第68話「天下の大悪人、帰郷の準備をする(3)」
「……あの秘伝書は、
「「
なんとなく、そんな気はしていた。
ゲーム『剣主大乱史伝』に登場する秘伝書のうち、レアなものはすべて、紙製だったからだ。
手に入りやすいものは
でも、ハイレベルでレアなものは、紙で作られていたんだ。
それはゲームですべての武術書をフルコンプして、はじめてわかることなんだけど。
だから俺は、ふたりが箱から木簡を取り出したのを見たとき、違和感があったんだ。
あれはダミーじゃないのか、って。
「先ほど人々を集めたのは、皆に『秘伝書は燃やした』と知らせるためだったのだね」
秋先生は納得したように、うなずいた。
「あれだけ大々的にやれば、うわさはあっという間に広まるだろう。戊紅族だけではなく、藍河国にも。壬境族の連中にも。それが目的か。ガク=キリュウどの」
「
ガク=キリュウは、ノナ=キリュウとカイネ=シュルトの隣に腰を下ろした。
それから、深々と頭を下げて、
「だますような真似をして申し訳なかった」
「しかし、偽物などいつ用意したんだい?」
「秘伝書に手を出そうとして、追放された者が出たときだ」
何世代か前に、『
その者は追放されたが、族長たちは同じことが起こらないように、対策を考えた。
それが、偽物の秘伝書を作ることだった。
秘伝書の
彼らは十年数に一度の祭りのときに、『渾沌の秘伝書』の状態を確認している。
追放された者は、そのときに秘伝書のありかを突き止めようとしたのだ。
同じ事態を防ぐために、戊紅族の族長たちは、偽物を作り、それを地中に埋めることにした。
祭りのときには、偽物を掘り出して、また、埋め戻す。
本物の状態は、祭りが終わってから確認する。
それが数世代前に、祭りの儀式として定着したそうだ。
「万が一のときのために作っておいた偽物が役に立った。壬境族や
ガク=キリュウは言った。
「偽物を壬境族に渡して、人質を解放させることができればよかったのだが……あの
「渡さなくて正解だね。奴らを怒らせるだけだ」
「うむ。秘伝書が偽物だと気づいたら、奴らは人質を殺していたかもしれない」
「だけど、燃やすのには使える。壬境族は偽物があるとは知らないわけだからね。いや、たいしたものだ。ガク=キリュウどのの言う通り、壬境族の連中は秘伝書を燃やされたと思って絶望していたよ」
秋先生は感心したようにうなずいた。
「それで、このことを知る者は?」
「私と族長。ノナとカイネどの。あとは数名の側近だけだ」
「ノナさんとカイネさんは、藍河国の人質になるのだね。
「そうだ。藍河国の信頼を得るには、族長の娘であるカイネさまと、我が娘であるノナに行ってもらうのがいい。それが私と、族長の判断だ」
ガク=キリュウは秋先生、俺、小凰を順番に見て、
「あなた方にカイネさまとノナ。それに『
「ふむ。解読とは?」
「『渾沌の秘伝書』は、簡単には読めないようになっているのだよ」
それから、ガク=キリュウは説明をはじめた。
──『渾沌の秘伝書』は、簡単には読めないようになっている。
──今から教える解読の言葉を、代々、ひとりの娘に伝えなさい。
──そうすれば、秘伝書を奪われても、読むことはできない。
──秘伝書と、巫女がふたりそろって、はじめて『渾沌』を修得できるようにする。
──正しき者が現れるまで、それを続けるのだ。
……と
「現在の巫女はカイネさまだ。この方が知る解読の言葉があれば、『渾沌の秘伝書』を読み解けるようになる。そして我が娘のノナは、巫女の守り手だ。巫女は言葉を覚えるために全力を尽くさなくてはならないため、日常生活がおろそかになりやすい。それを支えるのが、守り手の役目なのだ」
「そのおふたりと秘伝書を、我々に預けると?」
「うむ。お願いできるだろうか。玄秋翼どの」
「理由を聞かせていただけるか?」
「『
ガク=キリュウは答えた。
迷いなく、あっさりと。
「おふたりには『
「……なるほど」
「これは
ガク=キリュウ、それとノナ=キリュウとカイネ=シュルトは
「そして、『渾沌』を修得するのは、黄天芳どのと翠化央どのだけにしてほしい。その後は、焼き捨てていただければ」
「ひとつ、確認してもよいだろうか」
「ご遠慮なく」
「もうひとり、『渾沌の秘伝書』の内容を伝えたい者がいる」
「どなたですか?」
「私の姉弟子の
秋先生は言った。
「ふたりに『渾沌』を教えるならば、雷光の力が必要だ。私は武術書を読み解くのは苦手でね。それが
「姉弟子の方ならば、可能だと?」
「私の師匠が言っていたよ。雷光は天才だと。武術を学ぶのも、武術を教えるのも」
うん……それはわかる。
雷光先生の指導は、すごくわかりやすかった。
武術の知識のない俺でさえ、『
「雷光は信頼できる。彼女なら、なにがあっても秘密を守ってくれるだろう」
「承知しました。秋どのと、その姉弟子を信じましょう」
「感謝する。あとは、この子たち次第だね」
秋先生は、俺と小凰に向き直る。
まっすぐに、真剣な目で、俺たちを見る。
「これは重大な問題だ。すぐに答えなくてもいい」
「はい」
「わかってます。秋先生」
「『渾沌の秘伝書』は、私が預かる。君たちがこれを修得するかどうかは、君たち自身の選択にゆだねる。もしも、君たちが『
秋先生は続ける。
「だけど、もしも君たちが『渾沌』を修得するなら、私は全力で協力する。雷光もそうだろう。君たちが『渾沌』を学べば、確実に他の『四凶』──いや『
