1-4 母子
進路なんて正気で言っているのか。進路何て考えるものじゃないだろ。勘弁してくれよ、山口。今まで通り遊ぶに決まってるだろ。学校の何が楽しいといのか。教師は何であんなに偉そうなのか。成績がなんだって言うのか。確かに、いつもの面子がそろっていれば、マンネリ化はあるだろう。俺だって、時々楽しさの中に物足りなさを感じる時がある。でも、このままでいいだろ。家から持ってきた酒飲んで、煙草吸って、金がなかったらカツアゲして、また遊ぶ。それでいいはずではないか。なんで今更「進路」なんて考える必要があるんだ。
「あ、あのさ」
山口は再び俯いて、急に声を大きくした。これから何かの決意を叫ぶみたいだった。
「俺、彼女妊娠させちゃってさ」
尻つぼみだった。山口にとって、一世一代の告白だったのに、情けないくらい声が震えていた。しかし、その言葉の衝撃で、俺も香川も表情が抜けた。
「え? マジ?」
香川がにやついて嗤った。
「やるじゃん」
肩を組んだ香川の腕を、山口が振り払った。俺はまだ混乱していた。何。お前彼女いたのかよ。確かに顔がいいけど、チャラ男が妊娠ぐらいで狼狽えるなよ。何より、何抜け駆けして、童貞卒業してんだよ。いつの間にそんなことになったんだよ。本当に訳が分からない。山口は急に立ち上がって、宣言した。
「だから、俺、働こうと思って」
なるほど、こいつは完全に女に主導権を握られてやがる。もう、パパなんだな。頭の中にはもうパパになることしかない。何だよ、今までさんざん警察に謝りに行って、俺たちと毎日つるんでいたのに、今更就活とか、進路とか、もう手遅れなのではないか。身の程を知れよ。お前みたいな不良で成績も出席日数も内申点も底辺な、そんな奴を雇う会社なんてあるわけないだろ。しかも正社員志望だっていうから、ウケる。バカじゃん。働いたら負けだろ。
「だから、ごめん」
俺と香川に頭を下げて、山口は走り去った。何故謝罪したかは知らないが、おそらく謝罪の言葉は、俺たちと縁を切るという意味だったのだろう。
この日から山口は髪を真っ黒に染めて短髪にして、身なりを整えるようになった。クラスの女子からは「似合うね」とか、「その方がいいよ」とか、さんざんに褒めちぎられていた。そして山口もまんざらでもないようだった。俺たちと山口は、完全に縁が切れた。こっちだって、そんな真面目ちゃんと付き合う義理はない。勝手にしろよ。
俺は山口の変貌ぶりを見てから気分がなんだかもやもやして、また学校から足が遠のいた。そして相変わらず、香川や先輩たちと相変わらず遊んでいた。
中学校の頃から、俺は普通の生徒から怖がられていた。危ない奴だと距離を置かれ、そんな評判の悪い連中とばかり遊んでいた。授業を抜け出す癖は、この頃に獲得したのかもしれない。きっかけは、中学一年の時の家庭科の時間だった。初めての家庭科の授業で出てきたのは、白髪交じりのババアで、ひたすら教科書を読み聞かせられるという苦痛を味わった。そう、この老いぼれババアは、黒板に何一つ書くこともなく、教科書以外の事を口にすることもなく、ただひたすら五十分間、教科書をぼそぼそと読み上げて、授業を終えたのだ。この時は俺たちだけじゃなく、他の生徒も同じ感想を持ったようだった。今の時間に何の意味があったのか。そもそも、あれを授業と言って良かったのか。そして、家庭科のたびにあの苦痛な時間が繰り返されるのか、という不安や憤りだった。だから俺たちは家庭科のたびに、教室を抜け出すことを覚えた。授業に付いていけなくなるという心配はしなかった。何故なら、所詮家庭科の教科書を読めば内容は書いてあったからだ。後で読めばいいやとは思ったが、結局は読まずじまいだった。そこから、俺は徐々に学校の異物として見られるようになった。授業にはほぼ出なくなり、遅刻や早退、無断欠席が続いた。校則なんて、何があるのかさえ知らなかった。俺はたびたび呼び出されて、恫喝に近い注意を受けたが、そのたびに荒れたので、教師達も俺の更生を諦めていった。どうしようもなくなった時、教師達は、ついに奥の手を使った。俺の母親を呼び出したのだ。俺はその三者面談の予定を聞いて、血の気が引いた。逃げろ。そう思っても、鬼から逃れられた試しはない。おとなしく殺されるしかなかった。
そしてついに、地獄の三者面談の日がきた。俺と母親と、担任の教師の三人で、使わなくなった教室で始まった。俺と母親が、担任に向かい合う格好だった。口火を切る前に、俺の顔面は、目の前の机にめり込んでいた。突然の衝撃と痛みで、俺は「ぐえ」という変な声しか出なかった。
「この度は、息子が御迷惑をおかけし、大変申し訳ありません!」
母親はそう言いながら俺の頭を鷲掴みにして、机に向かって俺を押し倒したのだ。
「この通り、息子も反省していますから」
そう言いながら、母親は何度も俺の顔面を机に叩き続けた。俺の鼻からは鮮血が流れ出し、机を真っ赤に染めた。これには担任も驚き、戸惑ったようで、「落ち着いて下さい」と弱弱しく言った。これが俺の母親、鬼の正体だ。この鬼は、擬態する。他人の目があるところでは、おとなしそうな淑女みたいな風貌であるが、その中身は天然暴言暴力女だった。
「ああ、すみません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます