第5話「星怜、贈り物を受け取る」

 ──星怜せいれい視点──




「……動かないと。ちゃんと……しないと」


 星怜は自室で、ぼんやりとつぶやいた。

 身体が、うまく動かなかった。


 星怜が黄家こうけに引き取られてから数日が過ぎている。

 家長の黄英深こうえいしんさまと、奥方の玉四ぎょくしさまは星怜に、ここが自分の家だと思うようにと言ってくれる。

 けれど、星怜は実の娘じゃない。


 父親が黄英深さまの親友だから、引き取ってもらえただけだ。

 なんの役にも立たずに暮らしていたら……家を追い出されるかもしれない。


「……追い出されて……死んでしまったら……だめですか?」


 星怜は、ここにいない家族に向けて、静かに語りかける。


 父の部隊が襲撃しゅうげきされたときのことを覚えている。

 夕暮れ時だった。

 真っ赤に染まった山の斜面を、異民族の騎兵きへいが駆け下りてきた。


 北のとりでに着く少し前だった。

 星怜も、母も、今日の旅は終わったのだと思っていた。



 大量の矢が、馬車に突き立つ音を聞くまでは。



 馬車の窓を開けたとき、騎兵のひとりと目が合った。

 まだ年若い騎兵きへいだった。顔に布を巻き付けていたから、どんな顔をしていたのかはわからない。ただ、真っ赤な髪の色をおぼえている。

 騎兵たちは問答無用で、柳家の一行に襲いかかった。


 そのあとのことは、よく覚えていない。


 知っている人たちの悲鳴が響き渡った。

 父の叫び声も聞こえた。それもすぐに途切れた。

 炎のぜる音を聞いて、馬車が燃えていることを知った。

 星怜はかごに入ったままの飼い猫の名前を呼んだ。その口を、母親にふさがれた。


『猫のことは忘れなさい』

『自分の命を守ることを考えて』


 やがて、誰かに背中を押されて、星怜の身体は落下した。

 恐怖と痛みに、星怜は気を失った。


 目を覚ましたとき、星怜は黄英深こうえいしんの部隊に助け出されていた。

 大柄な、ひげもじゃの男の人が、星怜の顔をのぞきこんでいた。



『おまえは柳家りゅうけの娘だな』


『わしは、黄英深という。お前の父の柳易宗えきそうとは30年来の親友だ。妻の玉四ぎょくしは柳家に世話になったことがあるのだよ。おお……そうか、覚えているか』


『お前の家族は……そうだ。不幸なことになってしまった』


『よければ、お前を黄家で引き取りたいのだが、どうだろうか?』



 その人の言葉に星怜は、うなずいてしまった。


 柳家で生き残ったのは星怜ひとりだ。

 分家筋の叔父おじがいたが、素行が悪かったせいで、ずっと前に絶縁されている。

 星怜が死ねば、柳家は絶えてしまうのだ。


 だから星怜は黄家に引き取られることを選んだ。

 こうして温かい部屋と食事を与えられ、おだやかに暮らしている。


 なのに、胸の中には、ぽっかりと穴が空いている。

 身体の深い場所で、冷え冷えとした風が吹いている。

 星怜の心はこごえたまま。なにを見ても、触れても、心が動かない。

 自分が生きているのか──死んでいるのかさえ、自信がない。


「……だけど、他に行くところは、ないのです」


 黄家の人たちは、優しくしてくれる。不満なんか、なにもない。


 奥方の玉四ぎょくしとは、昔、会ったことがある。

 あの人と一緒に、春の祭りでおどったことを覚えている。

 髪を『雪縁花せつえんか』で飾り、母親と3人で、父親が鳴らす笛に合わせて踊っていた。


「……あんなことは、もう、二度とないのです」


『雪縁花』は、次の春まで咲かない。

 そのころには星怜は……ここでの暮らしに慣れているだろうか。

 両親のことも忘れて、普通に暮らしているだろうか。


 それが、怖かった。


 両親のことを忘れて、大好きだった飼い猫……つやつやした毛並みの『黒曜こくよう』のことも忘れて、違う自分になってしまうのが怖かった。

 そうしたら、今の自分は、どこに行ってしまうんだろう……。



「失礼いたします。星怜せいれいさま。白葉はくようです」



 声がした。

 星怜はあわてて扉に駆け寄る。

 黄家の人たちに失礼があってはいけない──そう思いながら、扉を開ける。