「対抗できる理由は、ぼくと師兄が……」
──大量の『
その言葉は口にしなかったけれど、秋先生は、うなずいてくれた。
俺と小凰の『天元の気』は、『
その俺たちが『渾沌』を身に着ければ、たぶん、他の『三凶』への切り札になる。
カイネ=シュルトの言葉を思い出す。
彼女が言っていた『
「秋先生、ぼくは──」
「答えを急いではいけないよ。
秋先生は俺の言葉を、止めた。
「答えを聞くのは藍河国の都に──
「はい。先生」
「化央も、それでいいね」
「わかりました。僕も……心は決まっていますけれど」
そういうことになった。
もちろん、俺の心も決まっている。
『
それはゲームの主人公、
もっとも、教わるのは、雷光師匠が戻ってきてからになりそうだけど。
「
ガク=キリュウは言った。
「私は藍河国の王族の方々に事件のことを説明して、戊紅族が藍河国に従うことをお伝えすることになるだろう。
「聞いてもいいですか? 秋先生、ガク=キリュウさま」
気づくと、俺は声をあげていた。
先生とガク=キリュウがうなずくのを確認して、たずねる。
「
気になるのは、
奴は『
できれば、もう少し情報を引き出したいんだ。
「壬境族の上位の兵士と……介州雀とやらは、藍河国に連行することになる。炭芝どのも、そのようにおっしゃっていた」
答えたのは、ガク=キリュウだった。
「残りの壬境族の兵士たちは……『戊紅族』の方で、どうするかを決める。君たちに手間は取らせないつもりだ」
「でも、捕虜を連れて行くとなると、かなり時間がかかりますよね」
「そうだね。だから、まずは炭芝さまとガクどのが、先行して藍河国に向かうそうだ」
秋先生が話を引き継いだ。
数日前、ガク=キリュウと出会った直後に、炭芝さんは燎原君あての書状を、早馬に
そして、燎原君ならすぐに動いてくれるはず。
もしかしたら、すでに援軍を向かわせているかもしれない。
炭芝さんとガク=キリュウ、その者たちとの合流を目指す。
そうすればすばやく燎原君に報告できるし、その後の対応もうまくいくはず。
ふたりは、そう考えているそうだ。
「いずれにしても、君たちは『
ガク=キリュウは俺と小凰に向かって、頭を下げた。
ノナ=キリュウとカイネ=シュルトも、それにならう。
「できれば国に帰ったあとも、人質となった我が娘やカイネさまと、仲良くしていただきたい。君たちは信頼できる。きっと、いい友になってくれると思うのだ」
「もちろん、かまいません」
「は、はい。光栄です」
「それにうちの娘は、化央どのに
「お父さま!?」
ノナ=キリュウが真っ赤な顔で父親と……それから、小凰を見た。
それから、彼女は頬を押さえて、
「気になさらないでください。
目を伏せたまま、そんなことを言った。
「私は、助けに来てくださったときに拝見した……翠化央さまのお姿の
「は、はぁ」
小凰は、ぽかん、とした顔だ。
「……で、でも、あのときは天芳も一緒だったのだけど」
「もちろん、黄天芳さまにも感謝しております。ただ……翠化央さまの姿は気品に満ちて、まるで、天から降ってきた貴公子のように見えたのです。翠化央さまの技は本当にきれいで……私は一目で
「い、いえ、そう言われても……」
「もちろん、これは私の勝手な気持ちです。ただ、翠化央さまに、覚えていていただければ……私はそれだけで、幸せで……」
「……天芳」
小凰が俺の腕を、突っついた。
「ごめん。なにか言ってくれないか。頼むよ……」
「あ、はい」
俺は深呼吸してから、ノナ=キリュウの方を見た。
そして、はっきりと、俺の考えていることを告げる。
「ノナ=キリュウさまのお気持ちはわかります。
「て、天芳!?」
「わかってくださいますか! 黄天芳さま!!」
「当然です。ぼくはすぐ側で、師兄の技を見てきたんですから。師兄の技の美しさについては、一晩中だって語ることができます」
「まぁ、なんとうれしいことでしょう……」
「天芳!? そういうことじゃなくてね? いや、ほめてくれるのはうれしいけど……」
「ノナ=キリュウさまが
「私もです! どうか、お友だちになってくださいませ!」
「もちろんです。一緒に、師兄について語り合いましょう」
「ありがとうございます!!」
「…………あ、ああああああ。てんほぅ……」
だって、小凰がすごいのは当然だよね?
技の型だって、俺よりも正確だし。点穴の位置取りもうまいし。
小凰の技はすごくきれいで、見ているとほれぼれするくらいなんだ。
同好の士がいるなら、すごくうれしいんだけど……。
「……カイネも、これから、お世話になります」
カイネ=シュルトは立ち上がり、俺たちの側に来る。
彼女はぺたん、と座り、また、床に額をつけた。
「カイネとノナのこと、『渾沌』のこと、どうか、よろしくお願い、します」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「……よ、よろしく」
「君たちの安全は、この玄秋翼が責任をもって保証しよう。環境が変わって疲れをおぼえたときには、いつでも声をかけてくれたまえ」
俺と小凰、秋先生は答えた。
こうして、俺たちは『渾沌の秘伝書』とともに、藍河国に戻ることになり──
俺と小凰には、ノナ=キリュウとカイネ=シュルトという友だちができたのだった。
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