第40話「天下の大悪人、導引の達人と出会う」

「……少年」


 背の高い方の女性が、じっと俺を見ていた。

 少女の方は、木の後ろに隠れている。時々、顔を出してこっちを見てる。

 急な来訪者におどろいているみたいだ。


「君は藍河国あいかこくの、黄天芳こうてんほうといったか」

「はい」

「私はこの山に住む者だ。みんなからは、秋先生と呼ばれている。木の後ろに隠れているのは私の娘だ。礼儀知らずと思わないで欲しい。山暮らしで、人に慣れていないものでね」

「ごていねいにありがとうございます。秋先生」


 俺は女性──秋先生に向かって拱手きょうしゅした。

 木の後ろにいる少女にも一礼する。


「突然お邪魔したことと、お嬢さんをおどろかせてしまったことをお詫びします」

「礼儀正しい少年だね。それで……君はどうして山道を登ってきたんだ?」

滴山てきざんをたずねてまいりました」

「そうだな。君は滴山の山頂・・・・・近く・・にいる」

「ここが『滴山の町・・・・』ですよね?」

「君はこの場所に、たくさん人が住んでるように見えるかい?」

「……見えません」

「そうだろう?」


 いや、確かに気づいてはいた。

 ただ、武術家なら通れるような山道はあった。

 だから、山で修行するような人たちが集まる町があるんじゃないか、って思ってたんだ。


「失礼ですが……この場所の名前は?」

「うちの家族しか住んでいない場所だ。名前などない」

「ふもとの町の名前は──」

「滴山の側にある町だからな。『滴山の町』だ」

「失礼しました」


 俺は秋先生と名乗った女性に、頭を下げた。


「内力を指導してくれる方を探していたのですが、来る場所を間違えてしまったようです」

「そうなのだがね。ただ、ここに内力の専門家がいるのは間違いないのだ」

「え?」

「私がそうだ。武術家ではなく、遍歴医へんれきいだがね」


 遍歴医へんれきとは居場所を定めず、放浪する医師のことだ。

 ゲーム『剣主大乱史伝』にも登場する。

 ランダムでやってきて、重傷を負ったキャラを治療したり、内力を調整してくれたりする。


 遍歴へんれきの医師で、人呼んで『秋先生』。

 ということは……この人はもしかして、ゲームにも登場する玄秋翼げんしゅうよくか?


「名乗るのが遅れたね。私の名前は玄秋翼。そちらは私の娘の冬里とうりだ」


 正解だった。


「君がここに来たのもなにかの縁だ。相談に乗ってあげよう。冬里とうり。この少年を家に案内してあげなさい」

「は、はい。お母さま」


 冬里と呼ばれた少女が、木のかげから飛び出してくる。

 彼女は好奇心いっぱいの顔で、俺の手をつかんだ。


 そうして家の方へと、俺を引っ張っていったのだった。





 玄秋翼げんしゅうよくは、ゲーム『剣主大乱史伝』に登場するノンプレイヤーキャラクターだ。


 彼女は居場所を定めず、あちこち放浪している。

 ランダムで登場して、キャラをいやしたり、内力の調整をしてくれたりする。

 内力をいじりたいときは滴山の町に行くか、玄秋翼の登場を待つのがセオリーだ。


 NPCだから、スキルやパラメータはわからない。

 乱世の中を自在に移動しているのだから、強い人なのは間違いないんだけど。


「こちらをどうぞ。買い物に行っていないので……出がらしのお茶ですみません」


 冬里と呼ばれた少女が言った。

 彼女は正面に座り、目を輝かせて、じっと俺を見ている。


 山の上の小屋だった。

 テーブルや椅子のようなものはない。

 床は土で、その上にむしろいてある。

 そこに座って、俺と秋先生は向かいあっていた。


「最初に質問なのだが、君はどうして、こんなところに内力の指導者がいると思ったんだい?」

「武術家のなかには、山で修行をする方がいると聞いていたからです」


 ちなみに、それがゲーム内の『滴山の町』の由来だった。


「とても強い武術家の方が、この山で暮らしていたという話を聞きました。その人は晩年ばんねん、山にこもり、そこで最期を迎えたのだと。そんな山なら、すごい武術家がいるのではないかと思って、ここに」

