第56話「天下の大悪人、異民族への使者になる(2)」

「『戊紅族ぼこうぞく』が排他的はいたてきなのは、大切なものを守るためだと言われている」


 秋先生は言った。


 俺と小凰しょうおうは宿で、秋先生の指導のもと、導引どういんを続けていた。

 それを見ながら秋先生は、『戊紅族』の情報を話しはじめた。

 知識は共有しておいた方がいい、とのことだった。


「『戊紅族ぼこうぞく』は山の中に住む人々だ。そしていにしえより、山には仙人せんにん仙女せんにょが住むと言われている」


 秋先生は続ける。


「『戊紅族』の祖先は、仙人や仙女に山の中で生きる方法を教わり、大切なものを預かった。そんなうわさがあるのだよ」

「でも……仙人や仙女なんて本当にいるのでしょうか?」

小凰しょうおうはそれらの存在を信じていないのだね?」

「は、はい。見たことがありませんから」

天芳てんほうくんはどう思う?」

「ぼくにもわかりません。実際に見たことがないですから」


 転生者がいるんだから、仙人や仙女がいても、おかしくはないと思う。

 でも、実際に会ったことはない。いるかどうかはわからない。


「だけど、仙人になろうとする人が、『戊紅族』と出会った可能性はあると思います」


 俺は言った。


 雷光師匠らいこうししょうと秋先生の師匠──仰雲ぎょううん師匠は、仙人になるために山に入った。

 仙人や仙女が実在するかどうかは別として、仙人になろうとする達人は存在するんだ。

 技術をきわめて、仙人として第二の人生を歩もうとするような人が。

『戊紅族』の伝説に出てくるのは、そんな人物なのかもしれない。


「なるほど! それならわかるよ」


 小凰は感動した口調でうなずいてる。


「そうか、仙人になりたいすごい人が、『戊紅族』と関わっている可能性があるのか」

「私も、天芳くんと同じ意見だ」


 秋先生はうなずいた。


「だが『戊紅族』が、真実を語ることはないだろう。彼らにとって、それは重要な秘密だからね。私たちは、それに触れないようにしなければいけない。彼らの知識や技術を奪おうとしていると思われたら、そこで交渉は終わりだ。気をつけること」

「「はい。秋先生!!」」

「交渉のためには心をしずめ、どっしりと構えることだ。落ち着いた姿は人に安心感を与える。相手に『この者は自分に危害を加えない』と思わせることができるからね」

「「はい。がんばります!!」」

「よろしい。他になにか質問は?」

「……秋先生」

「……ひとつ、うかがいたいことがあります」


 俺と小凰は声をそろえて、


「「どうしてぼく (僕)たちは、目隠めかくしした状態で『獣身導引じゅうしんどういん』をしているのでしょうか?」」


 すごくおかしな感じだった。

 俺と小凰を部屋に呼んだ秋先生は、まず、目隠しをするように言った。

 その状態で、『獣身導引』と『天地一身導引』をするように指示したんだ。


 俺と小凰はそれに従うことにした。

 秋先生のことだから、意味はあるんだと思ってたけど、聞きそびれてた。

 ちょうど『なにか質問は』と言われたから、理由を聞くことにしたのだった。


「もちろん、重要な意味はあるよ。3点ほど」

「教えてください。秋先生」

「お願いします」

「まず第一に、君たちが動揺しなくなるようにするためだ」


 秋先生は説明をはじめた。


 人は視覚を失うと不安になる。

 動揺すると、普段のような動きができなくなる。


 そうならないように、身体に動きをたたき込む。

 そのために、目隠しをして導引をする練習をする、ということだった。


「ふたつめは、相手の動きを読めるようにするためだ」


 視覚を制限すると、他の感覚が鋭くなる。

 まわりにある『気』──内力ないりょくにも敏感になる。

 だから、目隠した俺と小凰が一緒に導引すると、おたがいの内力を感じ取れるようになる。おたがいの動きを察して、おたがいを邪魔することなく導引をすることで、おたがいの存在に敏感になる。

