第73話 変化

「玲香ちゃんさ、隼人君のこと好きでしょ?」


 それが、笠原君が去った直後、屋上に残された私に対しての朱里の言葉だった。


「……どういう意味だ?」


「あー、そういうの良いから。恋愛面の方で好きかって聞いてるの。玲香ちゃんは天然だから分からないかなー」


 普段の朱里とはまるで違う雰囲気だ。地面に手を着いて、気だるそうに私を見据えている。瞳からは輝きが消えていて、随分と落ち着いた雰囲気が醸し出されている。


 だが、別に驚くことは無い。誰でも表裏というものはある。それは朱里も例外では無いということだ。何も不思議ではないだろう。


「恋愛面か。よく分からないな」


「そう言うと思ったけどさー、好きじゃない方が不思議なんだよね。さっきだって嫉妬してたでしょ?」


「どういう事だ?」


「分からない?私がいつも通り隼人君に撫でてもらおうとした時、止めたでしょ?アレって嫉妬以外の何物でもないよね」


「……そんなつもりは無かったんだがな」


「あはは!自覚無し?もう重症だよ、それ」


 朱里は楽しげに笑いながら立ち上がり、フェンスにもたれかかる。そしてそのまま空を仰ぎ見て、私に視線を向けることなく話を続ける。


「玲香ちゃんはさ、私と隼人君が仲良くしてたら嫌じゃない?ムカつくでしょ?イラっとするでしょ?それってつまりは恋してるってことじゃん!」


「……そうなのか?」


「そうだよ〜。絶対間違いないって」


 確かに、笠原君が他の女性と親しくしているのを見るとモヤモヤすることはある。だがこれを恋だというのだろうか。今まで一度も経験したことの無い感情なので、いまいちピンと来ない。


「まぁ、私も人のこと言えないんだけどね〜」


 朱里は自嘲気味に笑う。そして、ようやく私と目を合わせると、光の入っていない瞳を向けてくる。


「私もね、隼人君のこと好き」


「……そうか」


「あっ、勘違いしないで欲しいのはね、 別に邪魔者を消してやるーとかそういうのじゃないんだよ?ただ伝えておかないとって思って」


「何故だ?」


「んー、仮に隼人君が誰かと付き合うとして、隼人君を愛してるかもよく分からない女に渡したくないでしょ?私は本気で隼人君が好きだからさ、中途半端な気持ちで取らないで欲しいなーって」


 よく分からない。朱里は笠原君のことが好きなのではないのか?まるで私が笠原君と付き合っても問題無いと言っているように聞こえる。好意を抱く人間とは自分が添い遂げたいと思うのが普通だと思うのだが。


「まぁ、でもね、私知ってるの。隼人君は誰とも付き合う気は無いんだよ」


「どうして分かる?」


「だって隼人君、女の子にはまるで興味が無いんだもん。私って物凄く美少女でしょ?なのに妹みたいな扱いしてきてさー。玲香ちゃんも心当たりあるんじゃない?」


「……そうかもしれない」


 確かに、笠原君は私や海凪のことを異性としては見ていない気がする。それは彼の優しさから来ているものだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。


「だからさ、もし隼人君に告白しても無駄なんだよね。私だって本当は諦めたくないけどさ、何やっても女として見られないのなら、いっそのこと、隼人君が好きになった女の子と付き合って貰いたいなーって言うのが本音。玲香ちゃんならまだチャンスありそうだしね」


「……そうか」


「うん。だからさ、もし玲香ちゃんが隼人君のこと好きだっていうのなら、頑張ってアピールしないとね。ライバルは多いから、早めに動いた方がいいかも」


「……分かった」


 朱里の言っていることはよく理解出来なかったが、とりあえず返事をしておく。


「それと、もう一つだけ忠告しとくね」


「何だ?」


「隼人君って物凄く人気だからさ、彼女が出来きるかもしれないよ。そしたら多分今まで通りに構ってくれなくなると思うから、覚悟しておいた方がいいよ」


「……えっ」


 朱里の言葉に思わず動揺してしまう。


「じゃ、先に行くね。またね玲香ちゃん」


 朱里は妖艶に微笑むと、弁当箱を抱えながら屋上を去っていく。私はその場に立ち尽くしたまま、自分の左胸に手を当てる。鼓動は自分でも驚く程に落ち着いていたが、猛烈な不安感に似たざわめきを感じる。


「……それは、困るな……」


 私の中で、何かが変わりつつあった。

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