 そこにいたのは、星怜より少し年上の少女だった。


ほうさまより、これをお渡しするように頼まれました」

「……天芳てんほうさまが、わたし……に?」

「はい。正直、おどろきました。芳さまに、あのような交渉力があったなんて」


 白葉はかぶりを振って、膝をつく。

 彼女は布に包まれたものを、星怜に差し出す。


「芳さまはご用事があるということですので、白葉が代理です。どうぞ、お受け取りください」

「……はい」


 星怜が布を開くと、『雪縁花せつえんか』が咲いていた。


「…………え」


 思わず胸を押さえる。

 春の香りがした気がして、星怜は思わずまわりを見回す。


 ここは北臨ほくりんにある黄家こうけだ。

 これまで星怜が住んでいたのとは、違う場所のはずだ。


 なのにどうして……故郷にいるような気分になるのだろう。


「…………あれ?」


 気がつくと、涙がこぼれていた。

 涙が桜色の花を濡らす。

 それで、わかった。これは髪飾りだ。本物の花じゃない。

 なのに『雪縁花』で髪を飾った春祭りのときのように、心が温かくなっていく。


「……これを……てんほう……さまが……? どうして……」

「芳さまは、星怜さまと仲良くなりたいのでしょう」


 ゆっくりとした口調で、白葉は言った。


「芳さまは、いつも星怜さまのことを気に掛けてらっしゃいました。それで奥方さまに、いろいろと質問をされていたようです。星怜さまが、黄家になじめるにはどうすればいいのか、いつも考えていらっしゃいましたよ」

「…………うぁ……ぁ」


 言葉が、うまくでてこなかった。


「芳さまは、商人相手にがんばっておられました。髪飾りを買うために交渉して……最終的に芳さまは、文字を書くのが苦手な商人のために、商品の名前を地面に書くことで値引きをさせたのです。なにを売っているのか、はっきりわかるようにした方が商売がうまくいくと説得して」

「……天芳てんほうさまが、そんなことを」

「芳さまは星怜さまのために、必死だったのでしょう」

「…………わたしのために……そこまで」


 星怜は両手で顔をおおった。

 涙があふれて止まらなかった。


 星怜を優しく包み込んでくれた家族は、失われてしまった。

 あのとき、星怜も半分、死んだのだと思っていた。

 これからはなにも感じずに……両親が殺されたときのことを思い出しながら生きるのだと。


 けれど、違った。

 家族の他にも、星怜のことを考えてくれる人はいたのだ。


 思えば、最初の日もそうだった。

 天芳は、星怜が猫舌なのに気づいて、熱くない食べ方を教えてくれた。

『子どものすることだ』と怒られていたけれど、あれは星怜を思ってしてくれたことだ。なのに、お礼を言うこともできなかった。


 お茶とお菓子を持ってきてくれたこともある。

 たぶん……部屋の前に置いてあった本も、天芳が持って来てくれたものだろう。


「……なのに……わたし…………わたし……なにも……できて……なくて」

「芳さまは、お部屋にいらっしゃいますよ」


 優しい声が、聞こえた。


「『白葉は部屋に入らないように』とおっしゃっていましたけれど、星怜さまなら構わないと思います。もしもお怒りでしたら、私も一緒に怒られますよ」

「……!」


 白葉の言葉が終わる前に、星怜は駆け出していた。

 今すぐ、天芳に会いたかった。


 伝えたい。謝りたい。話したい。

 お礼を言いたい。彼の話を聞きたい。自分のことを、聞いて欲しい。


 不気味だとさげすまれてきた、銀色の髪。

 なのに新しい家族がくれたのは、その髪を飾る髪留めだった。

 それがうれしくて、胸がいっぱいで、涙が止まらない。


 だから星怜はまっすぐ、天芳の部屋に向かう。

 扉を叩き、会いたい気持ちが抑えきれなくなって──扉を開ける。


 そうして、部屋の中にいた人は──




「にゃーん」





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次回、第6話は、明日のお昼くらいに更新する予定です。


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