1-3 公衆トイレ

「どうぞ」


 清掃ババアは俺とすれ違いざまにそう言ったが、俺はなおも無視した。しかし、心の中では苛ついた。こんな汚い所掃除して、その上俺たちにビビッて出て行くくせに、何ヘラヘラ笑っているのか。バカじゃないのか。俺たち三人はついでに三人で連れションをした。


 そこで、俺は妙案を思いつく。香川も同じ考えを持ったようで、俺と香川は顔を見合わせて、歯の間から笑い声を漏らした。俺と香川がわざと便器を避けて放尿する。


「汚ねえな」

「お前こそ」

「おい、お前もやれよ」

「で、でも」


 山口はやはり今日はノリが悪い。いつもは俺たちと同じ事をするくせに、今日は反抗的な声を出す。


「あ、いいこと考えた」


 俺は公衆トイレを飛び出して、酒の容器や煙草の吸殻を持ってきた。便器の中に、それらを撒く。


「ああ、いいね! 俺も俺も」


 今度は香川がゴミ箱から飲みかけのジュースを持ってきて、その缶の中身を床に撒く。先ほど綺麗にされたばかりの床が、べとべとのどろどろになり、異臭を放つ。


「何だよ、山口。今日はやけに消極的じゃん」

「ああ、いいよ。いいよ。もう行こうぜ」


 どうせあの清掃ババアが掃除することになるんだからと、俺たちは別に悪いことをした認識を持たなかった。ドアや鏡を破壊して器物損壊で厳重注意を受けたことがあるが、それに比べたら、軽い方だと思った。十分に汚した便所に興味はもうない。清掃ババアは女子便所を掃除しているようだ。どれだけがっかりするのかが楽しみだった。しかし、やり放題やってしまうと、急に興味が薄れた。まあ、泣くにしろ、発狂するにしろ、想像するだけで面白い見世物にはなっただろう。


「困ってるかな? あの便所ババア」

「そういえば、昔、紫ババアってあったよな。怪談話で」

「ああ、あったな」


 俺たちは便所を汚してすぐに公園を出た。あんな気が弱そうなババアなら心配はいらないだろうが、警察に連絡されたら厄介だ。まあ、俺が高校の制服だったから、高校に苦情でも入るのかもしれない。駅に向かう俺たちは、全員徒歩だった。香川が乗ってきた自転車は、その辺に停めてあった物を勝手に持って来たらしい。鍵をかけないで自転車を放置するなんて、「持ってけ泥棒」と本気で言っているようなものだ。香川が悪いのではなく、自転車の持ち主が悪いのだ。


 そんな時、歩きながら香川が顎でしゃくった。その先には、一人の男の姿があった。男は高校の制服を着た女に、声をかけて何か話し始めた。お互いに指を立て合っていることが分かった。その指が値段の交渉であるということは、すぐにピンときた。


「あれ」

「いいね。俺、今月の金、もうないし」

「いっちょやりますか」


 俺と香川はやる気だったが、ここでも山口が怯んだ。しかし結局歩いている内に、値段交渉中の男女の目の前に出た。駅の裏側で、人通りが少なく、目につきにくい所だ。だから、俺たちも堂々とやりたいことをやれた。


「あれー? ミサトじゃん。何やってんの?」


 俺が女に向かって声をかける。もちろん初対面の女の名前も知らないから、女の名前っぽい名前なら、何でもよかった。女の方は睨んでくるが、男の方はもう逃げ腰になっている。そして怯えた様子で、ヒステリックな声をあげる。


「畜生、騙しやがったな⁈」


 男が逃げようと走り出した瞬間、植木に潜んでいた香川が足を引っかけ、男は顔面をアスファルトにもろにぶつけた。ウシガエルが潰れた時のような声を出す男は、やっと自分の状況を理解したらしい。腰が引けているくせに、ビジネスバッグから財布を取り出し、万札をばら撒いて立ち上がり、今度こそ駅の中に逃げ込んだ。香川と山口が金を集め、女に一枚渡す。女は舌打ちして、とぼとぼと歩いてどこかに行った。残った金は三人で平等に分ける。一人、一万三千円ずつになった。香川が札を手にして拝んでポケットにねじ込むが、山口は顔をそむけた。


「何だよ、いらないのか?」

「うん」

「今日のお前なんか変だぞ? 何かあったのか?」


 俯いていた山口が、急に顔をあげた。意を決したような顔で、俺たちに問う。


「お前ら、高校卒業したら何すんだ?」


 あまりに突拍子のない山口の言葉に、俺と香川は思わず山口の顔を見て固まった。それえでも、山口は続けた。


「進路、どう考えてんだ?」




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