第20話「天下の大悪人、伝説の剣術を見る」

「はい。ここで『にゃーん』です。師兄しけい

「……にゃ、にゃん?」

化央かおう。もっと猫っぽくしたまえ。自分が人間だということを忘れるんだ」

「そうですよ、師兄。それじゃ次は地面に転がって『にゃんにゃーん』です」

「…………にゃんにゃ……いや、僕は、猫になるために留学したわけでは……」

「化央。集中したまえ!」

「師兄。がんばってください!」

「ああもう! にゃんにゃーんっ!!」


 俺と師兄は並んで『獣身導引じゅうしんどういん』の、猫のかたちを繰り返す。

 師兄は筋がいいけど、動きがかたい。猫には慣れていないようだ。


「──よし。そこまで」


 ぱん、と、雷光師匠が手を叩いた。

 師匠は俺と師兄を起き上がらせて、手と首筋に指を当てる。経絡けいらくと、全身の『気の流れ』をチェックしてくれてる。

 それから師匠は、満足そうにうなずいて、


「うん。内力ないりょくの状態はいいようだ。私の師匠が遺した導引法だけのことはある。天芳もよく学んでいるね。動作のひとつひとつがしっかりしている。この導引法を武器に、暴漢ぼうかんに抵抗できたのもわかるよ」

「ありがとうございます。師匠」

「化央も、やってみてどうだったかな?」

「……なんだか……身体がぽかぽかしてきました」


 うん。それは見ればわかる。

 化央師兄の肌は、お風呂上がりみたいになってる。

 俺と星伶せいれいも、はじめはそうだった。

 身体が温かくなって、気持ちよくて、そのまま一緒に昼寝したこともあったっけ。


「悪い感じはしません。むしろ全身の『気』が活性化しているような気がします」

「よしよし。では、これからも天芳と一緒に続けるようにね」

「はい。師匠」

「よければ『獣身導引』の導引書どういんしょをお貸ししましょうか?」


 俺はもう書物の内容を暗記してるからね。手元になくても構わないんだ。


「そうすれば師兄も、自宅で練習できますよね。どうですか?」

「いや、ひとりでするのはよくない」


 不意に、雷光師匠はきびしい口調で言った。


「化央が『獣身導引』をするのは、天芳と一緒のときだけにしなさい。これは師匠としての命令だよ」

「は、はい。わかりました。ですが……」

「天芳は自宅でも『獣身導引』をやっている、と言いたいのだろう?」

「……はい」

「だけどね、天芳は妹くんと一緒にやっている。最初からふたりではじめているんだ。この導引は強力なものだからね。『気』が強くなりすぎることもある。でも、ふたりいれば、相手に『気』をしずめてもらうこともできるだろう?」


 師匠は化央師兄の肩に手を置いて、言い聞かせるように、


「だからひとりのときはしないように。わかるかな?」

「はい! 師匠のお言葉に従います!!」

「よろしい。化央は素直でいいね」

「……あの。師匠」

「なにかな。天芳」

「ぼくも『獣身導引』をするのは師兄と一緒のときだけにした方がいいのですか?」

「いや、君は妹くんと一緒に続けなさい」

「そうなんですか?」

「君は自宅でも、妹の星怜くんと一緒に『獣身導引』を続けること。いいね」

「は、はい。師匠」

「うむ。いい子だ。ふたりとも頭をなでてあげよう」


 そう言って雷光師匠は、俺と化央師兄の頭をなではじめた。


 ……でも、どうして師匠は『獣身導引』にこだわるんだろう。

 ゲームに登場する『獣身導引』は内力の少ないものだけが装備できて、内力のパラメータがほんの少しアップするだけのものなのに。


 もしかして、この世界では効果が違うんだろうか。

 まぁ、修行のことは雷光師匠に任せよう。指示に従うって約束したからね。


「それでは化央。今日から『四神剣術ししんけんじゅつ』の『神獣十六剣しんじゅうじゅうろくけん』の修行をはじめよう」

「『神獣十六剣』を!? 僕にですか!?」

「……『神獣十六剣』?」


 俺が首をかしげていると、化央師兄はおどろいたように、


「知らないのか!? 『神獣十六剣』は、師匠しか使えない剣術だぞ!? 僕の内力が上がったら教えてくださるという約束だったんだ!」

「もしかして背後から竜や虎が飛び出す剣術ですか!?」

「どんな剣術だ。それは……」


 ゲームに出てくる剣術ですが。


「『青竜四剣せいりゅうしけん』『白虎四剣びゃっこしけん』『朱雀四剣すざくしけん』『玄武四剣げんぶしけん』──これらをあわせて『神獣十六剣』という。竜や虎が飛び出したりはしないけれど、それらをかたどった剣術ではあるね」


