第76話「黄天芳、太子狼炎と打ち合わせをする(後編)」

「……皆のために、まわしき者と関わるというのか。貴公は」


 太子狼炎は呆然ぼうぜんとしていた。

 小声で、俺が言ったことを繰り返している。

 俺の言葉を噛みしめて、必死に飲み込もうとしてるみたいだ。


 やがて、太子狼炎は意を決したように、


「叔父上」

「はい。太子殿下」

「仮に黄天芳こうてんほうの策を実行するとして……砦に詰めるのが黄天芳と玄秋翼だけというわけにはいくまい。兵士が必要だ。精鋭せいえいをつけてやることは可能か?」

「可能です。要人警護ようじんけいごを得意とする者をつけましょう」

「例の砦はこの町の近くだ。ならば『狼騎隊ろうきたい』からも兵を出すとしよう。数日おきに交代させれば、我らも状況を事細ことこまかに知ることができる。いかがだろうか」

「良案だと存じます」

「…………そうか」


 太子狼炎は、まだ悩んでいるようだった。

 でも、彼はかぶりを振って、


「いいだろう。国王陛下に進言してみる。口添えしていただけるな? 叔父上」

「無論です」

「ならば、黄天芳。それに玄秋翼げんしゅうよくよ」


 太子狼炎が俺と、秋先生の方を見た。


「貴公らの提案を受け入れよう。今の話を国王陛下にお伝えする。すぐに答えは出ぬかもしれぬが……前向きに進めるようにしよう」

「ありがとうございます。太子殿下」

「感謝いたします」


 秋先生と俺は一礼する。


「だが、介州雀かいしゅうじゃくと『金翅幇きんしほう』は危険だ。手に負えぬと感じたならば……叔父上か、この狼炎ろうえんに伝えるがいい。また新たな策を考えるとしよう」

「貴公らは得がたい人材なのだ。それを忘れぬように」


 太子狼炎たいしろうえん燎原君りょうげんくんは言った。

 俺と秋先生は、ふたたび平伏する。


 話はそれで終わりになった。

 そうして、俺たちが退出しようとしたとき──



「失礼いたします! 『狼騎隊ろうきたい』の范圭はんけいどのが、お目通りを願っております。至急とのことですが、いかがいたしましょうか?」



 広間の外から、声がした。


「至急だと? 構わぬが……叔父上はよろしいですか?」

「構いませんよ」

「わかった。では范圭よ。入るがいい」


「──失礼いたします!」


 扉が開き、兵士の男性が入ってくる。

 数日前に黄家こうけに伝令に来た、范圭さんだ。


 入ってきた彼はすぐさま平伏へいふくする。

 その背中が、小さく震えていた。彼は悔しそうな顔で、歯をくいしばってる。

 ……なにがあったんだろう。


「申し上げます。捕虜ほりょであった介州雀かいしゅうじゃくが、さきほど……自害じがいいたしました」


 それが、范圭さんの言葉だった。


「介州雀は……練兵場れんぺいじょうを見下ろす楼台ろうだいより身を投げたのです。頭から落ちた介州雀は、そのまま絶命ぜつめいを……」


 楼台ろうだい──つまり、高い建物のことだ。

 王宮にはそういう場所が何カ所もある。

 練兵場の近くということは、たぶん、将軍が兵士たちに指示を出すのに使われる場所だろう。


 でも、おかしい。

 介州雀は拘束されて、牢に入っていたはずだ。

 それがどうして……楼台に登ったりするんだ?


「なんだと!? どうしてそんなことになったのだ!?」

捕虜ほりょを牢獄から出して……楼台に連れて行った者がいるということか。誰なのだ。その者は!?」

「…………『奉騎将軍ほうきしょうぐん』の、兆石鳴ちょうせきめいさまです」


 范圭さんは固い声で、答えた。


 ──兆石鳴ちょうせきめい

 太子狼炎の母方の叔父で、将軍位にいる人物だ。

 あの人が介州雀を連れ出したのか?