 そうすると、剣術での連係攻撃もやりやすくなるそうだ。


 さらに、敵の『気』も察知しやすくなる。

 襲われたときなんかに、素早く対応ができるようになる、ということだった。


「みっつめだけれど……これはあまり気にしなくていい」

「そうなんですか?」

「僕は秋先生の指導を受けると決めたときに、すべてを受け入れる覚悟をしているのですけど……」

「頼もしいね。小凰は」


 秋先生は安心したような口調で、


「では、教えよう。みっつめの理由は、君たちに完全に自然な状態で『天地一身導引てんちいっしんどういん』をしてもらうためだ。無駄なものを一切身に着けない姿でね」


 秋先生は言った。

 きっぱりと。俺と小凰に言い聞かせるような口調で。


「一度くらいは、そうしてもらいたいんだ。そのときに目を開けていたら、おたがいの姿が気になってしまうだろう? だから、目をつぶっていても導引ができるようになって欲しいんだよ」


 ……完全に自然な状態。

 ……無駄なものを一切身に着けない状態。

 ……それは……えっと。


「それによって君たちの『天地一身導引』の修行は完成する。おたがいの『気』を循環させて、強力な力を身に着けることができるようになる。内力の属性も、自在に操れるようになるだろう」


 秋先生は続ける。


「もちろん、無理強いはしない。でも君と小凰、それに冬里とうりなら『天地一身導引』をきわめることができると思う。それに、完全に自然な状態で『気』のやりとりをすれば、冬里の傷がえるのも早くなるからね」

「わかりました。そういうことなら……」

「ぼ、僕も問題ないです!」


 俺の隣で、小凰が声を張り上げた。

 どんな顔をしているかはわからない。目隠しをしてるから。

 ただ、彼女の『気』がたかぶっているのを感じる。


「僕が嫌だと言ったら、天芳と冬里さんがふたりですることになりますよね。そういうわけにはいきません。僕は兄弟子として、天芳の修行に付き合う義務があります!」

「いいんですか? 小凰」

「こ、これも修行のうちだからね」


 小凰は言った。


「僕は武術を学ぶために留学してる。その僕が、導引をきわめる機会を逃すわけにはいかないだろ。ちょっと変わった姿で『天地一身導引』をやるだけなんだからね。大丈夫だ……たぶん」

「わかりました。ぼくも、大丈夫です」

「……そ、そうか」

「……はい」

「はいはい。ふたりとも、動きが止まってるよ」


 秋先生が、ぱんぱん、と手を叩いた。


「導引を究める前に、まずは目隠し導引に慣れてもらわないとね。ここからは『天地一身導引』だ。人間であることを忘れて、鳥と猿、樹木になりなさい」

「「は、はい!!」」


 その合図で、俺と小凰は無言になる。

 目隠ししたまま、ふたりで『天地一身導引』をはじめる。


 感じるのは音と、おたがいの気配と、体温だけ。

 俺と小凰は猿になり、樹木になり、鳥になって──



「うきー!」「うきうきーっ!」「もきー!」


 こつん。ぽて。ぴと。むにゅ。もぎゅむにゃ。



 ──ときどき触れ合ったり、ぶつかったりしながら、導引を続けたのだった。

 






 その後も、旅は順調に続いた。


 国境の町を通り過ぎると、広い平原に出た。

 平原の中央には細い道がある。北西の山まで続く道だ。

 その山間に『戊紅族ぼこうぞく』の本拠地ほんきょちがあるらしい。


『戊紅族』の特徴は、赤毛でがっしりした体格をしていること。

 一族を表すものとして、襟巻えりまきをつけていること。秋口から毛皮を身にまとうこと。


 彼らの拠点は山の中で、冬になるとたくさん雪が降る。

 それで厚着をしているらしい。


 旅の間、俺は『剣主大乱史伝』に登場するキャラの顔と名前を思い出していた。

 その中で、赤毛で襟巻きをしているキャラを、頭の中でリストアップしていく。

 たぶん、その人たちが『戊紅族』だ。

 この知識が役に立てばいいんだけど──



炭芝たんしさま! 前方から騎馬が近づいてきます!」 


 