「すごい武術家か。なるほど」


 秋先生は興味深そうな顔で、


「それを知っているということは、君は雷光らいこうの関係者ということか?」

「……え?」

「ああ。そうか、君が持っている剣は『白麟剣はくりんけん』だね。君は大師匠おおししょう仰雲ぎょううんさまが弟子の雷光にたくしたという剣の所有者か。だからここを訪ねて来たんだね」

「確かに、ぼくは雷光師匠の弟子ですが……」

「うむ。それで、大師匠が亡くなった場所を訪ねてきたのだね」

「…………あ」


 思い出した。

 雷光師匠が言っていた。『自分の師匠は武術を捨てて、仙人になると言って山に入った。そこで亡くなった』って。

 その山が滴山てきざんだったのか。


 10年後、この場所に町ができるのは、おそらくは雷光師匠の師匠が死んだ場所だからだ。

『剣主大乱史伝』がスタートするまでの間に、すでに乱世は始まっている。

 雷光師匠は人を守るために戦い、高名な武術家になっている。


 そんな有名人の師匠が亡くなった場所ということで、滴山には人が集まりはじめるんだろう。その結果として町ができる……たぶん、そういうことなんだろうな。


 でも、現在の滴山に住んでいるのは、秋先生と娘の冬里さんだけ。

 秋先生は雷光師匠の師匠──大師匠おおししょうのことを知っている。

 だったら、正直に話をした方がいい。


「ぼくは、ここが雷光師匠の師匠が亡くなった場所とは知りませんでした」


 俺は姿勢を正して、答えた。


「ぼくはただ、うわさを頼りにここに来ただけです。大師匠のことは知りませんでした。もしかしたら……『白麟剣はくりんけん』が導いてくれたのかもしれません」

「なるほど。そういうこともあるか」

「秋先生は、大師匠とはどのようなご関係なのですか?」

「内力の弟子だよ。仰雲師匠は武術を捨てたあと、人をやすための技を研究されていた。私はそのころに、弟子入りしたんだ」

「では秋先生は『五神剣術ごしんけんじゅつ』と『五神歩法ごしんほほう』は……?」

「仰雲師匠から雷光に伝わった技だね。私はそれは学んでいないよ。私が修めたのは導引法どういんほう治療法ちりょうほうだけだ。あとは内力の調整とかね」


 秋先生は肩をすくめた。


「私と出会ったとき、仰雲師匠は戦いに嫌気がさしていたんだよ。剣を見るのも嫌がってた。それで、仙人になると言って修行をしていたんだが……あの方はご自分の知識が、治療にも応用できると気づいて、それを私に教えてくれたんだ」

「そうだったんですか」

「私があの人と出会ったとき、ちょうど冬里とうりが病気だったからね。大師匠には、ずいぶんと助けられたよ」


 そう言って秋先生は、娘さんを手招きした。

 冬里いう名前の少女は、秋先生の隣に端座たんざする。


「おかげで、冬里もなんとか動けるようになった。私は恩返しとして、あの人から学んだ技術で人を救うことにしたんだ」

「大師匠は、それからどうされたのですか?」

「山奥で行方不明になった。遺体は見つかっていないが……おそらく、亡くなったのだろうね」

「じゃあ秋先生は、大師匠をとむらうために、ここに?」

「いや、いつもはあちこち、町を移動しながら仕事をしているよ。仰雲師匠のことを思い出したときに、ここに来るようにしているんだ。遍歴医へんれきいの、心のふるさとってところかな」

