第6話「天下の大悪人、妹と一緒に修行する」

 ──天芳視点──





「にゃーん」


 俺が買った書物は、当たりだった。

 書物にはしっかりと『四つの獣の身体をまねて、天地の気を導引どういんする』と書かれていた。

 四つの獣とはへびねこにわとりかめのことだ。

 書物には、それらになりきるための姿勢、呼吸法、気を取り込む方法も詳しく解説してあった。


 間違いない。

 これが『獣身導引じゅうしんどういん』の武術書ぶじゅつしょだ。

 文章がやたらとくどくて細かいのは、まだ導引法が洗練せんれんされていないからだろう。


 ゲーム開始は10年以上先だ。

 そのころになると、天下の大悪人の黄天芳こうてんほうを倒すために、様々な技や武術が確立したのかもしれない……って、どんだけ嫌われてたんだよ、黄天芳。


 問題は、武術書を手に入れただけでは効果がないこと。

 そこはゲームとは違う。

 実際に修練しゅうれんをしないと、内力は手に入らないんだろうな。


「うつぶせになり、床あるいは寝台ベッドに両手を突く。そのまま背筋を伸ばす。息を大きくすって、『にゃーん』!」


『獣身導引』のひとつ、猫のかたち。

 大きく伸びをした猫を真似て、深く呼吸をする。

 猫ののびやかさと、やわらかさを手に入れ、内力を高めることができるそうだ。


 うん……実際にやってみるとわかる。

 身体の中にある気の流れ──経絡けいらくが活性化してる。


 でも、こういうのは効果が出るまでに時間がかかるからな。早めに始められてよかった。

 このまま内力を高めて、いずれは逃走スキルの『四神歩法ししんほほう』を手に入れよう。


 もちろん、星怜も守る。彼女を後宮に入れないようにする。

 最悪、彼女が後宮に入ることになったとしても、悪女になんかさせない。

 そのためにできることは、なんでもするつもりだ。


 それにしても……商人さんが、交渉に応じてくれてよかった。

『獣身導引』の武術書と髪飾りをセットで買うと言ったら、値引きしてくれた。それでもちょっと足りなかったから、商品名を地面に書くと言って交渉したんだ。


 この世界には、文字を『読めるけど書けない』人が意外と多い。

 商人さんは読めるけど、書くのが苦手なタイプだった。

 だから俺が地面に文字を書いてみせて、


『店の横に商品一覧を書いてあげます。そうしたらお客さんは、ここでなにを売っているのか一目でわかります。売れ行きもよくなると思いますけど、どうですか?』


 ──って、申し出たんだ。

 商人さんは交渉こうしょうに応じてくれた。

 書物と髪飾りを、俺が買える値段まで値下げしてくれたんだ。


 俺の字が上手くて良かった。

 おかげで武術書と髪飾り、両方を買うことができたからな。


 髪飾りは、白葉から星怜に届けてもらった。

 すぐに星怜と仲良くなれるとは思わないけど、きっかけにはなると思う。


 あとは……星怜の信頼を得るために、できるだけ立派なところを見せるようにしよう。


「にゃ、にゃーん!」


 しかし……『獣身導引』のポースって、かなり恥ずかしいんだけど。

 武術書を手に入れたのがうれしくて、つい、修行を始めてしまったけど……次からは深夜か早朝にしよう。誰かに見られることがないように。

 特に星怜に見られたら──


「にゃ、にゃにゃん。みゃぅ!」

「…………天芳さま」


 声がした。

 扉の方からだった。


 俺は猫の姿勢のまま、声のした方に視線を向けた。星怜がいた。

 彼女は扉に手をかけて、じっと俺を見てる。

 銀色の髪には、桜色の髪飾りがある。

 俺がおくったものだ。着けてくれたらしい。よかった。


 星怜は、扉の向こうで目を見開いていた。

 俺の姿を見て、びっくりしたみたいだ。そりゃそうだ。

 養女になった家の次男が猫の真似をしてにゃんにゃん言ってたら、誰だってびっくりする。


 まずい。

 せっかく星怜が、髪飾りを受け取ってくれたのに。

 いきなり、恥ずかしいところを見られてしまった。すごくまずい。

 これで黄家が嫌になって、出ていくと言い出したらどうすれば……。


「あ、あの……星怜。これは……」

「天芳さま……黒曜こくよう…………みたい。かわいい……」


 ……あれ?

