第78話「天芳と凰花、『渾沌の秘伝書』を読む(前編)」
──
俺がそれを知ったのは、
どうしてわかったかというと、
『狼炎殿下は無事に政務に戻られた。安心するといい。
これも、君たちの心遣いのおかげだ。
私は、
この恩は忘れない。
燎原君というたいそうな名に
──って。
礼状は星怜のところにも来ていた。
差出人は燎原君の末娘の、
星怜は礼状を読んで、首をかしげてた。
俺も見せてもらったけど、意味がわからなかった。
『星怜さまのおかげで、覚悟が決まりました。
どうか、星怜さまは幸せになってくださいませ』
……どうしてこんな話になるんだろう?
「燎原君の娘さんに、なにがあったんだろうね」
「わたしにもわからないです……」
書状を前に、俺と星怜は考え込んでた。
とにかく、太子狼炎は立ち直ってくれた。
燎原君と、夕璃さんも喜んでる。今はそれで十分だ。
「きっと星怜のおかげだね。ありがとう」
「い、いえ、わたしは……兄さんから聞いたお話を、夕璃さまにお伝えしただけで。兄さんの言う『落ち込んでる方』が、太子殿下だなんて想像もつきませんでした」
「……あ、そっか」
星怜には太子殿下のことを話してなかったね。
「でも、夕璃さまは、星怜に感謝してるわけだし。やっぱり星怜の功績なんじゃないかな?」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
「……だったら、うれしいです」
「うん。星怜はぼくの自慢の妹だ」
星怜は素直だし、優しいし、本当にいい子だ。
ゲームでは国を傾ける悪女になっていたけど……今の星怜は素直で、優しい子に育ってる。きっと、これが本当の星怜なんだろう。
このままずっと、まっすぐに育って欲しいな。
俺も義兄として、全力を尽くそう。
「あ、あの……兄さん」
「どうしたの星怜」
「兄さんはどうして、わたしの頭をなでてらっしゃるのでしょう……」
「……あ」
気づかなかった。
いつの間にか俺は、星怜の銀色の髪をなでていた。
触れていると心地いいんだけど、星怜は真っ赤になってる。
「ごめん。星怜を見てたら、つい、なでたくなっちゃって」
「か、構いません。兄さんの手の感触は……好き……ですから」
星怜はうつむいたまま、そんなことを言った。
星怜は耳たぶまで真っ赤になってる。
でも、俺が星怜の頭から手を離そうとすると、小さな手を重ねてくる。
「だから続けてください。兄さん」
「いいのかな?」
「夕璃さまからの手紙には『幸せになってください』と書いてありました」
星怜は目を細めて、
「兄さんに触れていただくと、わたしは幸せな気持ちになります。なので、王弟殿下のご息女のお願いを叶えるためにも……兄さんは、わたしにもっと触れるべきだと思います」
「そうなの?」
「えんりょするのは、ゆうりさまのいにはんすることかと!」
「
「慣れたら緊張しなくなります。そのためにも続けてください。兄さん」
……星怜がそこまで言うなら。
というわけで、俺は星怜の髪をなで続けた。
時折、指に触れるのは『
銀色の髪を飾るそれを、星怜はいつも身につけてる。
星怜の髪を、『雪縁花』が飾ってるのを見ると、なんだか、安心する。
ここにいるのは俺の義妹の星怜で、悪女とは別ルートに入った女の子なんだ、と。
「…………兄さん」
星怜が……なんだか熱っぽい目をしてるのは気になるけど。
いやいや、今の星怜は素直ないい子だからね。
悪女でも
変なこと考えてたりしないはずだ。たぶん。
そんなことを思いながら、俺は星怜の髪をなで続けたのだった。
翌日。
俺と
ガク=キリュウとノナ、カイネ=シュルトの生活も落ち着いてきた。
3人は
ガク=キリュウは藍河国王の指示で、客将に任命された。
将軍名は『
西方より来たりて、
「お父さまは、部隊の編成と兵士の訓練のお仕事で、お忙しいようです」
俺たちが屋敷を訪ねると、ノナはそんなことを言った。
屋敷にいたのは、ノナとカイネと、燎原君が手配してくれた側仕えだけ。
ガク=キリュウは仕事に出ているそうだ。
「大変ですよね。ガク=キリュウさまが部下を集めるのは」
俺は言った。
ガク=キリュウは異民族──
俺や小凰や秋先生、燎原君はガク=キリュウの実力を知っているけど、他の人たちはそうじゃない。
彼らが知っているのは、ガク=キリュウが、
藍河国の兵士たちには、異民族の将軍を見下す者もいるだろう。
そんな兵士たちをまとめあげるのは、大変だろうな……。
「いえ、兵士は順調に集まっているようです。兵士を手配してくださったのが、王弟殿下だからでしょうか。みんな、素直に指示に従ってくださるそうです」
ノナは真面目な表情で、そんなことを言った。
「それに王太子殿下はご自分の部下を、お父さまの副官に
「狼炎殿下がですか?」
「はい。『
