9-3 折れる

 毎週の月曜日の午後に、新プロジェクトの会議が行われることになり、顔合わせの初会議が行われました。各部署から集められた精鋭部隊のリーダーと言っても、私は一番年が下なので、第一印象と粗相のないようにということだけを、気を付けていました。そこで、営業部の男性から私は名前を確認され、しっかり働くようにと言われました。私はその言葉の裏を理解せず、そのままの意味として受け取ってしまいました。今思えば、私はまだ世間ずれしていなかったのだと思います。だから、表面的な言葉を鵜呑みにして、深く考えずにいたのです。長年自分の仕事を一生懸命やってきた人々が、入社一年目の女に従う。これが相手にとって、どれだけ苦痛で、悔しいことなのかを、私は考えることができませんでした。想像力の欠如とも言えましたし、若気の至りとも言えました。名前を確認されたのは、お前のような新参者が、という想いがあったのです。そして、一生懸命働くように、ということは、自分の立場をわきまえろと言っていたのです。


 お互いの歯車がかみ合わないまま、会議は進んでいきました。ところが、会議で不思議なことが起きていました。私が皆の意見をまとめようとすると、件の営業の男性が横やりを入れ、まとまりかけた話をまた平らにしてしまうのでした。私は初め、何が会議で起きているのか分からない状態で、自分の不手際だと思っていました。しかし、そのことを先輩に言うと、それは営業部の嫌がらせだと指摘してくれました。そしてこの日から、営業の男性からのメール攻撃が始まりました。私は朝出社するとすぐに、溜まっていたメールに目を通すことにしていました。私は出社し、いつものようにパソコンを起動させ、メールボックスをクリックしました。そこには、「会議について」と題された営業部の男性からのメールが何通も入っていました。メールの内容は、会議での私の不手際をなじるものもあれば、私の会議の進め方が企画運営部よりで、他のメンバーの意見が無視されているという内容のものもありました。その文章はA4用紙が真っ黒になるくらいに、書いてありました。私は初めは自分が悪いのだからと、そのメールに対して、何度も謝罪し、次からは気を付けると書いて返信していました。しかし、これが毎日続くと、さすがに重荷になっていきました。

しかし、私がどんな状況であろうと、月曜の午後からは手入れ会議と決まっています。しかし、その営業の男性がまとまりかけるとすぐに、反対意見や別の意見を出して、会議そのものを意味のないものに変えていきました。すると当然のことながら、他のメンバーからも不満が噴出し、私への風当たりは強くなっていきます。


「こんなできない奴が、どうしてリーダーなんだ?」

「使えない奴だ」

「だから女は」

「上下関係をわきまえろ」


 徐々に、私に聞こえるように悪口を言う人も増えてきました。私はこの頃から、慢性的な頭痛と吐き気、喉の詰まりが気になり始めていました。しかしここで折れてしまっては、余計に迷惑がかかると思い、誰にも相談できずにいました。


 そして、事態はさらに暗転します。どういうわけか、会議に無関係な営業部の部下を、その男性は連れてくるようになりました。さすがにおかしいと思い、部下の方はご遠慮願うと、男性は鼻を鳴らして言いました。


「企画運営部に傾倒している会議だから、見学に来させたんだ」


 まるで日本語としておかしい内容ではありましたが、周りの目もあり、そのまま男性の部下を会議に出すことになりました。


「力不足の奴が、足を引っ張るから、ちょうどいいだろう」


 男性はその会議の去り際に、こういい捨ていきました。そして、大量のメールが再び送られてくるようになりました。この頃になると、私は同期に心配されるようになりました。しかし、こんなところで不甲斐ない姿を見せたくないという願望と、情けなさから、何も言えませんでした。そして喉の詰まりは酷くなり、食べ物を食べられなくなり、水もやっと口にできる程度になりました。この時の体重は今よりも七キロも痩せていて、体重計が壊れているのだと思ったほどです。


 私は会議を何とか成立させようと、まず、会議を二つに分けてそれぞれに案を出してもらうことにしました。メールで会議の構成員にその旨を伝え、実際の会議でそれを実行しようとしました。その時は営業部の男性とその部下は出張中で、テレビ会議での参加でした。私が会議を進めようとした矢先、営業部から怒鳴り声がしました。


「何様のつもりだ! 勝手に会議を二つに分けるとは、前代未聞! 言語道断!」


 営業部の男性が、会議資料を床に叩きつけていました。私が寝る間も惜しんで作った資料でした。


「謝れ! 今すぐに謝罪しろ! そして撤回しろ!」


 怒鳴りつける男性の隣りで、部下が私を蔑んだ目で見ていました。私は咄嗟に、こんな奴は論破してしまおうと思いました。会議を毎回潰すことしかできない相手に、私なら論破できると確信していました。しかし、論破のため開きかけた私の口は、閉ざされました。会議に出席していた他のメンバーが、小声で私に謝るように諭してきたのです。


「折れろ」

「お前が謝れば済むことだ」

「早く、謝れ」

「お前が悪いんだから」

「折れろ。こっちまでとばっちりだ」


 小声で上がったその言葉の全てに、私は絶望し、泣いてしまいました。すると、周りは残念なものを見るように、肩をすくめました。


「あーあ。泣いちゃった」

「嘘でしょ? 会議で泣くってあり得ない」

「めんどくさいな。だから女は」


 私は一人、会議室を飛び出していました。ロビーの椅子に座って、目頭にハンカチを押し付けて、一人で泣きました。そして、このままではいけないと思い、会議室に戻りました。そこには、パソコンの中で嗤う男性の姿がありました。そして一言、私に向かって言いました。


「出来損ないがいなかったおかげで、スムーズに会議が終わったよ」


 そう言って、パソコン画面が消え、メンバーも椅子から立ち上がってそれぞれの部署に帰っていきました。その中で、一人の女性が私に驚愕の事実を伝えました。


「あの営業の男性は、パワハラで有名なの。知らなかったの?」


 最初からこうなることは目に見えていたのに、と女性は私をバカにして会議室を後にしました。会議室には、私だけが残りました。私は悔しくて、悲しくて、腸が煮えくり返りそうでした。私が本気で弁を立てれば、あんな男はすぐに陥落するのに。すぐに論破できるのに。そう思っていました。





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