 星怜は、目を輝かせてない?

 手が震えているのは、部屋に入るのを必死に我慢しているから、みたいだけど。


「にゃん。黒曜……天芳さま……」

「……あの、星怜。黒曜って……?」

「わたしの大切な……猫です」


 ……そういえば星怜は動物好きだったんだっけ。

 俺が導引どういんの『猫のかたち』をしているのを見て、飼ってた猫のことを思い出したのか……?


「天芳さま。お部屋、入っても……いいですか?」

「……いいよ」

「……んっ」


 こらえきれなくなったように、星怜が部屋に飛び込んでくる。

 その間、俺は『獣身導引』の猫の姿勢のまま。

 そんな俺を見ながら、星怜は、


「天芳さま……続きを、どうぞ」

「あのね、星怜。これは猫の真似をする導引……健康法のようなもので……」

「うん。続きを、して」

「……星怜?」

「にゃーん。にゃん」


 ……いや、なんで猫っぽいポーズで猫の鳴き真似をしてるの。

 なんで俺に向かって手を伸ばしたり、引っ込めたりしてるの……?


 星怜の前で猫の導引をするのは、むちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。

 ……ああもう。しょうがないな!


「……にゃーご。にゃん。にゃ!」

「……わぁ」


 星怜が、笑った。

『剣主大乱史伝』では『笑わない美女』という設定だった柳星怜が。

 だったら──


「にゃにゃにゃ! にゃ!」


 俺は『獣身導引』の『猫毬追跡ねこまりついせき (猫はまりを追いかける)』に切り替える。

 ベッドの枕をまりに見立てて、かりかりと引っ掻く。

 すると──


「…………黒曜」


 星怜が、俺の背中に触れた。


「…………ううん。天芳さま……ありがとう」

「星怜……?」

「お食事のとき、気に掛けてくれてありがとう。お茶とお菓子と、ご本を持って来てくれて、ありがとう。髪飾りをくれて……ありがとう。猫のふりをしてくれて……ここまで星怜のことを考えてくれて……ありがとう」

