第77話「天芳と星怜と夕璃、相談する」
今日は2話、更新しています。
本日はじめてお越しの方は、第76話からお読みください。
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具体的には『
今後の職務については、追って指示が下ることになる。
これを決めたのは
でも……これで俺たちは『
それに、
兆石鳴が
それよりも問題は……
あれから太子狼炎は、ほとんど人前に出てこないらしい。
燎原君が部屋を訪ねているけれど、答えることはないそうだ。
太子狼炎は、介州雀を
『
その作戦は、一瞬で潰れた。
しかも太子狼炎の
……どうすればいいんだろう。
このまま太子狼炎を放っておくのはよくない。
あの人はいずれ、藍河国の王になる。将来の王が落ち込んだままなのはよくない。
それに俺は、今の太子狼炎は嫌いじゃない。
なんとか、元気になって欲しいんだけど──難しいな。
「あんなに落ち込むとは思わなかったからなぁ。どうすれば、元気になるんだろう……」
夕方。
星怜と一緒に『
「え、え、え? どうしたんですか! 兄さん!?」
汗を拭いていた星怜が、あわてた様子で振り返る。
星怜が俺を避けていたのは、『
朝と夕方には、こうして『
ただ……たまにこんなふうに、急に真っ赤になることがあるんだけど──
「な、なにかあったのですか!? 兄さん」
星怜はびっくりした顔で、俺を見てる。
汗ばんだまま俺に近づいて、じっと顔を寄せてくる。
「兄さんが落ち込んでいらっしゃるのですか? それってもしかして、秘伝の後にわたしが兄さんを避けていたからですか? ご、ごめんなさい。でも、あれはその……秘伝の後、不思議な感じがしたからなんです。秘伝の間……ずっとわたしが兄さんを感じ取っていたのと同じように、兄さんもわたしの全部を
「星怜?」
「お願いですから元気になってください、兄さん! 兄さんのためなら、わたし……なんでもしますから!」
「落ち着いて星怜、落ち込んでるのはぼくじゃないから」
「そ、そうなんですか?」
星怜が、ほっと、ため息をついた。
「……よかったです」
「落ち込んでる人というのは、ぼくの知人で──」
いや……王家の事情を話すわけにはいかないか。
ここは、少しぼかして伝えよう。
「ぼくの知人で、ぼくよりもずっと偉い人だよ。ちょっとした事件があって、その人がかなり落ち込んでしまっているんだ。その偉い人を元気づけるにはどうすればいいのかな、と思って」
「兄さんより偉い人なんて想像もつかないです」
「まぁ、誰かは言えないんだけど」
「そうなんですか。えっと、兄さんより偉い人を元気づける方法というと……」
星怜は首をかしげて、考え込むしぐさをした。
それから、頭を下げて、
「すみません。わたしには兄さん以外の人を元気づける方法は思いつきません。想像もつかないです」
「そっか」
「ですから、人間関係に詳しい人に聞いてみようと思います」
「無理しなくてもいいんだよ?」
「無理なんかじゃないです! わたし……兄さんのお役に立ちたいですから」
星怜はそう言って、笑った。
「兄さんのためにできることがあるなら、なんでもやってみたいんです。だから、やらせてください」
「わかった。お願いするよ。星怜」
「はい。兄さん!」
──数日後。
「
ここは、燎原君の屋敷の客間。
「急にどうしましたの? 星怜さま」
「兄さんから聞かれたのです。落ち込んでる人を元気にするには、どうしたらいいかって」
「
「はい。兄さんのお知り合いの、偉い方を元気づけたいそうで」
「それで私に?」
「夕璃さまは社交の達人でいらっしゃいますから、人を元気づける方法をご存じかと思ったのです」
「そうですわね……」
夕璃は茶器を手に、少し、沈黙した。
「黄天芳さまの知人ということは、おそらく、男性ですわね」
「は、はい。そうだと思います」
「男性の方を元気づける方法というと……難しいですわ。私には親しい男性はおりません。社交の場も、女性の方が集まる場所ばかりです。落ち込んだ男性を元気づける方法というのは……どうも」
「そうですか……」
「お力になれなくて申し訳ありません」
「いえ、わたしもがんばって調べてみます」
そう言って、星怜は力強くうなずいた。
「せっかく兄さんが、わたしを頼ってくださったんですから。できることはなんでもするつもりです」