ちょう将軍は部下と共に牢獄ろうごくに向かい、介州雀と壬境族の兵士たちを連行なさいました。奴らと共に練兵場れんぺいじょうが見おろせる楼台ろうだいへと行き、そこで尋問じんもんを始めたのです」

兆叔父ちょうおじが!? どうして!!」

「兆将軍はおっしゃっていたそうです。『城にはこれだけの兵士がいる。逃げるなどできるはずがない。命が惜しければ、知っていることをすべて話すのだ』と」


 さらに、兆石鳴は続けたそうだ。


『藍河国には、さらなる兵力がある。この大国が滅びるなどありえない』

『「金翅幇きんしほう」とやらは妄想もうそうを口走っているだけだ』

『それに気づいたのなら、悔い改めよ。尋問じんもんに答えるのだ』


 ──と。


 その後、兆石鳴と部下たちはわずかな間、捕虜から目を離した。

 介州雀がひざをついたように見えたことで、油断したらしい。


『奴は藍河国の兵力に恐れをなして、絶望した』


 兆石鳴と部下たちは、そう判断して、目を離した。

 それが間違いだった。

 直後、壬境族の兵士たちが、暴れ出したんだ。


 介州雀の身体には、秋先生がはりを刺して、『気』の力を封じている。

 さらに腕には手枷が、腰には縄が結びつけられている。

 けれど、壬境族の兵士たちが暴れたことで、兵士たちの手が、縄から離れた。


 その隙に、介州雀は楼台から飛び降りた。

 助かるつもりは、なかったのだろう。

 奴は『金翅幇きんしほう』の情報と──たぶん、介鷹月を守るために、身投げしたんだ。


 楼台は3階以上の高さがある。

 頭から落ちた介州雀は、地上に叩き付けられて、絶命したそうだ。


「なんということを……してくれたのだ」


 うめくように、燎原君りょうげんくんがつぶやく。


「兆どのは、どうしてそのような勝手なことを! 捕虜のあつかいは、私に一任されていたはずだ!!」

「事件のあと、兆将軍は国王陛下に報告に行かれたそうです」


 范圭さんは報告を続ける。


「兆将軍は謝罪したあと、こうおっしゃったそうです。『まわしき組織を迅速じんそくに叩き潰すために、必要なことをしました』と。そして罰は受けると、国王陛下に……」

「それで、父上はなんとおっしゃったのだ!?」

「…………それが」



「陛下は、王弟殿下と太子殿下と話をするように言われました」



 声が聞こえた。

 開いたままの扉の向こうに、長身の男性が立っていた。

 黒い、短い髪。青色のかんむり

 着ているのは、飾りのついた朝服ちょうふくだ。


 彼が太子狼炎の外戚がいせきで『奉騎将軍ほうきしょうぐん』の、兆石鳴だ。


「陛下は私に、おふたりと話をするようにとおっしゃいました。王命です。来客中なのは存じておりますが、失礼いたします」

「兆どの! あなたは……なんということを!」


 燎原君が立ち上がり、叫ぶ。


「私と太子殿下は、今ここで捕虜ほりょのあつかいについて話していたところですぞ! その捕虜を勝手に連れだして……死なせてしまうとは! あなたは自分のしたことがわかっているのですか!?」