 雷光師匠は、壁に掛かっていた木剣を手に取った。

 それを軽く握って、中庭に生えた樹の方を向く。


「では、見せてあげよう。青竜のかたち──『潜竜王仰天せんりゅうおうぎょうてん (潜っていた竜王が空を仰ぐ)』!!」


 雷光師匠は長い髪を振り、木剣を振り上げた。

 派手な音も、エフェクトもなかった。

 でも、俺には、師匠の背後から飛沫しぶきをあげて上昇する竜の姿が見えたような気がした。


『剣主大乱史伝』に『潜竜王仰天せんりゅうおうぎょうてん』という技はない。

 というか、これは雷光師匠の通常攻撃だ。

 最強クラスのあのキャラは、普通に攻撃するだけでエフェクトがついてくるんだ。


 実際に目にした師匠の技は──速すぎて、俺にはほとんど見えなかった。

 見えたのは、庭木の太い枝が断ち切られるところと──


 ──師匠の『気』に吹き飛ばされた、大量の葉が舞い落ちるところだった。


 一瞬、暴風が発生したようだった。

 大木のみきが、大きく左右に揺れている。

 師匠の『気』の圧力に耐えきれなかった枝が折れて、落ちてくる。


 ……すごい。これが雷光師匠の技か。

 ゲームの画面で見たときとは、迫力がまるで違う。

 しかも、ゲーム内で武術家の雷光が使っていたのは業物わざものの剣や刀だったけれど、目の前で師匠が使ったのは、訓練用の木剣だ。


 なのに師匠は樹の枝を両断してしまった。俺の両脚りょうあしくらいの太さがある枝を。

 たたき折ったのならまだわかる。

 でも、師匠は木剣で、太い枝をってしまったんだ。


 もちろん、木剣は折れていない。

 傷どころか、ゆがみひとつない。


 目の当たりにすると……本当にすごい。

 これが雷光師匠の剣術なんだ……。


「す、すごいよ天芳!? 見たかい!? これが師匠の『神獣十六剣』だ!」

「は、はい。見ました」

「『神獣十六剣』は剣術ではあるけれど、武器がなくても使えるんだ。その場合は『十六掌じゅうろくしょう』になったり、『十六蹴じゅうろくしゅう』になったりするそうだよ」

