第83話「天下の大悪人、尾行者を捕まえる」
俺と
正体はわからない。
振り返って確認したら、相手が逃げるかもしれない。
尾行者は、俺が書いた文書のことを店員に聞いていた。
あの文書に反応しているのは間違いない。
人気のないところで
「冬里さん」
「はい。
「この先の角を曲がって
「あ……はい。わかりました!」
冬里さんは勢いよくうなずいた。
俺の意図がわかったらしい。
俺と冬里さんは歩調を変えずに角を曲がる。
尾行者からは見えない場所で、冬里さんは俺に抱きつく。
その直後、俺は『
「『
「──わ、わわっ!?」
俺は全身に『
そして、冬里さんを抱えたまま、家の屋根へと飛び上がった。
『
これで川を飛び越えたことがあるし、カイネ=キリュウを抱いて
人ひとりを抱えて屋根まで飛び上がるくらい簡単なんだ。
「さてと、俺たちをつけてきてた人は……?」
尾行者は、角を曲がったところで立ち止まった。
俺たちの姿が消えたことに、びっくりしてるみたいだ。
尾行者は男女がふたり。さっきちらっと見たときは、小柄な人物だと思っていた。
だけど──
「……子どもだね」
「……はい。子どもなのです」
俺たちの後をつけていたのは、少年と少女だった。
少女の方は
少年の方は、10歳を過ぎたくらいだろう。彼は少女を背中にかばいながら、長い
「どうしますか。
「まずは話を聞いてみましょう」
「わかりました。では、ここは冬里に任せてもらえませんか?」
「冬里さんに?」
「冬里は子どものあつかいに慣れているのです。ずっとお母さまの……医師の仕事の手伝いをしてきましたから。
冬里さんは照れたような顔で、
「それに……冬里も、天芳さまのお役に立ちたいのです」
「わかりました。お願いします」
「行ってまいります。では『
しゅるん、と、冬里さんは屋根から飛び降りた。
まるで猫のような動きだった。
冬里さんは音もなく、少年少女の後ろに着地する。
そして、
「「────!?」」
その音に、少年少女が反応した。
少年が振り返り、冬里さんに向けて棒を構える。
でも、冬里さんはすでに、間合いの外に移動していた。
彼女はそのままふたりに向かって
両手を重ねる──つまり、すぐには攻撃できない姿勢を取ることで、敵意がないことを示すことができる。
冬里さんのその姿を見た少年は、手にした棒を地面に向ける。
……すごいな、冬里さんは。
彼女は完全に、相手の動きを呼んで対応している。
──着地したあと、わざと足音を立てて、向こうが気づくようにした。
──相手が棒を構えるタイミングで身を
──少年が棒を構える直前に
そうすることで、相手の警戒心をゆるめてしまったんだ。
相手の呼吸と間合いを完璧に把握していないとできない技だ。本当にすごい。
冬里さんが武術を覚えたら、秋先生以上の達人になれるんじゃないだろうか。
「はじめまして。
冬里さんは少年少女に向かって、自己紹介した。
「
「……あ、あぁ」
「冬里たちに、なにかご用ですか?」
冬里さんは、ゆっくりと話している。
たぶん、少年少女をおびえさせないようにだろう。
彼女の声を聞いていた少年は、構えていた棒を引いた。戦闘態勢を解いたみたいだ。
でも……少年のあの構えには、見覚えがあるような気がするんだけど。
「ご用があるなら教えてください」
冬里さんは続ける。
「冬里の
「……じ、自分は、あんたに」
「はい」
「…………あんたに、聞きたいことが、ある」
「駄目です。レキ。町に住む人たちにそんな口の利き方をしたら駄目」
不意に、少女が口を開いた。
「はじめまして。ごていねいな
少女は冬里さんに向けて、軽く頭を下げた。
「私たちが、あなたたちの後をついて歩いていたのは……話しかけるきっかけを探していたから。それと、あなたたちがどういう人か、
「そうだったのですか」
「ええ。あなたを見て、危険な人じゃないと、わかりましたわ」
「そうですか。では、お話を聞かせてください」
「……えっと」
少女は言葉を探すように、目を閉じた。
