1-6 出張ハローワーク
「お前、マジで?」
俺がからかおうとすると、島崎は俺の方を見て吐き捨てるように言った。
「俺は、お前らとは違う」
「は? 何それ?」
「俺はちゃんと自立すんだよ。親の脛かじりながら文句だけ垂れてて、恥ずかしくないのか? だから、もう俺に構わないでくれ」
島崎はそう言って、教室へと戻っていった。暗い廊下に、俺は一人残された。これで、山口に続いて二人の造反者が出たことになる。俺が廊下に唾を吐こうとしたとき、後ろから風が吹いてきた。その瞬間、バラバラと紙が風に弄ばれる音がした。大量のプリントが風に舞いあげられたような音だった。思わず振り返ると、職員室から進路指導室までの廊下に張り出された求人票が、一斉に風で捲れあがっていた。この学校のもう一つの風物詩。「求人票の廊下」と呼ばれるものだった。
就職を控えた学生は、毎日のようにこの廊下に通う。お目当ての求人票を探すためだ。進学校では信じられないだろうが、俺たちの高校では、社会の時間を使って、求人票の見方を教わるという授業まである。だから、給料や仕事内容の欄をただ見るのではなく、福利厚生や残業の欄もチェックするのだ。それに、これも進学校ではあり得ないだろうが、この高校では文化祭の折に、「出張ハローワーク」というものまである。その名の通り、高校に職業安定所の職員が出張してきてくれるのだ。三年生はこれに強制的に参加させられる。もちろん、俺は参加したことがないが、山口や島崎は行ったことがあるのだろうか。俺の視線は、求人票に引き付けられた。しかし文字を見る前に、正気に戻った。俺が就職に興味があるなんて、地獄に仏並みにない。しかし、島崎から言われたことが小骨のように引っ掛かり、俺はこの廊下を通るたびに、意味もなく壁際に目が行くようになった。だから、俺はその廊下をなるべく通らないことにした。
公園で酒盛りをしていて、警察に通報されて停学されること三回。学校でタバコを吸って怒鳴り散らされたことは数知れない。それだけじゃない。店の商品を壊したり盗んだりして店員と喧嘩して、校長と親が呼び出されて再び停学。この時は酒がばれた時よりも停学期間が長かった。カツアゲは脅迫罪に当たるとか当たらないとかの瀬戸際で、周りがおろおろしていたが、俺は反省もしなかった。ただ、後になって刑務所一歩手前だったと聞いて、カツアゲと万引きの頻度は減った。ただ、高校近くの店からは出禁を喰らって、買い物ができなくなった。全校集会で、そのことが問題になった。どうやら俺が万引きした店から学校に連絡が入って、「××高校の生徒は全面的にお断り」と言われたようだ。他の奴らに不便をかけても、俺は平気だった。そんな俺が、ただ紙が貼ってある廊下を通ることができないだって。何でそうなるんだよ。何ビビってんだよ。そんな自分にむしゃくしゃして、廊下のごみ箱を蹴った。大きな音がして、中のごみが飛び散ったが、そのまま通り過ぎた。
「車の免許だけは、取っておくか」
階段を下りる途中で、何となく呟いていた。
「バイクは乗りたいもんな」
呟いたその声は、かすかに震えていた。別に就職を意識したわけではない。
俺は暑い中、教習所に通い始めた。就職を意識したわけでは一切ないが、車の運転ができるのはカッコよかったし、どこへでも行けると思ったからだ。教習所は俺たちの高校の近くにあったから、教習所の事務員も教官も、俺の格好を見てもビビらなかった。歴代の先輩方を見ているのだから、当然の反応である。学校の授業よりも、教習所の授業の方が楽しかった。何故なら、方程式だの漢文だのをやっているよりも、道路標識や交通ルールの方が、実際の生活に役立つと思えたからだ。買い物に方程式は使わないが、道路標識は必要だ。どこか遠出するのに漢文は役に立たないが、ギアの上げ下げは必要不可欠だ。そんなやる気の問題なのか、俺は初めて一発で赤点以上の点数をはじき出し、車の運転実習にも慣れ、余裕で自動車学校の授業について行くことができた。高校よりは全然自動車学校の方が良かった。自分でも信じられないくらいに、俺の自動車学校での成績は良くなった。ケンカで鍛えた運動神経がここで役に立ったのか、道路での運転練習も楽にこなした。
そして、免許を取るための筆記試験の日が近づいてきた。俺の成績から計算すれば、楽勝で運転免許が取れるはずだ。俺は初めて自分から職員室に向かい、担任に休暇届を提出した。いつも高校自体をサボっているのに、こんな時だけ律儀だった。この高校は就職するしか道がない高校だから、免許取得を後押ししている。運転免許の筆記試験の日だけは、公的な休暇が認められているほどだ。悔しそうに俺を見る担任たちの視線を楽しみながら、俺は職員室を後にした。運転免許は、難なく取れた。自動車学校を卒業した俺は、また何にも所属していないような生活に戻った。
そんな中、香川の姿を職員室の廊下で見つけた。髪が緑ではなく黒になっており、制服を着ているが、俺が香川を見間違えることはない。三年間もずっと一緒にいれば、いやでも背格や声だけで分かってしまう。
「よう。何してんだよ?」
香川はびくりと肩を揺らした。慌てて手を放し、背を向けたのは、求人票だ。
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