「星怜さま。ご立派ですわ」
まぶしいものを見るような目で、夕璃はうなずく。
「大事な人のために一生懸命になれる星怜さまが、うらやましいです」
「わたしは……兄さんに助けられてばかりですから」
星怜は
「こんなときくらい、役に立ちたいんです。そうすれば……これからも兄さんの隣にいられるような気がしますから」
「本当に、うらやましいですわ」
「……夕璃さま?」
「昔は私にも、そんな方がいましたの。ほんの小さい頃……おたがいの立場も知らないころに」
ぼんやりとつぶやく夕璃。
それから、空気を変えるように手を叩いて、
「す、すみません。私ったら。ぼーっとしてしまって」
「い、いえ。気にしないでください」
「お
「兄さんの知人を元気にする方法、ですか?」
「そうですわ。そういうことを相談するのに、とっておきの方がいますの。あとで相談してみます。わかったことがあったら、星怜さまにもお知らせしますわ」
──夕方。燎原君の屋敷で──
「ねぇねぇお父さま。
「どうしたのだね、夕璃」
夕刻。
執務から戻って来た父──
「誰か気になる男性でもいるのかな? よければ、話を聞くが」
「そうではありません!」
「むきになることはない。お前も年頃だ。気になる方がいるなら私が──」
「違います! 星怜さまからの相談ですわ!」
それから夕璃は、父に事情を話した。
黄天芳の知人が、ひどく落ち込んでいること。
誰かはわからないが、その知人とは、黄天芳より偉い立場の人間であること。
黄天芳から相談を受けた星怜が、夕璃の助言を求めていたこと。
──それらの話を聞いた燎原君は、
「……夕璃は本当に、よい友人をもったのだね」
とても優しい表情で、うなずいた。
話を聞いた燎原君は、事情を察していた。
天芳の言う『落ち込んでいる知人』とは、太子狼炎のことだろう。
あれから太子狼炎は、人前に姿を現していない。
政務は自室でこなしているようだが、部屋をたずねても出てこない。
燎原君も、彼を心配しているのだった。
「
「もちろんですわ!」
「うむ。私も、黄天芳を大切にするとしよう。公私ともに、彼は得がたい人材だ」
「え? あ、はい。それでお父さま。相談についてなのですが……」
「そうだね。それは、私の方でも考えておこう」
燎原君は言った。
「客人の中には、人を
「お願いしますわ。お父さま」
「ところで、夕璃」
「はい。お父さま」
「私のお願いを聞いてくれないだろうか」
「もちろんです。私にできることでしたら!」
「そうか……では」
燎原君は一度、せきばらいをしてから、
「王宮に届け物をしてもらえないだろうか。明日、私は少し遠くに行く予定があってね。王宮に立ち寄る時間がないのだ。代わりに、とあるお方に荷物を届けて欲しい」
「お父さまの
夕璃は父に向かって
「
「荷物は後で渡すからね。それを、
「…………え?」
届け先を聞いた夕璃の顔が、こわばる。
彼女は目を伏せて、
「だ、だめですわ。お父さま」
「どうしてだね?」
「だって、私は狼炎殿下には、ずっとお目にかかっていませんもの」
「昔は一緒に遊んだこともあっただろう?」
「あれは小さいころのお話です。私が無邪気で……なにも知らなかったころの」
そう言って夕璃は、うつむいた。
「そうです。私はなにも知らなかったのです。そんな私がいまさら、狼炎殿下に近づくなんて……」
「そうかな?」
「そうですわ!」
「ならばどうして王宮で
「…………お父さま」
「太子殿下を、一目見たかったからではないのかな? それに殿下が屋敷を訪ねるようになってから、ずいぶんと
「いじわるなことをおっしゃらないでください。お父さま」
夕璃は声をあげた。
「確かに私と狼炎殿下は幼なじみです。
「これは父としてのお願いだよ。夕璃」
燎原君は夕璃を見下ろしながら、告げる。
「あとで書物を渡す。それを明日、太子殿下に届けなさい。いいかな?」
「……はい。お父さま」
こうして夕璃は、王宮を訪ねることになったのだった。
──翌日。王宮の前で──
「王弟殿下のご
先触れの女官が、門を守る兵士に告げた。
夕璃は馬車の中で、許可が出るのを待っている。
彼女の
内政と外交に携わってきた父が、自分の経験したことを記したものだ。
父はその写しを作らせて、夕璃や、彼女の兄の教育に使っている。