「あなたと一緒にいた人は、茶館で文章を書いていましたね」
「はい。あの文章が、なにか?」
「あの中に、気になる言葉があったのです。ひとつ、教えてください」
「どうぞ」
「あなたたちは
俺は思わず目を見開く。
雷光師匠の名前が出てくることは、予想してた。
でも、まさか俺と、
「質問に答える前に、ひとつ、聞いてもいいですか」
冬里さんは目を細めて、たずねた。
「あなたたちは雷光さまの居場所をご存じなのですか?」
「はい。あの方は、私たちの恩人です」
「恩人?」
「私とレキは、あの方のおかげで命拾いをしました。だけど……あの人は私たちをかばって、怪我を。だから、私たちはあの人に、恩返しをしなければいけなくて……」
「お
「お願いです。教えてください。あなたは黄天芳さまや翠化央さまのお知り合いなのですか? 私たちは、あの方々にお伝えしたいことがあるんです! もしかして、一緒にいた男性の方が、おふたりのどちらかなのですか!? その人はどこに……」
「落ち着いて」
少女の言葉が途切れるのに合わせて、冬里さんは言った。
冬里さんは言葉を止めて、ゆっくりと深呼吸する。
それに釣られたのか少女の方も長い息を吐いて、肩の力を抜く。
それから冬里さんは、
「黄天芳さまを、探していらっしゃるのですね?」
「そうです。私たちは
「お嬢。そこまでにしてください!」
少年が少女を止めた。
「話しすぎです。この人が味方かどうかわからないってのに!」
「敵じゃないのです」
冬里さんが、
俺がうなずき返すと、冬里さんは優しい笑みを浮かべて、
「黄天芳さまにご用事なら、直接、お話をされるといいです。そこにいらっしゃいますから」
「「……え?」」
少年と少女が振り返る。そして、目を見開く。
うん。まぁ、びっくりするよな。知らない間に、後ろに誰か立っていたら。
冬里さんがふたりの注意を引いている間に、俺は屋根伝いに移動していた。
その後は冬里さんと同じように『猫静着地』で地面に下りた。
そうして、ふたりの背後に回っていたんだ。
万が一、このふたりが攻撃してきたときに、冬里さんを守るために。
「はじめまして。ぼくが
俺は冬里さんと同じように、ふたりに向かって
「用があるならうかがいますよ」
「……その前に、いいですか?」
少女が胸を押さえて、俺の方を見た。
おびえたような視線だった。まぁ、無理もないけど。
「あの方からは、本人確認のための質問をするように言われています」
「うかがいます」
「えっと……『蛇と猫と亀。もうひとつは?』」
「
「『潜った竜王は』?」
「天を仰ぎます」
「『
「『白き
「──────あぁ」
少女がぺたん、と、地面に座りこんだ。
まるで、安心して力が抜けたように。
ひとつめの質問は、『
次が『五神剣術・歩法』の技の名前についての質問。
最後は『
これらの情報を知っているのは、俺と小凰と雷光師匠、それに秋先生だけ。
つまり、この少女は間違いなく、雷光師匠に会っている。
「本人確認ができたなら教えてください。雷光師匠は怪我をしてるんですよね? この町にいるんですか?」
俺は
さっき、少女は言った。『あの人は私たちをかばって、怪我を』──と。
雷光師匠は子ども好きだ。
このふたりをかばって、怪我をすることはあり得る。
ただ、雷光師匠は達人だ。並の相手なら簡単に撃退できる。
その師匠が怪我をしたということは、敵がすさまじい達人か……あるいは、師匠でも対処できないほどの大軍だった場合だけ。
この少年少女は、そういう連中を相手に襲われるほどの重要人物、ということだ。
それに──
「もうひとつ教えてください。あなたたちは、
俺の言葉に、少年少女が
ふたりは藍河国の服を着ている。たぶん師匠が用意したんだろう。
そのせいで、見た目は藍河国の人間と変わらない。
それでも壬境族の関係者だと思ったのは、少年の構えを見たからだ。
棒を構えた姿が、壬境族の王子ゼング=タイガに似ていた。
