第84話「天下の大悪人、雷光師匠に再会する(1)」

 俺たちは、雷光師匠が泊まっている宿に案内された。

 宿は大通りからは離れた、さびれた場所にあった。

 たぶん、スウキ=タイガとレキ=ソウカクが身を隠すためだろう。


 ふたりは壬境族じんきょうぞくに追われている。

 灯春とうしゅん藍河国あいかこくの領土だけど、壬境族の土地に近い。奴らの仲間が入り込んでいる可能性もある。

 だから師匠は、目立たない場所にある宿を選んだのだろう。


 そうして案内されるままに、俺と冬里とうりさんが奥の部屋に入ると──



「おや、天芳てんほうじゃないか! 久しぶりだね」



 雷光師匠が、部屋の椅子いすに座っていた。


「書状を出す必要はなかったか。でも、どうしてここにいるんだい?」

「……師匠」


 雷光師匠の口調は、いつもと変わらない。

 でも、顔色が悪い。


 いつも『五神歩法ごしんほほう』で縦横無尽じゅうおうむじんに跳び回っていた師匠が……今は疲れた様子で、椅子にぐったりと身体を預けてる。

 師匠の左脚には包帯が巻かれている。

 本当に師匠は、矢傷やきずを受けたみたいだ。


 包帯の隙間から傷口が見える。

 そこから、赤黒いしずくが流れて、足下のタライに落ちていく。


「おどろかせてごめんよ」


 俺の視線に気づいたのか、師匠は照れくさそうに頭をいた。


「ここに来るまでの間、色々あってね。スウキくんとレキくんと一緒にいるということは、ふたりから事情を聞いているのかい?」

「は、はい。ほんの少しだけですけど」


 そう答えるのがやっとだった。

 傷ついた師匠を前にして、うまく声がでなかった。


「……師匠が、ふたりを助けたんですよね?」

「うん。子どもが騎兵きへいに追われてるのを見て、勝手に身体が動いちゃったんだ。騎兵きへいはなんとか倒したんだけど……敵に飛刀ひとうを使う武術家がいてね。そいつの相手をしているうちに、弓兵がスウキくんをねらったんだ。私は飛刀と矢を叩き落として、彼女を助けるつもりだったんだけどね……」


 師匠にとって予想外だったのは、弓兵が強力な武術使いだったことだ。

 1本目の矢を叩き落とした師匠は、地面すれすれを飛んできた2本目の矢に、脚をえぐられたんだ。


「1本目の矢は、私の注意を引くためのものだったんだろうね。その上、飛刀も左右から飛んできてた。私は……1本目の矢と2本の飛刀に気を取られたせいで、足下の矢をかわしきれなかったんだよ」


 雷光師匠は苦笑いしながら、そんなことを言った。


飛刀ひとう』とは、この世界の投げナイフのことだ。

 達人になると、投げた飛刀をブーメランのように手元に戻し、繰り返し投げ続けたりもする。同時に数本の飛刀を投げて、相手の退路をふさぐ者もいる。


 師匠は……強力な飛刀使いと弓兵を同時に相手にしたのか。

 しかも、子どもふたりをかばった状態で。


 師匠は矢と飛刀を叩き落としてる。隠れて飛んできた矢も、一応はかわしてる。だから刺さるはずの矢は、師匠の脚をえぐっただけだった。


 しかも、師匠は傷を受けながら、スウキ=タイガとレキ=ソウカクを連れて逃げ延びてる。そのふたりには傷ひとつない。師匠は完璧に、ふたりを守り抜いてるんだ。

 本当にすごいな……師匠は。


「なんとか灯春ここまで逃げることはできたんだけどね。矢の毒を抜くのに手間取って……動けなくなっちゃったんだ。実戦から離れていたせいで、私も油断していたようだね」

「そんなことは……ないと思います」


 むしろ強すぎだ。

 俺だったら、飛刀使いに出会った時点で殺されてる。


「でも、師匠。医者にはせたんですか?」

「大丈夫。『』を運用して、毒を排出はいしゅつしているからね」


 師匠は、包帯を巻いたあしに触れた。


「私が毒矢を受けたことは、敵も知ってる。仮に敵が灯春に入り込んでいる場合……医者を呼ぶことで、スウキとレキの居場所が特定されるかもしれないからね。なぁに、心配はいらないよ。毒を抜くやり方は身につけてる。こんなのはすぐに──」

