2-6 比率
後日、俺は階段に座り込んでいた。面接を受けてから三日が立っている。そろそろ結果が来てもおかしくない。そう思って、俺の足は自然と職員室に向かった。職員室の窓ガラスの部分をちらちら見ながら、通り過ぎようとした時、進路指導室から学年主任の声が聞こえてきた。電話で何か話しているようだ。
「本当ですか? 採用ということで。ええ。はい。こちらこそ、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。ええ、もちろんです。はい、はい」
電話が終わったところを見計らって、偶然を装って信組指導室のドアを叩く。何も言わずに部屋に入ると、電話の近くにいた学年担任が、俺のところに近寄ってきた。そして、俺の肩をがっちりとつかむ。
「おめでとう。内定だ!」
一瞬、目の前の学年主任が何を言ったのか、分からなかった。俺はあの白い履歴書しか出していないし、面接の時も俺は珍しく緊張しながら、座っていただけだ。面接の時、社長と話をしていたのはほとんど学年主任で、まるで俺は蚊帳の外だった。それなのに、俺が一発で内定を勝ち取ったと言うのだ。夢か冗談、もしくは幻聴ではないかと疑うのが当然だった。
「あんな面接で内定? 馬鹿にすんなよ」
俺はおちょくられているのだと思った。あんな履歴書と面接で内定が出るならば、山口や島崎、香川がやってきた苦労は何だったのか。何度も履歴書を書き直し、何度も不採用になり、心が折れそうになりながらも努力を続けた。そんな奴らにとって、俺の内定は許させれないものだろう。それに、社長の横には紫ババアがいたのだ。あの女が俺の内定を阻止しようとしても不思議はない。俺の嘘を看破し、社長に言い含めることもできたはずだ。それでも内定が出ているのなら、その会社は何か大きな問題があるのではないか。俺に睨まれた学年主任は、学校あてに送られてきた手紙を、俺に手渡した。封筒には前園クリーンサービスの社名とロゴが入っている。中には紙一枚しか入っていない。その紙には確かに、「採用」の二文字があった。「不採用」の間違いかと思ったが、「今回は御縁がなく」などと言った、不採用に使われる定型文もない。つまり、俺の内定は本当なのだ。自然と口角が上がる。しかし学年主任に、それを悟られるのが嫌だったから、我慢した。
「お礼状、書けよ」
「おれいじょう?」
今まで就活してこなかった俺は、その単語を初めて聞いた。授業でやったかもしれないが、俺がサボっていた時の授業だったのかもしれない。内定が出たら企業に向けて、謝意を伝えなければならないらしい。俺は手紙なんて書く趣味がないから、もちろん便箋も封筒も持っていない。そう言うと学年主任は鞄から無地の白い便箋と、封筒を取り出して、俺に押し付けた。まさか学年主任は、俺が内定することを見越して、初めから手紙セットを持ってきてくれたのだろうか。俺をここまで気にかけてくれるなんて、思いもしなかった。完全に敵視していた俺は、教師たちも十把一絡げに、俺たちを敵視していると思い込んでいた。しかし、捨てる神あれば、拾ってくれる神もいたのだ。学年主任は俺の恩師に値するのだろう。
「座れ。書き方教えるから」
「ああ」
俺は素直に学年主任に向き合って座った。そしてお礼状を学年主任に託して、俺は進路指導室を後にした。
俺が進路指導室を出てから、学年主任は背伸びをした。俺という頭痛の種がなくなったからだ。現在の三年生の中で、一つも内定を貰っていなかった生徒は、俺一人だけだった。自分の受け持つ生徒の中で、一人でも進路が決まっていないことは、学年主任にとって大きな痛手となる。何故なら来年入学予定の生徒に向けたパンフレットに、卒業後の進学・就職先の円グラフが、毎年載せられるからだ。その進路を見て高校を選ぶ受験生も多い。ただでさえ、不良高校と名高いこの高校に置いて、一人でも進路未定者がグラフに入ることはあってはならないのだ。その一方で、不良高校として有名でも、全員が無事に卒業して進路が決まっていると、受験生にそれをアピールできる。親御さんの目も緩み、受験生の警戒水準も低くなる。だから、この高校の三年生は、どんな手を使ってでも進路を決めさせなければならないのである。
学年主任に、進路指導の教師がお茶を出す。
「富岡先生、今年もお疲れさまでした」
「ちょっと強引だが、仕方ないだろう。もうあそこしかなかったし」
「求人票をよく見ない方が悪いんですよ」
進路指導の教師は自分用にお茶を持ってきて、学年主任の横に座る。
「もし、すぐに退職しても、卒業後の話しですしね」
「こんな女だらけの職場、俺でも勘弁だ」
そう言って、学年主任は前園クリーンサービスの求人票を見た。求人票の右上に、社員やパートの割合の他に、男女比が載っていた。俺はそんな細かいところを見ているはずがなかった。前園クリーンサービスの男女比は、男一に対して、女が九という比率だった。
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