あれはたぶん、壬境族が使うの武術の型なんだろう。
少年はそれを身につけている。だから壬境族か、その関係者だと思ったんだ。
「……うかつだった」
少年がつぶやく。
「黄天芳……さすがは、王子と戦って生き残った人だ」
「それを知っているということは……やっぱり?」
「……自分は、壬境族のレキ=ソウカクと申す者だ」
少年は棒を地面に置いた。
「私は……スウキ=タイガと申します」
少女は名乗った。
壬境族の王子、ゼング=タイガと
「家名がタイガということは、あなたは、ゼング=タイガの──」
「ゼングさまは、私の
「私は父の命令で、藍河国の方々に
「壬境族の王の弟が? 藍河国に支援を?」
「父は、部族の中では
少女──スウキ=タイガは、震える声で告げた。
「父は……今の藍河国なら信じられると言って、私に書状を預けました。藍河国の高官に渡すための書状を」
「壬境族の人が、藍河国に書状を?」
「私たちは旅の途中で追っ手に襲われ、雷光さまに助けられました。馬は殺され、雷光さまは私たちをかばって、
それはなんとなく想像がつく。
師匠のことだから「子どもが危ない。助ける!」って、問答無用で手を貸したんだろうな。
「でも、どうして壬境族の人が、藍河国に助けを求めようとしてるんですか?」
「……
スウキ=タイガは震える声で、
「従兄のゼングは利き腕を失ってから……他者を
ゼング=タイガが暴君に?
いや……確かに奴は、ゲームでは
その
「父はずっと、藍河国と戦うことに反対してきました。従兄のゼングは、そんな父を
少女スウキ=タイガは絞り出すような声で、話し続ける。
「今、壬境族はふたつに割れています。他国への侵攻を目指す武闘派と、戦を避けようとする……父のような
「話はわかりました」
俺は言った。
「まずは雷光師匠に合わせてください。あなたたちに協力するかどうかは……それから決めます」
壬境族はずっと、俺たちの敵だった。
ゼング=タイガは、海亮兄上を殺そうとしていた。
将軍レン=パドゥに率いられた部隊は、戊紅族の集落を
その壬境族に穏健派がいると言われても……すぐには信じられない。
ただ……あり得る話だとは思う。
藍河国は大国だ。
俺はゲーム『剣主大乱史伝』の知識があるから、藍河国が10年後に崩壊すると思ってるけど、他の人たちはそうじゃない。
今の時点では藍河国は大国で安定してる。しかも、
壬境族の中に、藍河国と敵対することに不安を感じる連中がいてもおかしくない。
すでにゼング=タイガは藍河国侵攻に失敗していて、犠牲者も出ているわけだからな。あいつの最強に
……だからといって、話に飛びつくのは危険なんだけど。
まずは雷光師匠に会って、話を聞かないと。
この子たち──スウキ=タイガとレキ=ソウカクを助けたとき、どんな状況だったのか。師匠はこの子たちの話を聞いて、どう思ったのかを。
今の段階では、情報が少なすぎるんだ。
「……でも万が一、壬境族の中に味方ができたら」
ゼング=タイガは藍河国に対して、全軍を動かすことができなくなる。
自分たちが留守の間に、敵対勢力が反乱を起こすかもしれないからだ。
そうなったらゼング=タイガは帰る場所を失う。最悪、北から反乱勢力に、南から藍河国に攻められることになる。北と南からの挟み撃ちだ。
いくらあいつが強くても、まわりの兵たちは耐えられないだろう。
壬境族の中に味方ができれば、
もちろん、うまくいくとは限らない。
穏健派がなにを考えているのか……本当にそんなものがいるのかどうかも、確信がない。ただ、確かめるだけの価値はあると思うんだ。
そんなことを考えながら、俺たちはスウキ=タイガの案内で、雷光師匠がいる場所へと向かったのだった。
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次回、第84話は、来週末の更新を予定しています。
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