「失礼いたします」


 不意に、冬里さんが前に出た。

 彼女は床に膝をつき、雷光師匠の傷に顔を近づける。


「……君は?」

「ごぶさたしております。玄冬里げんとうりです。雷光さまの妹弟子の、玄秋翼げんしゅうよくの娘です」

「冬里くんかい!? 大きくなったね。でも……君は経絡けいらくの傷が……」


 雷光師匠は俺と冬里さんを交互こうごに見て、


「そうか! 天芳の──例の『気』の効果か。さすがは我が妹弟子の翼妹よくまいだ。私はそこまで考えなかったよ……」

「それより、雷光さま」

「なにかな。冬里くん」

「今すぐお母さまを呼んでまいります。治療ちりょうを受けてください」


 冬里さんは強い視線で、雷光師匠を見つめた。


「この毒は『気』の力だけでは排出できません。毒が身体に残ってしまいます。お母さまを呼んでまいりますので、治療を受けてください!」

「大げさだなぁ。私だって毒の排出方法くらい、仰雲師匠ぎょううんししょうに──」

「この毒は特別なのです」


 雷光師匠の言葉を、冬里さんがさえぎる。


「この毒は、複数の毒草どくそうを混ぜ合わせてできています。『気』の運用で排出できるのは、弱い毒だけ。本命の毒は身体に残ります。それが徐々に身体の深いところに浸透しんとうしていく……そういう、たちの悪い毒なのです」

「……そうなのかい?」

「今すぐ、本格的な治療をすべきなのです。そうしないと雷光さまは……5年から10年くらい先に、身体が動かなくなってしまうかもしれないです」

「────え」


 一瞬、耳をうたった。

 雷光師匠の身体が動かなくなる? 10年くらい先に?

 そんな毒が存在するのか?

 もしかして……それがゲームで、雷光師匠がいなくなる理由なのか?


 雷光師匠はゲーム『剣主大乱史伝』の最強キャラとして活躍かつやくする。

 でも、中盤ちゅうばんで、なんの前触れもなく離脱する。

『ここから先は、私の手は届かない』という言葉を残して。


 あれは『これからは若い英雄に任せる』という意味だと思ってたけど……違うのか? 今、受けた毒が、10年後に師匠の身体に悪影響を与えるからなのか?


 もちろん、ゲームの師匠がスウキとレキを助けたわけじゃないだろう。

 ふたりが藍河国に来たのは、ゼング=タイガが暴君になったからだ。

 そして、ゼング=タイガが暴君になったのは、俺と小凰しょうおうが奴の片腕を斬り落としたのが原因だ。

 ゲームのゼング=タイガは別に隻腕せきわんになったりしてはいない。

 スウキとレキは、普通に壬境族の一員として暮らしていたのだろう。


 ゲームの雷光師匠は、別の理由で北の地を旅していたのかもしれない。

 そこで……壬境族の土地に近づいて、なんからの理由で毒矢を受けて、その毒が身体の中に残ってしまったんだろうか。

 その毒のせいで、ゲームの雷光師匠は途中で戦線を離脱したのか?

 でも、途中離脱した雷光師匠は……その後、どうなったんだ?


「……いやいや大げさだよ冬里くん」


 今の雷光師匠は、元気だ。

 顔色は悪いけど、明るい表情で手を振ってる。

 こんな毒はなんてことないと言って、笑ってる。


 その顔を見ていた俺は──


「ぼくからもお願いします! 雷光師匠。秋先生の治療を受けてください!!」


 気づくと平伏へいふくして、頭をゆかにこすりつけていた。


「弟子の黄天芳こうてんほうが、してお願いします!! どうか、冬里さんの言う通りにしてください!!」

「て、天芳!? いきなりどうしたんだい!?」

「お願いします!! 秋先生の治療を受けてください。師匠!!」

「……天芳」

「師匠の命がかかっているんです!! ですから、ぜひ、治療を!!」

「わ、わかった。わかったから!!」


 雷光師匠は慌てたように、


「言う通りにするよ! 妹弟子の──翼妹よくまいの治療を受ける! だから顔を上げなさい。天芳」

「ありがとうございます。それじゃ冬里さん!」

「は、はい。急いでお母さまを連れて参ります」


 冬里さんは宿を飛び出していった。

 十数分後、大急ぎでやってきた秋先生は、雷光師匠の傷をて、


「……姉弟子あねでし

「なんだい。翼妹」

「あなたは自力で毒を排出して、それからどうするつもりだったのですか?」

「スウキくんとレキくんを北臨ほくりんに送る予定だったよ」

「……無茶なことを。冬里と天芳が心配するのも、無理はありません」


 あきれたような、長いため息をついた。


「冬里の見立て通り、これは特殊な毒です。9割の弱い毒と、1割の強力な毒で作られています。弱い毒で強い毒を包み隠す構造です。だから、姉弟子は、弱い毒だと思ったのでしょう」