「……遍歴医へんれきいの心のふるさと、ですか」


 俺は改めて、ゲームの内容を思い出していた。


『剣主大乱史伝』に登場する玄秋翼は、黄天芳に敵対しない。

 ときどき、主人公たちのいる場所に現れて、治癒の技を使うだけ。

 乱世に怒りを示すことはあるけれど、黄天芳を敵視しているわけじゃない。


 そしてこの人は内力についての専門家だ。

 だったら──


「秋先生にお願いがあります。ぼくの内力ないりょくを見ていただけないでしょうか」


 俺は正座したまま、深々と頭を下げた。


「雷光師匠によると、ぼくの内力は特殊なものらしいのです。ですが、雷光師匠は今、旅に出ていらっしゃいます。その間、師匠はぼくに、内力の指導者を探すようにとおっしゃいました」

「それで滴山に来たのか」


 秋先生は納得したようにうなずいた。


「そういう事情なら、あわてていたのもわかる。普通は町を無視して、山を登ったりはしないだろうからね」

「お恥ずかしい限りです」

「指導するのは構わない。ただし、条件がある」

「はい。うかがいます」

「君が本当に雷光の弟子かどうかを確認したい。というわけで、冬里」

「はい。お母さま」

「『けもの』の導引をやってみなさい。お客さまの前だ。礼節を守った姿でね」

「わかりました」


 すっ、と、冬里さんが立ち上がる。

 服に手をかけて、止める。

 俺が見ていることを確認してから、襟元えりもとすそを整える。


 それから、彼女は床に両手をついた。



「……ふみゃーん」



 そのまま冬里さんはむしろに爪を立てて、身体を伸ばした。

 ゆっくりと、やわらかい呼吸をしながら。


「みゃーん。みゃん。みゃお」


 冬里さんは鳴きながら、俺のまわりをぐるぐると回る。

 これは──


「少年。冬里がしている導引どういんの名前を答えなさい」

「『獣身導引じゅうしんどういん』の猫のかたち。『猫超伸縮 (猫の身体はどこまでも伸びる)』です。だけど……これは」

「ふみゃみゃ。みゃん」

「俺がしているのとはまったく違います。これが冬里さんの『獣身導引』……?」


 目の前の少女──冬里さんは、完全に猫になりきってる。


 人の姿をしているのに、猫そのもの。

 猫の耳やひげ、揺れる尻尾が見えるようだ。

 冬里さんは完全に、猫の雰囲気をまとっている。


「見ているだけでは駄目だよ。君の『獣身導引』も見せてくれ」

「……はい」

「冬里。次だ」

「ふみゃ、みゃん」


 冬里さんの、猫のかたちが変化する。

『猫丸鞠如 (猫はマリの類似品)』だ。

 俺も同じかたちの導引をはじめる。けれど、やっぱり違う。


 冬里さんの『猫丸鞠如』は、ひなたぼっこする猫そのものだ。

 俺のは……まだ人間らしさが残ってる。

 こうして隣でやっていると、違いがはっきり見えてくる。


 俺の『獣身導引』が不完全な理由は、なんとなくわかる。

 雷光師匠は俺と小凰、星怜の『気』をまぜあわせて、『天元てんげんの気』を作ろうとしていた。『気』を混ぜることが優先だから、導引の精度にはこだわらなかった。


 だけど、秋先生は内力の専門家だ。

 おそらくは、内力──導引で生み出される『気』のクオリティにもこだわってる。

 だから、その娘の冬里さんは、完璧な『獣身導引』を身につけているんだろう。


 おそらく冬里さんは、導引の達人だ。

 そして彼女の母親である秋先生は、内力の専門家プロに違いない。


「導引にはまだ先がある。そうだね。冬里」

「……うきー。うききっ?」

「『うきー』!?」


 猫になることに集中していた俺の耳に、奇妙な声が届いた。

 横を見ると……頭をく冬里さんの姿が見えた。


 けれどそれは一瞬だけ。

 冬里さんは、すぐに人間に戻ってしまう。


「お見苦しいところを、お見せしたのです」


 彼女は照れくさそうな顔で、俺に向かって拱手きょうしゅしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る