ここにあるのはそのひとつだろう。
(狼炎殿下は……私に会ってくださるでしょうか)
夕璃は狼炎の従姉にあたる。
(当時の私はおろかでした。できもしない夢を見ていたのですから)
その夢を、彼女は口に出したことがない。
それは幸いだったと思う。
もしも口に出していたら、夕璃は、白い目で見られていただろう。
もしかしたら……不吉な異名に苦しむ狼炎を、さらに苦しめることになっていたかもしれない。
だから、離れた。
成長して、男女が距離を置くようになるのに合わせて、自然に。
王弟の娘でありながら、よこしまな思いを抱く自分は、狼炎の側にいない方がいいのだと。
(本当に……子どもっぽい願いでしたわ。私が、狼炎さまの妻になりたいだなんて)
夕璃にとって狼炎は、仲のいい、年下の従弟だった。
けれど夕璃は、周囲の期待に応えようと力を尽くす狼炎を見ているうちに、彼に
それを自覚したとき、彼から離れなければいけないと思った。
王家に所属するものであれば、なおさらだ。
もしも
そうならなくて幸いだったと、夕璃は思う。
父の
(私の思いは、子どものころの無邪気な
あれは、たわいない
本当の恋心に変わる前に、自然と距離をおけたのは、よかったと思う。
夕璃も、狼炎も、傷つくことがなかったのだから。
あれ以上、狼炎の側にいたら……心を抑えきれなくなっていただろう。
想いを口にして、父や狼炎に恥をかかせていたか、それとも……狼炎の妻になる者に、
そんな自分にはなりたくなかった。
父に心配をかけるのも、狼炎に迷惑をかけるのも……狼炎の愛する人を傷つけるのも、嫌だった。
だから夕璃は、狼炎から離れるしかなかったのだ。
(本当に……星怜さまがうらやましいです。天芳さまを、一途に
星怜が天芳に想いを寄せていることは、すぐにわかった。
うらやましいと、思った。
好きな人の側にいて、その人の力になる──それは、夕璃にはできなかったことだから。
だからこそ夕璃は、星怜を気に入ったのかもしれない。
「許可が出ました。夕璃さま」
しかし、彼女は暗い表情で、
「ただ、狼炎さまはお加減がよくないようで……面会はできないとのこです」
「……そう、ですか」
「お部屋の前までなら案内していただけるそうです。また、書物を側仕えの者に預けることもできるとのことです。いかがいたしましょうか?」
「お父さまからは、直接お届けするように言われております」
夕璃は父の言葉を思い出しながら、答えた。
「それに、殿下のお加減が悪いのでしたら、お見舞いしなければなりません。お部屋の前まで参りましょう。そのように伝えてくださいませ」
「承知いたしました」
やがて、馬車が動き出す。
こうして夕璃は、太子狼炎の部屋をたずねることになったのだった。
「太子殿下にご来客です。王弟殿下のご
太子狼炎の部屋の前で、側仕えの者が声をあげる。
夕璃と側仕えは
けれど、声は返ってこなかった。
「……申し訳ございません。夕璃さま。やはり殿下は、お加減がよろしくないようです」
「……そうですか」
夕璃はため息をついた。
やはり、狼炎は会ってくれないらしい。
(こんなとき
星怜は、兄の天芳から贈り物をされたとき、勢いに任せて部屋に飛び込んだと聞いている。
けれど夕璃の立場では、それはできない。
ならば、今できることは──
「狼炎殿下。お久しぶりでございます。夕璃です」
──しばらく考えてから、夕璃は扉越しに声をかけた。
「父より、書物を託されてまいりました」
「…………夕璃どのか」
扉の向こうで、声がした。
その声が
それから、彼女は、
「お父さまより、殿下のお加減をうかがうように言われております。お顔を見せてはいただけないでしょうか」
「……書物はありがたくいただく。あなたは帰られるといい。夕璃どの」
「……お顔を見せては……いただけないのでしょうか?」
「あなたに
絞り出すような声だった。
「この狼炎は……やはり、不吉な人間なのかもしれぬ。生まれてすぐに母を失い……こたびは、亡き母の弟──
「なにをおっしゃるのですか。殿下!」
「私の側にいられるのは、よほど強運な者だけだろう。例えば……戦や自己で家族を失い……それでも奇跡的に命を拾うような。そのような人間だけだろうよ」
「……太子殿下」
──この人は、絶望している。
──なにがあったのかは、わからない。
