第69話「天下の大悪人、帰郷の準備をする(4)」

 ──翌日 (ガク=キリュウ視点)──




 翌日。

 炭芝たんしとガク=キリュウは、数名の護衛を連れて、とりでを出た。

 先行して藍河国あいかこくに入り、壬境族じんきょうぞくの侵攻と、戊紅族ぼこうぞくとの友好についての話をするためだ。


 本隊は玄秋翼げんしゅうよく指揮しきのもと、遅れて出発することになる。

 捕虜ほりょを連れ帰る必要があるからだ

 介州雀かいしゅうじゃく壬境族じんきょうぞくの隊長からは、もう少し情報を引き出さなければいけない。

 ただ、捕虜ほりょを連れて戻るとなると、時間がかかる。

 それで炭芝とガク=キリュウが、先に藍河国に向かうことになったのだった。


 少人数での、大急ぎの旅だった。

 馬を乗り潰す危険もあったが、その前に、藍河国から来た部隊と合流できた。


 数日前、ガク=キリュウと出会ってすぐに、事態を知らせる早馬を出したのが、功を奏したのだ。

 燎原君りょうげんくんはすぐさま、応援おうえんの兵士を寄越よこしてくれたらしい。


 部隊と合流した炭芝は、指揮官に事情を伝えた。

 その上で、戊紅族のぼこうぞくへと行ってくれるように頼んだ。

 壬境族の援軍えんぐんが来たときに、砦を守ってもらうためだった。


 必要事項を伝え、馬を替えた炭芝とガク=キリュウは、また、出発した。

 一路、藍河国の首都、北臨ほくりんへ。


 そして数日後、彼らは無事に、燎原君りょうげんくんのもとへとたどり着いたのだった。





「事情はわかった。ガク=キリュウどのが陛下と会えるように、私が手を尽くそう」


 話を聞いた燎原君は、すぐに対応した。

 部下を使わず、自ら王宮に向かい、王族や高官たちに話をした。



 ──壬境族が戊紅族の集落へ侵攻したこと。

 ──戊紅族が藍河国への臣従しんじゅうを申し出たこと。

 ──『藍河国あいかこくは滅ぶ』という教義きょうぎを広める、謎の組織がいること。



 これらの情報は、すぐに王宮を駆け巡った。

 王家の者たちと高官たちは、おどろきに目を見張った。


 問題は、戊紅族が侵攻を受けたことではない。

 それが藍河国を攻め滅ぼすための下準備したじゅんびだったことだ。


 壬境族は本気で、藍河国が滅ぶと信じている。

 あらゆる手段で、それを実現しようとしている。


 それが、はっきりとわかったからだ。



「戊紅族と友好関係を結ぶべきでしょう。できるだけ、対等な条件で」



 居並ぶ高官たちの前で、燎原君は言った。


「無論、表向きは戊紅族が臣従するかたちとします。ですが、できるだけ彼らを優遇ゆうぐうすべきです。そうすれば壬境族を恐れる他の民族が、藍河国へと友好の使者を送ってくるでしょう。それらの者たちと手を結べば、壬境族を包囲することも可能となります」


「…………ううむ」

「……王弟殿下のおっしゃることはわかるのだが」

「……相手は異民族だ。どのような者たちかわからぬ」


 高官たちは言葉をにごす。

 大国である藍河国にとって、異民族は理解しがたい者たちだ。

 その者たちと友好関係を結ぶことに対して、高官たちは実感が持てないのだろう。


 燎原君にとって、その反応は予想済みだった。


「ならば、会ってはいただけないでしょうか」


 高官たちを見回し、燎原君は告げる。


「戊紅族のガク=キリュウという者が来ております。彼は強力な武将と聞いております。今回の戦いで、壬境族のレン=パドゥを討ち果たしたとか。兵を指揮する能力も高く、その才能を活かしたい人材だと考えますが」


