第75話 追憶

 ──幼い頃の俺は、一人で本を読むのが好きだった。小学校でも騒がしい海凪を鬱陶しく思いながらも、本を読んでいたものだ。


 周囲の事にはほぼ無関心で、友達が居ない事も別に気にならなかった。寧ろ子ども特有の意味不明な幼稚な会話に付き合わされないと、清々していたくらいだ。


 そんなある時、俺の日常に変化が訪れることになる。それは、一人の少女との出会いだ。


「あ、あの……」


 宝石のような輝いた瞳。初雪のように眩しい髪色。あまりにも浮世離れした美しさを前に、俺は言葉を失った。

 この世のものとは思えないような容姿をした少女は、まだ幼かった俺にはあまりにも刺激が強かった。


「どうしたの?」


 他の人間とは明らかに違う少女に興味が湧いた俺は、珍しくまともに取り合うことにした。突き放しても蹴り飛ばしても罵倒してもずっと絡み続けてくる海凪のせいで、人を無視する癖が付いてしまった俺からしたら、久しぶりの他の児童との会話だった。


「あ、あぅ……」


 ……だが、少女の中身は非凡でも何でもなくて。


「え、えっと、その……」


 人とまともに喋れないような、ただのおどおどとした内向的な女の子でしかなかった。


「大丈夫?」


「う、うん……」


「そう。用がないなら、話しかけない方がいいよ。俺と話しても面白くないからさ」


 期待外れだった。所詮は普通の人間なのだと失望し、適当にあしらうことに決める。大体の人間はこうすれば二度と話しかけて来ない。こんな気弱そうな少女なら尚更だろう。俺はまたいつも通り読書に戻るだけだ。


 ……そう思っていたのに。


「……いやです」


「え?」


「君とお話したい……」


「どうして?」


「だって、初めて見た時から、仲良くなりたいなって思って……」


「……俺と?」


 よく分からなかった。そんなに綺麗な容姿をしているのなら、誰とでも仲良くなれるのだろうに。敢えて俺である必要は無かったように思う。


 だけど俺は、心の奥底で嬉しがっていたのかもしれない。一度突き放した相手が諦めなかったのは、海凪を除いて一人も居なかったからだ。こんな自分を気にかけるような少女に、少しだけ興味が湧いた。


「勝手にしたらいいよ。すぐに飽きると思うから」


「……!ありがとう!」


 神楽涼花とかいう、妙に神々しい名前の少女。このくらいの事で喜ぶ心情が、よく分からなかった。だが笑顔は可愛いと思った。仲良くするかしないかは別として、可愛い女の子に笑いかけられるのは悪い気はしない。


 そしてその日から、涼花の猛烈なアプローチが始まった。


「ね、ねぇ、その本は……?」


「童話」


「ど、童話って……?」


「辞書で調べて」


「う、うん……」


 涼花は毎日、俺の元を訪れては他愛もない話をしてくる。最初は無視していたが、あまりにしつこいので、仕方なく相手をするようになった。


 普通の子どもなら心が折れて泣いてしまってもおかしくないのだが、涼花はめげずに毎日俺のところに来た。その度に本の内容や難しい言葉の意味を聞いてくるので、仕方なく教えていたら、自分から本を持ってくるようになってきた。


「こ、これ……面白かったから……読んでください……」


「何これ?ラノベ?」


「そ、そう……」


 涼花は恥ずかしそうに顔を赤く染めると、俺に本を押し付けてくる。


「俺こういうの読まないんだけど……」


「い、いいから……お願いします……」


「はぁ……」


 涼花の圧に押され、渋々受け取った本を読み始める。内容はラブコメもののライトノベルで、主人公は平凡な高校生。ふとしたキッカケで気弱で臆病な少女と知り合い、甘酸っぱい恋に落ちて行くという、特に盛り上がり所の無い、普通の恋愛ものだった。


「……ど、どう?」


「普通」


「そ、そう……」


 バッサリと切り離してやったつもりだったのに、涼花は妙に嬉しそうな顔で頬を赤らめていた。


「なんだよ」


「な、なんでもないです……」


「ふーん」


 その後も、涼花とは一緒に居る時間が長くなっていった。俺は相変わらず素っ気なく接しているのに、何故かコイツは俺から離れようとしなかった。


 いつからか涼花が変わってしまうまで、ずっとこの関係は続いていた。

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