「すごいです。万能なんですね」

「そうだよ。これが僕たちの師匠だ。なんてすごい……」


 化央師兄の声が震えていた。

 師兄は、大きな目を輝かせて、師匠の技に見入っていた。

 師兄は本当に、雷光師匠を尊敬してるんだな……。


 ……うん。師兄の邪魔は、しない方がいいな。

 むしろ逆だ。師兄が師匠の秘伝を学びやすくなるように、俺が手伝おう。


 化央師兄はいい人だ。

 本当は師匠を独占したいはずなのに、俺を弟弟子おとうとでしとして受け入れてくれた。

 これから天下は乱れるのかもしれないけれど……師兄のような人には幸せになって欲しいんだ。


 小さな葉が花びらのように、風に舞っている。

 雷光師匠は──さすがに庭木をめった斬りにするのはまずいと思ったのか、『青竜四剣』の型だけを繰り返し見せてくれる。それが終わると、化央師兄を手招きする。

 やがて、化央師兄が木剣を手に、進み出る。

 俺は「かっこいいな」なんて思いながら、それを見ていた。


 すると──


「なにをしているんだ天芳。君もこっちに来い」

「え? ぼくは、剣術の心得はないのですが……」

型稽古かたげいこくらいはできるだろう? いいですよね? 師匠」


 化央師兄の言葉に、雷光師匠がうなずく。

 いや、邪魔しないって心に誓ったばかりなんだけど……。


「天芳。君は師匠の方針に従うと約束したのだろう?」

「……そうですけど」

「早く来い。じっと見られていると落ち着かないんだ」

「わかりました。そういうことなら」


 俺は壁に掛かっていた木剣を取り、化央師兄の元へ。

 それから、雷光師匠の指導のもとで、型稽古かたげいこをはじめた。


 俺は、ほとんど、剣を握ったことがない。

 内力がなかったから、剣を使うことなんか考えてなかったんだ。


 だから、型稽古も、かなり不格好ぶかっこうだったと思う。何度も雷光師匠の指導が入り、剣術の型の流れが止まっていた。

 それでも、一通りの流れが終わったあとで──


「天芳。やはり君が一緒の方がいい」


 汗をふきながら、化央師兄は言った。


「君の動きを見ていると、初心者がつっかえる場所がわかる。そこに注意することで、僕はよりよく、師匠の型を学ぶことができる。明日も剣術の修行につきあってくれ」

「師兄の役に立ってるんですか? ぼくは」

「当たり前だろう。君がいないと困る」

「……ぼくがいないと、ですか?」

「い、いや、変な意味ではないぞ! 勘違いするなよ!?」

「わ、わかってます!」

「一緒に競い合おう、という話だよ」


 化央師兄は、こほん、と、せきばらいして、


「師匠の方針には従うのだろう? 師匠はふたりで稽古をすることに賛成してくださったぞ?」

「…………わかりました」

「よし。それでこそ僕の弟弟子おとうとでしだ」


 そう言って化央師兄は、笑った。

 本当に、いい人だった。


 ゲーム内の黄天芳の側にも、化央師兄のような人がいてくれればよかったのに。

 そうすればあいつも、人を傷つけたり、権勢をふるったりはしなかったかもしれない。


 師兄の笑顔を見ながら、俺はそんなことを考えていたのだった。






 その後、俺と師兄は『四神歩法ししんほほう』の指導を受けた。

『四神歩法』も『神獣十六剣』と同じように、青竜・朱雀・白虎・玄武の歩法があるそうだ。青竜が長大な身体を揺らす様になめらかに、朱雀が翼を広げるようにきらびやかに、白虎の爪のように鋭く、玄武のように不可思議に──そんな歩法だった。


「これから私は庭の中を逃げる。化央と天芳は、ふたりがかりで私を捕まえてごらん。木剣か手足で私の服に触れられたら、君たちの勝ちだ」


 そう言われて俺と化央師兄は師匠を追いかけたんだけど──


「……師匠の服どころか、影にも触れられないんですが」

「……ぜぇぜぇ。はぁ……」


 数十分後。

 俺は呆然ぼうぜんと、化央師兄は地面に座り込んで荒い息をつきながら、降参ギブアップした。

 師匠は「思ったより健闘けんとうしたね」って言ってたけど、たぶん、なぐさめてくれたんだろう。


 中庭の広さは、俺の前世の知識で言えば……学校の教室を半分にしたくらい。そんなに広くない。

 なのに俺たちは師匠の服どころか、影に触れることもできなかったんだ。


「相手に動きをさとらせないのも、この技の特徴だからね」


 師匠は予備動作なしで、前後左右に跳び回っていた。

 師匠が一歩進んだ距離に追いつくのに、俺や化央師兄は五歩進まなきゃいけなかった。

 それでいて師匠の動きはおそろしく小さい。

 無造作に立ってるように見えるのに、追いつけない。気がつくと遠ざかっている。


「……これが『四神歩法』」


 すごい技だ。これがあれば、どんな危機からも逃げられる。

 ゲームのような死亡フラグが立っても、生き残れるはずだけど……。


「ぼくにも師匠と同じようなことができるでしょうか……」

「それは君次第だね。それじゃ、まずは基本の歩法から教えようか」

「お願いします!!」

「化央はどうする? もう少し休むかい?」

「……いえ、僕もやります」


 化央師兄は息を整えながら、立ち上がる。


「僕は天芳の兄弟子です。弟弟子に、ぶざまなところは見せられません」

「いえ、ぼくは師兄を尊敬しています。さっき見た師兄の剣術もきれいで、思わずみとれてしまうほどでした。それに、師兄が師匠を大切に思っているのを知っています。そんな師兄のどんな姿を見ても、ぼくがぶざまだとか思うことはありません!」

「君がそういうことを言うからだろぉ!?」

「ええっ!?」

「ふふっ。仲がいいね。君たちが私の弟子でよかったよ」


 師匠が温かい目で見守る中、俺と師兄は修行を続けるのだった。






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 次回、第21話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。


 もしも、このお話を気に入ってくださったら、応援やフォローをいただけるとうれしいです。更新のはげみになります。

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