「わかっております。これは我が失態です。しておび申し上げます」


 兆石鳴は、優雅ゆうがな動きで、平伏へいふくした。


「けれど、捕虜が自害するとは……あまりに予想外なこと。あのような事態になるとは思いもよらず……どうか、お許しください。太子殿下」


 平伏したまま謝罪する、兆石鳴。

 太子狼炎は答えない。


「あの捕虜が危険だということは伝えていたはずだ。なぜ連れ出したのですか!!」


 代わりに口を開いたのは、燎原君だった。


「介州雀は『金翅幇』という組織の重要人物でもある。秘密を守るために、自害することくらいは予想できたはず。なのに……どうしてだ。兆どの!!」

「この兆石鳴は常に、太子殿下に尽くすことを考えております」

「太子殿下のために尽くす、ですと!?」

「そうです。あのような不吉で・・・忌まわ・・・しい者・・・は可能な限り、殿下から遠ざけなければなりません」


 兆石鳴は言った。

 部屋の空気が、凍り付いたような気がした。


「『藍河国あいかこくは滅ぶ』など……口にするのも忌まわしい。そんな言葉を吐き散らす者たちは、不吉のきわみ。排除するのに時間をかけるべきではないのです。あらゆる手を尽くして、すばやく情報を引き出すべきなのです!」

「そのために、楼台ろうだいへと連れていったと?」

「そうです」

「藍河国の兵力を見せつけて、捕虜を屈服くっぷくさせようとしたと?」

「王弟殿下のおっしゃる通りです」

「だが、そのせいで捕虜を自害させてしまった。我々は情報源を失ったのだ!」

「それでも……不吉な者は排除できました」


 兆石鳴は顔を上げて、叫ぶ。


「それに……『金翅幇』とやらは壬境族じんきょうぞくと関わっているはずです! ならばこの兆石鳴が兵を率いて、奴らを滅ぼして参ります。それで不吉を消すことができましょう!!」


 兆石鳴の考えていることが、なんとなくわかった。


 この人は太子狼炎の外戚がいせきで、家族同然の関係だ。

 だからこの人は太子狼炎の『不吉の太子』の異名を、異常なくらい気にしている。


 そんな兆石鳴には、介州雀や『金翅幇』のような、不吉な存在が許せなかったんだろう。

 介州雀たちを楼台に連れ出して、情報を引き出そうとしたのは、そのためだ。


 だけど、介州雀は自害してしまった。

 それでも兆石鳴は、『不吉なものを排除した』と考えているのか。

 

「殿下、どうかこの私に、功績によって罪をあがなう機会をお与えください!!」


 兆石鳴は言った。

 太子狼炎は、答えなかった。


「この兆石鳴に『北の地へ向かい、藍河国の敵を滅ぼせ』とおっしゃってください!! 殿下のために、すべての不吉を消し去るのが我が務めです。どうか、それを果たす機会を!」


 兆石鳴は続ける。

 彼は拱手きょうしゅして、じっと太子狼炎の答えを待つ。


「……確認する。兆石鳴よ」


 やがて、太子狼炎が静かに、ため息を吐き出した。


「貴公は『不吉を消し去る』と言ったな」

「申し上げました」

「捕虜の介州雀は自害してしまった。だがそれを、貴公は『不吉を消し去った』とほこるのか?」

「誇ってはおりません! ですが、忌まわしき者を、殿下のお側から排除できたのは確かです」

「『不吉の太子』の異名を持つ狼炎の側に、不吉なものがあってはならぬと?」


 おだやかな口調だった。

 やっぱり……以前の太子狼炎とは違う。

 以前の彼は『不吉の太子』という言葉を口にするとき、激しく怒るか、辛そうな顔をしていた。


 今は違う。冷静だ。

 まるで、当たり前の事実を語っているように、淡々としている。


「だから貴公は、介州雀を連れ出し、強引に情報を得ようとした。その結果、介州雀を自害させてしまったのか?」

「殿下。不吉な異名を口になさるべきではありません」


 でも、兆石鳴は、それに気づいていないようだった。

 兆石鳴は床に平伏へいふくして、震える声で告げる。


「すべての不吉は、この兆石鳴が消し去ってみせます。殿下がお気になさることはございません。どうか、不吉なもの、忌まわしきものへの対処は、この兆石鳴に──」

だまれ」


 冷え切った口調だった。

 その言葉になぐられたように、兆石鳴の身体が、びくりと震える。


「黙れ。兆石鳴よ。貴公はやってはならぬことをした」

「で、殿下!?」

「貴公は、これから情報を引き出そうとしていた相手を自害させたのだぞ! その理由が……不吉なものを遠ざけるためだと!? この狼炎のために!? ふざけるな!! 誰がそんなことを頼んだ!?」