「あのね。これは導引どういんというもので──」

「それでも……うれしいから」


 星怜が俺の背中をなでた。

 きれいな銀色の髪が揺れてる。桜色の『雪縁花せつえんか』の髪飾りが、すごくよく似合ってる。

 星怜は泣き笑いの顔で、俺の背中をなで続ける。


「……わたし……天芳さまの、家族に、なりたい……です」

「うん。星怜は、ぼくの妹だよ」

「…………ありがとう……ございます」

「ところで」

「……はい」

「ずっと猫の格好をしているのは、恥ずかしいんだけど」

「…………もうちょっと、いいですか?」

「ぼくだけ恥ずかしいのは嫌だなぁ……」


 俺は少し考えてから、


「星怜も、猫の導引をやってみる?」

「教えて……くれますか?」

義妹いもうとが望むなら、もちろん」

「はい。お願いします」


 俺と星怜は顔を見合わせて、笑い合う。

 そうして俺は星怜と一緒に『獣身導引じゅうしんどういん』をはじめたのだった。







 ──その後、従者の白葉はくようは──




「奥方さま。少し、よろしいですか」

「あら、白葉。どうしたのですか?」

「芳さまと星怜お嬢さまのことについて、お伝えしたいことがございます」

「天芳と星怜の?」

「はい。星怜お嬢さまは、芳さまのお部屋にいらっしゃるのですが……」

「星怜が天芳の部屋に? もしかして、仲良くなったのですか?」

「は、はい。仲良くしていらっしゃいます」

「それはよかった。ふたりとも、どんな様子ですか?」

「身体をまるめて、にゃーにゃー言っていらっしゃいます」

「……よく聞こえませんでした」

「おふたりとも床で丸まりながら、にゃーにゃー言っていらっしゃいます」

「……聞き間違いではないのですね」

「にゃーにゃーです」

「にゃーにゃーですか」


 沈黙ちんもくする白葉と玉四ぎょくし


 白葉は髪飾りを届けたあと、星怜が部屋を飛び出すのを見た。

 天芳の部屋に行くのだと思った。

 やっと天芳の真心が通じた──そう思ったから、こっそりとついていった。


 そして、扉の隙間からのぞいてみたら、天芳と星怜が猫っぽい姿勢で、枕を叩いているのを見てしまったのだ。


「それだけではありません」

「まだ、なにかあるのですか?」

「芳さまと星怜さまは、にわとりの真似もしていらっしゃいました」

「コケコッコ、ですか?」

「コケコッコです」

「それには、どのような意味があるのでしょうか?」

「芳さまは市場で『気』を高める導引法どういんほうについての書物を探していらっしゃいました。それが関係しているのだとは思います。ただ『飛熊将軍ひゆうしょうぐん』のご子息と養女が、ふたりそろって猫とにわとりの真似をしているのにおどろいてしまいまして……」


 白葉はまっすぐに玉四を見つめて、


「いかがいたしましょう。奥方さま」

「ふたりは仲良くしているのですね?」

「仲良くにゃーにゃーコケコッコしていらっしゃいます」

「それなら、いいではありませんか」


 そう言って玉四は、笑った。

 彼女は編み物の手を止めないままで、


「天芳が、星怜の心をほどいてくれたのです。あとはあの子に任せましょう」

「よろしいのですか!?」

「元いた町で星怜は、同年代の子どもと遊んだこともなかったと聞いています」


 星怜は他と見た目が違うことで、まわりから敬遠されていた。

 大人でさえそうなのだ。

 同年代の子どもが星怜をどんなふうにあつかっていたか、たやすく想像できる。


「そんな星怜が、天芳に心を開いたのです。邪魔をするべきではありません」

「奥方さまが、そうおっしゃるなら」

「すごいですね。天芳は」

「はい。それは白葉も同感です」

「自分のたくわえをためらいもなく、星怜の髪飾りのために使ったのでしょう? 導引法も……あの子にとっては必要なものなのでしょうが、手に入れたものを信じて、すぐに試すのは大きな勇気です」

「芳さまは商人と交渉までして、髪飾りと武術書を入手されていました」

「白葉。髪飾りの値段を教えてください」


 玉四は優しい笑みを浮かべて、


「私が半分、出すことにいたしましょう。わたしがあの子に、星怜のことを頼んだのですからね」

「芳さまにお伝えいたします」

「それと、ふたりにお茶とお菓子を持っていってください」


 導引術は、武術の修行のようなものだ。

 熱心にやれば疲れるし、お腹も空くだろう。


「天芳も星怜もがんばったのです。お腹にたまるものをあげてください」

「承知いたしました。奥方さま」


 玉四の部屋を出た白葉は、厨房に向かった。

 そこで焼き菓子とお茶をもらって、天芳の部屋に向かう。

 ふたりに声をかけて──返事がないのを不思議に思って、扉を開ける。

 すると──


「…………あらあら。おふたりとも」


 天芳と星怜は床の上で身を寄せ合って、眠っていた。

 白葉はふたりを寝台ベッドに運ぼうとして……天芳と星怜が、手を握り合っていることに気づいた。

 ほほえましい光景に安堵あんどの息をついて、白葉はふたりの身体に毛布をかける。

 それから、ふたりを起こさないように、静かに部屋を出たのだった。






────────────────────


 次回、第7話は、今日の夕方くらいに更新する予定です。





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