2-4 黒

 制服を新しくするということは、鬼に買ってもらわなければならないということだ。確かに俺の制服は、みすぼらしかった。擦り切れたズボンの裾に、煙草の灰であいた穴まである。制服の上は着たことがなかったから、新品のままどこかにあるだろう。それと一緒に、ネクタイやネームプレートもあるはずだ。


「それから、その頭もだ。分かったな?」


 黒一色なんて、今どき信じられない。髪の色で人間性が分かるのならば、履歴書も面接もいらないではないか。今の俺の髪はグレーで、ワックスでまとめている。最近気に染めて気に入っていたのに、残念だ。


 俺は家で鬼に頭を下げ、美容院で髪を黒く染めて短髪にした。黒でも悪くないとも思ったが、俺の場合すぐに飽きるので、いつまでこの黒髪でいるかは疑問だ。内定が決まったら、染め直そうと思っていた。鬼は就活のためというと、あっさりズボンを買ってくれた。気持ち悪いくらいに優しかった。ブレザーとシャツ、ネクタイなどは、俺の部屋のクローゼットの中に、新品のまま眠っていた。新しい制服に袖を通し、鏡に向かうと、まるで俺ではないような人物が見つめ返してきた。形だけは、優等生に見える。あの全体的に白い履歴書が通るとは思えないが、せっかく俺もここまで擬態したのだから、面接も受けてやってもいいと、思うようになっていた。当たるも八卦、当たらぬも八卦。果報は寝て待て。そんな気分で履歴書の結果を待っていた。


 だが、信じられないことに、俺はその書類審査に通ってしまった。いつものように授業中に廊下をふらふらしていると、学年主任が俺のところに飛んできて、俺を進路指導室に連れ込んだ。何度も言うが、連れ込まれるなら若い女性教師がいい。


「書類審査、通ったぞ!」


 俺は耳を疑った。あんなに見た目が白くて、漢字が少なくて、字も汚い。つまりは小学生が書いたようなあれが、企業の書類審査を通った。その事実はあまりに現実味がなかった。夢なのではないかと思ったほどだ。山口も島崎も、香川も、何度も書いては落ち、書いては落ち、という作業の繰り返しだったはずだ。それなのに、俺が一発で企業の書類審査を通るなど、あり得なかった。


「次は面接だな。ほら、企業のパンフレットと地図だ」


 俺は押し付けられた企業のパンフレットと、インターネットから印刷されたと思われる地図を受け取っていた。


「ここからは遠いから、電車で行ける。だが、駅からも遠いんだ」

「車で行けるだろうが」

「お? お前、自動車学校、卒業できてたのか?」

「一発殴るぞ。ジジイ」

「面接は今週の日曜日の十時だ。私も同席するから、頑張ろうな」

「は? 何で同席なんだよ? 保護者でもねぇくせに」

「それは相手方に行ってくれ。でも、面接に同席を勧めてくる企業は多いんだ」


 この高校の特色を忘れていた。ここは県下一の不良高校で、暴力や暴言は日常茶飯事だ。この県の企業ならば、それを熟知している。だから面接中のトラブルを避けるために、面接に教師同伴ということがあった。特に就活も後半になると、就活生が元不良だったという割合が増す。企業も面接をスムーズに行いたいし、高校側もいざとなったら生徒を持ち上げることもできる。両者の利害が一致した結果だった。





 そして、ついに面接の日が来た。いつもより早起きしたせいで、寝ぼけ眼だ。ピアスの穴は、結局ふさがらなかった。黒くなった髪を整え、ネクタイを締める。鏡の中の自分が、やはり気に食わなかった。内定さえ貰えばこちらのものだ。就職したらまたもとに戻そうと思っていた。何故かため息が出た。黒い鞄を手に持つと、手が汗ばんでいた。まさか、俺が面接で緊張しているのか。そう気づいて、バカバカしいと首を横に振る。朝食をとり、テレビを見ていると、もう九時だった。そろそろ行かなければならない。鬼の軽自動車を借りて、会社の建物を目指す。地図によれば、北にひたすら国道を走ると着くらしい。途中で「前園クリーンサービス」という看板があり、危うく見過ごすところだった。急ブレーキをかけて、その看板の奥に車を勧めると、大きな平屋の建物があり、その横に駐車場があった。そこに車を停めて、学年主任を待つ。しばらくすると学年主任が改まったスーツ姿で現れ、俺を頭からつま先まで見下した。


「うん。じゃあ、行こうか」


 俺は学年主任に連れられて、建物のドアをくぐった。目に飛び込んできたのは、誰もいないがらんとした広い事務室だった。今日は日曜日だから、社員は全員休みなのだ。求人票に書いてあった通りに、土日祝日の休日は取れるということだ。ここまではブラック企業ではないらしい。


「こんにちは」


 学年主任が声をかけると、恰幅のいい一人の男性が、応接室というプレートのある部屋から出てきた。何だか信楽焼の狸の焼き物に似ている。


「ああ。どうも、どうも。遠いところ、わざわざすみませんね」


 男性と学年主任はさっそく名刺入れを取り出して、交換を始めた。


「学年主任の富岡です。よろしくお願いします」

「社長の前園です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 いい大人がぺこぺこしているのは、笑えたが、必死にこらえた。すると学年主任がいきなり俺の背中を叩いた。


「いいえ。ほら、佐野」

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