「で、ですが、私は殿下を苦しめる異名を消し去るために──」

「『不吉の太子』の異名など……とるにたらぬ私事わたくしごとだ!!」


 太子狼炎は叫んだ。


「捕虜のあつかいは国が決めること。すなわち、公事おおやけごとである!! 貴公はとるにたらぬ私事のために、国の公事をねじまげたのか!?」

「お待ちください! 将軍位にあるものは、捕虜のあつかいを決める権利が──」

「それは自分の部隊が捕らえた捕虜だ! 介州雀かいしゅうじゃくたちを捕らえたのは黄天芳こうてんほう翠化央すいかおう玄秋翼げんしゅうよくだ! 一滴いってきの血も汗も流しておらぬ貴公に、なんの権利があるというのだ!?」

「────う」

「この者たちが命をかけて捕らえた捕虜を、貴公は勝手に連れだし、自害させたのか!? 我々が捕虜から情報を引き出す計画を練っているときに!? 貴公は玄秋翼や黄天芳の努力も、戦いも、すべて無駄にしたのだぞ!!」

「……で、殿下!!」

「それだけのことをしておいて……北の地に派遣しろだと!? ふざけるな! 私事で公事をねじ曲げる者に、軍を任せられるはずがあるまい!! 恥を知れ! 兆石鳴よ!!」


 こらえきれなくなったように、太子狼炎が立ち上がる。

 太子狼炎は兆石鳴を見下ろしながら、拳を握りしめていた。

 しばらく、間があった。


 そうして太子狼炎はため息をつき……腕を振った。


「去れ。貴公の処分は、叔父上に一任する」


 そう言って、太子狼炎は兆石鳴に背中を向けた。


「これまで、この狼炎を支えてくれたことに感謝する。我が異名『不吉の太子』を払拭ふっしょくするために尽力してくれたことも……わかる。だが、ここまでだ。以後の目通りは許さぬ」

「そ、そんな……殿下」

「頼む……兆叔父ちょうおじ。出ていってくれ。お願いだ……」

「も、申し訳ありませんでした!」


 がんっ、と、兆石鳴は床に額をたたきつけた。

 何度も、何度も。


「さがりなさい。兆どの」


 燎原君の声が響いた。


「貴公への処分は、後ほど、私からお伝えする。今は退出しなさい。それがあなたと……太子殿下のためだ」

「……承知いたしました」


 やがて、兆石鳴が立ち上がる。

 彼はふらつく足で、部屋を出て行った。


「…………これは、この狼炎の失態だ」


 静かに、太子狼炎がつぶやいた。


「私が『不吉の太子』などという言葉にとらわれすぎた結果だ。これが。兆叔父は、それに引きずられたのだ。すべては私の──」

「違います。太子殿下の責任では……」


 俺は思わず口に出していた。

 けれど、太子狼炎は肩を落としたままだ。

 俺たちに背中を向けたまま、さびしそうに笑っている。


「『とるにたらぬ私事のために、国の公事をねじまげた』か。よく言えたものだ。『不吉の太子』の異名にとらわれて先走り、『狼騎隊ろうきたい』に犠牲者を出したのは、この狼炎ではないか。よくも兆叔父ちょうおじに、偉そうなことを言えたものだ……」

「……狼炎殿下」

「すまぬ。叔父上、玄秋翼、黄天芳…………今は、私をひとりにしてくれ」


 やがて、太子狼炎はそんなことを言った。


「范圭は、皆を送ってくれるように。皆、大儀だった。話を聞けてよかった……本当に」

「失礼いたします。太子殿下」

「……失礼します」

「…………はい。太子殿下」


 そうして俺たちは、太子狼炎の元から退出したのだった。



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 今日は2話、更新する予定です。

 次回、第77話は夕方か夜くらいに更新する予定になっています。

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