 その言葉が、決め手になった。


「──レン=パドゥを」

「──そいつは……先頃、我が国の北方を侵した将軍ではないか」

「──奴は『飛熊将軍ひゆうしょうぐん黄英深こうえいしんが追い払ったと聞いているが……」

「──戊紅族が壬境族の将軍を討ち果たしたというのか」


 レン=パドゥは、何度も国の北方を侵している。

 壬境族の王の信頼も厚い。先頭に立って攻め込んでくる猛将もうしょうでもある。

 レン=パドゥに殺された藍河国の兵は数知れない。

 

 そのレン=パドゥを討ち取ったガク=キリュウは、藍河国に利益をもたらしたことになる。

 そんな思いが、高官たちの胸をよぎったのだろう。

 彼らを見回しながら、燎原君は、


「この私が、ガク=キリュウの後見人こうけんにんとなります。彼には……できるなら客将きゃくしょうとして働いていただきたいのです。そのためにも皆さまに、そして国王陛下に、彼の人となりを見極めていただきたいと思うのですよ」

「……我が弟の推薦すいせんだ。会ってみるとしよう」


 やがて、玉座から答えが返って来る。

 そこに座るのは藍河国の第十一代国王、藍孟獅あいもうしだ。


「弟が認めるほどの武将であれば、余も顔を見てみたい。よかろう。戊紅族の使者、ガク=キリュウの謁見えっけんを許す」

「ありがとうございます。陛下」

狼炎ろうえんも同席させよう。戊紅族が藍河国に臣従しんじゅうするのであれば、彼らとは長く付き合うことになる。次の世代の王も……彼らと顔を合わせておくべきだろうよ」

「陛下のおっしゃりようこそ、尊いものだと考えます」


 そう言って、燎原君は兄である国王に、深々と頭を下げたのだった。


 こうして、ガク=キリュウの藍河国王への謁見えっけんが、実現したのだった。





 ──謁見当日えっけんとうじつ──




「『戊紅族』の防衛隊長ガク=キリュウ。参上いたしました」


 正装したガク=キリュウが、玉座の間にやってくる。

 身にまとっているのは、赤の襟巻きを特徴とする、戊紅族ぼこうぞくの正装。

 ただ、衣服は燎原君が用意したものだ。


 燎原君はガク=キリュウと炭芝たんしから、戊紅族の装束しょうぞくについて話を聞いた。服職人も同席させた。彼は、燎原君の客人のひとりだ。あらゆる衣服に詳しく、依頼者の希望に合わせたものを作ることができる。


 そんな服職人が作ったのは、藍河国王に謁見するのにふさわしい、戊紅族の装束。

 戊紅族の特徴を活かしながら、藍河国の武官にも見える服だった。


 それを身にまとったガク=キリュウは、今、玉座に向かって歩を進めている。

 深紅の襟巻きを身につけながら、藍河国の王宮に溶け込む武官。


 それが、今のガク=キリュウの姿だった。



「──あれが、戊紅族の将軍か」

「──思った以上に、堂々としておるな」

「──できる人間というのは、間違いなさそうだ」



 高官たちはささやきあう。


 向けられる無遠慮な視線を、ガク=キリュウは意に介さない。

 彼が意識しているのは、玉座にいる藍河国王。

 そして、その隣にいる、太子狼炎ろうえんだけだ。


(王弟殿下も、炭芝どのも同席していらっしゃる。あの方たちに恥じぬようにせねばならぬ)


 燎原君が謁見のための衣裳を用意してくれたのは、好意だけではない。

 この衣裳をまとって、藍河国のために働いて欲しい──そんな想いが込められているのだろう。


(藍河国の方々は、この私を信じてくださっている。ならば、それに応えねばなるまい)


