6-2 質疑応答

 そのためにも、相手の話は最後まで聞こうと言うことだろう。普段は何があっても動じない、ある意味鉄の女だから、秋元が相手に対して攻撃の機会をうかがうこと自体、初めて見る。普段苛ついた様子も見せない人が怒ると怖いと言うし、質疑応答の時間が楽しみだった。それとも今、秋元は苛ついているのだろうか。ふと、俺は秋元の方を見やった。資料に講師のいうことをメモしながら、秋元は、わずかに笑っていた。ただそれだけで、怖かった。


 講義は続く。環境問題に配慮するために、使い捨ての道具を使わないことや、会社の環境目標の設定。世界の環境変動についてという真面目な話が最初に来た。その割に、二酸化炭素の排出量が多いのは家庭からだと言う説明もする。俺にはちんぷんかんぷんだ。次に講師はプライバシー保護について話し始めた。自分のデータはもちろん、他者のデータも大事に扱うようにという話だった。そして最後に、講師はある番組の話をした。それは世界一清潔な空港に選ばれた東京空港の清掃員の密着ドキュメンタリーと、東京駅の新幹線の清掃員たちのドキュメンタリーだった。


「いいですか? 清掃員でもこんなに素晴らしい仕事をする人もいるんです。こうして取り上げられるように、皆さんも日々、努力する必要があります。最後にこのドキュメンタリーを見て、講義終了とします」


 そう言って、講師がパソコンにDVDを挿入し、プロジェクターにドキュメンタリーの映像が流れ始めた。空港の清掃員の生い立ちや、清掃を極めるまでの経緯まで、コンパクトにまとめられていた。そして新幹線の清掃は、目にも止まらない早業で、連係して無駄の動きをしていたことが印象的だった。しかし、最初にここに集まった清掃員たちを見下しておいて、テレビに取り上げられる清掃員を目標に頑張れというのは、何だか納得がいかない。どう言えばいいのか分からないが、どこか矛盾しているように感じた。


 ここで、俺の隣りから腕が伸びた。真っすぐ天井に向かって伸びた腕は、秋元の物だった。


「質疑応答、よろしいでしょうか?」


 秋元の声がわずかに震えていた。緊張しているのではない。怒りのあまりに声が震えているのだ。そうとも知らず、講師は面倒くさげに、秋元に質疑応答を許した。秋元が椅子を引いて立ち上がる。そしてその曇りない眼で、真っすぐに講師を見つめていた。


「発言者は、講義の初めに、集団の話をしていましたが、最後には個人の話しで締めくくりました。これは本来分けて考えるものだと思いますが、何故十把一絡げに語られたのか、お答えください」


 皆がぽかんとする中、秋元だけが静かな自信に満ちた顔で、立ったまま言った。良く通る声で、その表情からは清々しささえ感じる。まるで、水を得た魚のようだ。これに対して、講師は嫌そうに顔をしかめた。


「質問内容が分かりませんね。何を言っているのかはっきりさせて下さい」

「では、分かりやすいことを伺います。貴方は清掃が素晴らしいからDVDに出てきた女性たちを見習えと言ったのではなく、テレビに取材されたから見習えと言ったのではないですか?」


 講師は一瞬ハッとしたような顔になり、ついに口をつぐんだ。


「そんなことはありません」

「では、空港でも新幹線でもない私たちは、努力が足りないからテレビに出られないということではないのですか? 貴方は初めに、こう言いました。皆さんの仕事は、たかが掃除です。誰にでも出来る簡単な仕事で、頭を使いません、と。実際の清掃は本当に簡単で、誰にでもできる頭の使わない仕事なのでしょうか?」


 秋元は、いつになく楽しそうだ。俺はもっと言ってやれと思っている。おそらく、周りの皆も同じ意見だっただろう。あれだけ饒舌だった講師は、もう何も言えないまま黙るしかなった。それを見た秋元は、これ以上追求しても講師が答えられないと思ったのか、残念そうに首を振った。


「残念ですが、時間です。私の質疑はここまでです。お時間、ありがとうございました」


 講師は顔を真っ赤にして、講義をしめ、逃げるように部屋から出て行った。それと同時に弁当が配られ、それぞれが解散していく。


 俺は秋元の応援ばかりしていて、講師が黙った時には快哉を叫んだが、皆の反応はあまりよくなかった。


「出しゃばり。時間が押しちゃったじゃない」

「本当に迷惑ね。明日早いのに」

「時間ばかり取って、何様のつもりかしら」


 秋元はそんな苦情に対して、頭を下げていた。俺はその光景に苛ついた。秋元は皆のために質疑応答に手を挙げたのに、そんな言い方はないだろう。悪いのはあの講師であって、秋元ではない。確かに清掃員は業務時間外のスーパーなども請け負っているから、朝早く出勤したり、逆に夜勤だったりと大変だ。時間をやりくりして、それぞれが集まっていることも分かっている。しかし、秋元は皆の声を代弁していたに過ぎないのではないか。それを責めることは、誰にもできないのではないか。俺は弁当を二個棚から持ってきて、一つを秋元に渡した。


「ありがとう」


 素直に弁当を受け取った秋元は、どこか寂しげだった。


「かっこよかった」


 俺は素直な感想を述べたが、やはり気恥ずかしかった。秋元が目を見開いて、俺を見ていたので、俺は部屋を出た。秋元も慌てて俺の後をついてくる。


 車に乗り込むと、会社の事務室の明りが点いていて、その中で講師が泣いているのが、暗い外からよく見えた。正直に言って、ダサイと思った。自分から見下しておきながら、思わぬ反撃にあったからといって、大の大人がめそめそと泣くなんて、バカバカしい。俺は秋元が乗り込むと、すぐに車を発進させた。俺が運転していると、秋元はつぶやくように言った。


「ダメですね、私。またやっちゃいました」

「何が?」


 何が駄目で、何をやってしまったのか。つまり、何を後悔しているのか。


「講師の人を傷つけて、皆に迷惑をかけてしまいました」

「講師の方が駄目なんだろ。それに、迷惑なんて誰にもかけてねぇよ」

「そうでしょうか? 私の昔取った杵柄は、もう必要なんてないのに」

「何だよ、いきなり。杵柄?」

「過去に得た経験と言う意味です」


 その言葉から、わずかに沈黙があった。俺は沈黙が苦手だ。


「何で、あんなに怒ったんだよ?」

「皆の仕事を侮辱されたのが、許せなくて」

「だろ? 皆、案外スカッとしたかもしれないぞ?」

「嘘です」

「は?」

「本当は、皆のことなんて考えていませんでした。私は自分の仕事に口を出されて、怒ってたんです。それに、講師の説明にも腹が立っていました」

「先輩、俺は先輩がかっこよく見えたし、言ってもらって嬉しかった。いいじゃん。たまには人に迷惑かけて自分を優先させたって」


 俺はコンビニに車を停めて、秋元に待っているように言った。コンビニに駆け込んで、ホットコーヒーを二人分買う。そして一方を秋元に差し出した。


「ほら、先輩にご褒美」


 俺がぶっきらぼうに言うと、秋元はおずおずとそれを受け取った。


「ありがとうございます」


 コーヒーを無言で二人で飲んでから、俺は車を再出発させた。


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