」

「毒が強いですか。この猫さんは、表現豊かですね。とにかく吾輩さんの疑問は、理解できました。そうですね。他の例。猫で例えれば、車にひかれて母猫を亡くしたら、子猫は車が怖くはないのか、憎くはないのか、という話でしょうか」

「そうにゃ。多分、それだにゃ」

「私は、残念ながらクリスチャンではないのですけれど、知り合いに神父様がおりますので、そちらに伺ってみましょうか」

「神父様とは、なんですかにゃ?」

「キリスト教のお坊様ですね」

「詳しいですかにゃ。その方は。十字架のこと」

「ええ。何と言っても、キリスト教徒を指導する立場の方なのですから。どうして十字架を信仰の対象としているのか、聞けば、理由を教えてくれるはずです。教えてくれないとおかしいですよね。知り合いの神父様は、父と同じ職場の方だったのです。今でも時折お話をお伺いする機会があります。とても助かるんですよ」

「にゃぁ。お父上の同じ職場の方ということは、お父様は神父様だったのですかにゃ?」

「いえ。父は医師で。医師の父の勤め先の職場は、もちろん病院だったのですが、併設された礼拝堂があって、神父様が常勤されている病院だったのですよ。礼拝堂があり、神父様や牧師様がいる病院というのは、少し珍しかもしれませんが、日本でも、いくつかあると思いますよ。ミッション系病院と称されるものです」

「話を伺うって、説教されるんですかにゃ?」

「説教ですか。ありがたいお話を聞くというわけでもなく、お叱りを受けるわけでも。キリスト教的な文化や歴史について、疑問が生じた際、お話をお伺いするのですよ。外国の文化を学ぶ学科の学生なので。例えば、ミッション系の病院の床に、ネズミや蝿をあしらったプレートがはめられていることがあるのですが、どういう理由なのか、など。歩く際に害獣や害虫を踏みつけるためという答えなのですが、少し残酷なのでは、と思いますが。とにかく、キリスト教徒はどうして十字架が憎くはないのか、などとは、今まで一度も考えたことはありませんでした。とても興味深い疑問だと思います」

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