 そうして、ガク=キリュウは玉座の前でひざをついた。


拝謁はいえつの機会をいただいたこと、恐悦至極きょうえつしごくぞんじます」


 ガク=キリュウは声をあげる。


「辺境の者が、国王陛下に謁見する機会をいただいたこと、望外の喜びです。戊紅族の代表として、陛下と、ここにいらっしゃる皆さまに御礼を申し上げます」

「──ガク=キリュウどの」


 声をかけたのは、玉座の側に控える燎原君りょうげんくんだった。


「貴公より、今回の事件の顛末てんまつをお話しいただきたい。戊紅族の方々がなにを望んでいるかも、すべてを」

「承知いたしました。王弟殿下」


 ガク=キリュウは一礼してから、話し始める。


 ──壬境族のだまし討ちに遭い、女と子どもが人質にされたこと。

 ──砦を奪われたこと。

 ──炭芝と出会い、藍河国の兵士の協力を得たこと。

 ──敵将レン=パドゥを倒し、介州雀かいしゅうじゃくという武術使いを捕らえたこと。

 ──後ほど本隊と一緒に、捕虜を連行してくること。

 ──戊紅族は今後、藍河国に臣従し、保護を求めたいこと。


 それらについて、ガク=キリュウは堂々と語り続けた。


 ここに天芳てんほうがいたら「さすがは名将、ガク=キリュウだ」と言ったかもしれない。

『剣主大乱史伝』において、ガク=キリュウは武力や兵の統率力だけではなく、知略ちりゃくにも優れている。

 それが藍河国の王宮において、発揮されているのだった。


「壬境族が求めていた『四凶しきょうの技』の秘伝書は、焼き捨てました」


 ガク=キリュウは淡々と、告げた。


「あれは戊紅族の宝でありましたが、敵を呼び込むものを放置するわけにはまいりません。また、宝に固執こしつすることで、藍河国の方々にご迷惑をおかけするのは本意ではなく、涙を飲んでの処置でした。どうか、この思いを汲んでいただければ、戊紅族一同、幸いに思います」


 そう言って、ガク=キリュウは話をしめくくった。

 やがて、王宮はざわめきに包まれていく。


 ガク=キリュウの堂々とした姿は、高官たちの胸を打った。

 辺境の民と言われていた戊紅族に、こんな人物がいたとは、彼らにとってまったくの予想外だったのだ。



「……戊紅族が藍河国に臣従しんじゅうすること、うれしく思う」



 やがて、藍河国王あいかこくおうが話し始めた。


「貴公らの事情もわかった。壬境族は、われらの共通の敵である。貴公らの希望については、前向きに進めたいと思う」

「ありがとうございます!」

「我が弟より、国境地帯に砦を作り、戊紅族と共同して辺境を守るという提案も聞いておる。良案である。こちらも、すぐに取りかかるであろう。いずれにしても……」


 藍河国王は、満足そうな笑みを浮かべる。


「戊紅族と友好関係を結ぶことについて、余に異論はない。そう心得よ」

「感謝いたします! 陛下!!」

「後ほど、貴公をねぎらう酒宴しゅえんを開くであろう。その際に、貴公の話をもっと聞かせて欲しい。遠方よりの使者、ご苦労であった」

「ありがたきお言葉に存じます」

謁見えっけんはここまでとする。その後、高官たちと会議を行うことになろう」


 藍河国王は立ち上がり、ガク=キリュウを見下ろす。


「最後に、直言ちょくげんを許す。戊紅族の代表として、言いたいことはあるか?」

「では、申し上げます」


 ガク=キリュウは顔を伏せたまま、答える。


「私は戊紅族の代表として、感謝をお伝えしたいお方がおります。そのお方に、この場で感謝の言葉を申し上げることをお許しいただけないでしょうか」

「構わぬが……誰だ? 我が弟か?」

「もちろん、国王陛下や王弟殿下にも感謝しております」


 ガク=キリュウは続ける。


「ですが、感謝を申し上げたいのは……藍河国の方々が、我らのもとへいらっしゃるきっかけを、作ってくださったお方なのです」

「ふむ。誰かな。それは」

狼炎殿下ろうえんでんかでございます」

「────な!?」


 太子狼炎の、肩がねた。


 まさか、自分の名が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。

 狼炎は大きく目を見開きながら、ガク=キリュウを見た。


「ど、どういうことだ!? この狼炎に……感謝したい、とは」

「藍河国の使節がわれらのもとにいらしたのは、太子殿下のお言葉がきっかけだったと、そのようにうかがっているからです」

「この狼炎の、言葉が?」

「はい。それについては炭芝たんしどのと、黄天芳こうてんほうどのよりうかがいました」


 ガク=キリュウは深々と頭を下げたまま、


「王宮での酒宴しゅえんにおいて、狼炎殿下が黄天芳どのに、壬境族への対抗策について質問されたと。それに対して黄天芳どのは『戊紅族と結ぶべき』と答えられたと。それが多くの方の耳に入り、使節を送られるきっかけになったと」


