六章 授業のような研修会
6-1 通達
掃除庫に入っているのは、清掃道具だけではない。数々の備品がストックされている。そのため、ただでさえ狭い掃除庫に、カラーボックスが三つもある。そこに、ゴミ捨て使うビニール袋だったり、ハンドソープの詰め替え用だったり、各種洗剤や雑巾の詰め替え用などが収納されている。特に場所をとるのがトイレットペーパーの備品だ。大きな段ボール箱がまるまる一箱、常に常備されているのだ。現在、カラーボックスをテトリスのように組み、何とかトイレットペーパーの段ボールを置いて、机代わりにしている状況だ。その仮の机には、時々会社からの連絡事項が置かれている。仕事中に一声かけてから置いていけばいいのだが、他の社員も忙しいらしく、備品の不足分と共に掃除庫に押し込んでいく。ただでさえ狭い掃除庫に、ぐちゃぐちゃに物を置いていくのだから、見つけた時には毎回心が折れそうになる。しかし秋元は片付けも得意らしく、てきぱきとその大量の発注品を、カラーボックスに入れていく。綺麗に並べるので、どこかの店のディスプレイみたいだ。
今回は一枚の紙が、備品と一緒に入っていた。題名には「研修会のお知らせ」とあった。時候の挨拶に始まり、弁当を用意しておくので明記された日時に、会社の研修室に来るようにと、ただそれだけの文面だった。最後には米印で、「全員参加」と書いてあった。俺は正直面倒くさいと思って、研修会に行かなくて済む理由を考えていた。全員参加と言うからには、秋元も当然行くのか思ったが、何故か秋元だけが研修会を免除されているとのことだった。理由を聞いたが、秋元は得意の「内緒」で、教えてくれない。
俺は夜はいつもコンビニかスーパーの弁当で済ませていたから、弁当が出るならそれでいいかと、参加を決めた。食い物に釣られるのは、昔から変わらない。時間をよく見ると、研修の開始時間は、終業時間から一時間もなかった。これで「遅れないように」とあるので、無理があると思った。ここはまだ会社から近い方だが、もっと会社から遠いところで就業しているパートや社員もいると聞いたことがある。夜の六時から八時までの二時間、一体何をするのかと思っていると、秋元から紙を奪われた。
「毎回、講師を招いて講義をきくらしいです。意味があるのかないのか分かりませんが、この研修の後には、テストもありますよ」
それではまるで、学校の授業と変わらないではないか。俺はすでに拒否反応が出ていた。秋元は、書いてある内容をじっくり読んだ後、俺の方を一瞥した。
「車、乗せていってくれる?」
「は? 研修受けんのか?」
「はい。佐野君が受けることですし、以前から興味はあったんです」
興味をそそられる要素は、どこにもないと思ったのだが、言わないことにした。
「どうせ、受けなくてもテストは提出ですし」
「どうやってテストを出すんだよ? 講習内容のテストなんだろ?」
「会社のテスト、文脈さえ押さえれば、小学生でも満点が取れるんです」
「意味あんのかよ、それ」
秋元は俺の問いに、肩をすくめてみせた。
研修会の日、俺と秋元は通常業務を五分だけ、短縮して終えた。俺は初めて車の助手席に他人を乗せた。今日は鬼に研修会のことを話して、車を借りてきていたのだ。他人、しかも女性を乗せるとなると、否が応でも緊張する。それはたとえ、無表情と無感情的な秋元だって変わらなかった。秋元がシートベルトをしたのを確認して、車を走らせた。
ニ十分から三十分くらいで、会社に到着する。やはり時刻はぎりぎりだった。せめて、就業日以外の日程でやってくれよ、と思いながら研修室のある二階に続く階段を上る。研修室は二階の小部屋だった。そこにずらりと事務的な長椅子が並べられ、ほぼ間隔をあけずに、パイプ椅子が並んでいた。つまり、人が小さな部屋に押し込まれている状態だった。壇上の講師と見られる女は、遅れ気味の俺と秋元をねめつけてから、資料を渡した。社員、パートかかわらず、全員出席の割に、男が俺しかいなかった。壇上の机にはパソコンがあり、プロジェクターで講義内容が映し出されている。一つの部屋に押し込まれて、目上の奴が偉そうに壇上から話し続ける。まるで高校までの授業のようで、俺は落ち着かない。まだ始まっていないのに、早く終われと願うだけだ。
そして定刻通りに、講義が始まった。プロジェクターを映すために部屋は薄暗くなっていたので、寝落ちするには絶好の場所だったが、初めての講習だったし、隣に秋元がいるので、緊張して眠れなかった。講師の年増女が一歩前に出る。
「では、講義を始めます。初めに、皆さんに言っておきたいことがあります。皆さんの仕事は、たかが掃除です。誰にでも出来る簡単な仕事で、頭を使いません。なので、今日はいつも使っていない頭を使う絶好の機会です。それを心に留めておきながら、この講習を受けて下さい」
いきなりの爆弾発言に、部屋の空気がささくれ立ったのが分かった。いくら講師だからと言って、他人の仕事を侮辱して言い訳がない。俺は立ち上がって講師を睨みつけ、部屋を出ようとした。そんな俺のズボンを、秋元が引っ張る。
「他人の話しは、最後まで聞くものです。質疑応答の時間を待ちましょう」
声をひそめて秋元が言うと、講師は原稿から顔を上げて醜く顔を歪めた。
「ちょっと、貴方何? 話もろくに聞けないの? 全く清掃員は小学生以下ね」
俺のせいでまた講師に文句を言われたと、周りの女性陣が俺をにらむ。俺が悪いのかと、思いながら、しぶしぶ椅子に座り直す。それにしても、さっきの秋元の言葉が引っ掛かる。質疑応答の時間を待ちましょう? そういうことは、秋元にも納得できないことがあるのだ。だから、質問や意見を最後に講師にぶつけるつもりなのだ。
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