──けれど、このままでは……取り返しのつかないことになるかもしれない。
そんな思いが、夕璃の胸をよぎる。
「お願いがあります。席を、外していただけますか?」
気づくと夕璃は、側仕えに話しかけていた。
「数分で構いません。殿下と私を、ふたりだけにしてくださいませ」
「で、ですが……」
「お願いいたします。この通りです」
「ゆ、夕璃さま。あなたが私のようなものに、頭を下げられることは……わ、わかりました。席を外します。ですから、頭を上げてください」
床に
彼は一礼して、廊下の向こうへと立ち去る。「数分だけです」と言い残して。
側仕えがいなくなったのを確認して、夕璃は深呼吸。
それから、扉の向こうにいる狼炎に向けて──
「この私……
夕璃はきっぱりと、告げた。
「私にたいした力はありません。あるのは……お父さまの影響力と、そのお力を借りて作り上げた人脈くらいです。けれど、この藍夕璃は、あなたの味方として力を尽くすことを誓います」
「やめてくれ。あなたにも、私の不吉の影響が──」
「あら? ご存じありませんの? 私も不吉な人間ですのよ?」
「……なに?」
「私はずっと昔から、道ならぬ恋をしておりますの。実現してしまったら、みんなから後ろ指をさされるような恋を」
「
「ええ。私こそが不吉な人間なのですわ。だから、私はあなたから離れたのです」
「違う……離れたのは、この狼炎の方だ」
とまどうような口調で、狼炎は言った。
「私は次期国王として、国のことを第一に考えなければいけない。なのに私には……あなたの父上への引け目があった。人望にあふれる王弟、
「でしたら私たちは、似たもの同士ですわ?」
「……な、なんだと?」
「私はまわりへの引け目から、道ならぬ恋の相手に思いを伝えることができないのです。私も小さな人間です。ですから、私と殿下は、似た者同士なのです」
「そ、そうかもしれぬが……だが」
しばらく、沈黙があった。
それから狼炎は、重苦しい声で、
「『不吉の太子』の異名は別として……私は
「うれしいですわ。太子殿下」
「……え」
「昔のように、飾らない本音を聞かせてくださるのですね」
「…………意地悪だな。あなたは」
「ええ、そうですわ。だから意地悪な私は、あなたが道を誤ったとき、堂々と指摘して差し上げます」
扉の前で、夕璃は床に膝をついた。
「私の手に負えないときは、お父さまにお願いしますわ。世の才能ある人々の知恵を借りて、あなたに助言して差し上げましょう。それでもあなたが言うことをきかなかったら……そうですわね。人々を集めて、
「……夕璃姉さん」
「そうして、あなたに反省をうながします。殿下──いえ、
そう言ってから、夕璃は立ち上がる。
足音が近づいていた。側仕えが、戻ってきたらしい。
「私のためにお時間を下さったことに感謝いたします。殿下」
夕璃は扉に向かって、
「お顔が見られないのは残念ですけれど……お言葉を聞けただけで十分です。この藍夕璃、殿下のお
「……夕璃どの」
「はい。殿下」
「明日……いや、明後日まで、待っていただけないだろうか」
扉の向こうで声がした。
「これから、あなたが届けてくれた書物を読もうと思う。私のことだから、わからないことや、叔父上に聞きたいことが、山ほど出てくるだろう。近いうちに
「は、はい。殿下!」
「あなたへのお礼は、そのときに申し上げる。それで……いいだろうか」
「ありがとうございます。殿下。もったいないお言葉です」
「…………それは、こちらの言うことだ」
ことん、と、扉に触れる音がした。
すぐ側に狼炎がいる。
それに気づいて夕璃は、耳を澄ます。
「…………ありがとう。夕璃どの」
その言葉は、夕璃にしか聞こえなかったのだろう。
涙ぐむ夕璃をはばかったのか、側仕えの青年は距離をおいている。
けれど、夕璃の表情を見て、なにかがあったことは察したらしい。
彼は床に膝をつき、夕璃に向かって頭を下げた。
それに応えてから、夕璃はまた、扉に向かって一礼した。
一度だけ扉に触れる。
かたり、と、かすかに誰かが身じろぎする音がした。
そこにまだ狼炎がいるのを感じて、夕璃は思わず胸を押さえる。
そうして夕璃は、温かい気持ちを抱いたまま、屋敷へと帰ったのだった。
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