九章 過去

9-1 恐怖

 あれほど毎日降っていた大雨が、嘘のようにぴたりと止んで、蒸し暑いいつもの夏が戻ってきた。相変わらず臭くて汚いところで清掃を続ける俺たちは、今日も大汗をかきながら作業をしている。最近は変な蜂や蠅が出るようなったり、夜まで開館しているからその光に大量の羽虫が引き寄せられたりして、仕事量が増えた。避難所としての役目を終えたのは、豪雨災害から三日後のことだった。十人以上いた避難者たちは、家が床下浸水していても自宅に帰らなければならかった。酷なことではあるが、日常を取り戻さなければ、何も始まらないのは事実だ。自然の驚異を知りつつも、人間も強いと思うこの頃だ。


 昼食を秋元と一緒にとるが、秋元の過去はまだ聞き出せていない。何故、一見有能そうな秋元がここで清掃員をしているのか。研修会の後に何故あれほどまでに不安定になっていたのか。まだ謎のままだ。しかし、今日、ついに秋元の過去に繋がる場面を目撃してしまった。それはいつものように、事務室に掃除庫の鍵を取りに行った時のことだ。事務室ではその時、業務用のプリンターの調子が悪く、業者に電話していた最中だった。そのプリンターの様子や、電話の様子を見た秋元は、明らかに動揺していた。何故か玄関や事務室に近寄らずに、作業をしている。来館者にいつもの挨拶もしない。そして午後になり、業務用のプリンターの修理業者が来た時、秋元は視界の端にそれらの人々を捉えると、掃除庫に籠ったのだ。何かあると、俺は清掃も放り出して、掃除庫に押し入った。


「何してるんだよ? 就業中だろ? サボりか?」


 秋元は冷静を装おうと必死だが、何かに怯えているのが明白だった。

 

「何か、後ろめたいことでもあんのか?」

「そう言うわけでは……」

「じゃあ、何だよ?」

「怖いんです」

「何が?」

「それは、言えません」


 そう言って、秋元は椅子に座り込んでしまった。よく見ると、肩の辺りがかすかに震えているように見える。表情も硬く、引き攣っている。


「言えよ」

「すみません」

「謝るんじゃなくて、説明しろって言ってんだよ」

しばらくの沈黙の中に、秋元の逡巡が伺えた。もう一押しとばかりに、俺は言った。

「研修会の後のことと、関係あんだろ?」

秋元はハッとして目を見開いた。そしてうなだれたまま、秋元は自分の過去を語り始めた。





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