4-3 履歴書

 二人でいると何も話すことが見つからない。それなのに、昼の休憩時間は一時間もある。秋元は必要なこと以外はだんまりだ。もしかして、秋元こそ最近で言う「コミュ障」と言うやつなのかもしれない。俺はタバコが吸いたくてうずうずし始めたが、この施設の敷地内は全面禁煙だ。もし一回でも吸っているところを見つかったら、即退職に追い込まれる。学校ではタバコくらいいいだろうと思っていたが、会社は学校と違って、反省文で許すとか、常習でも休学処分とか、猶予は一切与えてくれない。もし、退職に追い込まれても、俺には他の企業との縁があるとは思えなかった。元々遊んで暮らすことにしていたのだから、退職するのも良いかもしれないと思う俺がいる。その一方で、先輩には逆らえないという俺の性が首をもたげる。


「なあ。何で休日だけで折れたんだよ? 平日だって事務所でいいじゃん」


 秋元が会社に掛け合って、休日出勤のときは事務所で休憩ができるようにしてくれたことは嬉しい。だが、休日出勤もあるということであり、平日はこの掃除庫に軟禁状態だ。


「施設の意向で、平日に二日も休みがあるんだから仕方ないよ」

「だからって、何もこんな所で……」

「会社はこの施設に雇われています。つまり、施設側が雇用主で、雇用主は契約相手を選ぶ権利を持っています。どういうことだか分かりますよね?」

「な、なんとなく」


 会社は、施設に頭が上がらないということだろう。もしも会社側が贅沢を言いすぎれば、施設は俺たちとの契約を切って、他のライバル企業と契約を結ぶことだってできる。そうなると俺たちはここでの仕事を失い、別々の場所に飛ばされるか、解雇される。秋元は施設側が会社の足元を見ていることを知っていて、ぎりぎりのラインで折れたのだ。それは消して妥協ではなく、見極められた納得であったはずだ。しかし俺たちと会社の板挟みにあいながら、施設の考えも考慮して判断するなんて、俺には出来そうにない。一体この秋元は何者なのか。


「先輩って、どこの高校出身?」

「佐野君と同じですよ」

「げ、マジ?」


 やはり、俺の履歴書を秋元は見ているのだ。それだけ社長に近い人物ということか。はたまた、人事権があるのか。それにしても、仕事上の先輩として、「先輩」と呼んでいたが、まさか本当の先輩だったとは驚きである。この人が、あの高校の卒業生だとは、全く想像もできない。かなりの優等生だったのか。それとも、家の事情か何かであの高校に入らざるを得なかったのか。まさか、あの高校に限って、昔は普通の高校だったとは思えない。先輩ならそんなに昔ではないだろうし、謎が余計に深まってしまった。


「ちなみに、高校卒業後は?」

「内緒です」


 秋元は自分の過去を、あまり話したがらない。俺だったら、いくらでも武勇伝を聞かせてやるところだが、何か後ろめたいものがあるのかもしれない。しかも、無表情で無感情的に話す割には、過去のことに触れた時だけ、顔に影が差すと言うか、声が沈むと言うか、とにかく暗くなる気がする。だから俺は、これ以上秋元の過去に触れるのをやめた。俺にだって、他人に触れられたくないことがある。例えば鬼との親子関係だとか、山口のことだとか。


「ちょっとトイレに行ってきます」

「アイス、食う?」


 玄関ロビーの突き当りには、二台の自動販売機があった。一つは普通のジュースやコーヒーを扱うものだったが、もう一つはアイスの自販機だった。


「結構です」

「だよな」

「自販機も、あまり使わないで下さい」

「何で?」

「清掃員が休憩していると思われるからです。理由はここでしか休憩が取れないのと一緒ですよ」


 秋元はそう釘を刺して、トイレに向かった。トイレ掃除の時、黄色の立て札を立てる。その札には「足元注意」とか、「立入禁止」とか書いてある。それなのに、俺を睨んでくる男がいた。立て札があるのに、何も言わずに図々しく入って来て、いかにも邪魔なものを見るように睨んでくるのだ。当然、俺は睨み返したが、男は俺を見下して薄笑いを浮かべていた。確かにこの格好は変だが、立て札の日本語読めないのかよ、と思う。俺だって立入禁止くらいは読めるし、意味も分かる。思い出すだけでイライラした。その上、自販機も使えないなんて、どれだけ清掃員を人として見ないんだ。こんなことが毎日続くのかと思うと、発狂しそうだ。そこに、無表情の秋元が入ってくる。もしかしたら、こんな毎日だから、秋元は無表情になり、感情を殺し過ぎてそれが当たり前になってしまったのではないか。


「そろそろ、仕事に戻ります」


 腕時計を確認した秋元が、無感情に休憩の終わりを告げた。


「はいはい」


 俺はジュースをもう一口飲んで、二階に上がった。二階の掃除用具は、二階のトイレのSKにある。ただでさえ狭いSKは、モップでいっぱいだ。そこから、フリースモップを取って来て、二階のほとんどを占める会議室群に入る。小さな会議室だけで三つ。大きな会議室が一つある。いちいち会議室の鍵をかけたり閉めたりするのが面倒だ。俺が小会議室を三つやる間に、秋元が大会議室をモップ掛けすることなった。一見汚れていないように見える床でも、モップを正しくかければ、埃がモップに絡みついてくる。絡みついた綿ごみは、ゴミ箱近くで箒を使って払い落とす。それを集めて塵取りに入れて、最後にゴミ箱に入れる。俺が三つの会議室を終えると、秋元もごみを捨てに来た。驚くべきは取れるごみの差だった。俺が三つの会議室を合わせて手のひらサイズのごみしか取れなかったのに対して、秋元は大きな会議室一つで、俺の二倍はごみを取って来ていた。


「春は砂埃が酷くて困りますね」

「ゴミに季節は関係ないだろ」

「あります」


 そう言うと、秋元は季節や部屋ごとの汚れの解説を始めた。




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