 そんなことを考えていたら、不意に、見張りの兵士が声をあげた。


 街道の先に視線を向けると、道の先に、馬に乗った人々が見えた。

 数は10人足らず。

 全員赤い髪で、毛皮の襟巻えりまきをつけている。


「『戊紅族』か!? いや、壬境族が化けていることもありうるが……」


 馬車に乗った炭芝さんがつぶやく。


 以前、北の地で壬境族は盗賊に化けていた。

 そのせいで油断した太子狼炎が、ゼング=タイガに殺されかけた。

 だから炭芝さんは警戒しているんだろう。


「中央にいるのは、『戊紅族』の長老のようです」


 秋先生が言った。


「その隣にいるのは、私が以前に治療した者です。族長のおいですね。『戊紅族』で間違いありません。先頭にいる屈強な男性は……見覚えがないのですが」

「武官……いえ、将軍のようにも見えますね」


 思わず、俺は口をはさんでいた。


『戊紅族』の先頭にいる人物に、見覚えがあった。

 彼の名前は、ガク=キリュウ。

 10年後、壬境族の下っ端として、前線に立たされる将軍だ。

『剣主大乱史伝』では武力と知力が高く、壬境族への忠誠が低いキャラとして知られている。まぁ、ゲームのシステム上、壬境族から人材を引き抜くことはできなかったんだけど。

 その人が混じっているということは、彼らは『戊紅族』の一団だ。


「まわりの人々の様子からすると、あの男性が一団を率いているのかもしれません。丁重ていちょうにあつかった方がいいと思います」

「……よく見ているな、天芳てんほうくんは」

「いや、確かに天芳どのの言うとおりだ。あの者が皆を引っ張っているように見えます。こちらから使者を出してみましょう」


 秋先生がうなずき、炭芝さんが部下に指示を出す。

 すぐに兵士の一人が、『戊紅族』の一団に向かって走り出す。


 戦闘は起きなかった。

『戊紅族』らしき人々は使者を迎え入れて、なにか話をしている。


 それから、先頭にいた男性──ガク=キリュウが、兵士と一緒にこっちに向かってくる。武器は持っていない。

 彼は離れた場所で一度、立ち止まり、襟巻えりまきを外した。


「『戊紅族』のあいさつです。敵意はないようですね」


 秋先生は手ぬぐいを取り出し、首に巻き付けてから外す。

 これであいさつを返したことになるそうだ。


 納得したのか、男性がこちらに近づいて来る。

 彼は馬車の前で膝をついて、


「『戊紅族』の防衛隊長で、ガク=キリュウと申す」


 ──俺の想像通りの名前を、名乗った。


「そちらは、藍河国の王弟殿下の使節と聞いている。我々との友好のために来られたということで、相違そういないでしょうか」

「いかにも。私どもは友好の使節として、貴殿らの村に向かう途中です」


 炭芝さんが答えた。


「ここで『戊紅族』の方々とであえたのは幸運でした。よければ、村へと案内していただけないでしょうか。難しいようでしたら、代表の方とお話ができれば、と」

「……そうしたいところなのだが。問題があるのです」

「問題ですと」

「我々の本拠地は……壬境族じんきょうぞくの襲撃を受けている」


 ガク=キリュウは言った。

 地面につくほど頭を下げて、しぼり出すような声で、


「奴らは村を焼き払い、族長の娘をさらった。その上……とりでに立てこもり、奴らに臣従しんじゅうするように命じている。我々は藍河国の力を借りるため、ここまで逃げてきた。頼む! 我らの子どもたちを助けてくれ!!」


 ──そんなことを、『戊紅族』の男性は告げたのだった。


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