 それは、雑談の中で聞いたことだった。

 なんということもない話だったが、ガク=キリュウは、心を打たれた。

 ささいな巡り合わせがきっかけとなり、戊紅族が救われたことを知ったからだ。


 戊紅族は、巡り合わせを大切にしている。

 一族が生まれたのも、仙人──吹鳴真君すいめいしんくんとの巡り会いがきっかけだからだ。


 玄秋翼に『渾沌こんとんの秘伝書』を預けることを決めたのも、同じ理由だ。

 危機に陥ったとき、彼らと出会い、戊紅族は救われた。

 その巡り合わせを大切にしたい──族長とガク=キリュウは、そう考えたのだ。


「太子殿下のお言葉によって、我ら戊紅族は救われました」


 ガク=キリュウは、床に額をつけた。


「太子殿下には、感謝してもしきれません。つたない言葉ですが、お礼を申し上げることをお許しください」

「……たいしたことでは、なかったのだ」


 太子狼炎は、震える声で、答えた。

 自分が感謝されていることが、信じられないような表情だった。


「あれはただの……雑談だった。私の手柄などでは……」

「ですが、太子殿下によって、戊紅族が救われたことに代わりはありません」


 平伏したまま、ガク=キリュウは続ける。


「我ら戊紅族にとって太子殿下は、幸運を運んでくださったお方です。どうか『幸運の太子殿下』とお呼びすることをお許しください。あるいは、良ききざしをもたらしてくださる方──『吉兆きっちょうの太子殿下』とお呼びできれば、幸いに存じます」


 大きな声では、なかった。

 だが、ガク=キリュウの言葉は、王宮にいるすべての者に届いたようだった。


 人々は、誰も、口を開かなかった。

 国王さえ、呆然と目を見開いている。

 燎原君や炭芝も同じだ。



 ──幸運の太子殿下。

 ──吉兆きっちょう──きざしをもたらす太子殿下。



 それが、太子狼炎の異名・・・・・・・を知らない異民族の口から出たことに、全員、驚愕きょうがくしていたのだ。


「……貴公は」


 やがて、太子狼炎が口を開いた。


「…………貴公は、この狼炎について、なにか聞いているか?」

「はい。王宮の酒宴において、黄天芳どのとお話をされたと」

「いや……そうではなく。この狼炎のことについて……」

「申し訳ございません。急いで出発してきたもので、その他には、なにも」


 事実だった。


 黄天芳は謁見えっけんの場に太子狼炎が同席することを知らない。

 知っていたら、彼の人となりについて伝えたかもしれないが、それはない。


 燎原君や炭芝も同じだ。

 服を仕立てることと、謁見の作法についてガク=キリュウに教えるのが精一杯だった。


 太子狼炎・・・・の異名・・・をガク=キリュウに伝えた者は、誰ひとりとしていないのだった。


「なにか無礼がございましたら、お詫びいたします。申し訳ございません──」

「いや、貴公はなにも……無礼なことは、していない」


 太子狼炎はやっと、それだけを口にした。


「貴公──いや、戊紅族からの感謝の気持ちは受け取った。大儀たいぎである」

「ありがとうございます。太子殿下」

「今後、国のために尽くしてくれればと思う。以上だ」

「はっ」


 その後、短いやりとりが行われ、謁見は終了となった。

 謁見の間は、奇妙な緊張感に包まれていた。


 それでも、ガク=キリュウの対応は、人々に好感を与えるのに十分だった。

 だから謁見の後、国王を含めて、高官たちの会議が行われ──



 藍河国は戊紅族と友好関係を結び、彼らと共に壬境族に対抗することが、正式に決定したのだった。



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