第5話「星怜、贈り物を受け取る」
──
「……動かないと。ちゃんと……しないと」
星怜は自室で、ぼんやりとつぶやいた。
身体が、うまく動かなかった。
星怜が
家長の
けれど、星怜は実の娘じゃない。
父親が黄英深さまの親友だから、引き取ってもらえただけだ。
なんの役にも立たずに暮らしていたら……家を追い出されるかもしれない。
「……追い出されて……死んでしまったら……だめですか?」
星怜は、ここにいない家族に向けて、静かに語りかける。
父の部隊が
夕暮れ時だった。
真っ赤に染まった山の斜面を、異民族の
北の
星怜も、母も、今日の旅は終わったのだと思っていた。
大量の矢が、馬車に突き立つ音を聞くまでは。
馬車の窓を開けたとき、騎兵のひとりと目が合った。
まだ年若い
騎兵たちは問答無用で、柳家の一行に襲いかかった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
知っている人たちの悲鳴が響き渡った。
父の叫び声も聞こえた。それもすぐに途切れた。
炎の
星怜は
『猫のことは忘れなさい』
『自分の命を守ることを考えて』
やがて、誰かに背中を押されて、星怜の身体は落下した。
恐怖と痛みに、星怜は気を失った。
目を覚ましたとき、星怜は
大柄な、
『おまえは
『わしは、黄英深という。お前の父の柳
『お前の家族は……そうだ。不幸なことになってしまった』
『よければ、お前を黄家で引き取りたいのだが、どうだろうか?』
その人の言葉に星怜は、うなずいてしまった。
柳家で生き残ったのは星怜ひとりだ。
分家筋の
星怜が死ねば、柳家は絶えてしまうのだ。
だから星怜は黄家に引き取られることを選んだ。
こうして温かい部屋と食事を与えられ、おだやかに暮らしている。
なのに、胸の中には、ぽっかりと穴が空いている。
身体の深い場所で、冷え冷えとした風が吹いている。
星怜の心はこごえたまま。なにを見ても、触れても、心が動かない。
自分が生きているのか──死んでいるのかさえ、自信がない。
「……だけど、他に行くところは、ないのです」
黄家の人たちは、優しくしてくれる。不満なんか、なにもない。
奥方の
あの人と一緒に、春の祭りでおどったことを覚えている。
髪を『
「……あんなことは、もう、二度とないのです」
『雪縁花』は、次の春まで咲かない。
そのころには星怜は……ここでの暮らしに慣れているだろうか。
両親のことも忘れて、普通に暮らしているだろうか。
それが、怖かった。
両親のことを忘れて、大好きだった飼い猫……つやつやした毛並みの『
そうしたら、今の自分は、どこに行ってしまうんだろう……。
「失礼いたします。
声がした。
星怜はあわてて扉に駆け寄る。
黄家の人たちに失礼があってはいけない──そう思いながら、扉を開ける。
そこにいたのは、星怜より少し年上の少女だった。
「
「……
「はい。正直、おどろきました。芳さまに、あのような交渉力があったなんて」
白葉は
彼女は布に包まれたものを、星怜に差し出す。
「芳さまはご用事があるということですので、白葉が代理です。どうぞ、お受け取りください」
「……はい」
星怜が布を開くと、『
「…………え」
思わず胸を押さえる。
春の香りがした気がして、星怜は思わずまわりを見回す。
ここは
これまで星怜が住んでいたのとは、違う場所のはずだ。
なのにどうして……故郷にいるような気分になるのだろう。
「…………あれ?」
気がつくと、涙がこぼれていた。
涙が桜色の花を濡らす。
それで、わかった。これは髪飾りだ。本物の花じゃない。
なのに『雪縁花』で髪を飾った春祭りのときのように、心が温かくなっていく。
「……これを……てんほう……さまが……? どうして……」
「芳さまは、星怜さまと仲良くなりたいのでしょう」
ゆっくりとした口調で、白葉は言った。
「芳さまは、いつも星怜さまのことを気に掛けてらっしゃいました。それで奥方さまに、いろいろと質問をされていたようです。星怜さまが、黄家になじめるにはどうすればいいのか、いつも考えていらっしゃいましたよ」
「…………うぁ……ぁ」
言葉が、うまくでてこなかった。
「芳さまは、商人相手にがんばっておられました。髪飾りを買うために交渉して……最終的に芳さまは、文字を書くのが苦手な商人のために、商品の名前を地面に書くことで値引きをさせたのです。なにを売っているのか、はっきりわかるようにした方が商売がうまくいくと説得して」
「……
「芳さまは星怜さまのために、必死だったのでしょう」
「…………わたしのために……そこまで」
星怜は両手で顔をおおった。
涙があふれて止まらなかった。
星怜を優しく包み込んでくれた家族は、失われてしまった。
あのとき、星怜も半分、死んだのだと思っていた。
これからはなにも感じずに……両親が殺されたときのことを思い出しながら生きるのだと。
けれど、違った。
家族の他にも、星怜のことを考えてくれる人はいたのだ。
思えば、最初の日もそうだった。
天芳は、星怜が猫舌なのに気づいて、熱くない食べ方を教えてくれた。
『子どものすることだ』と怒られていたけれど、あれは星怜を思ってしてくれたことだ。なのに、お礼を言うこともできなかった。
お茶とお菓子を持ってきてくれたこともある。
たぶん……部屋の前に置いてあった本も、天芳が持って来てくれたものだろう。
「……なのに……わたし…………わたし……なにも……できて……なくて」
「芳さまは、お部屋にいらっしゃいますよ」
優しい声が、聞こえた。
「『白葉は部屋に入らないように』とおっしゃっていましたけれど、星怜さまなら構わないと思います。もしもお怒りでしたら、私も一緒に怒られますよ」
「……!」
白葉の言葉が終わる前に、星怜は駆け出していた。
今すぐ、天芳に会いたかった。
伝えたい。謝りたい。話したい。
お礼を言いたい。彼の話を聞きたい。自分のことを、聞いて欲しい。
不気味だとさげすまれてきた、銀色の髪。
なのに新しい家族がくれたのは、その髪を飾る髪留めだった。
それがうれしくて、胸がいっぱいで、涙が止まらない。
だから星怜はまっすぐ、天芳の部屋に向かう。
扉を叩き、会いたい気持ちが抑えきれなくなって──扉を開ける。
そうして、部屋の中にいた人は──
「にゃーん」
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次回、第6話は、明日のお昼くらいに更新する予定です。
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