七章 キッズイベントの洗礼
7-1 催し物
うだるような暑さが続く夏に、俺たちも衣替えをした。衣替えと言っても、上の制服を長袖から半袖にするだけで、ズボンはそのままだから、高校までの劇的な制服の印象の違いはない。高校までは制服が夏用になるだけで、さっぱりとした夏らしさがあったが、今は言われなければ気付かれない程度だ。俺たちの仕事場は休憩所の掃除庫も含めて、エアコンがない場所を清掃することだから、ズボンも半ズボンにしてほしいところだ。今にも熱中症にかかってしまいそうだ。しかし、足を出すことは原則禁止されているし、半袖をこれ以上まくることもできない。少しでも着崩すと、クレームが入るらしい。事務の方はクールビズをいいことに、ポロシャツと言う軽装でも許されているし、図書館はエアコンがガンガン効いている。この待遇の差は、一体何なのか。
むしゃくしゃしながら、掃除庫に入り、掃除機を運び出すと、珍しく事務方から声が掛かった。
「今日はイベントがあるから、気を付けて掃除してね」
事務方は俺たちに対してため口だが、俺たちは事務方には敬語を使わねばならない。これは雇用関係だと秋元に言われたので、ぐっと我慢して「はい」とだけ答えた。しかし、返事はしたものの、何のイベントなのか知らなかった。玄関ロビーに今日の予定がホワイトボードに書いてあることを思い出し、掃除機をかける前にホワイトボードを読んでみた。すぐに、読むまでもないことが分かる。ホワイトボードには、何かが書いてあるのではなく、紙が貼ってあったのだ。広報誌に挟んであったチラシのようだが、俺はそんなものを見る習慣がない。そのため、今日の「わくわくキッズランド」という催し物が、この施設で行われることを知らなかったのだ。十時から十七時までの全館利用となっている。この時間があてにならないことぐらいは、もう経験から知っていた。催し物には準備がいる。特に子供が集まるのだから、当然準備は手の込んだものになる。この鄙びた町に子供が少なくても、他から集まれば、全館子供だらけになる。そして子供にはもれなく親がついてくる。全館で様々な催し物があるから、人ごみの中をどうやって清掃すればいいのか、全く見当がつかない。
「何してるんですか?」
モップを器用に扱いながら、秋元が声をかける。
「だって、これ。どうすんだよ?」
「ああ。毎年の恒例行事だそうですね」
「毎年?」
俺は頓狂な声をあげ、ホワイトボードの上の紙を見た。確かに「第六回」とある。今まではどこか近くの施設でやってきたらしい。今回は新しく出来たこの文化施設に白羽の矢が立ったというわけだ。
「お子さん、いっぱい来ますよ」
「それぐらいは分かるけど、掃除できないだろ」
「避けながら清掃します。大丈夫だと思います。それより、掃除機を早くかけないと玄関の邪魔になります。急ぎましょう」
そう秋元は言って、モップをいつもより早く動かして、どんどん先に行ってしまう。この施設は出来たばかりだから、秋元もこれが全館利用は初めてのはずだが、全く動じていない。しかも、大丈夫だと言う自信はどこから来るのだろう。不思議に思いつつ、俺も倍速で掃除機をかける。風除室に出ると、蝉の声と共に、湿気の多い熱風が入り込む。暑いと感じていた館内には催し物のために冷房が効いていたのだ。それでも、いつもの倍は動き回る俺の汗は額を伝い、首筋に流れていく。服もべたついて気持ちが悪い。これでも清掃員が臭いと言わせないように、工夫しなければならない。汗はこの季節なら誰でもかくし、かかなければならないものでもある。それなのに、汗臭くしないようにというお達しだ。俺はポケットの中に入れていた冷感作用をうたうデオドランドシートを取り出し、トイレで汗を拭いてゴミ箱に丸めていれた。一方の秋元は、本当に夏でも顔に汗を全くかいていなかった。羨ましいと同時に、恐ろしいと思った。
掃除機をしまい、スポーツドリンクを飲んでいると、秋元が入ってきた。汗をかいていないだけで、涼しげに見えるから事務所受けがいいが、汗をかかないと言うことは体には熱がこもってしまうから、熱中症の危険度は増す。秋元もスポーツドリンクで熱さをしのいでいる。そしてキャップを閉めながら、秋元は毅然とした様子で言った。
「今日は主にトイレ清掃になります」
「げ。マジ?」
夏のトイレは清掃しても換気扇を二十四時間回しても、臭気がこもってしまう。特に俺たちが使うSKはトイレの奥にあり、常に締め切っているので湿気も臭いも酷い。まるでどぶのような臭いだ。その上、ゴム手袋は下げて保管しているのに乾かず、夏場はいつも手を入れるとぬめぬめしていて、鼻をつまみたくなるくらい臭い。そんな物を一日中つけていたら、俺の手の方が腐るのではないかと、心配になる。本当は嫌だと叫びたかったが、自分の子供の頃を思い出すと、確かにトイレはよく使った。そして使う割にはマナーなんて知らなかった。トイレットペーパーを引っ張って遊び、破りまくる。珍しいものはとりあえず手に取って遊ぶ。さらに手はハンカチなんて持っていなかったから、ぶるぶると大きく振って水滴を飛び散らかしていた。小便器から垂れた自分の尿を踏みつけて、そのまま走ってどこかに行くことも日常茶飯事だった。これを考えれば、トイレに貼りつくのが清掃員の役目であることもうなずける。
「モップ掛けは、小さい子も来るので、床だけでなく周りも注意して下さい。落とし物や迷子が見つかった場合、事務室にすぐに連絡してください」
「はい、はい」
トイレに貼りつくから、他のところは掃除に入らずに済むかと思いきや、通常の清掃にトイレの見回りが追加されただけだったので、俺はうなだれた。事後清掃が基本だから、明日はもっとひどい状態の部屋を掃除することになるのだが、俺はそこまで想像力豊かではなかった。
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