5-4 揺らぐ

 そして秋元は、ふらふらした足取りのまま、こちらを嗤いながら遠ざかる男には目もくれず、ゴミ箱に向かった。キャップを外し、燃えるゴミに入れる。中に詰め込まれたラベルを、指を差し込んで取り出し、こちらも燃えるごみに捨てる。残ったペットボトルを、ペットボトル専用のごみ箱に捨てた。そして意図的に分別せずにペットボトルを捨てた相手に、秋元は一礼して、階段に戻ってきた。俺は納得いかなかった。侮辱された上に頭から水をかけられ、悪意を持ってごみを捨てさせられた。人間として許すわけにはいかなかった。しかしここでも秋元が俺の腕を強く引いた。


「お話があります。掃除庫に来てください」

「ああ。おう」


 俺は男を睨みつけながら、しぶしぶ秋元に従った。掃除庫で、俺はキレた。


「何なんだよ、あいつ! 大体、なんであんな奴にお辞儀してんだよ?」


 秋元にキレても仕方がなかったということは分かっていたが、ここで怒りを爆発させないと頭がおかしくなりそうだった。秋元が被害者なのに、本人は平然と、ハンドタオルで濡れた髪の毛を拭いている。そして俺に向かい合った。


「あの人は、きっと仕事をしていないんだと思います」

「そりゃ、普通の会社員なら、この時間にこんなところに来てねぇよ」

「では、何故人は仕事をすると思いますか?」

「そんなの金のためだろ」

「はい。その通りです。でも、それだけじゃありません」

「他に何があんだよ?」

「社会的に認知されることによって、帰属性を獲得することです」


 俺には何を言っているのか分からなかったが、秋元が言うには、これが一番大事だと言う。


「私たちは、清掃を日々行うことで、社会に貢献し、その存在意義を認めてもらっています。それが形となって表れているのが、給料なのだと思います。でも、人は給料だけでは生きていけません。自分がどの社会に位置しているのか。つまり帰属性がないと、人間的に揺らいでしまうんです。お金だけあっても、家や会社に所属していなかったら、自分の立場が分からずに、精神的に不安定になります。働くということは、こうした二面性から成り立っているのだと、私は思います」

「御託はいんだよ。あいつのやったことは、酷いことだろうが! 反社会的じゃねぇのかよ!」

「佐野君、落ち着いて下さい」

「あんたは何で落ち着いてられんだよ!」

「佐野君、ここは公共の施設です。誰でも使うことができます。私たちは、誰かを選別して、その人を拒むことはできません。いくら酷いことをする人でも、出禁にはできません。仕事をしていない人は、社会的認知もされず、自分の立ち位置も揺らいでいるので、精神的に弱くなります。その弱さを隠すために、暴力的になることは誰にでも起こりうることなんです」


 秋元のこの言葉に、俺はハッとした。俺の高校時代に対して、言われた気がしたからだ。俺には家があって、高校があった。そこは俺を社会的に高校生と見なし、俺の立場を示していた。しかし、その高校に反発した俺は、高校に通わなくなった。それでも制服を着ていれば、高校の生徒だと見なされていた。俺が退屈で、何か足りないといつも苛ついていたのは、俺が自らの社会的立場を保証していた高校から、逃げたからだ。それなのに、それを認めるのが嫌で、不良と呼ばれることで相手を威嚇していた。精神的な弱さや稚拙さを隠すために、暴言を吐き、暴力に訴えた。もしも俺がこの会社に入らないでいれば、あの男と同じようにふらふらして、自分の弱さを隠すために、自分より弱い立場の人間に暴力を振るって笑っていたのかもしれない。社会的立場を認めてもらうということや、そこに自分がいるということは、これほどまでに大切だったのだ。しかし、だからこそ、思う。それほどまでに仕事の本質を見抜いている秋元が、何故、俺にここまで教育係として構ってくれるのだろうと。





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