「「……太子殿下が」」
俺と小凰は、思わずため息をついていた。
秋先生もおどろいたのか、目を見開いてる。
ガク=キリュウは強力な武将だ。
だから、
でも、まさか太子狼炎がここまで目をかけてくれるとは思わなかったんだ。
……これは、すごいことだ。
燎原君と太子狼炎が後ろ
ゲーム内での強力な武将が味方になったんだ。
藍河国の陣容は、かなり強化されたはずだ。
「そうか。ガクどのも落ち着いたようで、安心したよ」
秋先生がそう言って、手を叩いた。
「それでは、私たちもやるべきことをしよう。ノナどの。それから、カイネどの。例のものを見せてもらえるかな?」
「はい。
「『
ノナとカイネが部屋を出て行く。
しばらくして戻ってきた彼女たちは、古びた書物を手にしていた。
ノナがゆっくりと、その書物を開いていく。
そこに書かれていた文章は──
「…………うむ。確かに、普通に読んでもわからないね」
秋先生の言う通りだった。
『渾沌の秘伝書』はそのまま読むと、意味不明な文章になっていた。
例えて言うなら『大きく息を吸って、吸った足を耳から吐き出し、七日後に持ち上げる』といった感じだ。
単語が置き換えているのか、言葉の順序を変えてあるのかはわからない。
読み取るには、巫女であるカイネの力が必要みたいだ。
「それでは、カイネが、読み解く……の」
巫女のカイネが、秘伝書にじっと視線を落とす。
それを使って、文章を正しく組み立てることができるそうだ。
「──
静かに、カイネが言葉を
『
万影鏡──相手の動きを読み取り、未来の動きまでも予想する、感覚の技。
無形──相手の攻撃を無効化する、受け技。
中央の帝──上のふたつの技を学んだ者が身につけることができる、攻撃の技。
この3つが『渾沌の技』だ。
彼女の話を聞きながら、俺はゲームの、スキルツリーを思い出していた。
最初の技を覚えたら次の技がアンロックされて、修得できるようになる……というやつだ。
『渾沌の技』も、同じようなものかもしれない。
『万影鏡』を修得したら『無形』が、『無形』を修得したら『中央の帝』がわかる。
そんな仕掛けになっているみたいだ。
「この秘伝書を残した『
秋先生は腕組みをしながら、秘伝書を見下ろしていた。
「巫女がいなければ秘伝書は読み解けない。読み解けたとしても、段階を追って技を修得しなければ、攻撃の技は使えない。最初の技を覚えて、理解して、その意味を読み解けなければ、次の技に進めないようになっている。本当に、人を選ぶ武術だ」
「人を選ぶ、ですか?」
「そうだよ、
秋先生は小凰に向かって、うなずいた。
「この武術を学ぶ者は、まずは巫女の信頼を得なければいけない。秘伝書を読み解く巫女の言葉を信じて、先の見えない修行をしなければいけない。ひとつ間違えたら、まったく無意味な修行を続けることになるかもしれない。いくつもの
「だから人を選ぶ、ということですか?」
「多くの人の助けがなければ、学べない武術だからね。戊紅族の人々、巫女、指導者……技を会得するには、多くの者の信頼を得る必要がある」
「……多くの者の信頼を」
「それだけじゃないよ。武術を学ぶ側も、それらの人々を信じる必要がある。闇の中を手探りで進むようなものだからね。手を引いてくれる人たちを信じなければ、先へ進むことができないのさ」
そう言って秋先生は、長いため息をついた。
「戊紅族の守り神である『
「カイネは、みなさんが納得されるまで、お手伝い、します」
いつの間にか、カイネは床の上にひざまずいていた。
「巫女がこの書物を訳すのは、信じる人のため。それと、一族や家族のため。カイネも族長も、みなさんを信じて、秘伝書を、渡しました。だから、正しく
「ノナも、みなさんを信頼いたします!」
カイネとノナは、深々と頭を下げた。
秋先生はふたりに向かってうなずく。
それから、俺と小凰の方を見て、
「私も、指導には全力を尽くそう。では、最終確認だよ。天芳、化央」
「はい。秋先生」
「は、はい!」
「『渾沌の技』は難しいものだ。我々の想像を超えた武術の可能性もある。会得するには時間がかかるだろう。苦労して、長い時間をかけても、成果が得られないこともあるだろう」
秋先生はまっすぐ、俺と小凰を見ていた。
「だから、確認しておきたいんだ。それでも、君たちが『渾沌の技』を学ぶことを望むのか。時間をついやしても悔いることはないか。その覚悟を」
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次回、第79話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
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