2-5 面接


 俺はそのまま学年主任に背中を押され、社長の前に出た。


佐野晶さのあきらです。よろしくお願いします」


 俺は初めて、出会って最初に頭を下げた。これがケンカなら屈辱的だが、今回は面接だ。ひたすら腰を低くするしかない。それにしても、第一面接からいきなり社長が出てくるなんて、おかしいのではないか。


「では、さっそくどうぞ」


 応接室に通され、社長に声をかけられてから、学年担任と共にソファーに腰を下ろした。社長が、俺に向き合って座る。近くで見ると、威圧感がある。俺は気圧されていることを隠すように、背筋を伸ばして心の中で毒づいた。狸のくせに、と。そこに、女性の声がした。


「失礼します」


 若いスーツ姿の女性が、盆に飲み物を持って入ってきた。俺はその女性に見覚えがあった。そして声にも、聞き覚えがあった。服が違っていて見過ごすところだったが、この女性は公園の紫ババアに違いなかった。公園の清掃をしているのは年寄りばかりだと思っていたから、あの時は紫ババアという認識しかできなかった。こんなに若いとは思ってもみなかったのだ。女性は俺に気が付いたらしく、俺の顔を見ながら棒立ちになっている。俺は、この面接が失敗に終わったと思った。


「どうした、秋元さん?」

「いえ。お飲み物をどうぞ」


 そう言いながら、秋元はコースターの上にお茶を配って、部屋を出て行った。おそらく、この面接の後に、俺の所業が秋元の口から社長に伝えられ、俺は不採用となるのだろう。卒業しても、俺はどこにも所属できなかった負け犬となるのだ。


 そして、俺の面接は始まった。しかし、ここでも予想外のことが起きた。社長の息子が、どうやら学年担任の教え子ではないかという話になったのだ。


「お名前拝見して、社会の富岡先生じゃないかと思いまして」

「ああ。そうでしたか」

「息子が生徒の時は手を焼いたでしょう?」

「いえいえ。手のかかる生徒ほどかわいいものですよ」

「いや、そう言って頂くと報われます」

「それで、息子さんは?」

「今、副社長です」

「そうですか。立派になられましたね」

「いえいえ。まだまだですよ」


 そんな会話が十分以上続き、俺はその間、ずっと放置された。俺の面接のはずが、ただの昔話になっている。しかし、俺から口を挟んでいいのだろうか。迷っている内に、やっと社長が俺の方を向いたので、俺は身構えた。


「富岡先生の生徒さんなら、大丈夫だね」

「は、はい?」


 返事をしたつもりではなかったのに、社長は返事と受け取ったらしく、満足そうにうなずいた。そして、俺の履歴書を見て言った。


「正義感が強いなら、公共のものを汚すのも許せないだろう?」

「は、はい。もちろんです」


 返事をすると、急に罪悪感がこみあげてきた。公共の物を汚して笑っていた奴は、俺だ。それなのに、さっきの秋元を困らせて、楽しんでいた。自己嫌悪に陥りそうになるが、ここで嘘を通しきらなければ、不採用になる。その将来的案事の方が、俺にとっては大事だった。社長は豪快に笑った。


「心強い生徒さんですな」

「いえいえ。軟弱者なので、どうにか使ってもらって、鍛えてやって下さればと伺った次第です」

「なるほど。分かりました。結果は後日学校の方に電話させて頂きます」

「はい。お待ちしております」

「え?」


 俺の面接は、たったこれだけだった。ほとんどが社長と学年主任の昔話で、俺への質問はたった一問だけだった。本当にこれで終わるのか。それとも何か罠があるのか。お茶には手を付けなかったし、一応背は伸ばしていた。余計な言動もなかった。


「ありがとうございました。ほら、佐野、何ぼーっとしてる? 帰るぞ」

「はい。ありがとうございました」


 俺は立ち上がり、社長と秋元に見送られながら、会社を後にした。秋元の笑顔を見ながら、背筋がぞっとした。女の笑顔がこんなに恐ろしいと思ったのは、これが初めてだ。俺の車が見えなくなったところで、きっと秋元は社長に告げ口をする。俺が公衆トイレでしたことや、清掃員に対する態度など、言いたいことは山ほどあるに違いない。俺は運転しながら、卒業後の自分を思い描けなくなっていた。



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