第4話 いぬ

 俺が声を掛けると、そこからひょこっと一人の少女が顔を出した。

 夕暮れの日の当たらない場所に佇む少女は、宝石のような水色の瞳を不気味に輝かせながらこちらを見ていて、髪は雪のように真っ白だ。

 どう考えても日本人の姿ではなく、学校の廊下に居るのが不自然に感じるほど浮世離れした存在だった。

 異様な雰囲気を醸し出す少女はニコリと笑い、俺の方へと歩み寄ってくる。


「……貴方は本当に駄犬ですね。主人に隠れて他の人間にしっぽを振るなんて。調教が足りないのでしょうか」


「出会っての第一声がそれか。何度でも言うが、俺はお前の犬にはならないからな。しっしっ!」


「どうでしょうか。貴方は私に屈服せざるを得ないと思いますよ」


「どういうことだよ」


「分からないのですか?流石は駄犬です」


 そう言って、少女はクスクスと笑う。

 清楚そうな見た目からは考えられないような酷い言動をするこの少女の名前は、神楽涼花かみぐらすずか

 紹介はするまでもない。一言で言うのならば『悪役令嬢』だ。意味がわからないかもしれないが、それ以上もそれ以下も無い。

 涼花は口角を三日月のように大きく吊り上げる。


「放課後の廊下で愛の営みを行う、生徒会長様と副会長様。皆様が知られたらどう思うでしょうか?」


「どう思うも何も、愛の営みなんてしてないぞ。会長も俺も微塵もそんな風に思ってない」


 確かに会長は魅力的な女性だが、あまりにも完璧人間すぎて、こちらが着いて行けるような気がしない。

 それと美少女なのが一番駄目だ。その時点で異性として見るのは無理がある。

 ……って、何を言っているんだ俺は。勝手に会長を品定めするな。あの人は人として本当に尊敬に値する方だ。


「ふふっ、そうでしたね。貴方は私だけの犬なのですから、他の主人になびく道理はありません」


 涼花はお淑やかに笑うが、言っている内容は上品さの欠片も無い。


「俺は犬でもなければお前のでもないぞ」


「いいえ、貴方は私の犬です。その証拠に、会長様よりも私を優先してくださったでしょう?」


「お前に逆らうとロクなことが無いからな」


「よく分かっていますね。流石は私の忠実な愛犬です」


 短い銀髪を、窓から入り込む風で靡かせながら涼花は笑う。

 たったそれだけの事でも絵になっていて、一つの絵画を見ているようだった。

 俺よりも何回りも小さい身体に、整った目鼻。人を見下すようなジト目すらもこの少女の魅力を引き立てている要素になっている。親がロシア人ということもあり、髪は雪のように真っ白で、瞳はサファイヤのように水色に輝いている。