「……私にも、毒の知識はあるのだけどね」

「この毒の成分を見抜くためには医術の心得こころえが必要です。むしろ、毒の知識がある武術家ほど、この毒の強さを見誤るでしょう。この毒は、『武術家殺し』の毒とも言えます」


 強い武術家は体内の『気』を操り、毒を身体から追い出すことができる。

 この毒は、そういう能力を持った武術家を狙ったもの。

 弱い毒だから医師を呼ぶまでもない──そう考えた武術家は、自分で毒を身体から追い出す。

 それで弱い毒は排出できるけれど、本命の、致命的な毒だけが身体に残る。

 そうして時間をかけて、身体の重要な部分をおかしていく。


 ──それが、秋先生の分析ぶんせきだった。


 それで秋先生は、この毒を『武術家殺し』と呼んだんだ。

 もちろん、秋先生なら解毒げどくできるそうだけど。


「……気づかなかったよ」


 雷光師匠は、がっくりと肩を落とした。


「私もまだまだだね。毒の成分を見誤みあやまるなんて」

「仕方ありませんよ。私も、この毒を見るのは初めてです」


 そう言って、秋先生は治療の準備をはじめた。


「姉弟子は天芳と冬里に感謝するべきです。放置していたら、数年後にあなたは心の臓に痛みを感じるようになっていたでしょう。あるいは、痛みを感じる間もなく、身体が動かなくなっていたかもしれません」

「……ああ。そうか」

「天芳と冬里がここに居合わせてよかったです。私も……自分がここに居合わせたことに感謝していますよ。本当に」

「そうだね。それに……私は自分を過信かしんしていたようだ」


 雷光師匠らいこうししょうはため息をついた。

 その師匠の脚に、秋先生がはりを打ち込んでいく。

 そうすることで身体の『気』の流れを弱め、毒が広がらないようにして治療をするそうだ。


「傷を受けて、翼妹よくまいの手をわずらわせるなんてね。自分が恥ずかしいよ」

「普通の武術家なら、毒を受けた時点で動けなくなっていたでしょう」


 秋先生は苦笑いしている。


「この状態で町まで逃げてこられたのは、姉弟子が桁外けたはずれれな証拠です」

「あのさ、翼妹よくまい

「なんですか。姉弟子あねでし

「敬語はやめてくれないか?」

「やめません。姉弟子は仰雲師匠ぎょううんししょうの一番弟子で、私が二番弟子なのですから。あの方との思い出のためにも、上下関係は残しておきたいのですよ」

「……それなら、仕方ないね」


 ふたりは顔を見合わせて、笑った。


 雷光師匠と秋先生。師事した時期は違っても、ふたりは仰雲師匠の弟子だ。

 俺にはわからない関係性があるんだろう。

 照れくさそうな雷光師匠と、敬語を使う秋先生って新鮮だ。


「雷光師匠。秋先生」


 そんなふたりに、俺は声をかけた。


「スウキさんとレキさんから、壬境族じんきょうぞくの事情について話をうかがいたいのですが、いいですか?」

「ああ、そうだったね。それが重要なのだった」

「私も聞かせてもらおう。いえ、姉弟子は動かないでください。治療ちりょうを続けますから」

冬里とうりも、雷光さまたちになにがあったのか知りたいです」


 雷光師匠と秋先生が答えて、冬里さんがうなずく。

 4人分の視線を向けて、スウキ=タイガとレキ=ソウカクが緊張した顔になる。

 それから、ふたりは視線を交わして、


「自分は護衛。正式な使者はおじょう──スウキ=タイガさまだ」

「私の方から、壬境族の現状について、お話をさせていただきます」


 そうして、ぎこちなく拱手きょうしゅしてから、スウキ=タイガは話し始めたのだった。



──────────────────────


 次回、第85話は、次の土日くらいに更新する予定です。







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