3-5 理不尽
秋元は何事もなかったかのように、掃除庫の丸椅子に座り、弁当を広げ始めた。弁当と言っても、秋元の方はおにぎりだけだった。俺も椅子を引っ張り、座って弁当を膝の上に広げた。鬼は家事に置いて天才的である。二段になった弁当の白米の上には梅干ししかないが、おかずは豊富で、彩も鮮やかだ。今まではコンビニのお菓子ばかり食べていたが、今日からは鬼に平伏して弁当を頼んだのだ。
「清掃員って、理不尽だな」
俺はぼそりと、言ってみた。休憩しているところを誰にも見せてはいけない。電話も急用以外は禁止。その上夏に汗臭くすることもできない。いくら客だからと言って、人として言っていいことと、悪いことがある気がする。休憩なしに一日働ける人間がいるのか。夏に動き回っても汗をかかない人間がいるのか。そんな人間がいたら一度お目にかかりたいくらいだ。しかし、今までの俺らの行動を考えれば、理不尽さはもっと増す。俺たちは清掃員を、ただの邪魔者としてしか認識していなかった。休憩なんてしていれば、目障りに思っていただろう。電話をかけている清掃員を見かければ、サボっていると見ていただろう。汗臭ければ、悪態をついていたこと間違いなしだ。いつも誰かが綺麗にしていなければ、誰もその場所を使えなくなるというのに、そのことを理解できていなかった。
「先輩は、そう思わないのかよ?」
秋元は咀嚼していたご飯を呑み込んで、首を振った。
「キリがない」
「え?」
意外な答えに、俺は思わず動揺した。てっきり、秋元くらいになれば、諦めたり達観したりしていて、理不尽を理不尽と感じないものだと思い込んでいた。無表情な顔や、冷めた口調からも、もう感情論なんて捨ててしまったように感じていたのだ。しかし、秋元だって人並みに感情があるのだ。俺はそのことに、何故か少しだけほっとした。
「昔は、掃除は神聖なものだったんだよ。掃くことは祓い清めることだったし、拭くことも重要な役職しかできなかったの。でも、いつの間にか、おそらく西洋的な考えが入ってきたり、仏教の汚れの意識があったりして、元々日本にあった『清める』という位置からなくなってしまった。そして、いつしか穢れと職業が結びついて、清掃に従事する人を差別するようになった。いままでずっと理不尽さがつきまとってきた。だから、今更皆の職業差別の意識を変えようなんて、おこがましいことだと思う。本当にキリがない」
日本史の授業なんて受けたことがなかったから、もちろん俺はそんな清掃の成り立ちみたいなことは知らなかった。しかし初めて聞いた秋元の長台詞から、清掃が元々は凄いことだったのだということは理解できた。払い清める、などと聞くと、確かに寺社仏閣の偉い人がやっているみたいに聞こえる。それが古代日本の清掃員だったとは、夢にも思わなかった。
「そんなことまで知ってんのに、なんで清掃員なんかしてるんすか?」
今の言葉で、秋元がただの清掃員ではないことは察しがついた。もっと別の仕事の方が向いていそうな雰囲気もある。それなのに、俺みたいな不良崩れと一緒に仕事をしている。謎が深まるばかりだ。
「そうだね。お客さんが、『ここ綺麗!』って言ってくれた時、嬉しいから、かな」
秋元はそう言って、少しだけ笑った。この笑顔で、秋元が本当にこの仕事を誇りに思っていることが、見えた気がした。
職業差別からくる理不尽な要求がある。きっとこれからも、理不尽なことが沢山起きるのだろう。俺は我慢もできないし、ちょっと気に入らないことにはすぐに苛ついて、暴力を振るってしまう。そんな俺でも、これからやっていけるのだろうか、と一抹の不安を覚えながら、秋元のことが気になり始めていた。
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