 まるで西洋の人形のような可憐さとあどけなさを感じさせるが、中身は随分と大人びている。

 いつも上品な笑顔を浮かべているが、その裏に潜む感情はかなりえげつない。

 鈴の音のような綺麗で儚い雰囲気を感じさせる声色で、人を犬扱いしてくる始末だ。

 だが実家は超がつくほどの大企業で、日本で名を知らない人間が居ないほどの規模である。

 即ちコイツはガチモンの西洋風お嬢様ということだが、残念ながら悪役令嬢寄りの性格となってしまっている。

 だが、それでもこの学校で屈指の美少女であることは間違い無い。

 顔が整っていない女子しか愛せない俺からしたら、プラスになりうる要素では無いが。


「ああ、なんて聞き分けの悪い犬なのでしょうか。貴方が地を這って私に服従する姿を見るのが楽しみでなりません」


 涼花は愛おしそうな目で俺を見つめてくる。

 だがその瞳に潜む感情は愛情なんかじゃない。ただ俺を屈服させたいだけの、歪んだ支配欲。

 本当に気持ちの悪い奴だ。普段は仮面みたいな胡散くらい笑顔ばかりを浮かべてるくせに、俺と話す時は心の底から楽しそうだ。


「とんだ変態だな」


 俺は無表情を一切崩さずに会話を続ける。


「ふふっ、そのような口を利けるのも今のうちですよ。いずれ貴方は私の所有物になります」


「諦めてくれ。俺は何をされてもお前に屈しない」


「そうですか……」


 涼花は暫く顎に手を添えて考え込むと、何かを閃いたように手を叩く。


「では貴方が犬になった暁には、好きな駄菓子を十個買って差し上げます」


「安く見られすぎだろ。俺は聞き分けの悪い小学一年生か」


「ふむ……足りなかったでしょうか」


「数の問題じゃない」


「では、神楽家の所有する財宝を全て差し上げます。ただのガラクタと変わりありませんから」


「いきなりハイレベルすぎだろ。……ちなみに何があるんだ?」


 受け取る気は無いとはいえ、それだけは興味があった。


「確か、何百年もの歴史がある伝説の宝刀や、解読不可でありながら、この世の真理が書かれていると言われている書物。その他諸々ですね」


「ガラクタじゃないだろ」


 とんでもないお宝のような気がしてならないんだが。


「何も使い道が無いのですからそうでしょう?シャーペンの方が価値があります」


「売ったら相当な金になるだろ」


「お金ならいくらでもあります」


「うわー、現実でこれ言える奴初めて見たー」


「ふふっ、そうでしょう?神楽家の財力を持ってすれば、貴方は一生働かずに生活が出来るのです。更にこんなに優しい私のペットとして──」


「あっ、そういうのいいんで」


「むぅ……」


 涼花はほっぺたを膨らませる。

 実際嘘でもなんでもなく、コイツは金で手に入れられるものなら何でも入手出来る。

 この前なんて、いくら入ってるかも分からない札束が積まれたケースを渡されて、これで犬になってくださいとかいう頭のおかしい提案をされた。勿論拒否したけど、一瞬だけいいかもと思ってしまったのは内緒だ。


「ほら、そろそろ帰りますよ。何はともあれ会長様より私を優先したのですから、ご褒美にアイスでも買って差し上げます」


「いらん。神楽財閥のご令嬢に奢らせる訳には行かないだろ」


「いいえ、貴方にはアイスを食べてもらいます。命令です。拒むことは許されません」


「何でそんなに俺にアイスを食わせたいんだ」


「愛犬に餌を与えるのは、主人として当然の務めですから」


「そうですか……」


 少し長い付き合いのせいか、俺は何故かコイツに気に入られているため、一方的に歪んだ感情を押し付けられている。

 会長と二人で話すのも貴重な時間だから、あのまま無視して一緒に帰るのも良かったが、下手すりゃ会長にも被害が出かねない。

 君には失望したよとか言われて、生徒会でも雑用ばかりさせられるかもしれない。それだけは避けねばならなかった。

 涼花は俺の考えていることを読んだのか、不服そうな目でこちらを見上げてくる。


「それにしても、会長さんとは随分と仲睦まじくお話していましたね。美しい女性には興味が無いと仰っていた記憶がありますけど」


「だから違う。俺と会長はそんなんじゃないんだって。主人と犬より何百倍も健全な関係だ」


「まるで不倫の証拠を突き出された夫のような言葉ですね。実に愉快です」


 涼花は口元に手を添えると、ふふっと笑う。

 何がそんなに面白いのかは分からない。コイツは頭のネジが何本か外れているから、笑いのツボも普通とは少し違うようだ。


「ここで立ち話も何ですし、私のお家でお茶でもしませんか?」


「絶対に断る。お前の家は色々疲れるからな」


「あら、それはどういう意味でしょう。私に何か不満でもあるのですか?」


「お前に不満があるのは勿論だけど、メイドやらSPやら多すぎるし、広すぎて全然落ち着けないし、その他諸々だ」


 コイツの家は漫画に出てくるようなとんでもない大豪邸だ。

 青狸が出てくる国民的アニメで言うところのス○夫の家。いや、それを超えているかもしれない。

 とにかく友達の家に寄り道のノリで言っていい場所じゃないのは確かだ。


「ふむ……では仕方ないですね。貴方のお家に──」


「絶対に断る。駄目だ」


 俺が一瞬で拒絶すると、涼花は妖艶な笑みを浮かべて俺の顔を見上げてきた。


「犬の分際で二度も断るのですか?これは再調教が必要みたいです」


「頼むから止めてくれ」


「冗談ですよ。そんなに嫌そうな顔をしないでください」


 涼花はクスリと笑うと、こちらに手を差し伸べてくる。


「さぁ、帰りましょう」


「おい、手は繋がないからな」


「どうしてですか?何か問題でも?」


「俺は命が惜しい」


 さっきも殺されかけたばかりだと言うのに、神楽財閥関係者を敵に回すような真似はしたくない。

 それに単にこんな奴と手を繋ぐのが嫌なのもある。手が小さいから少し屈まないといけないのが面倒で仕方がない。

 涼花は額に手を添えながらため息をついた。


「……これで要求を三回も断られました。貴方は本当に駄犬ですね」


「もう諦めろって。俺はお前の犬にはならない」


「ふむ……まぁいいでしょう。私は寛大なので今は許してあげます」


「助かるよ……」


 俺は心の中で安堵のため息をつく。

 どうせまた強引な手で押し切られると思っていたが、意外とあっさり引き下がってくれた。


「その代わり、帰りに私にアイスを買ってください。ハーゲンのクッキークリームがいいですね」


「……分かった。従うよ」


 何だか誘導された気もしなくもないが、俺の生命が脅かされるより何百倍もマシだった。

 にしてもコイツ高いやつ要求しやがって。庶民からしたら結構なご馳走なんだからな。

 俺達は並んで歩くと、階段を下りて下駄箱へと向かい、靴を履き替えて外に出た。

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