9-4 入社

 そして、ついに運命の日が来ます。その日も月曜日で、会議がある日でした。ところが、目を覚ますと酷い頭痛がして起き上がれません。いえ、枕から頭を上げることすらできないのです。無理に起きようとすれば、直ちに胃液が逆流してくるのを感じました。体も全身が鉛のように重く、息が切れてしまう状態でした。私は何とか電話で上司に休みを貰い、タクシーで病院に行きました。内科の大きな病院でした。私は緊急入院をして、検査を受けましたが、内科的な異常は見られず、近くの心療内科や精神科を勧められました。心療内科でも精神科を勧められ、結局今の病院に行き着きました。

 そこで、初めて病名が判明しました。統合失調症と言う、現在では完治できない病気でした。私は会社を辞職して、家に戻りました。会議は営業部の男が仕切っているという話で、乗っ取られたのも同然でした。悔しいのが半分、悲しいのも半分でした。どうして被害者の私が会社を辞めなければならないのか。しかも、辞職理由は「一身上の都合」というありふれた形式的なものを求められました。私は上司に辞表を受理してもらい、会社に別れを告げました。春に入社して、秋には退社に追い込まれたのです。あれだけ中の良かった同期や先輩からも、言葉一つ貰えませんでした。それは私が、会議を駄目にして、逃げたと思われていたからです。

「本当は仕事ができない人だったんだね」

「そう言えば、あの人、不良高校出身だって聞いたよ」

「うわ。まじで?」

「仕事が出来る女って顔してたけど、見下してたよね」

「生意気だったよ。だから、自業自得じゃない」

私の背中にぶつけられたのは、そんな言葉の数々で、会社に友人も作れなかった私は、仕事しか見えていなかったことに、愕然としました。

 家に帰って治療が進み、改めて就職活動をしなければならなくなりました。年齢的には余裕がありましたし、学歴にも問題はありません。ただ、高校名と数か月で退職していることが問題視されたあげく、精神障碍者ということで、差別を受けました。ハローワークに通い、担当者が何社か電話をしてみてくれたのですが、私の障害が明らかになると、電話口の態度が一変しました。

「求人に、心身ともに健康な方って書いたよね?」

「女じゃなくて、男が欲しかったんだよ」

そう言って、書類も見てもらえませんでした。私は医師とも相談して、正社員をあきらめなくてはなりませんでした。パートやアルバイトの求人を探し、就職活動をしても、やはり障害者雇用は難しく、どの店も雇ってくれませんでした。やっと雇ってもらっても、仕事ができない私はすぐにクビになりました。

 仕事がないということは、精神的に大きな損害を人間に与えます。私も随分不安定になりました。仕事がなかなか見つからず、私は自分の社会的立場が分からなくなり、酷く弱気で卑屈で、臆病になりました。人はこんな時に暴力的になることを、初めて知りました。弱くて臆病な自分を隠すために、人は苛立って暴力的になるのです。家族にあたり、物を壊しました。仕事をしていないということは、力が有り余っていて精神的に不安定だったからと言うのは、言い訳にすぎません。でも、仕事がないということは、経済的にも苦しく、精神的にも肉体的にも厳しいのです。

 私はついにハローワークで腹をくくります。避けていた清掃業の求人票に手を出したのです。清掃業が世間から悪い印象を持たれていることや、清掃という仕事がキツイことは分かっていたので、今まで避けていました。しかし、通院日を加味してくれて、かつ障害に気を使ってくれる職業は、ここしかありませんでした。ハローワーク職員からの電話で、すぐに面接の日程が決まりました。普通は面接の前に履歴書の書類審査があるのに、それは面接の時に見せてくれればいいと言われました。

 私はいきなり社長からの面接を受け、履歴書を出しました。すると社長は私の学歴を見ながらこう言いました。

「こんなに高学歴で、大手に勤めていた人が、清掃なんかで満足できるの?」

私は正直、ここで憤りを感じました。清掃会社の社長である人が、「清掃なんか」と言ったのです。自分たちの仕事を愚弄するなんて、信じられませんでした。私は落ちるのを覚悟で、生意気な口を叩きました。相手を論破することには自信があったので、すぐに言葉が溢れて来ました。

「汚いところで仕事をしたい人はいません。綺麗なところで仕事がしたいのは、当然のことです。つまり清掃とは、全ての仕事のモチベーションを上げられる仕事だと言えます」

私の言葉の後、一瞬だけ沈黙が降りました。これが相手を完全に論破した時の空気だということは、知っていました。しかし、そこにもはや高揚感はなく、後悔だけが残りました。ここでも、私は不採用になると思ったからです。しかし、後日、私は採用されていました。制服はダサいし、仕事はきつくて、理不尽なことも多かったのですが、自分の言葉を信じるしかありませんでした。


◇ ◇ ◇




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る